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一章 紫碧のひととせ
葛藤
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「はぁ~、結構大変だったんだねぇ。『発作』まで起きてたなんて」
「うぅ……」
シルビオとヴォルガの寝室にて。
ハルトがいない間に起こった出来事を洗いざらい吐き出したシルビオは、優しく頭を撫でてくれるハルトに申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「また皆に迷惑かけちゃったんだ……俺、全然成長できてないね……」
シルビオがこういった弱音を吐く相手は、ごく一部の人間に限られる。
この酒場にやって来た当初からの付き合いで、魔法の先生でもあるハルトは、シルビオが素で甘えられる数少ない相手だった。
しゅんとするシルビオを見つめたハルトは、ふっと柔らかい笑みを浮かべ、シルビオの湿気た顔を揉みほぐした。
「そんな顔しないの。ちゃんと反省できてるんだからえらいえらい。あんまり自分のこと責めちゃだめだよ~?」
「んむぅ……」
しばらく頬を捏ね回され、少し表情が緩むシルビオ。
ハルトはそれを認めると、ようやく手を離して話を切り替えた。
「でも、俺に話したいことってそれだけじゃないよね?」
「……う、うん」
シルビオは俯き、ぎゅっと拳を握りしめる。
しばらくの躊躇の後、彼は初めてその葛藤を口にした。
「俺……ヴォルガのこと、抱きたくて……我慢、できなくなっちゃいそうなんだ」
「おぉ~」
ハルトは感心した顔で拍手する。
「まだ手出してなかったんだ?すごいじゃ~ん」
「師匠~っ!」
信用はどこにもなかった。
ぽこぽこと殴りかかってくるシルビオを宥めつつ、ハルトは表情を真剣なものに変えた。
「それで、迷ってる理由は?ヴォルガがアステル教徒だから?」
「……それも、あるけど」
シルビオは、ちらりとハルトを見上げる。
「多分、気付いてるとは思うけど……ヴォルガ、『烙印』持ちなんだよ」
「あぁ……やっぱり、そうだったんだ」
ハルトの顔が複雑そうに歪む。
ユーガからその話を持ち出すことはきっと無いだろうと思っていたので、ハルトはこのことを明言されてはいなかっただろう。
けれど、気付かないわけがない。
幼馴染みの親友が、心も体も壊されて寝たきりになって。
かつて、ハルトがどれだけユーガを心配していたのかは、彼の保護者であるユーガの姉やリーリエから何度も聞いていたから。
あの忌々しい呪印の効果と、それを刻まれた者が絶対悪ではないという表沙汰にできない真実を、ハルトはよく知っていた。
「シルビオは、あの子を保護した立場だから……どんなに本心で望んでいなくても、『烙印』がヴォルガに望まない行為をさせるんじゃないかって……それで悩んでるのか」
「……うん」
沈んだ顔で頷くシルビオ。
かつて、彼に言われたことが頭に過ぎる。
「ヴォルガは、俺とそういうことはしたくないって、はっきり言ってた。それに、怪我も治ってなかったし……だから、耐えられた。でも、今のヴォルガは、もう怪我人じゃなくて……隣で寝てるのに手出さないの、今のままだと無理だなって……あんな可愛いのに、これ以上我慢できない……でも、無理矢理襲うようなことは絶対したくないし……うぅぅぅぅ……」
「うん、はいはい、よーしよし」
頭を抱えるシルビオを暖かい目で宥めてくれるハルト。
同教の人物ということもあり、ハルトは性方面の相談にも積極的に乗ってくれる。
マヨイガの面々は皆身が固いため、なかなか話を持ちかけることができない。
ハルトに頼ったのはそれが一番大きな理由だった。
「ヴォルガ可愛いもんね~。どう見てもシルビオが好きなタイプだもんね~。今までよく耐えたなと思ってるよ、俺は」
「だって、約束だし……ヴォルガが一緒に寝てくれなくなったら、またユーガのこと曇らせちゃうし……」
「うんうん、我慢できてえらかったねぇ」
鞭がユーガだとすると、飴がハルトである。
基本的にシルビオには同情的なハルトは、シルビオの欲を切り捨てることはせず、親身になって解決策を考えてくれる。
けれど、甘いだけじゃない。
人の心の機微に敏い師匠は、一方的なだけの答えは絶対に出さない。
「一人で処理はできない?」
「今まではそうしてたよぉ……でも、今日、夢の中でヴォルガのこと襲ってて……」
「あ~、それでかぁ」
ハルトはシルビオの頭に触れ、こめかみ付近にそっと指を立てる。
「シルビオの夢と現実は、自分じゃ区別できないんだもんね」
「……本当に襲ってたらって思ったら、怖くなっちゃったんだ」
シルビオはぽつりと呟き、膝を抱えた。
人の心の奥底の感情を夢という形で追体験し続けてきたこの青年は、基本的に夢を恐れている。
それは彼にとって、いつか起こった過去であり、いずれ起こる未来──つまり、現実に他ならないから。
「視ていい?」
「あ……うん」
ハルトが、魔法を発動した。
シルビオは規格外だが、その師匠であるハルトも大概常識離れした魔法使いだ。
今彼は、シルビオの精神に潜り、彼が見た夢を追体験している。
「んー……あー、うん、ほんと可愛いねヴォルガ」
「師匠、口説くのやめてね」
「あはは、あの子は俺じゃ落とせないよ~」
しれっと一番被害を食らっているのはヴォルガな気もするが。
しばらくそれを見ていたハルトは、ふと微笑みを湛えて手を離した。
「……うん。俺から言えるのは、一つだけかな」
「何……?」
ぎゅっと体を固くして宣告を待つシルビオに。
ハルトは、優しい声で告げた。
「一回、ヴォルガにありのままを話してみな」
「………………え、えぇぇぇぇええっ?」
本気で困惑した顔のシルビオ。
しどろもどろに言葉を返す。
「え、でも、だって……言ったでしょ、ヴォルガはそういうの嫌がってるって!」
「だからこそ、一人で抱えてるだけは良くないと思うよ。自分の感情、隠してたから『発作』起きちゃったんでしょ?」
「うぐっ……」
痛いところを突かれ言葉を詰まらせるシルビオ。
それでもまだ不安げな彼に、ハルトは微笑みながら続ける。
「大丈夫だよ。もし解決しなかったり拗れちゃったりしたら、もう一回俺のとこおいで。ヴォルガの希望も聞いてから、二人のこれからを考えてみよう」
「……ハルトさん……」
真っ直ぐな黒い瞳は、荒れていた心を不思議と落ち着かせてくれる。
しばらくの逡巡の後、シルビオは顔を上げ、頷いた。
「……分かった。一回……勇気、出してみる」
「うん、よし!えらいね~、シルビオ」
答えを出した弟子を労うことも忘れない。
またシルビオが撫で回されていると、ふと階下から声が掛かった。
「シルビオー、もう大丈夫かー?荷運び手伝って欲しいんだが」
ユーガの声だ。
「あ、はーい!ごめん師匠、行ってくるね!」
シルビオはすっかり吹っ切れたようで、いつも通りの明るい声で返事をし、パタパタと外へ駆け出して行った。
寝室に、ハルト一人が残される。
ハルトはふっと笑みを零し、腰を下ろしていた二人の眠るベッドを指でなぞった。
「その夢は……どっちの願望なのかな?」
静かなその声は、シルビオの耳に届くことはなかった。
「うぅ……」
シルビオとヴォルガの寝室にて。
ハルトがいない間に起こった出来事を洗いざらい吐き出したシルビオは、優しく頭を撫でてくれるハルトに申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「また皆に迷惑かけちゃったんだ……俺、全然成長できてないね……」
シルビオがこういった弱音を吐く相手は、ごく一部の人間に限られる。
この酒場にやって来た当初からの付き合いで、魔法の先生でもあるハルトは、シルビオが素で甘えられる数少ない相手だった。
しゅんとするシルビオを見つめたハルトは、ふっと柔らかい笑みを浮かべ、シルビオの湿気た顔を揉みほぐした。
「そんな顔しないの。ちゃんと反省できてるんだからえらいえらい。あんまり自分のこと責めちゃだめだよ~?」
「んむぅ……」
しばらく頬を捏ね回され、少し表情が緩むシルビオ。
ハルトはそれを認めると、ようやく手を離して話を切り替えた。
「でも、俺に話したいことってそれだけじゃないよね?」
「……う、うん」
シルビオは俯き、ぎゅっと拳を握りしめる。
しばらくの躊躇の後、彼は初めてその葛藤を口にした。
「俺……ヴォルガのこと、抱きたくて……我慢、できなくなっちゃいそうなんだ」
「おぉ~」
ハルトは感心した顔で拍手する。
「まだ手出してなかったんだ?すごいじゃ~ん」
「師匠~っ!」
信用はどこにもなかった。
ぽこぽこと殴りかかってくるシルビオを宥めつつ、ハルトは表情を真剣なものに変えた。
「それで、迷ってる理由は?ヴォルガがアステル教徒だから?」
「……それも、あるけど」
シルビオは、ちらりとハルトを見上げる。
「多分、気付いてるとは思うけど……ヴォルガ、『烙印』持ちなんだよ」
「あぁ……やっぱり、そうだったんだ」
ハルトの顔が複雑そうに歪む。
ユーガからその話を持ち出すことはきっと無いだろうと思っていたので、ハルトはこのことを明言されてはいなかっただろう。
けれど、気付かないわけがない。
幼馴染みの親友が、心も体も壊されて寝たきりになって。
かつて、ハルトがどれだけユーガを心配していたのかは、彼の保護者であるユーガの姉やリーリエから何度も聞いていたから。
あの忌々しい呪印の効果と、それを刻まれた者が絶対悪ではないという表沙汰にできない真実を、ハルトはよく知っていた。
「シルビオは、あの子を保護した立場だから……どんなに本心で望んでいなくても、『烙印』がヴォルガに望まない行為をさせるんじゃないかって……それで悩んでるのか」
「……うん」
沈んだ顔で頷くシルビオ。
かつて、彼に言われたことが頭に過ぎる。
「ヴォルガは、俺とそういうことはしたくないって、はっきり言ってた。それに、怪我も治ってなかったし……だから、耐えられた。でも、今のヴォルガは、もう怪我人じゃなくて……隣で寝てるのに手出さないの、今のままだと無理だなって……あんな可愛いのに、これ以上我慢できない……でも、無理矢理襲うようなことは絶対したくないし……うぅぅぅぅ……」
「うん、はいはい、よーしよし」
頭を抱えるシルビオを暖かい目で宥めてくれるハルト。
同教の人物ということもあり、ハルトは性方面の相談にも積極的に乗ってくれる。
マヨイガの面々は皆身が固いため、なかなか話を持ちかけることができない。
ハルトに頼ったのはそれが一番大きな理由だった。
「ヴォルガ可愛いもんね~。どう見てもシルビオが好きなタイプだもんね~。今までよく耐えたなと思ってるよ、俺は」
「だって、約束だし……ヴォルガが一緒に寝てくれなくなったら、またユーガのこと曇らせちゃうし……」
「うんうん、我慢できてえらかったねぇ」
鞭がユーガだとすると、飴がハルトである。
基本的にシルビオには同情的なハルトは、シルビオの欲を切り捨てることはせず、親身になって解決策を考えてくれる。
けれど、甘いだけじゃない。
人の心の機微に敏い師匠は、一方的なだけの答えは絶対に出さない。
「一人で処理はできない?」
「今まではそうしてたよぉ……でも、今日、夢の中でヴォルガのこと襲ってて……」
「あ~、それでかぁ」
ハルトはシルビオの頭に触れ、こめかみ付近にそっと指を立てる。
「シルビオの夢と現実は、自分じゃ区別できないんだもんね」
「……本当に襲ってたらって思ったら、怖くなっちゃったんだ」
シルビオはぽつりと呟き、膝を抱えた。
人の心の奥底の感情を夢という形で追体験し続けてきたこの青年は、基本的に夢を恐れている。
それは彼にとって、いつか起こった過去であり、いずれ起こる未来──つまり、現実に他ならないから。
「視ていい?」
「あ……うん」
ハルトが、魔法を発動した。
シルビオは規格外だが、その師匠であるハルトも大概常識離れした魔法使いだ。
今彼は、シルビオの精神に潜り、彼が見た夢を追体験している。
「んー……あー、うん、ほんと可愛いねヴォルガ」
「師匠、口説くのやめてね」
「あはは、あの子は俺じゃ落とせないよ~」
しれっと一番被害を食らっているのはヴォルガな気もするが。
しばらくそれを見ていたハルトは、ふと微笑みを湛えて手を離した。
「……うん。俺から言えるのは、一つだけかな」
「何……?」
ぎゅっと体を固くして宣告を待つシルビオに。
ハルトは、優しい声で告げた。
「一回、ヴォルガにありのままを話してみな」
「………………え、えぇぇぇぇええっ?」
本気で困惑した顔のシルビオ。
しどろもどろに言葉を返す。
「え、でも、だって……言ったでしょ、ヴォルガはそういうの嫌がってるって!」
「だからこそ、一人で抱えてるだけは良くないと思うよ。自分の感情、隠してたから『発作』起きちゃったんでしょ?」
「うぐっ……」
痛いところを突かれ言葉を詰まらせるシルビオ。
それでもまだ不安げな彼に、ハルトは微笑みながら続ける。
「大丈夫だよ。もし解決しなかったり拗れちゃったりしたら、もう一回俺のとこおいで。ヴォルガの希望も聞いてから、二人のこれからを考えてみよう」
「……ハルトさん……」
真っ直ぐな黒い瞳は、荒れていた心を不思議と落ち着かせてくれる。
しばらくの逡巡の後、シルビオは顔を上げ、頷いた。
「……分かった。一回……勇気、出してみる」
「うん、よし!えらいね~、シルビオ」
答えを出した弟子を労うことも忘れない。
またシルビオが撫で回されていると、ふと階下から声が掛かった。
「シルビオー、もう大丈夫かー?荷運び手伝って欲しいんだが」
ユーガの声だ。
「あ、はーい!ごめん師匠、行ってくるね!」
シルビオはすっかり吹っ切れたようで、いつも通りの明るい声で返事をし、パタパタと外へ駆け出して行った。
寝室に、ハルト一人が残される。
ハルトはふっと笑みを零し、腰を下ろしていた二人の眠るベッドを指でなぞった。
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