王と騎士の輪舞曲(ロンド)

春風アオイ

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一章 紫碧のひととせ

揺籃

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「な、何だ、これ……」
「……」

ヴォルガは目を見開き、ユーガは無言で扉を見つめる。
シルビオがいるはずの、シルビオとヴォルガの寝室。
その扉が、黒い茨のような何かで完全に覆われていたのだ。
轟音を聞いて慌てて二階に上がった二人の目に真っ先に飛び込んだ異変がそれだった。

「これ……シルビオがやったのか?」

そっと扉を覆うそれに手を翳しながら尋ねるヴォルガ。

『烙印』を抱えた今では分かることはそう多くないが、途方もない魔力で編まれた構造体であることはすぐに分かった。
属性は闇。
犯人は、シルビオ以外にいないだろう。

そう思って聞いたのだが、返ってきた答えは想像の斜め上だった。

「ああ……そうだ」
「……は?」

思わず振り返るヴォルガ。
苦い顔のユーガは、頭を掻きながらヴォルガを扉から引き剥がした。

「お、おい……」
「対処の仕方は知ってる。リーリエを呼びに行ってくれ。裏口から出て右隣の家だ」

淡々とした指示。
まだ着いていけず立ち尽くすヴォルガに、ユーガはいつもの冷静な無表情に戻って告げた。

「聞きたいことは後で教えてやる。今は我慢しろ。放っておくと、一部屋じゃ済まなくなる」
「……っ」

そう言われると嫌でも危機感を煽られる。
ただでさえ、塞がれた扉の奥から伝わる魔力が尋常ではない。
気圧される─というより、痛々しくて心を蝕まれる。
魔力の主であるシルビオが苦しんでいることだけははっきりと分かった。
止められるなら、早く止めてやりたい。

「分かった、頼む」
「おう」

片手を上げ、いつもと変わらない軽い調子で返すユーガ。
少し緊張は緩んだが、緊急事態には変わりない。
ヴォルガは踵を返し、リーリエの家に向かって駆け出した。


「……さて、と」

裏口の扉が勢いよく開け放たれた音を聞いて、ユーガは独りごちながら顔を上げた。
手には、いつの間にか古びた槍が握られている。
ユーガはそれを両手で抱え直し、勢いよく扉に突き刺した。
すると、槍の先端に埋め込まれた金色の宝石が輝き、ガラスが割れるような音と共に茨が粉微塵に砕けた。
一筋の汗が頬を伝う。

「修理代分はきっちり働かせるからな」

自分に言い聞かせるようにそう言って、ユーガは迷いなく罅の入った扉を蹴り開けた。


部屋の中は、惨憺たる有り様だった。
家具はめちゃくちゃに壊され、カーテンや絨毯は派手に引き裂かれて床に散らばっている。
部屋の随所には先程の茨のようなものに加え、巨大な針のような黒い棘が生えていた。
それらは震え、蠢き、不安定な脈動を続けている。

…そして。
一人の青年が、部屋の中央で蹲っていた。

「……ぁ、あぁ…………ぅ、うぅぅ……」

頭を抱え、床に座り込み、言葉にならない呻き声を上げる青年。
美しい紫紺の瞳は闇に呑まれ、床を呆然と見つめながら静かに涙を零していた。
ぐしゃりと髪を掴んで乱しながら、彼は覚めない夢を見ていた。

「……シルビオ」

ユーガが、穏やかに声を掛けた。
彼はびくっと震え、怯えながら後ずさる。

「い、いや、ぁ…………こな、いで…………なに、も、もってない、から……っ」

シルビオはユーガを見ていなかった。
焦点の合わない視線の先には、彼にしか見えない何かがいる。
それでも、ユーガは真っ直ぐ彼に歩み寄った。

「大丈夫だよ。何も奪わない。俺は敵じゃない」
「……やめ、やめて……もう、いやぁ……っ!!」

シルビオが悲鳴を上げると、床が黒に染まり、無数の棘が突き立てられた。
その一部はユーガの肌に触れ、容易く骨を砕いて貫通する。

「……っ」

右腕と左足が貫かれた。
立っていられず床に倒れ込みながらも、ユーガは真っ直ぐ彼の下へ向かう。

「大丈夫……もう、独りじゃないだろ……誰も、お前を見捨てたりしない」
「……ぅ、…………っ」

シルビオはまだ泣いていた。
無意識に魔法を操って、近寄る者を排除しようと棘を生やす。
無差別な分、避けるのは至難の技だ。
何度も身体を傷つけられながら、ユーガはゆっくりとシルビオに這い寄っていく。

この棘に覆われた壊れかけの部屋は、今のシルビオの心象風景だ。
明るく穏やかな彼が心の奥底にずっと抱えている、永遠に癒えることのない傷痕だ。
だからこそ、してやれることがある。

ユーガはゆっくりと手を伸ばし、ぐちゃぐちゃに乱れたシルビオの髪に触れた。
優しく撫でて、そのまま腕を回し、抱き寄せる。
冷えきった身体を包み込んで、暖かな言葉を届ける。

「大、丈夫……怖くない、から……な?ゆっくり、息吸って……目、閉じて。そう……偉いな」
「……」

シルビオの指がぴくりと震え、おずおずと手が回される。
血塗れになり、上手く動かなくなってきた体躯を、シルビオの腕が弱々しく抱きしめる。
そのまま啜り泣く彼をあやしながら、ユーガは小さく笑った。

「お前は……いつまで、経っても……子供の、まま、だな……」

体温がゆっくりと混ざり合い、呼吸が落ち着いていく。

シルビオの瞳から闇が晴れるまで。
ユーガは、その手を離すことはなかった。


「今、どうなってる?!」
「分からない!とりあえず、リーリエを呼びに行けって……!」
「あーもう、爆睡しちゃってたよぉ~っ」

一方その頃。
すやすやと眠っていたリーリエを叩き起こし、ヴォルガは彼女を連れてマヨイガに戻っていた。

治癒魔法用のステッキだけを抱えた寝間着姿の彼女はそう嘆いているが、泊まりがけの奉仕行事の後だし無理もない。
ヴォルガも疲れていて自分のことに精一杯だった。
至らなさに唇を噛み締めつつ、今はただ足を動かす。

裏口から中に入ると、あれだけの騒ぎが嘘のように店内は静まり返っていた。
リーリエが緊迫した様子でヴォルガの手を引く。

「……ちょっとまずいかも。急ご」
「お、おう……」

どうやらリーリエも事情を知っているようだが、詳しく聞いている時間はなさそうだ。
彼女の後に続いて、ヴォルガはホールを通り抜け、階段を駆け上がる。
二階に辿り着くと、ヴォルガにも異変が感じ取れた。

「……血の臭いがする」
「……っ」

リーリエがぐっとステッキを握り締めたのが見えた。
彼女は早足で進み、廊下を進んだ奥─扉がひしゃげて転がっている、シルビオとヴォルガの部屋へと入っていく。

「……」

扉を覆っていた茨はどこかに消えていた。
それどころか、魔法の気配すら霧散している。
何が何だか分からないまま、ヴォルガも部屋の中へと足を踏み入れた。

部屋は、嵐でも巻き起こったかのような荒れ具合だった。
一番大きな調度品であるベッドさえ原型を留めていない。
全てがめちゃくちゃに壊され、室内は瓦礫の山と化していた。
そして…

「……大丈夫……大丈夫、だよ……」

全身から血を流し、息も絶え絶えなユーガが、シルビオを抱き締めながら優しく彼を宥めていた。
シルビオは、泣きながら彼を腕の中に収めている。
その瞳は未だ虚ろで、何が起きているか理解できているとは思えない。
だが、少なくとも魔法の暴走を止める程度の理性は戻ったようだった。

「ユーガっ、もう大丈夫だから!!どこやられたの?!」

呆けていたヴォルガを現実に引き戻したのは、リーリエの叫び声だった。
彼女はユーガを支えつつ、ヴォルガに視線を向ける。

「ヴォルちゃん、シルビオのことお願い!」
「え、あ……わ、分かった!」

リーリエに言われるがまま、シルビオに近寄って肩を揺さぶる。

「シルビオ。シルビオ!!聞こえるか?!」
「…………ぅ……あ…………?」

何度か呼びかけると、シルビオは掠れた呻き声を上げ、ゆっくりとヴォルガを見上げる。
しばらくすると目の焦点が合っていき、彼は目を見開いた。

「ヴォルガ……っ、ヴォルガ……?ほん、もの……?」
「本物だ馬鹿!!さっさと正気に戻れ!!」

偽物がいてたまるか。
何となく癪で軽く頬を叩くと、今度こそシルビオの瞳にいつもの穏やかな色が戻った。

「…………あ、……おれ、何、して……」

呆然とそう呟くと、シルビオの身体がぐらりと傾いた。
慌てて支えるが、力が入らないのかぐったりとヴォルガに身体を預けてきた。
顔色は悪く、全身が氷のように冷たい。
この症状にはよく覚えがある。

「魔力欠乏症だな。限界を超えて魔法を使い続けるとなる症状だ。お前も一回休んだ方がいい」
「……魔力、欠乏症……」

シルビオは震える手を見つめ、そしてはっと顔を上げた。
混沌とした室内。
魔力が失われた身体。
そして…

…必死に治癒を施すリーリエと、血塗れで倒れ伏すユーガ。

それを確認した途端、彼は目を伏せ、小さく呟く。

「あぁ……俺、またやっちゃったんだ……」

瞳から、また涙が零れ落ちる。
ヴォルガがぎこちなく頭を撫でると、シルビオは目を閉じてヴォルガの胸元に頭を擦り寄せた。

「……ごめんね」
「それは……俺の台詞だ」

ぶっきらぼうで、けれどいつもより優しい声に小さく微笑んで、シルビオはそのまま意識を失った。

「……」

涙でぐしゃぐしゃになった顔は、いつもより幼く見えた。
彼を落とさないように細い腕に力を込めながら、ヴォルガはしばらくその場に留まっていた。
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