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一章 紫碧のひととせ
黒の月
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ヴォルガがマヨイガにやって来て、二月が過ぎた。
気温は更に下がり、冬真っ盛りな日々が続く。
そんな中でも、暖と娯楽を求め、マヨイガは賑わいを見せていた。
というのも……
「ヴォルガちゃ~ん、勘定よろしく~」
「分かったから、ちゃんはやめてくれ……」
「いやぁ、シルビオも美人だけど、ヴォルガは人と比較する次元じゃねえなぁこりゃ」
「顔が良すぎて逆に抱きたい気がしねぇよな」
「そんなこと言ってたらシルビオ敵に回すぞお前」
「ん~、なんか良からぬこと言ってる~?」
「あっ何でもないっすハイ」
「言わんこっちゃない……」
いつも以上に騒々しいホールには、長い髪を結わえて少し気恥ずかしそうに動き回るヴォルガの姿があった。
シルビオが目を光らせる中、客と会話を交わし、身体に負担の少ない雑用をこなしていく。
…何故、存在を秘匿していた筈のヴォルガがホールで働いているのか。
発端は、先日のリーリエ誘拐未遂事件だった。
あの事件である程度個人情報が知れ渡ってしまったヴォルガの下に、教会の関係者や居合わせた警備隊員が会いにやって来るようになったのだ。
経緯が経緯なだけあって謝罪やお礼を言いに訪ねてきた者も多く、シルビオやユーガの目が届く場所ならという条件でヴォルガは彼らと直接顔を合わせて話をするようになった。
それだけなら別に良かったのだが、人の口に戸は立てられない。
ヴォルガという人間がマヨイガにいるという噂は瞬く間に広まり、常連客にも伝わってしまったことで隠し立てすることができなくなってしまった。
初めは引き続き裏方を担当しようとしていたヴォルガだが、面白そうなことに目のない客たちがヴォルガを出せとやんややんや騒ぎまくる事態にまで発展し、仕方なくたまに表に出ることになった…というのがおおよその経緯だ。
『烙印』持ちであることまでは流石に広まっている様子はなかったが、油断はできない。
ヴォルガも怪我はかなり癒えてきたものの動きはまだ少々ぎこちない。
服に隠れた部分には、まだ包帯が巻かれているところもある。
ユーガを知っているこの街の住民なら、少なからず勘づく可能性はあるだろう。
というわけでいつも以上に力を入れて仕事─というよりヴォルガの観察─をしているシルビオだったが、今のところヴォルガに余計なちょっかいをかけようという愚か者は見当たらなかった。
むしろ…
「ん、今日のつまみいつもと味違うな?これはこれで美味いけど」
「あぁ、それは交代前に俺が作ったやつだな」
「な、料理もできる……だと……?!」
「おいおい、完璧じゃねえか」
「ちょっと~、ウチらが付け入る余地ないじゃ~ん!!」
「い、いや、仕事だからやっただけで……そんな褒められるようなことじゃ……」
「うわ謙虚」
「これは良妻」
「お前らもうちょっと女磨けよ」
「うるせえ男共!!」
ヴォルガを中心に、客たちは見事に盛り上がっていた。
シルビオ相手にはつんけんしているヴォルガだが、コミュニケーション能力は決して低くないようで、初見の客相手でも適度な距離感で会話を交わし、きちんと仕事もこなしている。
接客の経験なんてないと言っていたが、メモも取らずに注文を覚え、空いた皿はすぐに片付け、酔っ払いに絡まれても適当にいなし…とシルビオ顔負けの優秀さだ。
本当に、こんな辺境の貧民街で一市民として働くような人材ではないと感じさせる。
「……」
カウンターで頬杖をつきながらその光景を眺めていたシルビオは、誰も気づかない程度に、少しだけ表情を曇らせた。
結局、その日は事件も起きず、ただただ酒場が賑わいを見せた一日だった。
「いつもより二割増くらい売上が伸びてた。ヴォルガが客に催促してたらもう二割くらい増えてたかもな」
というのはユーガの言である。
とはいえ、流石にホール担当の日は疲労が溜まるようで、営業が終わった途端にヴォルガはソファーにぐったりと腰掛けた。
「ヴォルガ、大丈夫?」
「ああ、うん……少し疲れた……」
「後片付けはこっちでやっとくから、二階で休んでて!後で飲み物持ってくね」
「悪い……」
「いやいや、十分だよ」
ここでも生真面目な性格は相変わらずで、どうやら少し働きすぎたようだ。
リビングでヴォルガを休ませつつ、シルビオはユーガと手分けしてホールの後片付けをすることにした。
残った皿をまとめて抱えたところで、ユーガから声がかかる。
「大丈夫か?」
「……え、俺?」
驚いて振り向くと、ユーガはどこか神妙な顔でシルビオを見ていた。
視線を動かせなくなる。
彼は、こういう時、とことん鋭い。
「いつもより気分が落ち込んでるだろ。ヴォルガのことが心配か?」
「……う、うん……」
素直にこくりと頷く。
嘘ではないが、本音でもない。
そう思って少しだけ視線が揺れたが、ユーガはそれもしっかり見抜いていた。
静かに歩み寄り、シルビオに小さな声で告げる。
「あいつのこと、人目に触れないところに閉じ込めておいた方がいいと思ってるのか?」
「……っ、違う!!」
はっとして、思わずユーガを突き飛ばした。
抱えていた皿が大きな音を立てて床に落ち、ユーガもバランスを崩して尻餅をつく。
「……ぁ、ご、ごめん」
血が上ったのは一瞬だった。
慌ててユーガを助け起こすと、彼は怒るでもなく、苦笑いを浮かべてシルビオを見つめた。
「珍しいな、お前がそんな態度を取るのは。それくらい、ヴォルガのことが気になってるんだな」
「ん……」
そう言われると、そうなのかもしれない。
彼への入れ込み方は、ユーガやリーリエに向けるものとはちょっと違う。
…逃がしたくない。
そんな黒い感情が顔を覗かせるくらい、シルビオはヴォルガを気に入っていた。
彼は、自分の傍にいてくれると言ったけど。
どこまで本音かなんて、分からない。
確かめる術はあっても、そんなことはしたくない。
ヴォルガの望むことをしてあげたいのに。
どうしてか感情を抑えられない自分に、シルビオが一番苛立っていた。
でも、それをユーガに素直に打ち明ける気にもなれなかった。
どうせ見透かされると分かっていても、ユーガに余計な心労を与えたくなかった。
だから、シルビオは笑顔を貼り付けた。
「……昔のユーガのこと、知ってるからさ。どうしても心配になっちゃって。でも、ヴォルガが望むなら、表で働いてもいいと思ってるよ。何かあったら俺が守ればいいし」
にかっと笑ってユーガを見つめ返す。
彼は何か言いたげだったが、それ以上は何も言わずに話を切り上げた。
「そうかよ。……あー、お前が皿を割るのも久しぶりだな」
「え……あっ、本当だ?!」
「俺が片付けとくから、残りの皿洗っとけ。終わったらホールの掃除もな」
「……仕事多くない?」
「皿割った分な」
「うっ……はぁ~い」
いつも通りの掛け合いに戻って、シルビオはとぼとぼとキッチンに向かう。
ユーガはその背中をじっと見つめ、小さく溜め息をついた。
気温は更に下がり、冬真っ盛りな日々が続く。
そんな中でも、暖と娯楽を求め、マヨイガは賑わいを見せていた。
というのも……
「ヴォルガちゃ~ん、勘定よろしく~」
「分かったから、ちゃんはやめてくれ……」
「いやぁ、シルビオも美人だけど、ヴォルガは人と比較する次元じゃねえなぁこりゃ」
「顔が良すぎて逆に抱きたい気がしねぇよな」
「そんなこと言ってたらシルビオ敵に回すぞお前」
「ん~、なんか良からぬこと言ってる~?」
「あっ何でもないっすハイ」
「言わんこっちゃない……」
いつも以上に騒々しいホールには、長い髪を結わえて少し気恥ずかしそうに動き回るヴォルガの姿があった。
シルビオが目を光らせる中、客と会話を交わし、身体に負担の少ない雑用をこなしていく。
…何故、存在を秘匿していた筈のヴォルガがホールで働いているのか。
発端は、先日のリーリエ誘拐未遂事件だった。
あの事件である程度個人情報が知れ渡ってしまったヴォルガの下に、教会の関係者や居合わせた警備隊員が会いにやって来るようになったのだ。
経緯が経緯なだけあって謝罪やお礼を言いに訪ねてきた者も多く、シルビオやユーガの目が届く場所ならという条件でヴォルガは彼らと直接顔を合わせて話をするようになった。
それだけなら別に良かったのだが、人の口に戸は立てられない。
ヴォルガという人間がマヨイガにいるという噂は瞬く間に広まり、常連客にも伝わってしまったことで隠し立てすることができなくなってしまった。
初めは引き続き裏方を担当しようとしていたヴォルガだが、面白そうなことに目のない客たちがヴォルガを出せとやんややんや騒ぎまくる事態にまで発展し、仕方なくたまに表に出ることになった…というのがおおよその経緯だ。
『烙印』持ちであることまでは流石に広まっている様子はなかったが、油断はできない。
ヴォルガも怪我はかなり癒えてきたものの動きはまだ少々ぎこちない。
服に隠れた部分には、まだ包帯が巻かれているところもある。
ユーガを知っているこの街の住民なら、少なからず勘づく可能性はあるだろう。
というわけでいつも以上に力を入れて仕事─というよりヴォルガの観察─をしているシルビオだったが、今のところヴォルガに余計なちょっかいをかけようという愚か者は見当たらなかった。
むしろ…
「ん、今日のつまみいつもと味違うな?これはこれで美味いけど」
「あぁ、それは交代前に俺が作ったやつだな」
「な、料理もできる……だと……?!」
「おいおい、完璧じゃねえか」
「ちょっと~、ウチらが付け入る余地ないじゃ~ん!!」
「い、いや、仕事だからやっただけで……そんな褒められるようなことじゃ……」
「うわ謙虚」
「これは良妻」
「お前らもうちょっと女磨けよ」
「うるせえ男共!!」
ヴォルガを中心に、客たちは見事に盛り上がっていた。
シルビオ相手にはつんけんしているヴォルガだが、コミュニケーション能力は決して低くないようで、初見の客相手でも適度な距離感で会話を交わし、きちんと仕事もこなしている。
接客の経験なんてないと言っていたが、メモも取らずに注文を覚え、空いた皿はすぐに片付け、酔っ払いに絡まれても適当にいなし…とシルビオ顔負けの優秀さだ。
本当に、こんな辺境の貧民街で一市民として働くような人材ではないと感じさせる。
「……」
カウンターで頬杖をつきながらその光景を眺めていたシルビオは、誰も気づかない程度に、少しだけ表情を曇らせた。
結局、その日は事件も起きず、ただただ酒場が賑わいを見せた一日だった。
「いつもより二割増くらい売上が伸びてた。ヴォルガが客に催促してたらもう二割くらい増えてたかもな」
というのはユーガの言である。
とはいえ、流石にホール担当の日は疲労が溜まるようで、営業が終わった途端にヴォルガはソファーにぐったりと腰掛けた。
「ヴォルガ、大丈夫?」
「ああ、うん……少し疲れた……」
「後片付けはこっちでやっとくから、二階で休んでて!後で飲み物持ってくね」
「悪い……」
「いやいや、十分だよ」
ここでも生真面目な性格は相変わらずで、どうやら少し働きすぎたようだ。
リビングでヴォルガを休ませつつ、シルビオはユーガと手分けしてホールの後片付けをすることにした。
残った皿をまとめて抱えたところで、ユーガから声がかかる。
「大丈夫か?」
「……え、俺?」
驚いて振り向くと、ユーガはどこか神妙な顔でシルビオを見ていた。
視線を動かせなくなる。
彼は、こういう時、とことん鋭い。
「いつもより気分が落ち込んでるだろ。ヴォルガのことが心配か?」
「……う、うん……」
素直にこくりと頷く。
嘘ではないが、本音でもない。
そう思って少しだけ視線が揺れたが、ユーガはそれもしっかり見抜いていた。
静かに歩み寄り、シルビオに小さな声で告げる。
「あいつのこと、人目に触れないところに閉じ込めておいた方がいいと思ってるのか?」
「……っ、違う!!」
はっとして、思わずユーガを突き飛ばした。
抱えていた皿が大きな音を立てて床に落ち、ユーガもバランスを崩して尻餅をつく。
「……ぁ、ご、ごめん」
血が上ったのは一瞬だった。
慌ててユーガを助け起こすと、彼は怒るでもなく、苦笑いを浮かべてシルビオを見つめた。
「珍しいな、お前がそんな態度を取るのは。それくらい、ヴォルガのことが気になってるんだな」
「ん……」
そう言われると、そうなのかもしれない。
彼への入れ込み方は、ユーガやリーリエに向けるものとはちょっと違う。
…逃がしたくない。
そんな黒い感情が顔を覗かせるくらい、シルビオはヴォルガを気に入っていた。
彼は、自分の傍にいてくれると言ったけど。
どこまで本音かなんて、分からない。
確かめる術はあっても、そんなことはしたくない。
ヴォルガの望むことをしてあげたいのに。
どうしてか感情を抑えられない自分に、シルビオが一番苛立っていた。
でも、それをユーガに素直に打ち明ける気にもなれなかった。
どうせ見透かされると分かっていても、ユーガに余計な心労を与えたくなかった。
だから、シルビオは笑顔を貼り付けた。
「……昔のユーガのこと、知ってるからさ。どうしても心配になっちゃって。でも、ヴォルガが望むなら、表で働いてもいいと思ってるよ。何かあったら俺が守ればいいし」
にかっと笑ってユーガを見つめ返す。
彼は何か言いたげだったが、それ以上は何も言わずに話を切り上げた。
「そうかよ。……あー、お前が皿を割るのも久しぶりだな」
「え……あっ、本当だ?!」
「俺が片付けとくから、残りの皿洗っとけ。終わったらホールの掃除もな」
「……仕事多くない?」
「皿割った分な」
「うっ……はぁ~い」
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