王と騎士の輪舞曲(ロンド)

春風アオイ

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一章 紫碧のひととせ

翡翠の地

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と、いうわけで。

「じゃあ、俺が酒場で集めた情報を、ヴォルガに整理してもらおう。もし大本らしいところを見つけたら、できる範囲で加勢してもらう。それでいい?」
「ああ、分かった」

便利屋の仕事に、ヴォルガが加わることになった。
これに関してはユーガも積極的には参加しないので、初めての仲間である。
そのユーガにはヴォルガを巻き込んだことについて怒られるだろうが、あんな頼み方をされてしまっては断れない。
ちょっとわくわくする気持ちを押し隠しつつ、まずは箱入りのヴォルガに基礎的な情報を教えることにした。

「顔は隠せるし、そのうち出歩くようにもなるだろうから、先にジェイドのことをちゃんと教えとくね。何か分からないことあったらすぐ質問して」
「ああ」

ヴォルガは興味津々な様子でこちらを見てくる。
彼もなかなか知的好奇心は強い性質らしい。
いい生徒になってくれそうだ。

早速戸棚から魔法製の紙を取り出し、食器を退けたテーブルの上に広げる。
ここに魔力を込めながら特製の羽根ペンを滑らせると、その部分だけがインクで書いたように浮かび上がるという寸法だ。
時間が経つと魔力が霧散して文字が消滅するため保存用の筆記には向かないが、こういうメモ取りには重宝する。
ヴォルガが感心した顔でそれを見ている。

「魔道具は結構普及しているんだな。しかも王都の教会学校で使われてるような良質のものだ」
「え、そうなんだ?これ、ハルトさんがくれたんだよね~。勉強に使えるよって」
「……あの人、何者なんだ?」
「ジェイドじゃないとこで働いてるってことしか知らない……」

幼い頃から魔法や常識を教えてくれたいい兄貴分だが、なかなか自分のことは教えてくれない秘密主義な人だ。
シルビオも未だに彼のことは上手く読めない。
謎の多い師匠のことはさておき、シルビオはさらさらと紙にジェイドの地図を記していく。

この大陸の中では比較的小さな地区だ。
とはいえ貧民区であるが故に人口は多く、基本的にどこも過密気味である。
特徴で分けるとすれば、おおよそ五つの区域になるだろうか。

「俺たちがいるのは、ここの北西部だね。一番大きい検問所があって、貴族区からの車も通ったりするから、ジェイドの中だと比較的治安は良い方。あとは……外からやってきた訳ありな人が結構いる」

ヴォルガがちょっと気まずそうにシルビオを見た。

「……俺みたいな奴ってことだな」
「あはは、まぁそうだね。あとはリーちゃんとか」
「ふぅん………………ん?」

聞き流しかけたが、ふと知っている人物の名前を出されて眉を顰めるヴォルガ。

「リーリエもなのか?」
「うん。他の人に比べると大分特殊なんだけど……まぁ、詳しくは本人から聞いてみてよ」
「……」

あだ名事件からリーリエに会えていないヴォルガである。
頗る複雑そうな顔をしたが、ぐっと飲み込んでシルビオが描く地図を覗き込んだ。

「北西、北東、南東、南西、中央……中央以外は他の地区に続いてるのか」
「そうだね。まぁ、南東はこの奥が神聖区クリスタリアだから結界張られてて絶対行けないようになってるけど」
「クリスタリア……本当にジェイドの奥にあるんだな」

畏怖に近い眼差しを地図に送るヴォルガ。

クリスタリア地区は、この大陸で唯一『神聖区』と呼ばれる国に保護された地区である。
何故神聖なのかと言えば、神の眷属とされる精霊の住処であるからだ。
大半が森に囲まれた自然の楽園であり、人間が台頭するにつれ数を減らした精霊を教会主導で保護しているのだとか。
クリスタリア全域は強固な結界で覆われており、近付こうとしただけで強力な攻撃魔法で跡形もなく消滅させられると専らの噂だ。
ジェイド地区の住民にとっては絶対に近付けない恐ろしい土地だが、敬虔な信徒の多い貴族区や最も遠くに位置するヘルヴェティアの人間は聖地として崇めていたりする。
人間では干渉のできない神々の御座す世界─天界に繋がる空間もクリスタリアの最も深い場所にあるとされていたり。
色々と曰くつきな地区であるため、外の人間からすれば興味は尽きないだろう。

とは言うものの、前述の通り、ジェイドで生まれ育ったシルビオからしてみれば絶対に近づいちゃいけない怖い場所という印象しかない。
目を輝かせているヴォルガには申し訳ないが、話せることはあまりなかった。

「うん……だからってのもあるけど、南東部はあんまり人が住んでなくてね。大半が森で覆われてて、近付く人も少ないから……他の場所の方が重要なんだよね」

シルビオの持つペンが南東部の真上─北東部を指す。

「まず、ここ、北東部。見ての通り、アメストリア地区に繋がってる。アメストリアもジェイドと似たり寄ったりな治安の悪さだから、ここは結構危険地帯だね。人攫いとかよく出るって言われてるよ。ヴォルガも、ここに捨てられてたら危なかったかも」
「そ、そうか……」

びくっと震えるヴォルガ。

アメストリアはシエラ教の本教会がある地区だが、非合法な奴隷商売や闇市が横行しており国の管理が行き届いていない無法地帯である。
大陸の中で最も寒さが厳しい土地ということもあり、ジェイド以上に忌避される貧民区だ。
そこに通じているというだけあって、北東部はやはりジェイドの中でも後ろ暗い者の比率が高い。
シルビオも積極的には近付きたくない場所だ。
『烙印』持ちのヴォルガは言わずもがなである。

次に、ペン先は地図の中心部分を指し示す。

「それから、中央部。ここは、全域スラム街だと思ってくれていいよ。迷路みたいに入り組んでてごちゃごちゃしてて、教会とか孤児院もぽつぽつあるけど、基本的には家も家族も持ってないような人がその日暮らししてるような場所」

シルビオは僅かに表情へ影を落とす。
それに気付いたのかヴォルガがこちらをじっと見つめてくるので、シルビオは苦笑いを浮かべつつ呟いた。

「……俺も、ユーガに拾われるまではここにいたんだ」
「……!」

ヴォルガは静かに目を見開いた。

「小さい頃からユーガと暮らしてたわけじゃないのか?」
「んー……まぁ、ユーガに拾われてかなり経つけど、スラムで暮らしてた時期の方がまだ長いなぁ」

当然だが、この場所にいい思い出はない。
少しでも金や食料を持っていれば、目の色を変えた住人たちに襲われて集られる。
用心すべき犯罪者や高い魔力を持つ者は決して多くないが、ここも積極的に入ろうとは思えない場所である。
ふと顔を上げると、神妙な顔のヴォルガがぽつりと呟きを零した。

「俺は……無知だな。ジェイドのことはただ治安が悪い貧民区だとしか思ってなかった。ここにだって必死に生きてる人はたくさんいるのに……シルビオみたいな人に助けてもらったくせに、ただジェイドに来たってだけで生きるのを諦めそうになっていた自分が嫌になる……」
「あぁ、もう、大丈夫だってば!俺がヴォルガでもおんなじこと思うから!そんな落ち込まないで!ね?」

真面目すぎるのも考えものだ。
何やら反省モードに入ってしまったヴォルガを慰めつつ、暗い話題はなるべく避けようと決意した。
彼もまだ完全に心身が回復しているわけではない。
嫌な話ばかり聞かせていたら、つられて気分も下がってしまうだろう。

気を取り直して、明るい声で続ける。

「まぁ、中央に近づく時はスリとかに気をつけてねって話!で、あとは南西部だね!こっちはコラッロ地区方面だから、北西部ほどじゃないけど比較的歩きやすいところだよ。交易品とか、鉱石とかがよく流れてくるから、こっちみたいな加工品じゃなくて原料を売ってるお店が多いかなぁ。仕入れによく行ってるから、ここはそのうち行くことになると思う」

大陸南部のコラッロ地区は、鉱山と貿易港が有名な平民区だ。
鉱石は宝石に加工して魔法の媒体に用いたり他大陸に輸出する主産業として知られているし、逆に外から持ち寄られた珍しい交易品は庶民だけでなく貴族の目をも惹く。
労働者が多いものの、ジェイドやアメストリアに比べれば生活水準の高い地区である。
そこに繋がる南西部は、王都方面でも見られないようなものが多数流れ着く宝箱のような場所だ。
怪しい商人も多いが、シルビオは何だかんだ南西部の雰囲気も好きだった。

端的にまとめると、ジェイドは東と中央に寄るほど治安が悪く、西側は比較的栄えている。
貧民区という階級だが、平民区と変わりない生活をしているシルビオたちのような層もいれば、次の日生き残れるかも分からない極限生活を送っているスラムの住民もいる、そんな場所である。

一通り話し終えると、ヴォルガは小さく頷いて怜悧な瞳を地図に落とした。

「なるほどな。よく分かった、ありがとう。…となると、やはり怪しいのは北東部じゃないか?」
「……えっ?」

突然会話が飛躍して困惑するシルビオ。
きょとんとしていると、ヴォルガに呆れ顔を向けられる。

「魔剣だよ。先月の件だが、あの魔剣は粗悪品だっただろ」
「あー、そういえばそんなこと言ってたね?」
「ああ。あの魔剣炎属性俺の魔力水属性と相性が悪かったのもあるが、多少魔法を放ったくらいで発動もせず砕けるような品じゃ、まともに戦闘には使えない。流出元は正規の職人じゃないんだろう」

じっと地図を見つめるヴォルガ。
その澄んだ瞳は、全てを見透かす神の瞳を想起させるほど美しかった。

「コラッロは鍛冶師が多い。南西部にも流れてきてるだろ。なら、粗悪品は早々に淘汰されるだろうし、そもそも職人気質の連中クライヤ教徒ならそんな失敗作絶対見過ごさない。となると、鉱石の質も職人の質も下がるアメストリア方面から流れてきてる線が濃厚なんじゃないか。あそこは手つかずの自然も多いから精霊も多少住み着いてると聞いてるしな」
「……は、はわぁ…………」

…圧倒されていた。
ただこの地区の特徴について話しただけなのに、こんなあっさり特定できるとは。
彼は戦闘能力だけでなく頭脳面も優れているらしい。
頭の回転が速いのもあるが、同い歳とは思えない知識と経験を感じさせる物言いだった。
ぽかんとするシルビオに、ヴォルガははっとしてちょっと気まずそうに目を伏せた。

「あ……悪い、勝手に色々喋って。あくまで客観的な意見だから、何か否定材料があるなら言ってほしい」
「い、いや、否定の余地ない気がする……」

例えヴォルガの推測が外れていたとしても、途方もない目標への指標が一つ生まれたのはありがたいし、何よりこの地区にいるだけでは見えない情報を与えてくれた。
魔法が優秀すぎるあまり考えなしに動きがちなシルビオにとって、ヴォルガはいい参謀になるだろう。

…巻き込みたくないと思っていたが、役に立ちたいという彼のためにも、シルビオの便利屋には付き合ってもらった方がいいかもしれない。
シルビオはペンを置き、改めて姿勢を正した。

「えっと……ヴォルガ。俺、外の事情は全然詳しくないから、正直めちゃくちゃ助かってる。あの、ちょっとかっこ悪いけど……俺からもお願いするね。俺の仕事、これからも手伝ってくれる?」
「ん……あ、あぁ、勿論。何だよ急に」

不思議そうな顔をするヴォルガ。
頗る優秀なくせに、それを当たり前だと思って鼻にかけるどころか自覚もしていない。
彼は一体どんな経歴でここにやって来たのか。
謎は深まるばかりだ。
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