王と騎士の輪舞曲(ロンド)

春風アオイ

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序章 Oracle

気怠い午後の一幕

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青年─ヴォルガを拾ってからおよそ半日が経った。
時刻は正午を回っている。
空は爽やかに晴れ渡り、昨日の陰鬱とした雨など嘘のような天気だった。
普段であれば酒場の営業準備を始める時間だが、ヴォルガというイレギュラーを抱えた現状でいつも通りの営業は出来ないというユーガの判断で今日はお休みとなった。

という訳で手持ち無沙汰なシルビオは、結局ヴォルガの下へ戻って彼を見守ることになった。
ヴォルガは静かに眠っていた。
本当に、神様みたいな美しさだ。
触れてはいけないような、それでいて触れたくなるような。
胸の奥が何かを訴えるようにずきずきと痛む。
会ったことのない人なのに、どうしてか、酷く懐かしい気がした。

「……」

しばしの葛藤の末、手を伸ばして頬に触れる。
固く骨張った感触で、栄養不足なのはすぐに分かった。
起き上がれるようになったら、たくさん食べさせてあげよう。
そんなことを思いつつ、ふにふにと頬をいじる。
…すると、一分もしない内に不機嫌そうな声が聞こえてきた。

「……何してる?」
「ふぇっ?!」

声の元は目の前から。
言うまでもなく、ヴォルガのものであった。
慌てて飛び退くと、剣呑な薄碧の瞳と目が合う。

「あ、ご、ごめん、起こしちゃった……?」
「不躾に触れられていたら、嫌でも目が覚める」

口調は先程よりはっきりとしていた。
しかし、何と言うか…

(さっきと全然感じが違ぁーう!?)

穏やかな人なのかと思っていたが、言葉の節々に棘がある。
勘違いしていただけで、こちらが素のようだ。
朝の時はまだ夢か現かはっきりとしていなかったのだろう。
視線が非常に痛かった。

「ご、ごめんなさい……」

素直に頭を下げる。
ヴォルガは複雑そうな顔でそれを見て、ふいっと視線を逸らした。

「……俺に、何も言う権利はない。好きにすればいい」
「あ……」

その言葉が更に重くのしかかった。
これで察しがつかないほどシルビオは鈍くない。
彼は、シルビオが『烙印』を見てしまったことを分かっているのだろう。
手当の結果だから不可抗力とも言えるが。

『烙印』は、ただの印ではない。
特殊な魔法を用いて刻まれるもので、『呪印』と呼ばれる弱化デバフ効果を持つ刻印魔法、その最上級である。
魔力の大幅な封印や教会の結界から弾かれる効果など魔法使いにとっては手痛すぎる効果を与える『烙印』だが、その最も重要な効果が『命令に逆らえなくする』という精神の束縛だ。
『烙印』を刻まれたものは、自分に対する魔力の篭もった命令に対して逆らうことが出来なくなる。
魔力の篭もった、という条件付きとは言え、この国に住む者は九割九分微弱ながら魔力を持っている。
この国に住む限り、それは絶大な権限を発揮するのである。
これが、『烙印』持ちが奴隷化される理由でもある。
命令さえしてしまえば、逆らうことは出来ないのだから。
彼らが下に見られるのは、犯罪者のレッテルを貼られているという理由だけでなく、何があっても自分たちの優位には立たない存在という優越感も起因している。

そして、ヴォルガはそれもきちんと理解しているらしかった。
美しい瞳には、ただただ絶望と諦観だけが浮かんでいた。

「……プリーストなんだろ。なら、この言葉の意味が分からない訳ないよな」

何も言えずに黙り込んでいると、追い打ちをかけられた。

プリースト─神に祈りを捧ぐ者。
魔法を用いる者は、神を崇める者。
シルビオも、例に漏れずその一人だ。

「うん……分かるよ。でも、嫌なこと強制したりはしたくない」

重々しく頷いて、けれど否定する。
ヴォルガは更に表情を歪め、低い声で続けた。

「随分お人好しなんだな。なら、これ以上馴れ合うような真似はしないで欲しい。これから俺をどうするつもりなのかは知らんが、お前と仲良くしたいとは思えない」

ばっさりと、吐き捨てるような言い方だった。
彼に寄り添おうとした発言が癇に障ってしまったのだろうか。
つい数時間前の彼と同一人物だとは思えなかった。
自分を保てているとはいえ、精神の摩耗はかなり激しそうだ。
しかし、こんなことを言われてしまったら、尚更放ってはおけない。

紫紺の瞳がすっと細められた。
こちらを向こうとしないヴォルガは、それに気付いていない。
そんな彼の真横に背を向ける形で座って、シルビオは静かに口を開いた。

「『誰も助けてくれない。誰も信じてくれない。自分は、何もやっていないのに』」
「……?!」

背後で動揺する気配を感じた。
それには反応せず、シルビオはかつて見たげんじつを具に語る。

「『認めれば楽になれる。けれど認めてはいけない。自分が壊れてしまうから』」
「……何、で…………」

呆然と呟く声。
シルビオは背を向けたままだ。

「『どうしてこんな目に合わなければいけない。どうして自分だけが。どうして─』」
「─待て!」

ふと、大きな声が聞こえた。
思わず振り返ると、彼はソファーから身体を起こしていた。
苦しそうだが、それ以上に混乱が強いようだった。

「お前は……何で、それを知ってる……?」

シルビオは小さく笑う。
ヴォルガをソファーに寝かせて、毛布を整えながら答えた。

「何のことかな?…これは、裏切られて、傷付けられて、絶望した、の話だよ」
「……………………え?」

今度こそ、彼は驚愕した様子で固まった。
シルビオは表情を変えないまま、ぽん、と毛布の上から軽く胸を叩いた。

「何か思うことがあるなら、後で詳しく教えてあげる。その代わり……俺のこと、邪険にしないで欲しいな」

真っ直ぐヴォルガの瞳を見つめる。
まだ動揺している彼に、少し気恥ずかしげな笑顔で続けた。

「俺は、ただヴォルガと仲良くなりたいだけだから。ちょっと打算的だけど、その方が信用しやすいでしょ?」

少し彼から距離を取り、ぱっと両手を広げる。
もう勝手に触れないという意思表示だ。
伝わったかは分からないが、彼はしばらく経ってから渋々と言いたげに呟いた。

「……色々、教えてもらうぞ」
「うん、いいよー!でも、ヴォルガのことも色々教えてね?」
「…………分かったよ」

とある暖かな眠たい午後。
シルビオは、小さな舌戦で平和的勝利を収めた。
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