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序章 Oracle
目覚めた男
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「……っ!」
慌てて引き返し、ソファーの前まで戻る。
すると、青年の瞳が薄らと開いているのが見えた。
透き通ったアクアマリンの瞳だった。
思わず、目を奪われる。
彼はまだ朦朧とした様子で天井を眺め、そしてぽかんと見つめているシルビオの存在に気が付くと、掠れた声で話しかけてきた。
「……あな、たは……」
起き上がろうとするので、慌てて制止する。
「あぁ、寝たままでいいよ?!怪我すごいから」
「……」
言うまでもなかったか、僅かに身動きした途端に顔を顰めてソファーに身を沈める青年。
治癒魔法を掛けたとはいえ、怪我は応急処置しか出来ていない状態だ。
まともに動けるようになるにはどれ程かかるやら。
自分の状態は把握できたようで、彼は表情を曇らせ、俯きがちに声を発する。
「……ここは?」
暗い声だった。
シルビオは努めて優しく微笑み、彼の毛布をそっとかけ直してやった。
「俺の家、かな?『マヨイガ』っていう酒場。北西部だし、ジェイドの中では安全なところだよ」
ジェイド、というのは『マヨイガ』のある地区の名前だ。
ジェイド地区北西部庶民街商業地『マヨイガ』、というのがこの建物の正式な住所である。
この地区は所謂貧民区で、スラムが多く治安も悪い。
しかし、警備員の常駐する区境界に近いこの北西部は、小規模ながらも自治組織があり、治安はかなりいい方だ。
ジェイドに住む者であれば、その意味は言わずとも理解しているはず。
しかし、彼の顔色は変わらず、むしろ悪くなっているようにも見えた。
「ジェイド……そう、か……」
まだ意識が覚束ないのか、目の焦点が合っていない。
流石に、目が覚めたばかりであれこれ聞き出すのは酷だろう。
シルビオは再び彼の手を取る。
青年はぎょっとした顔で、しかし抵抗はしなかった。
「大丈夫、傷付けたりしないよ。まだ全然回復出来てないだろうし、ゆっくり寝てて。あ、食欲ある?」
「……ない」
「そっかぁ……お腹空いたら、すぐ言ってね?うちの店主の料理、めちゃくちゃ美味しいから」
にっこり笑ってそう言うと、彼は狼狽えつつも頷いてくれる。
まだ現状が理解出来ていないのだろう。
素直に従ってくれるのが何だか可愛くてすっかり頬を緩めていると、今度は向こうから声が掛かった。
「……名前、聞いても?」
おずおずと、遠慮がちな声。
それでも、自分に興味を持ってくれたことが嬉しかった。
シルビオはこくこくと頷き、騒がしくない程度の声ではっきりと告げた。
「うん!俺、シルビオ。見ての通りの闇魔法使いだよ。君は?」
深く踏み込みたくないとはいえ、ある程度の個人情報は知っておきたい。
彼は返答に困ったのか何度か視線を泳がせて、ぽつりと言った。
「……ヴォルガ。水魔法士だ。助けてくれてありがとう、シルビオ」
「……!!」
驚いてしまった。
律儀な挨拶もそうだが、こんなに酷い目に遭っておいて、素直に人に礼を言える人間であることに。
儚い外見に惑わされるが、彼はとても強い人だ。
常人なら絶対に耐えられない絶望を味わって尚、心が真っ直ぐなままなのだから。
ぎゅ、と手を握る。
その温もりから、弱々しいが優しく穏やかな魔力が伝わってくる。
それを静かに受け入れて、シルビオはまた微笑んだ。
「どういたしまして、ヴォルガ」
それから、会話はなかった。
けれど、ヴォルガが再び眠りにつくまで、シルビオはずっと彼の手を握っていた。
静かに階段を下り、一階の酒場へと向かう。
朝早いこともあり人は一人もいない。
…と思いきや、カウンターの奥から物音がした。
シルビオがカウンターの角の席に腰掛けると同時に、奥からひょこっとユーガが顔を覗かせた。
「ん、随分早いな。眠れなかったのか?」
「まぁ、寝覚めは良くなかったけど……」
曖昧な受け答えになってしまったが、ユーガは心を読んだかのような正確さで状況を把握してくれる。
「あぁ、夢見たのか。何か分かったんだな?」
シルビオの魔法の詳細についてはユーガもよく知っている。
それを踏まえた発言だ。
シルビオはこくりと頷き、ぺたんと机に突っ伏した。
「うん……大体予想通りかな。酷い拷問受けてて、でも折れてなかった。あと、冤罪っぽい。『何もやってない』って、心が叫んでたよ」
「……そうか」
複雑そうな声だった。
何を思っているかは魔法を使うまでもなく何となく分かる。
シルビオは小さく笑い、ちらりとユーガを見上げた。
「ユーガの気持ちは蔑ろに出来ないと思ってるよ。でも、俺はあの人を見捨てたくない。少なくとも、怪我が治るまではここに置いて欲しいんだ。…どうかな」
真っ直ぐ、彼を見つめる。
ユーガは更に顔を引き攣らせる。
しかし、しばらく経つと諦めたのか、自棄になったような雑な口調で答えてくれた。
「分かったよ。好きにしろ。もうお前がやりたいようにすればいい」
「……!」
ぱぁっと顔を輝かせ、シルビオは立ち上がった。
カウンターの奥まで走っていき、ユーガをぎゅっと抱き締める。
「わ、ちょ……っ?!」
「ありがとぉ、ユーガぁ~!!」
「分かったから!!…ったく、犬猫拾ってきたのと一緒にするなよ?」
「俺のこと何だと思ってるの?!」
「トラブルメーカー」
「うぐっ……」
朝から騒がしい声が酒場に響き渡る。
早起きな住民たちと野良猫は、いつものことだと笑いながらその前を通り過ぎて行った。
慌てて引き返し、ソファーの前まで戻る。
すると、青年の瞳が薄らと開いているのが見えた。
透き通ったアクアマリンの瞳だった。
思わず、目を奪われる。
彼はまだ朦朧とした様子で天井を眺め、そしてぽかんと見つめているシルビオの存在に気が付くと、掠れた声で話しかけてきた。
「……あな、たは……」
起き上がろうとするので、慌てて制止する。
「あぁ、寝たままでいいよ?!怪我すごいから」
「……」
言うまでもなかったか、僅かに身動きした途端に顔を顰めてソファーに身を沈める青年。
治癒魔法を掛けたとはいえ、怪我は応急処置しか出来ていない状態だ。
まともに動けるようになるにはどれ程かかるやら。
自分の状態は把握できたようで、彼は表情を曇らせ、俯きがちに声を発する。
「……ここは?」
暗い声だった。
シルビオは努めて優しく微笑み、彼の毛布をそっとかけ直してやった。
「俺の家、かな?『マヨイガ』っていう酒場。北西部だし、ジェイドの中では安全なところだよ」
ジェイド、というのは『マヨイガ』のある地区の名前だ。
ジェイド地区北西部庶民街商業地『マヨイガ』、というのがこの建物の正式な住所である。
この地区は所謂貧民区で、スラムが多く治安も悪い。
しかし、警備員の常駐する区境界に近いこの北西部は、小規模ながらも自治組織があり、治安はかなりいい方だ。
ジェイドに住む者であれば、その意味は言わずとも理解しているはず。
しかし、彼の顔色は変わらず、むしろ悪くなっているようにも見えた。
「ジェイド……そう、か……」
まだ意識が覚束ないのか、目の焦点が合っていない。
流石に、目が覚めたばかりであれこれ聞き出すのは酷だろう。
シルビオは再び彼の手を取る。
青年はぎょっとした顔で、しかし抵抗はしなかった。
「大丈夫、傷付けたりしないよ。まだ全然回復出来てないだろうし、ゆっくり寝てて。あ、食欲ある?」
「……ない」
「そっかぁ……お腹空いたら、すぐ言ってね?うちの店主の料理、めちゃくちゃ美味しいから」
にっこり笑ってそう言うと、彼は狼狽えつつも頷いてくれる。
まだ現状が理解出来ていないのだろう。
素直に従ってくれるのが何だか可愛くてすっかり頬を緩めていると、今度は向こうから声が掛かった。
「……名前、聞いても?」
おずおずと、遠慮がちな声。
それでも、自分に興味を持ってくれたことが嬉しかった。
シルビオはこくこくと頷き、騒がしくない程度の声ではっきりと告げた。
「うん!俺、シルビオ。見ての通りの闇魔法使いだよ。君は?」
深く踏み込みたくないとはいえ、ある程度の個人情報は知っておきたい。
彼は返答に困ったのか何度か視線を泳がせて、ぽつりと言った。
「……ヴォルガ。水魔法士だ。助けてくれてありがとう、シルビオ」
「……!!」
驚いてしまった。
律儀な挨拶もそうだが、こんなに酷い目に遭っておいて、素直に人に礼を言える人間であることに。
儚い外見に惑わされるが、彼はとても強い人だ。
常人なら絶対に耐えられない絶望を味わって尚、心が真っ直ぐなままなのだから。
ぎゅ、と手を握る。
その温もりから、弱々しいが優しく穏やかな魔力が伝わってくる。
それを静かに受け入れて、シルビオはまた微笑んだ。
「どういたしまして、ヴォルガ」
それから、会話はなかった。
けれど、ヴォルガが再び眠りにつくまで、シルビオはずっと彼の手を握っていた。
静かに階段を下り、一階の酒場へと向かう。
朝早いこともあり人は一人もいない。
…と思いきや、カウンターの奥から物音がした。
シルビオがカウンターの角の席に腰掛けると同時に、奥からひょこっとユーガが顔を覗かせた。
「ん、随分早いな。眠れなかったのか?」
「まぁ、寝覚めは良くなかったけど……」
曖昧な受け答えになってしまったが、ユーガは心を読んだかのような正確さで状況を把握してくれる。
「あぁ、夢見たのか。何か分かったんだな?」
シルビオの魔法の詳細についてはユーガもよく知っている。
それを踏まえた発言だ。
シルビオはこくりと頷き、ぺたんと机に突っ伏した。
「うん……大体予想通りかな。酷い拷問受けてて、でも折れてなかった。あと、冤罪っぽい。『何もやってない』って、心が叫んでたよ」
「……そうか」
複雑そうな声だった。
何を思っているかは魔法を使うまでもなく何となく分かる。
シルビオは小さく笑い、ちらりとユーガを見上げた。
「ユーガの気持ちは蔑ろに出来ないと思ってるよ。でも、俺はあの人を見捨てたくない。少なくとも、怪我が治るまではここに置いて欲しいんだ。…どうかな」
真っ直ぐ、彼を見つめる。
ユーガは更に顔を引き攣らせる。
しかし、しばらく経つと諦めたのか、自棄になったような雑な口調で答えてくれた。
「分かったよ。好きにしろ。もうお前がやりたいようにすればいい」
「……!」
ぱぁっと顔を輝かせ、シルビオは立ち上がった。
カウンターの奥まで走っていき、ユーガをぎゅっと抱き締める。
「わ、ちょ……っ?!」
「ありがとぉ、ユーガぁ~!!」
「分かったから!!…ったく、犬猫拾ってきたのと一緒にするなよ?」
「俺のこと何だと思ってるの?!」
「トラブルメーカー」
「うぐっ……」
朝から騒がしい声が酒場に響き渡る。
早起きな住民たちと野良猫は、いつものことだと笑いながらその前を通り過ぎて行った。
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