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序章 Oracle
ボーイ・ミーツ・ボーイ
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しとしとと、雨が降っていた。
時刻は深夜零時を回り、騒がしい表の通りも闇に呑まれて静まり返っている。
そんな外の様子を眺めながら、カウンターに突っ伏すようにして座っていた青年はぽつりと呟いた。
「雨降ってるねー。もうお客さん来ないかなぁ」
落ち着いているが、底抜けに明るい声だった。
腰まで届く濡れ羽色の髪と淑やかな輝きを湛えたアメジストの瞳が印象的な青年だが、寒色の容姿に似合わず朗らかな仕草をしている。
ぷらぷらと長い足を揺らして暇を潰している様はあどけなく、すらりとした長身の体躯の割に幼い印象を与えていた。
彼の名は、シルビオ。
この古びた酒場─『マヨイガ』で働くただ一人の従業員である。
そんな彼に答える声は一つだけだった。
「そうだな。時間も時間だし、今日は店仕舞いとするか」
シルビオよりも低く冷静な声音。
それは、カウンターの向こう側に佇むもう一人の男のものだった。
エプロンを腰に巻いてグラスを磨いているその男は、この地方ではまず見ることのない褐色の肌をしていた。
反面、髪と瞳の色素は薄く、どこか神秘的にも見える。
しかしその眼光は鋭く、身体中に歴戦の戦士を思わせる傷痕が窺える。
年齢は若く、体躯も華奢だが、子供と目が合えば真っ先に泣き出されるような異様な気配を湛えていた。
彼の名はユーガ。
『マヨイガ』の主人であり、シルビオの唯一人の家族であった。
ユーガの声を皮切りに、シルビオは身体を起こして立ち上がる。
ふわぁ、と小さく欠伸をして、気怠そうに歩きながらユーガへ返答する。
「じゃ、看板下ろしてくるー」
「おう。今日は掃除も手伝えよ」
「分かってるってばぁ」
軽く会話を交わし、シルビオは酒場の入り口の扉をゆっくりと開けた。
夜の闇に紛れるように、静かに雨は降っていた。
まだ小雨だが、これから少しずつ強くなるだろう。
今は秋の終わり頃。
冷たい雨が降る日は、流石に空気が冷えきっている。
「うぅー、寒……っ」
かたかたと震えつつ、さっさと仕事を済ませてしまおうと外へ出る。
外灯のランタンの明かりを頼りに看板をひっくり返し、『営業終了』の文字を表に出す。
看板は木製だが、湿気をたっぷりと吸っていて重い。
とは言え、成人を迎えた人間からすれば造作もない。
手際良く済ませ、小さく息をつく。
「ふぅ……」
吐く息は微かに白い。
もうすぐ長い冬がやって来る。
それが何となく憂鬱で。
秋の残り香を確かめるように、シルビオはそこで立ち止まって、徐々に強くなっていく雨を眺めていた。
…だから、気付けた。
ドシャッ。
微かに、強い音がした。
サアサアと鳴る雨の音の隙間から、シルビオの耳に届く。
「……ん?」
勘は鋭い自信があった。
ちょっとした違和感でも、何かあると思えば大抵何かがある。
その小さな音がどうしても気になって、シルビオは思わず屋根の外へと飛び出していた。
パシャパシャと、水溜まりを踏みつけていく。
確か、東の方角から聞こえた気がした。
そんな朧気な記憶だけを頼りに、走っていく。
それが正しかったと分かるまでに、一分とかからなかった。
人だ。
人が、倒れていた。
酒場の前に伸びる道を真っ直ぐ突き進んだ先、何の脈略もなく、道のど真ん中に、それはいた。
シルビオと同じくらい長く、そして闇夜の中でも美しく輝く青髪が特徴的な─恐らく、男。
服装は庶民が着ていて違和感のない、薄汚れた黒ベースの平服。
うつ伏せに倒れていて表情は窺い知れないが、ぴくりとも動くことはない。
それもそのはず。
「う、わ……」
思わず声が漏れるほど、男は血に塗れていたのだ。
外灯の薄暗い明かりでも分かるくらいにぼろぼろだ。
微かに覗く白い肌には、痣や切り傷の痕も見える。
そこから滲んでいる血液は、雨に滲んで周囲を黒く染めていた。
「……!」
そこでようやく我に返って、シルビオは男に駆け寄った。
まず生きているかも分からないのだ。
慌てて肌に触れるが、雨に長く触れていたせいか氷のように冷たかった。
正直、これでは判断がつかない。
仕方がないので、彼を抱き上げて呼吸を確認することにした。
衣服が水を吸っている癖に、すんなり持ち上がるほど軽い。
骨と皮しかないんじゃなかろうか。
そんなことを思いつつ、髪を払い除けて顔を確認する。
…ぞっとした。
それは、神の相貌だった。
あまりに美しく、整いすぎている。
中性的な美貌で、初めに顔だけ見ていたら性別は分からなかっただろう。
少なくとも、酒場で散々人と交流しているシルビオが今まで出会った中で、ダントツで美人だった。
怪我人じゃなければ動揺して取り落としていたレベルだ。
取り敢えず何とか正気を取り戻して、改めて呼吸を確認する。
唇に耳を押し当てると、仄かに温かい吐息がかかる。
…まだ生きている。
けれど、ギリギリだ。
このまま放置すれば、五分と持たず死ぬだろう。
「……うん、よし」
─助けよう。
即決だった。
だって、せっかく気付いてあげられたのに、このまま放置して見殺しにするなんて。
そんなの、あまりにも寝覚めが悪すぎる。
…正直に言うなら。
こんなとんでもない美青年が、瀕死の重傷で、こんな雨の降る夜に一人倒れ伏しているなんて、あまりにも有り得なさすぎる状況だ。
面倒事なのは間違いない。
けれど、シルビオはそんな理由で傷付いた誰かを見捨てられるほど冷たい人間ではない。
それに。
例え、もし、何かしらの奇跡が起きて、シルビオの助けなしでこの男が生き延びたとして。
ろくに身動きも取れず、容姿の整った訳ありの放浪者がどうなるか、なんて分かりきっている。
向かう先は全て破滅だ。
彼を本当の意味で助けられるのは、今この瞬間のシルビオしかいない。
そうと決まれば、迷っている猶予はない。
「……ごめん。もうちょっとだけ、我慢してね」
小声で彼に呼びかけて、シルビオは全速力で『マヨイガ』へと戻るのだった。
🌱
かくして。
闇に愛された青年は、運命を拾い上げた。
これより、世界は再び動き出す。
救世の王、光の王、全ての王。
それが再び現れるのは、そう遠くない未来のこと。
さて、お前たちはどの世界を選ぶ?
時刻は深夜零時を回り、騒がしい表の通りも闇に呑まれて静まり返っている。
そんな外の様子を眺めながら、カウンターに突っ伏すようにして座っていた青年はぽつりと呟いた。
「雨降ってるねー。もうお客さん来ないかなぁ」
落ち着いているが、底抜けに明るい声だった。
腰まで届く濡れ羽色の髪と淑やかな輝きを湛えたアメジストの瞳が印象的な青年だが、寒色の容姿に似合わず朗らかな仕草をしている。
ぷらぷらと長い足を揺らして暇を潰している様はあどけなく、すらりとした長身の体躯の割に幼い印象を与えていた。
彼の名は、シルビオ。
この古びた酒場─『マヨイガ』で働くただ一人の従業員である。
そんな彼に答える声は一つだけだった。
「そうだな。時間も時間だし、今日は店仕舞いとするか」
シルビオよりも低く冷静な声音。
それは、カウンターの向こう側に佇むもう一人の男のものだった。
エプロンを腰に巻いてグラスを磨いているその男は、この地方ではまず見ることのない褐色の肌をしていた。
反面、髪と瞳の色素は薄く、どこか神秘的にも見える。
しかしその眼光は鋭く、身体中に歴戦の戦士を思わせる傷痕が窺える。
年齢は若く、体躯も華奢だが、子供と目が合えば真っ先に泣き出されるような異様な気配を湛えていた。
彼の名はユーガ。
『マヨイガ』の主人であり、シルビオの唯一人の家族であった。
ユーガの声を皮切りに、シルビオは身体を起こして立ち上がる。
ふわぁ、と小さく欠伸をして、気怠そうに歩きながらユーガへ返答する。
「じゃ、看板下ろしてくるー」
「おう。今日は掃除も手伝えよ」
「分かってるってばぁ」
軽く会話を交わし、シルビオは酒場の入り口の扉をゆっくりと開けた。
夜の闇に紛れるように、静かに雨は降っていた。
まだ小雨だが、これから少しずつ強くなるだろう。
今は秋の終わり頃。
冷たい雨が降る日は、流石に空気が冷えきっている。
「うぅー、寒……っ」
かたかたと震えつつ、さっさと仕事を済ませてしまおうと外へ出る。
外灯のランタンの明かりを頼りに看板をひっくり返し、『営業終了』の文字を表に出す。
看板は木製だが、湿気をたっぷりと吸っていて重い。
とは言え、成人を迎えた人間からすれば造作もない。
手際良く済ませ、小さく息をつく。
「ふぅ……」
吐く息は微かに白い。
もうすぐ長い冬がやって来る。
それが何となく憂鬱で。
秋の残り香を確かめるように、シルビオはそこで立ち止まって、徐々に強くなっていく雨を眺めていた。
…だから、気付けた。
ドシャッ。
微かに、強い音がした。
サアサアと鳴る雨の音の隙間から、シルビオの耳に届く。
「……ん?」
勘は鋭い自信があった。
ちょっとした違和感でも、何かあると思えば大抵何かがある。
その小さな音がどうしても気になって、シルビオは思わず屋根の外へと飛び出していた。
パシャパシャと、水溜まりを踏みつけていく。
確か、東の方角から聞こえた気がした。
そんな朧気な記憶だけを頼りに、走っていく。
それが正しかったと分かるまでに、一分とかからなかった。
人だ。
人が、倒れていた。
酒場の前に伸びる道を真っ直ぐ突き進んだ先、何の脈略もなく、道のど真ん中に、それはいた。
シルビオと同じくらい長く、そして闇夜の中でも美しく輝く青髪が特徴的な─恐らく、男。
服装は庶民が着ていて違和感のない、薄汚れた黒ベースの平服。
うつ伏せに倒れていて表情は窺い知れないが、ぴくりとも動くことはない。
それもそのはず。
「う、わ……」
思わず声が漏れるほど、男は血に塗れていたのだ。
外灯の薄暗い明かりでも分かるくらいにぼろぼろだ。
微かに覗く白い肌には、痣や切り傷の痕も見える。
そこから滲んでいる血液は、雨に滲んで周囲を黒く染めていた。
「……!」
そこでようやく我に返って、シルビオは男に駆け寄った。
まず生きているかも分からないのだ。
慌てて肌に触れるが、雨に長く触れていたせいか氷のように冷たかった。
正直、これでは判断がつかない。
仕方がないので、彼を抱き上げて呼吸を確認することにした。
衣服が水を吸っている癖に、すんなり持ち上がるほど軽い。
骨と皮しかないんじゃなかろうか。
そんなことを思いつつ、髪を払い除けて顔を確認する。
…ぞっとした。
それは、神の相貌だった。
あまりに美しく、整いすぎている。
中性的な美貌で、初めに顔だけ見ていたら性別は分からなかっただろう。
少なくとも、酒場で散々人と交流しているシルビオが今まで出会った中で、ダントツで美人だった。
怪我人じゃなければ動揺して取り落としていたレベルだ。
取り敢えず何とか正気を取り戻して、改めて呼吸を確認する。
唇に耳を押し当てると、仄かに温かい吐息がかかる。
…まだ生きている。
けれど、ギリギリだ。
このまま放置すれば、五分と持たず死ぬだろう。
「……うん、よし」
─助けよう。
即決だった。
だって、せっかく気付いてあげられたのに、このまま放置して見殺しにするなんて。
そんなの、あまりにも寝覚めが悪すぎる。
…正直に言うなら。
こんなとんでもない美青年が、瀕死の重傷で、こんな雨の降る夜に一人倒れ伏しているなんて、あまりにも有り得なさすぎる状況だ。
面倒事なのは間違いない。
けれど、シルビオはそんな理由で傷付いた誰かを見捨てられるほど冷たい人間ではない。
それに。
例え、もし、何かしらの奇跡が起きて、シルビオの助けなしでこの男が生き延びたとして。
ろくに身動きも取れず、容姿の整った訳ありの放浪者がどうなるか、なんて分かりきっている。
向かう先は全て破滅だ。
彼を本当の意味で助けられるのは、今この瞬間のシルビオしかいない。
そうと決まれば、迷っている猶予はない。
「……ごめん。もうちょっとだけ、我慢してね」
小声で彼に呼びかけて、シルビオは全速力で『マヨイガ』へと戻るのだった。
🌱
かくして。
闇に愛された青年は、運命を拾い上げた。
これより、世界は再び動き出す。
救世の王、光の王、全ての王。
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さて、お前たちはどの世界を選ぶ?
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