[完結]勇者の旅の裏側で

八月森

文字の大きさ
上 下
132 / 144
終章

13節 選んだのは①

しおりを挟む
「師匠おおおおぉぉぉ――……!」

 ――落ちていく。

 アルムちゃんの声が、姿が、急速に遠ざかっていく。わたしはそれを笑顔で見送っていた。
 高速で落下していくわたしの身体。外には肌が風を切る感覚が、内には内臓が浮き上がるような浮遊感が襲っている。

 傷は深い。上手く身体を動かせない。これじゃ、受け身も上手く取れない。いや、この高さじゃ、多少受け身を取れたとしてもぺちゃんこになるのは変わらないだろうけど。

 地面と共に死が近づく。思考が加速し、普段より高速で働き出す。頭を過るのは、先刻の光景だ。わたしはちらりと、異形化したままの左手に視線をやった。

「……」

 この手――魔族化した左手を、アルムちゃんは掴んだ。それがどういう意味を持つのか、彼女は分かっているのだろうか。

 神剣に祝福された穢れなき勇者が、穢れを生まれ持つ半魔の手を取ったのだ。世の神官が知れば――というか、今頃アニエスちゃんあたりは――怒り狂ってもおかしくない事実だろう。

 実際、先代の勇者は、わたしが半魔だと知った瞬間、憎しみに歪んだ形相を露わにし、明確に殺意を向けてきた。その時の様子は、今も脳裏に焼き付いている。絵本の勇者に憧れていた幼いわたしの心に、消えない傷を刻み込んでいった……

 それが、当代の勇者は――アルムちゃんは。
 あれだけ悪事を重ねたわたしを、最後まで敵視しなかった。わたしが演技をしていたことも、半魔であることも、全て見破られていた気がする。
 そしてそのうえで、彼女はわたしの左手に手を伸ばしてみせた。穢れによって変異した、この左手を――

「ふふ」

 彼女こそが、わたしの探していた勇者なのかもしれない。強く、優しく、出会った人皆を助ける、絵本の勇者……
 と――

「あ」

 考え事をしている間に、もうかなり地面が近づいてきていた。背の高い樹々がわたしを出迎える。痛む体になんとか鞭を打ち、身を護るように身体を丸める。
 枝葉がクッションになり、わずかに落下速度を和らげる。とはいえ、焼け石に水だ。命を落とすには十分な速度を保ったまま、わたしの身体は地表に迫る。そこへ――

「《封の章、第二節。縛鎖の光条、セイクリッドチェーン!》」

 耳慣れた声が下方から響くと共に、四方から光で編まれた鎖が伸び、それらが絡まり合い、網のように広がって、落下するわたしの身体を受け止めてくれる。
 そして、その術を行使した小柄な人影が、網の上に寝そべるわたしに声を掛けてくる。

「大丈夫ですか、アレニエさん!?」

「リュイスちゃん……」

 そう。地面に叩きつけられる前にわたしを助けてくれたのは、先刻わたしがあの崖の上から突き落としたはずの神官の少女、リュイスちゃんだった。
 彼女は術を解き、わたしを地面に寝かせるなり、泣きそうな顔で患部を覗き込む。

「こんな……こんなに酷い怪我をして……! 無茶しないって、約束したじゃないですか!」

「あ、はは……それについては弁解しようもないんだけど……傷に響くから、できればもう少し声を抑えてくれると、おねーさんありがたいかなって……」

「あ……! す、すみません……! 今、治療しますから……!」

 怪我の様子を見て怒り心頭といった様子のリュイスちゃんだったけど、こちらの言葉には素直に謝罪し、その後は静かに治癒に専念してくれる。
 付近をざっと見回せば、少し離れた場所にわたしの愛剣〈弧閃〉が突き立っている。あれを確認したから、リュイスちゃんは救助する準備をしてくれていた。次にわたしが落ちる合図として、事前に剣を投げ落とすと、予め彼女に伝えておいたのだ。

 なぜわたしたちがこんなことをしているのか。その理由を語るには、以前出会った雷の魔将、〈紫電〉のルニアと戦った直後までさかのぼる必要がある。


   ***


わたくしと共に……魔王様にお仕えする気はございませんか?」

 雷の魔将ルニアは、一度は斬られた右手を差し出し、妖しくわたしを誘う。

「わたしが……魔王に……?」

 言葉の意味をすぐには理解できず、言われたことをただ繰り返す。隣ではリュイスちゃんが「なっ!?」と驚きに声を上げていた。

「はい。引き受けていただけるのであれば、新たな魔将として取り立て、厚遇することをお約束しますよ」

「……」

 これは、どう考えても――少なくとも魔族側としては――破格の待遇だ。彼らに階級のようなものがあるかは分からないが、そうしたものを全て飛ばして、いきなり魔王の側近に取り立てようというのだから。けれど……

「……どうして、わたしを?」

 わたしはさっきまで彼女らと敵対していた存在だ。そして当たり前だが、わたしは魔族ではない。それどころか――

「現在、我々はイフ様に続き、つい先刻カーミエ様までが倒されてしまったばかりです。有り体に言えば、戦力が不足しています。でしたら、お二人を倒されたご本人様をお誘いすれば、戦力拡充の近道だと愚考いたしまして」

「その理屈は分からなくもないけど……自分で言うのもなんだし、さっきも言った気がするけど、わたし、半魔だよ? 他の魔族からは、半端な穢れしか持たない出来損ないだ、ってバカにされてきたんだけど」

「確かに、そういった魔族が多いのは否定しません。アスティマより授かりし力に絶対の自信を持つ我々は、力の弱い者をさげすむ傾向にありますから。ですが――」

 ルニアが、わたしと視線を合わせる。

「ですが貴女様は、魔族の上に立つ魔将を、一度ならず二度までも実力で撃退してみせました。それはつまり、他の多くの魔族よりも、貴女様のほうが優れた存在である証に他なりません。それに、こちらも先ほど申し上げましたが、私に、半魔であるアレニエ様を見下すつもりなど、毛頭ございませんから」

 彼女が言うように、合わせた視線にこちらを見下すような色は映っていなかった。少なくとも、すぐにそれと分かるようなものは。

「それで、どうでしょうか。お引き受けいただけますか?」

 思いがけない魔将からの提案。わたしはそれにわずかに考える……フリをしたが、心の内はもう決まっていた。

「ごめん。お断りします」

 その答えに、ルニアはあまり驚いた様子を見せなかった。

「理由を、お伺いしても?」

「理由は……つまるところ、わたしの大事な人たちが――とーさんとリュイスちゃんの二人が、人間の側にいるからだろうね」

 隣にいるリュイスちゃんが「へ?」と、不意を突かれたような声を上げる。

「わたしが人間社会で暮らしてるのは、あなたが言う通り受動的な理由だし、魔物側についても構わないといえば構わないよ。他の人間がどうなろうと心は痛まないしね。でも、とーさんとリュイスちゃんだけは別。二人に害が及ぶ可能性があるなら、わたしはそれを選ぶわけにはいかない。裏切りたくないんだ」

 その言葉をどう解釈したのか、リュイスちゃんが顔を真っ赤にしてもじもじしていた。かわいい。

「それに、最近はアル……勇者ちゃんのことも気に入ってるから、魔将になって彼女と戦うのは、できれば避けたいかな」

 それを聞いたリュイスちゃんは、今度は少し複雑そうな表情をしてみせる。もしかしたら妬いてるのかもしれない。これまたかわいい。

「もし、とーさんとリュイスちゃんじゃなくて、あなたやイフと先に出会っていたら、今とは違った道を選んだかもしれない。けど――」

「その場合は、こうして貴女様に興味を抱く状況には、なっていなかったかもしれませんね。どちらにしても交わらない道でしたか」

 とーさんに出会えなければ〈剣帝〉の剣は学べず、今ほどの腕は身に付けられなかっただろう。その場合、イフやルニアに実力を認められることもなかったはずだ。

 リュイスちゃんに出会えなければ、こうして勇者を、そして人間を明確に護る立場に立つことはなかったと思う。魔将とは出会わず、リュイスちゃんに救われることもなく、とーさん以外に心を許さずに一生を終えていたかもしれない。

 結局、今のわたしを形作っているのは、過去に経験した出会いによるものなのだ。

「悪いね。ご期待に沿えず」

「いえ、こちらとしても、あわよくばといった程度でしたので、そこまでお気になさらず」

 それはそれでちょっと複雑。

「ですが、お気が変わられたなら是非ご連絡くださいませ。アレニエ様であれば、いつでも歓迎いたします。その際には、リュイス様もご一緒にお仕えしませんか?」

「……あの、こう言ってはなんですが……アスタリア神官の私が、それを引き受けると思いますか?」

「失礼をお許しください。ほんの冗談です」

 魔将でも冗談とか言うんだ。

「さて、残念ながらお二人共に振られてしまいましたし、そろそろおいとまするといたしましょう。速やかに帰還し、本来の業務に戻らねばなりませんので。――それでは」

 パリっ――

 律義に丁寧なお辞儀をしてから、ルニアの姿がその場から消える。後に残ったのは小さな放電の音と、わずかな雷光だけ。
 おそらくないとは思いつつ、念のため不意打ちを警戒する。一秒、二秒と時間が経過していき、それが十を数えたところで……

「「……はぁ~……」」

 と、同じく警戒していたらしいリュイスちゃんと同時に大きくため息をつきながら、二人共に地面に座り込んだ。

「疲れた……」

「疲れましたね……」

 一度腰を下ろすと立ち上がる気力も湧かない。しばらくは休息が必要だ。

「一日に二人の魔将を続けて相手させられるのは反則だよ……こんなの勇者だってそうそう経験しないでしょ」

「過去には、魔将二人を同時に相手取った勇者パーティーも、いたそうですよ……」

「ほんとに? すごいね勇者」

 言いながらわたしは、今の勇者とその守護者たちの顔を思い浮かべた。彼女たちがもし同じ状況に放り込まれた場合、生き延びることはできるだろうか?

「(……まだ、できるイメージが湧かないなぁ……)」

 イフ。カーミエ。ルニア。わたしが出会ってきた魔将たち。
 仮にそのうちの一人とでも遭遇して、アルムちゃんたちが勝てる見通しが立てられない。それで果たしてその先の魔王に挑んで、勝てるだろうか。いや、勝ち負けは抜きにしても、生きて帰ってこられるだろうか……

「傷は、痛みますか?」

 物思いにふけっていたわたしに、リュイスちゃんが問いかける。

「細かい傷は〈クルィーク〉のおかげでもう治ってるんだけど、ルニアにもらった一発がね。まだ身体の芯に残ってる感じ」

「……あんなアレニエさんは、初めて見ました。一瞬、本当に、死んでしまったのかと思って……」

「大丈夫。生きてるよ」

 抱き寄せ、頭同士ををコツンとぶつけ、安心させようと試みる。

「リュイスちゃんこそ、しばらく一人で魔将の相手なんてさせちゃったけど、大丈夫だった?」

「はい。なんとか、無事です。もう、気力も体力も空っぽで、動けそうにありませんけどね」

「すごかったね、あの時のリュイスちゃん。わたしがかわせなかったルニアの攻撃を、全部読み切って反撃までしてたもんね」

「あはは……あの時は、アレニエさんの助けになりたくて必死でしたから……それになにより、この目が助けてくれたのが大きくて――」

 彼女がそう言って自身の顔に右手を当てた時――

 コォォォ――……

 その右目が見開かれ、青く、淡く、輝きを放った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

大器晩成エンチャンター~Sランク冒険者パーティから追放されてしまったが、追放後の成長度合いが凄くて世界最強になる

遠野紫
ファンタジー
「な、なんでだよ……今まで一緒に頑張って来たろ……?」 「頑張って来たのは俺たちだよ……お前はお荷物だ。サザン、お前にはパーティから抜けてもらう」 S級冒険者パーティのエンチャンターであるサザンは或る時、パーティリーダーから追放を言い渡されてしまう。 村の仲良し四人で結成したパーティだったが、サザンだけはなぜか実力が伸びなかったのだ。他のメンバーに追いつくために日々努力を重ねたサザンだったが結局報われることは無く追放されてしまった。 しかしサザンはレアスキル『大器晩成』を持っていたため、ある時突然その強さが解放されたのだった。 とてつもない成長率を手にしたサザンの最強エンチャンターへの道が今始まる。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

処理中です...