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第3章
3節 過去の気持ち、現在の気持ち①
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翌日、早朝。
私とアレニエさんは宿を抜け出し、村の中を東へと進んでいた。
村の規模はあまり大きくないが、それなりに広い。しばらく住宅地を歩くことになったが、時間が早すぎるせいか、すれ違う人は訪れない。
やがて辿り着いた村の東端は、境界線であることを示すように柵が立ち並んでいた。が、その中に一か所だけ、人一人がようやく通れるくらいの道があることに気づく。
その道は、以前は整備されていたであろう面影を残していたが、今は下草が鬱蒼と茂っており、獣道と大差ないほどに荒れていた。
アレニエさんは迷いなくその唯一の通路に足を踏み入れ、どんどん先に進んでいく。私はそれに慌ててついていく。
しばらく進んだ先に見えたのは、一つの建物……の、残骸、だった。
あまり大きくはない。木製の建物だ。小さめの家屋と言うべきか、大きめの小屋と言うべきか。それが、四方から打ち壊されたのか、木屑となって倒壊している。崩れてから長い年月が経っているのか、隙間から植物が生えて一体化していた。
「……やっぱり、壊されてたか」
あまり感情の見えない声で、アレニエさんが呟く。
「やっぱりって……?」
疑問に思って聞いてみると、彼女はなんの気なく答える。
「ここ、わたしの故郷」
「故郷、って……この建物、が……?」
「うん。……ここで、かーさんと一緒に暮らしてたんだ。狭い家だし、近所に遊び場もほとんどなかったけど、それでも結構楽しかったよ」
以前彼女に聞いた、故郷での生活。
母と子、二人で慎ましく暮らしていた彼女たち。けれど、魔族を裏切って人間と結ばれた母親は、同族から裏切り者として追われており……やがて差し向けられた追手によって、その命を落とす。
残された子供――アレニエさんも、半魔であることを村人に知られ、拒絶され、そのまま村を飛び出したという。
「まぁ、だからだろうね、壊されたのは。かーさんが――魔族が住んでた家だから。いや、半魔のわたしも原因なんだろうけど。特にアスタリア教徒にとっては、魔族や魔物の穢れは許せないものだろうからね」
「……」
彼女は終始なんでもないことのように、ただ事実だけを述べる。村人がそうした行動に出た理由も理解しているからだろう。
反面、その感情を抑え込んだ口調は、湧き出る怒りや悲しみを覆い隠すためのものにも思えた。村ではなく、この家だけを故郷と語ったのは、村人たちへの決別の表れではないだろうか。
と、ふと、倒壊した家屋の傍に、子供が一抱えできる程度の大きさの石が立てられていることに気づいた。石の前には誰が置いたのか、摘んできたであろう花が供えられている。
アレニエさんも私の視線に気づいたのか、石と花が置かれている場所に歩を進めながら、口を開く。
「あぁ、これ? かーさんのお墓」
「アレニエさんの、お母さんの……」
「うん。……よかった。ここは荒らされてないみたい」
彼女は墓の前にしゃがみ込み、それから供えられている花を手に摘まみ、少し不思議そうに眺めていた。
私たちが来る前から置かれていたのだから、村人の誰かが供えたのだろうか? でも、彼女らの家屋を破壊するような村人たちが、わざわざその墓前に花など供えるだろうか……?
アレニエさんも怪訝そうではあったものの、特に気にすることでもないと判断したのか、花を墓前に戻してから、墓石を神妙に見つめる。
彼女はそうしてしゃがみ込んだまま、何を思っているのか天を仰いだり地に顔を伏せたりしていたが、やがて覚悟が固まったのか、ゆっくりとその口を開く。
「……ユーニちゃんとは、この辺りでよく一緒に遊んでたよ。初めての友達だった。わたしは村に行かないように言われてたから、いつも向こうがうちまで遊びに来てくれて」
遠い日を懐かしむように、彼女はわずかに目を細める。
「でもあの日――わたしが半魔だって村の人に知られた日。みんな、怖がったり、憎らしそうだったり、蔑んでたり、色んなものが混ざり合った目でわたしを見てきて……その中に、ユーニちゃんも、いて……」
「……」
それは、幼い彼女にとってどれほどの恐怖だっただろう。仲が良かったはずの友人から、突如負の感情が混じり合った視線を向けられるのは。
「今なら、分かるよ。しょうがなかったんだ、って。いきなりわたしが半魔だって知って、周りの大人からも色々言われただろうしね。汚らわしい魔族の子供だ、とか、近づくな、とか。そう言われて、今までと同じように接するなんて無理だよね。でも……」
アレニエさんは珍しく気持ちを吐き出すように、捲し立てるように言葉を紡ぐ。
「でも、じゃあ、その時のわたしの気持ちは? かーさんが死んだばかりで、その後に友達にもあんな目で見られて? どうしていいか分からないまま村を飛び出して、それからずっと、村でのことはなるべく考えないようにしてたのに? それが、昨日になって急に再会して? 全部忘れて子供の頃と同じように仲良く、なんて、できると思う?」
「……っ。……」
私は何かを言おうとして、けれど結局できなくて、言葉を呑み込んだ。
だから彼女は、昨日ユーニさんにあんな態度を取ったのか。彼女自身、どう接していいか分からなかったから。
いや、昨日だけじゃない。アレニエさんがどこかで心の折り合いをつけられない限り、この先もユーニさんに対する態度は大きく変わらないだろう。
「(……どうすれば、いいんだろう。私に、何かできることはないのかな……)」
彼女たち二人の問題だとは理解しているが、私で仲裁できるのならそうしたい気持ちもある。ただ、その方法はまるで浮かんでこない。
と、不意に吹いた風が、どこからかふわりと花の香りを鼻腔に届かせてきた。同時に、村との出入口から、ガサガサと草を分け入って何かが近づいてくる音がする。村の誰かが、この場所に入ろうとしている?
アレニエさんは墓前にしゃがみ込んだまま動かない。気づいていないわけではないだろう。私が気づいたのに彼女が気づかないわけがない。
村からこの外れまではそう遠いわけでもない。こちらに接近する村人が誰なのかは、すぐに知れた。
「……レニ、ちゃん?」
「ユーニちゃん……」
ここでようやくアレニエさんが、首だけを村への入り口へと、そこから来たユーニさんへと向ける。昨日のように知らないふりなどせず、名前を呼んで。
ユーニさんは、その手に花を携えていた。先刻風に乗って届いた香りはこれかもしれない。それを見たアレニエさんは、再び視線を墓前に、いや、その手前に置かれた花に向ける。
「この花、ユーニちゃんが供えてくれてたんだね」
「……ええ。私には、それくらいしかできなかったから」
「そうだよね。あの村でそんなことしてくれそうなのは、ユーニちゃんくらいだよね」
それが嬉しいような、けれど困っているような、わずかに迷いのある笑顔を見せて、アレニエさんが言う。
先刻、ユーニさんが近づいてきたのにアレニエさんが動かなかったのは、来るのが彼女だと――花を供えていたのが彼女だと、状況から推測していたのだろうか。いや、それは推測というより、そうであってほしいという彼女の願いだったのかもしれない。
「……レニちゃん。私、ずっと謝りたかったの……」
「謝る? 何を?」
視線は墓に向けたまま、感情を押し殺したようなアレニエさんの声に、ユーニさんが身を強張らせるのが分かった。けれど彼女はそれを振り払い、意を決して言葉を続ける。
「……あの時、レニちゃんを怖がってしまったことを」
「いいよ、別に。仕方なかったんでしょ?」
彼女の言葉にアレニエさんは、まるでなんでもないことのように落ち着いた態度で返す。先刻吐き出された本心との落差が、むしろ彼女の落胆の深さに思える。
「仕方なくなんかないよ……! どんな理由があったって、友達にあんな目を向けるべきじゃなかった……」
対するユーニさんは、昨日より感情を剥き出しにしてアレニエさんに反論する。
「だから、ずっと後悔してた。ずっと謝りたかった。許されるなら、また友達として話したかった……でも……やっぱり、怒ってるよね、レニちゃん……今だって、全然目を合わせてくれない……」
アレニエさんはわずかに逡巡した後、ぽつりと呟く。
「……怒ってるわけじゃ、ないよ」
「じゃあ、どうして……どうしてこっちを見てくれな――」
「怒ってるわけじゃないんだ、本当に。それは本当なの。わたしは、ただ……。……」
そこからは言葉が続かなかったのか、アレニエさんは俯き、黙り込んでしまう。ユーニさんもそれ以上は踏み込めず、その場で立ち尽くす。
二人共にそれぞれの理由で、相手との向き合い方が分からないでいる。このまま話し合いを続けたとしても、おそらく二人の距離は縮まらない。今この場で動けるとしたら、私だけだ。
「(でも、何をすれば……)」
そう考えた時、胸の内に浮かんだ言葉があった。
――「(アレニエの助けになってやってくれ)」――
私とアレニエさんは宿を抜け出し、村の中を東へと進んでいた。
村の規模はあまり大きくないが、それなりに広い。しばらく住宅地を歩くことになったが、時間が早すぎるせいか、すれ違う人は訪れない。
やがて辿り着いた村の東端は、境界線であることを示すように柵が立ち並んでいた。が、その中に一か所だけ、人一人がようやく通れるくらいの道があることに気づく。
その道は、以前は整備されていたであろう面影を残していたが、今は下草が鬱蒼と茂っており、獣道と大差ないほどに荒れていた。
アレニエさんは迷いなくその唯一の通路に足を踏み入れ、どんどん先に進んでいく。私はそれに慌ててついていく。
しばらく進んだ先に見えたのは、一つの建物……の、残骸、だった。
あまり大きくはない。木製の建物だ。小さめの家屋と言うべきか、大きめの小屋と言うべきか。それが、四方から打ち壊されたのか、木屑となって倒壊している。崩れてから長い年月が経っているのか、隙間から植物が生えて一体化していた。
「……やっぱり、壊されてたか」
あまり感情の見えない声で、アレニエさんが呟く。
「やっぱりって……?」
疑問に思って聞いてみると、彼女はなんの気なく答える。
「ここ、わたしの故郷」
「故郷、って……この建物、が……?」
「うん。……ここで、かーさんと一緒に暮らしてたんだ。狭い家だし、近所に遊び場もほとんどなかったけど、それでも結構楽しかったよ」
以前彼女に聞いた、故郷での生活。
母と子、二人で慎ましく暮らしていた彼女たち。けれど、魔族を裏切って人間と結ばれた母親は、同族から裏切り者として追われており……やがて差し向けられた追手によって、その命を落とす。
残された子供――アレニエさんも、半魔であることを村人に知られ、拒絶され、そのまま村を飛び出したという。
「まぁ、だからだろうね、壊されたのは。かーさんが――魔族が住んでた家だから。いや、半魔のわたしも原因なんだろうけど。特にアスタリア教徒にとっては、魔族や魔物の穢れは許せないものだろうからね」
「……」
彼女は終始なんでもないことのように、ただ事実だけを述べる。村人がそうした行動に出た理由も理解しているからだろう。
反面、その感情を抑え込んだ口調は、湧き出る怒りや悲しみを覆い隠すためのものにも思えた。村ではなく、この家だけを故郷と語ったのは、村人たちへの決別の表れではないだろうか。
と、ふと、倒壊した家屋の傍に、子供が一抱えできる程度の大きさの石が立てられていることに気づいた。石の前には誰が置いたのか、摘んできたであろう花が供えられている。
アレニエさんも私の視線に気づいたのか、石と花が置かれている場所に歩を進めながら、口を開く。
「あぁ、これ? かーさんのお墓」
「アレニエさんの、お母さんの……」
「うん。……よかった。ここは荒らされてないみたい」
彼女は墓の前にしゃがみ込み、それから供えられている花を手に摘まみ、少し不思議そうに眺めていた。
私たちが来る前から置かれていたのだから、村人の誰かが供えたのだろうか? でも、彼女らの家屋を破壊するような村人たちが、わざわざその墓前に花など供えるだろうか……?
アレニエさんも怪訝そうではあったものの、特に気にすることでもないと判断したのか、花を墓前に戻してから、墓石を神妙に見つめる。
彼女はそうしてしゃがみ込んだまま、何を思っているのか天を仰いだり地に顔を伏せたりしていたが、やがて覚悟が固まったのか、ゆっくりとその口を開く。
「……ユーニちゃんとは、この辺りでよく一緒に遊んでたよ。初めての友達だった。わたしは村に行かないように言われてたから、いつも向こうがうちまで遊びに来てくれて」
遠い日を懐かしむように、彼女はわずかに目を細める。
「でもあの日――わたしが半魔だって村の人に知られた日。みんな、怖がったり、憎らしそうだったり、蔑んでたり、色んなものが混ざり合った目でわたしを見てきて……その中に、ユーニちゃんも、いて……」
「……」
それは、幼い彼女にとってどれほどの恐怖だっただろう。仲が良かったはずの友人から、突如負の感情が混じり合った視線を向けられるのは。
「今なら、分かるよ。しょうがなかったんだ、って。いきなりわたしが半魔だって知って、周りの大人からも色々言われただろうしね。汚らわしい魔族の子供だ、とか、近づくな、とか。そう言われて、今までと同じように接するなんて無理だよね。でも……」
アレニエさんは珍しく気持ちを吐き出すように、捲し立てるように言葉を紡ぐ。
「でも、じゃあ、その時のわたしの気持ちは? かーさんが死んだばかりで、その後に友達にもあんな目で見られて? どうしていいか分からないまま村を飛び出して、それからずっと、村でのことはなるべく考えないようにしてたのに? それが、昨日になって急に再会して? 全部忘れて子供の頃と同じように仲良く、なんて、できると思う?」
「……っ。……」
私は何かを言おうとして、けれど結局できなくて、言葉を呑み込んだ。
だから彼女は、昨日ユーニさんにあんな態度を取ったのか。彼女自身、どう接していいか分からなかったから。
いや、昨日だけじゃない。アレニエさんがどこかで心の折り合いをつけられない限り、この先もユーニさんに対する態度は大きく変わらないだろう。
「(……どうすれば、いいんだろう。私に、何かできることはないのかな……)」
彼女たち二人の問題だとは理解しているが、私で仲裁できるのならそうしたい気持ちもある。ただ、その方法はまるで浮かんでこない。
と、不意に吹いた風が、どこからかふわりと花の香りを鼻腔に届かせてきた。同時に、村との出入口から、ガサガサと草を分け入って何かが近づいてくる音がする。村の誰かが、この場所に入ろうとしている?
アレニエさんは墓前にしゃがみ込んだまま動かない。気づいていないわけではないだろう。私が気づいたのに彼女が気づかないわけがない。
村からこの外れまではそう遠いわけでもない。こちらに接近する村人が誰なのかは、すぐに知れた。
「……レニ、ちゃん?」
「ユーニちゃん……」
ここでようやくアレニエさんが、首だけを村への入り口へと、そこから来たユーニさんへと向ける。昨日のように知らないふりなどせず、名前を呼んで。
ユーニさんは、その手に花を携えていた。先刻風に乗って届いた香りはこれかもしれない。それを見たアレニエさんは、再び視線を墓前に、いや、その手前に置かれた花に向ける。
「この花、ユーニちゃんが供えてくれてたんだね」
「……ええ。私には、それくらいしかできなかったから」
「そうだよね。あの村でそんなことしてくれそうなのは、ユーニちゃんくらいだよね」
それが嬉しいような、けれど困っているような、わずかに迷いのある笑顔を見せて、アレニエさんが言う。
先刻、ユーニさんが近づいてきたのにアレニエさんが動かなかったのは、来るのが彼女だと――花を供えていたのが彼女だと、状況から推測していたのだろうか。いや、それは推測というより、そうであってほしいという彼女の願いだったのかもしれない。
「……レニちゃん。私、ずっと謝りたかったの……」
「謝る? 何を?」
視線は墓に向けたまま、感情を押し殺したようなアレニエさんの声に、ユーニさんが身を強張らせるのが分かった。けれど彼女はそれを振り払い、意を決して言葉を続ける。
「……あの時、レニちゃんを怖がってしまったことを」
「いいよ、別に。仕方なかったんでしょ?」
彼女の言葉にアレニエさんは、まるでなんでもないことのように落ち着いた態度で返す。先刻吐き出された本心との落差が、むしろ彼女の落胆の深さに思える。
「仕方なくなんかないよ……! どんな理由があったって、友達にあんな目を向けるべきじゃなかった……」
対するユーニさんは、昨日より感情を剥き出しにしてアレニエさんに反論する。
「だから、ずっと後悔してた。ずっと謝りたかった。許されるなら、また友達として話したかった……でも……やっぱり、怒ってるよね、レニちゃん……今だって、全然目を合わせてくれない……」
アレニエさんはわずかに逡巡した後、ぽつりと呟く。
「……怒ってるわけじゃ、ないよ」
「じゃあ、どうして……どうしてこっちを見てくれな――」
「怒ってるわけじゃないんだ、本当に。それは本当なの。わたしは、ただ……。……」
そこからは言葉が続かなかったのか、アレニエさんは俯き、黙り込んでしまう。ユーニさんもそれ以上は踏み込めず、その場で立ち尽くす。
二人共にそれぞれの理由で、相手との向き合い方が分からないでいる。このまま話し合いを続けたとしても、おそらく二人の距離は縮まらない。今この場で動けるとしたら、私だけだ。
「(でも、何をすれば……)」
そう考えた時、胸の内に浮かんだ言葉があった。
――「(アレニエの助けになってやってくれ)」――
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