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第3章
2節 やっちゃった
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先を行くアレニエさんの歩みは早い。目的の部屋まであっという間に進み、扉を開け、すぐさま中に入ってしまう。私も後に続き入室し、扉を閉める。
部屋はちょうど二人部屋だったらしく、ベッドが二つとクローゼットが一つあるだけの簡素なものだった。先刻の彼女が綺麗に掃除をしているのか、ほこり一つない清潔感のある部屋だ。
アレニエさんはベッドの傍に荷物を置き、次いで部屋の窓を開け、外の景色を無言で眺めていた。その後ろ姿からは、何を思っているのか窺い知ることができない。
ひとまず私も荷物を置き、ベッドに腰を下ろすことにした。都市部の宿に比べれば寝具は少し堅かったが、野宿するよりは遥かにいい。休める場所に辿り着いた安堵からか、ここまでの旅の疲れが吹き出すような感覚があった。
少しして、アレニエさんが私の隣(同じベッド)に腰を下ろす。ちらりと目を向けてみるが、ここから見える横顔に表情はなく、口を開く様子もない。
気まずい。
聞きたいことは沢山あれど、聞いていいことなのか分からない。しかしこの空気のまま過ごすというのもなかなかに耐え難い。意を決し、彼女に尋ねようとしたところで――
――コンコン
と、部屋の扉をノックする音が室内に響いた。
ちらりとアレニエさんに視線を向けるが、彼女は聞こえていないかのように身じろぎ一つしない。私は慌てて代わりに返事をする。
「あ――は、はい」
「ごめんなさい、宿の者だけど……少しだけ、いいかしら……?」
扉越しに躊躇いがちな声を届かせるのは、先程の店主と思しき女性だった。私は再度アレニエさんに視線を送るが、彼女は伏し目がちに床を見るだけで、なんの反応も示してくれない。しかし強く拒絶するわけでもない。
だから私は少し迷いながらも立ち上がり、部屋の扉を開けた。正直どうしていいか分からなかったが、これで状況が動けば、とも思ったのだ。
「……ありがとう」
入室した女性は扉を開いた私に感謝の意を伝え、次にアレニエさんに向き直る。その表情は、何かを怖がっているようにも見えた。
「――あの……」
彼女が小さく声を掛けるが、やはりアレニエさんに反応はない。女性はその様子に少し怯んでいたが、やがて覚悟を決めたように顔を上げ、笑顔を作り、アレニエさんに話し掛ける。
「その……久しぶりだね、レニちゃん……元気、だった?」
その問い掛けにも反応はないものと思い込んでいたが……いつの間にかアレニエさんは顔を上げ、笑顔を見せていた。いつもの柔らかな……けれど、仮初の笑顔を。
「――なんのことかな。わたし、そんな名前の人知らないけど? 人違いじゃない?」
「え……」
予想外の否定に女性は身を固くし、けれど、それでも諦めずに問いを続ける。
「嘘……嘘だよ。レニちゃんでしょ? 私、ユーニだよ。子供の頃、よく一緒に遊んでた――」
「――悪いけど」
アレニエさんはいつもより語調を強めて、強引に会話を断ち切る。
「わたしたち、長旅で疲れてるから早めに休みたいの。用があるなら後にしてくれるかな……――店員さん」
「……っ!」
それは、はっきりとした拒絶の言葉だった。
事ここに至っては、私にも想像がつく。二人は幼い頃に友誼を結んだ友人同士で、長年の別れを経て劇的に再会したのだと。そして、旧交を温めるべく差し出された女性――ユーニさんの手を……アレニエさんが、振り払ったのだと。
「……ごめん、ごめんなさい……私……いえ……。……ごゆっくり、どうぞ」
小さくそれだけを言い残すと、ユーニさんは失意のまま部屋を出て行ってしまった。
所在無げに立ち尽くしていた私は、少し迷いながらもベッドに戻り、アレニエさんの隣に座り直した。
二人の間に何があったかは知らない。どちらが悪いという話なのかも分からない。ただ、ユーニさんの悲しそうな顔が脳裏に焼き付いていた。
「……アレニエさん。詳しい事情は分かりませんが、今の言い方は……――」
そこまで口にしたところで、隣に座るアレニエさんが急にこちらに倒れこみ、私のふとももに顔を埋めてきた。
「わひゃ!? ア、アレニエさん……!? こんな時に、何を……!?」
「…………」
そして、そのまましばらく微動だにしなかった。
「……アレニエ、さん?」
「……やっちゃったよー……」
私のふとももの間から、くぐもった後悔の声が漏れ聞こえた。衣服越しに響く音が体に伝わってちょっとくすぐったい。
「やっちゃった、って……今の方に対して、ですよね?」
「……うん……」
「どうして、あんなことを……?」
「……だって急に出てくるんだものー……こっちにも心の準備とか欲しいのにさー……でも剣が完成するまでこの村出れないしー……」
アレニエさんは私の膝の上でひとしきり悶えた後、寝転がり、天井を向く。見下ろす私と目が合う。ようやく交わったその瞳は、珍しく不安げに揺れていた。
実際、こういうアレニエさんは珍しい。いつもはもっとスパっと物事を決めるイメージだ。でもそういえば、自身が半魔だということを切り出す時などは、かなり奥手になっていた気もする。
「……その、前に、話したかな。かーさんと一緒に暮らしてた頃のこと」
「えぇと、前回の依頼の帰り道で、大まかには聞きました。とある村の外れで、お母さんと二人で暮らしていたんですよね」
そう。風の魔将イフを打ち破り、見事依頼を達成したアレニエさんは、パルティール王都までの帰り道の間に、秘密にしていたその半生を聞かせてくれていた。
その際に聞いたのが、幼い頃の話。まだ彼女が〈剣帝〉と出会う前の、ただの少女だった頃の話だ。
「……ここ」
「ここ?」
「……その村が、ここなの」
「…………えぇ!?」
驚きに、思わず大きな声が出てしまった。
「……旅でたまたま訪れた場所が、幼い頃暮らしていた故郷だったなんて、そんなこと……あ」
「この間のリュイスちゃんと同じだね」
以前の旅で私は、滅んだ自身の故郷にたまたま立ち寄っていたのを思い出した。自分のことを棚に上げて発言してしまった恥ずかしさに、少し赤くなる。
「まぁ、それにしてもびっくりだよね。……どうりでどこか見覚えあるわけだよ」
村の光景を思い出してか、彼女はどこか苦々しげに笑みを浮かべる。
「村の名前に憶えはなかったんですか?」
「子供の頃は「村」としか呼んでなかったし、こっちにあまり近づかないようにも言われてたしね。ここが地図のどのあたりなのかも知らなかったし、名前も場所も憶える機会がなかったというか」
子供の頃なら、そういうものかもしれない。
「だから、気付いたのは本当についさっき。あの子がユーニちゃんだって気づいた時だよ」
「やっぱり、お知り合いだったんですね。でも、じゃあ、さっきの態度は……」
それを訊ねようとすると、彼女は少し困ったような笑みを浮かべる。
「その話なんだけど……明日の早朝、ちょっと行きたい場所があるから、付き合ってくれないかな。そこで説明するよ。今日はもう色んな意味で疲れたし、夕飯食べて寝よう」
「……はい。分かりました」
きっと突然のことに混乱していて、彼女の中でまだ話す準備が整っていないのだろう。ならば大人しく待つべきだ。話してくれるつもりはあるみたいだし。
「……って、そういえば夕飯って、今日は宿の料理を頂くつもりでしたよね。でも……」
あんなことがあった後では、食べに行きづらいのでは……
「あー……まぁ、いいや。下に食べに行こ」
「えっと……いいんですか?」
「多分、食べてる間に話しかけてきたりはしないと思うし、他の客とかがいればなおさらじゃないかな。わざわざ温かい食事を逃がすのももったいないしね」
そう言うと彼女は起き上がり、開けていた窓を閉めてから、さっさと部屋の入口に向かっていってしまう。
「ほら、行こ。リュイスちゃんも」
「あ、はい」
差し出された手を握り返し、私も立ち上がって一階に向かう。
一階の食堂には、私たちと同じように早めの夕食を食べに来た冒険者が数人いた。早くに就寝して早朝の番にでも立つのだろう。
店員はユーニさんの他に、私と同い年くらいの女の子が数人、私服にエプロンだけをつけた簡素な恰好で働いていた。おそらく村の子供を雇っているのだろう。彼女らから料理を受け取り、私たちも食事を口にする。
ユーニさんは私たち(というかアレニエさん)がいることに驚き、次には見るからに話したそうにしていたが、他のお客さんがいる手前か、実際に接触してはこなかった。
アレニエさんはそれを知ってか知らずか、素知らぬ顔で料理を美味しそうに食べていた。この人、メンタルが強いのか弱いのか、時々よく分からないな……
部屋はちょうど二人部屋だったらしく、ベッドが二つとクローゼットが一つあるだけの簡素なものだった。先刻の彼女が綺麗に掃除をしているのか、ほこり一つない清潔感のある部屋だ。
アレニエさんはベッドの傍に荷物を置き、次いで部屋の窓を開け、外の景色を無言で眺めていた。その後ろ姿からは、何を思っているのか窺い知ることができない。
ひとまず私も荷物を置き、ベッドに腰を下ろすことにした。都市部の宿に比べれば寝具は少し堅かったが、野宿するよりは遥かにいい。休める場所に辿り着いた安堵からか、ここまでの旅の疲れが吹き出すような感覚があった。
少しして、アレニエさんが私の隣(同じベッド)に腰を下ろす。ちらりと目を向けてみるが、ここから見える横顔に表情はなく、口を開く様子もない。
気まずい。
聞きたいことは沢山あれど、聞いていいことなのか分からない。しかしこの空気のまま過ごすというのもなかなかに耐え難い。意を決し、彼女に尋ねようとしたところで――
――コンコン
と、部屋の扉をノックする音が室内に響いた。
ちらりとアレニエさんに視線を向けるが、彼女は聞こえていないかのように身じろぎ一つしない。私は慌てて代わりに返事をする。
「あ――は、はい」
「ごめんなさい、宿の者だけど……少しだけ、いいかしら……?」
扉越しに躊躇いがちな声を届かせるのは、先程の店主と思しき女性だった。私は再度アレニエさんに視線を送るが、彼女は伏し目がちに床を見るだけで、なんの反応も示してくれない。しかし強く拒絶するわけでもない。
だから私は少し迷いながらも立ち上がり、部屋の扉を開けた。正直どうしていいか分からなかったが、これで状況が動けば、とも思ったのだ。
「……ありがとう」
入室した女性は扉を開いた私に感謝の意を伝え、次にアレニエさんに向き直る。その表情は、何かを怖がっているようにも見えた。
「――あの……」
彼女が小さく声を掛けるが、やはりアレニエさんに反応はない。女性はその様子に少し怯んでいたが、やがて覚悟を決めたように顔を上げ、笑顔を作り、アレニエさんに話し掛ける。
「その……久しぶりだね、レニちゃん……元気、だった?」
その問い掛けにも反応はないものと思い込んでいたが……いつの間にかアレニエさんは顔を上げ、笑顔を見せていた。いつもの柔らかな……けれど、仮初の笑顔を。
「――なんのことかな。わたし、そんな名前の人知らないけど? 人違いじゃない?」
「え……」
予想外の否定に女性は身を固くし、けれど、それでも諦めずに問いを続ける。
「嘘……嘘だよ。レニちゃんでしょ? 私、ユーニだよ。子供の頃、よく一緒に遊んでた――」
「――悪いけど」
アレニエさんはいつもより語調を強めて、強引に会話を断ち切る。
「わたしたち、長旅で疲れてるから早めに休みたいの。用があるなら後にしてくれるかな……――店員さん」
「……っ!」
それは、はっきりとした拒絶の言葉だった。
事ここに至っては、私にも想像がつく。二人は幼い頃に友誼を結んだ友人同士で、長年の別れを経て劇的に再会したのだと。そして、旧交を温めるべく差し出された女性――ユーニさんの手を……アレニエさんが、振り払ったのだと。
「……ごめん、ごめんなさい……私……いえ……。……ごゆっくり、どうぞ」
小さくそれだけを言い残すと、ユーニさんは失意のまま部屋を出て行ってしまった。
所在無げに立ち尽くしていた私は、少し迷いながらもベッドに戻り、アレニエさんの隣に座り直した。
二人の間に何があったかは知らない。どちらが悪いという話なのかも分からない。ただ、ユーニさんの悲しそうな顔が脳裏に焼き付いていた。
「……アレニエさん。詳しい事情は分かりませんが、今の言い方は……――」
そこまで口にしたところで、隣に座るアレニエさんが急にこちらに倒れこみ、私のふとももに顔を埋めてきた。
「わひゃ!? ア、アレニエさん……!? こんな時に、何を……!?」
「…………」
そして、そのまましばらく微動だにしなかった。
「……アレニエ、さん?」
「……やっちゃったよー……」
私のふとももの間から、くぐもった後悔の声が漏れ聞こえた。衣服越しに響く音が体に伝わってちょっとくすぐったい。
「やっちゃった、って……今の方に対して、ですよね?」
「……うん……」
「どうして、あんなことを……?」
「……だって急に出てくるんだものー……こっちにも心の準備とか欲しいのにさー……でも剣が完成するまでこの村出れないしー……」
アレニエさんは私の膝の上でひとしきり悶えた後、寝転がり、天井を向く。見下ろす私と目が合う。ようやく交わったその瞳は、珍しく不安げに揺れていた。
実際、こういうアレニエさんは珍しい。いつもはもっとスパっと物事を決めるイメージだ。でもそういえば、自身が半魔だということを切り出す時などは、かなり奥手になっていた気もする。
「……その、前に、話したかな。かーさんと一緒に暮らしてた頃のこと」
「えぇと、前回の依頼の帰り道で、大まかには聞きました。とある村の外れで、お母さんと二人で暮らしていたんですよね」
そう。風の魔将イフを打ち破り、見事依頼を達成したアレニエさんは、パルティール王都までの帰り道の間に、秘密にしていたその半生を聞かせてくれていた。
その際に聞いたのが、幼い頃の話。まだ彼女が〈剣帝〉と出会う前の、ただの少女だった頃の話だ。
「……ここ」
「ここ?」
「……その村が、ここなの」
「…………えぇ!?」
驚きに、思わず大きな声が出てしまった。
「……旅でたまたま訪れた場所が、幼い頃暮らしていた故郷だったなんて、そんなこと……あ」
「この間のリュイスちゃんと同じだね」
以前の旅で私は、滅んだ自身の故郷にたまたま立ち寄っていたのを思い出した。自分のことを棚に上げて発言してしまった恥ずかしさに、少し赤くなる。
「まぁ、それにしてもびっくりだよね。……どうりでどこか見覚えあるわけだよ」
村の光景を思い出してか、彼女はどこか苦々しげに笑みを浮かべる。
「村の名前に憶えはなかったんですか?」
「子供の頃は「村」としか呼んでなかったし、こっちにあまり近づかないようにも言われてたしね。ここが地図のどのあたりなのかも知らなかったし、名前も場所も憶える機会がなかったというか」
子供の頃なら、そういうものかもしれない。
「だから、気付いたのは本当についさっき。あの子がユーニちゃんだって気づいた時だよ」
「やっぱり、お知り合いだったんですね。でも、じゃあ、さっきの態度は……」
それを訊ねようとすると、彼女は少し困ったような笑みを浮かべる。
「その話なんだけど……明日の早朝、ちょっと行きたい場所があるから、付き合ってくれないかな。そこで説明するよ。今日はもう色んな意味で疲れたし、夕飯食べて寝よう」
「……はい。分かりました」
きっと突然のことに混乱していて、彼女の中でまだ話す準備が整っていないのだろう。ならば大人しく待つべきだ。話してくれるつもりはあるみたいだし。
「……って、そういえば夕飯って、今日は宿の料理を頂くつもりでしたよね。でも……」
あんなことがあった後では、食べに行きづらいのでは……
「あー……まぁ、いいや。下に食べに行こ」
「えっと……いいんですか?」
「多分、食べてる間に話しかけてきたりはしないと思うし、他の客とかがいればなおさらじゃないかな。わざわざ温かい食事を逃がすのももったいないしね」
そう言うと彼女は起き上がり、開けていた窓を閉めてから、さっさと部屋の入口に向かっていってしまう。
「ほら、行こ。リュイスちゃんも」
「あ、はい」
差し出された手を握り返し、私も立ち上がって一階に向かう。
一階の食堂には、私たちと同じように早めの夕食を食べに来た冒険者が数人いた。早くに就寝して早朝の番にでも立つのだろう。
店員はユーニさんの他に、私と同い年くらいの女の子が数人、私服にエプロンだけをつけた簡素な恰好で働いていた。おそらく村の子供を雇っているのだろう。彼女らから料理を受け取り、私たちも食事を口にする。
ユーニさんは私たち(というかアレニエさん)がいることに驚き、次には見るからに話したそうにしていたが、他のお客さんがいる手前か、実際に接触してはこなかった。
アレニエさんはそれを知ってか知らずか、素知らぬ顔で料理を美味しそうに食べていた。この人、メンタルが強いのか弱いのか、時々よく分からないな……
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