[完結]勇者の旅の裏側で

八月森

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第1章

7節 一夜過ぎて ―リュイスの場合―

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 目が覚めた。
 窓から入る陽の光が、否応なく朝であることを告げてくる。
 しばらくまぶたと格闘し、なんとか目を開くものの、そこに映る部屋の光景は見知ったものではなかった。

「……? ……??」

 ひとしきり混乱してから、ようやく思い出す。

「そうだ……アレニエさんの部屋に泊まったんだった……」
 私はまだぼんやりとする頭で、昨夜のやり取りを振り返る。

 結論から先に言えば、アレニエさんは私の依頼をこころよく引き受けてくれた。


  ***


「――そう、だね。いいよ。引き受けても」

「! 本当、ですか……!?」

「うん。仮にここまでの話が全部つくり話とか勘違いとかだとしても、報酬貰えたうえでリュイスちゃんと旅することになるだけだしね。今は他に仕事もないし。ただ……」

「……ただ?」

「これだけは最初に断っておきたいんだけど……実際に魔将まで辿り着いても、わたしの手には負えないと思ったら、その時は迷わず逃げるよ。顔も知らない他人とか。世界とか。そんなもののために命まで懸けたくないからね」

「はい、それで構いません。私も、無為に死者を出したくはありませんから」

「よかった。それと、報酬のことなんだけど」

「……なんでしょう?」

 にわかに、嫌な予感がする。

「相手がほんとに魔将だっていうなら……報酬のほうも、もう一声欲しいなぁ」
「う……」

 彼女は笑顔でこちらを覗き込むように視線を向けてくる。
 こういった要求を、事前に予想しないわけではなかった。だから司祭さまには十分な金額を用意して頂いたのだけど……

 依頼に臨む冒険者が、実際にそれで納得するとは限らない。特に今回は、相手が相手だ。
 生きて帰れるかも分からない仕事なら、より多くの対価を望む気持ちは、理解できる。命の値段だ。

 が、残念ながら預かったのは先刻提示した額で全て。神殿にさらに要求するのも難しい。これ以上を捻出ねんしゅつするなら、あとは私の給金ぐらいしか渡せるものがない。
 いや、彼女がそれで引き受けてくれるなら、私が身を切るくらい――

「……すみません。今は、これ以上用意できなくて……けれど私に払える範囲でなら、後でなんでも支払いますから……!」

「え、ほんと?」

 こちらの台詞が終わるか終わらないかのうちに、アレニエさんが嬉しそうに確認を取ってくる。……あれ? 私、もしかして迂闊うかつなこと言った……?

「そっか、なんでもかぁ。なにがいいかなー」

「……あの……できれば、加減していただけると……」

「そんなに怯えなくても、そこまで無茶なお願いはしないよ。というか、お金は別にいいんだ」

「……お金は、いい?」

 報酬が足りないという話では……?

「うん。だからその代わりに…………――――リュイスちゃんが、欲しいな」

 …………
 …………

「…………はい?」

 今、なんと?

「追加の報酬として、リュイスちゃんが欲しいな」

「……。……。……? ……――~~……私!?」

 私が報酬!?

「そそそそそ、それっ、て、ど、ど、どう、いう……!? こ……こ……」

 恋人的な? それとも、肉欲的な……か、体目当て? 出会って五秒の噂は、女性も――……!?

「んー、つまり――」

 彼女は静かに立ち上がり、私が戸惑っている間にするりと体を引き寄せると、流れるように奥のベッドに押し倒した。
 二人分の体重を受け止めた木製の寝台(少し固かった)がきしみ、ギシリと音を鳴らす。

「――こういう、感じ?」

 何をされたかも分からず、為すすべなく寝かされた私に、アレニエさんが覆い被さってくる。
 引き締まった、けれど少し丸みを残した彼女の下半身が、私の体を上から抑えつける。

 仰ぎ見る私と、見下ろす彼女の視線が交わり、そのまま無言で見つめ合う。
 間近で見る彼女の黒瞳に。笑みを形作るつやややかな唇に。灯りを反射する黒髪に。吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥る。

「……わたしは、悪ーい下層の冒険者だよ? こういう目に遭うかもって、ちょっとも考えてなかった?」

 優しくも妖しい彼女の笑顔と、触れた個所からほのかに感じる体温が、思考を鈍らせてゆく。
 経験のない事態に動悸が収まらない。汗が衣服を張りつかせるのを感じた。ああ……きっと今、私の顔は真っ赤だ……

「……私を、抱くのが……報酬、って、ことですか……?」

 同性でも肌を重ねる場合があるのは知っている。神殿で、〝そういう〟関係の同僚を目にしたこともある。

 けれど私たちは出会ったばかりで、お互いを全く知らない。
 思慕も情愛もなく、ただの代価として体を差し出す行為は、仮にも神官である身としては避けるべきだ。そう、思いつつも……

 圧し掛かられ、動けないのを差し引いても、無理矢理振り払おうという気には、なぜかなれない。少なくとも、先刻大男に迫られた時のような恐怖は感じない。
 それに、要求が私というのは想定外だが、身を切る覚悟自体は先刻固めたばかりだ。〝私の体くらい〟で追加の報酬になるのなら、むしろありがたいのでは、という気さえしている。

 そもそも私は……この状況を、嫌だと思っているのだろうか……?

「いや、せっかく知り合えたから、友達になって欲しいな、って思ったんだけど」

 …………

「…………とも、だち?」

「ともだち」

 目を瞬かせる私の耳元に顔を寄せ、彼女は少し楽しそうな声音でささやく。

「……なにを想像してたのかな、リュイスちゃん」

 彼女の言葉に、今度は羞恥で、かぁぁぁっ、と頬が熱くなっていく。
 顔を離し、こちらを見下ろすアレニエさんは変わらず笑顔だったが……そこに、先刻まではなかった悪戯っぽさが、わずかに混じっている気がした。

「(……もしかして……からかわれた、だけ……?)」

 耳まで赤くする私を、彼女は楽しそうに眺めている。

「ごめんごめん。反応が可愛かったから、つい」

「ぅう……」

 少し恨みがましい視線を向けてみるものの、当の本人にこたえた様子は全くない。
 彼女は上体を起こし、私の体を解放すると、そのまま隣に腰を下ろす。

「ちなみにリュイスちゃん、今日の宿って取ってる?」

「へ?」

 頬の熱も冷めぬ間に、予想外の質問が飛んできた。
 体を起こし、思考を苦労して切り替えつつ、慌てて返答する。

「え、あ、えと……依頼を受けてくれる冒険者を探し出せたら、その宿で一泊しようと思っていたんです、が…………あっ」

 依頼の手続きも報酬を預けることもせず、勢いのままに彼女を追いかけて来たのを思い出す。当然、宿など取っていない。
 彼女は私の様子から、大体のところを察したらしい。

「じゃあ、ちょうどいいからここに泊まっていってよ。宿代も浮くし」

「そんな、そこまでお世話になるわけには……あ、いえ、それより依頼は……」

「心配しなくても、ちゃんと引き受けるよ。追加の報酬、くれるんだよね?」

 彼女は言いながら、片手を差し出してくる。
 先刻の勘違いを思い出し、再び顔が赤らむのを感じる一方で――

「(友達……私に……?)」

 馴染みのない響きを噛みしめる。羞恥とは別の理由で、頬が紅潮していた。
 わずかに逡巡した後、赤みが増した顔を隠すように俯きながら、私は控えめに彼女の手を握った。

「……その……私なんかで、良ければ……よろしくお願いします」

「うん。交渉成立だね」

 私の手を握り返し頷くアレニエさんの表情は、心なしか満足そうに見える。
 この申し出で彼女になんの得があるのか、正直疑問に思うが……それで引き受けてくれるというなら、むしろ素直に感謝するべきなのだろう。
 あるいはここまでの一連の言動自体、こちらと打ち解けるための話術だったのかもしれない。

「それじゃ、このベッドそのまま使って。とーさんがたまに掃除してるから、綺麗なはずだよ」

 寝台をポンポンと叩き、こちらに勧めるアレニエさん。始めからそうするつもりで、ここに押し倒したのだろうか。

「あ。それとも、こっちで一緒に寝る?」

「いっ……!?」

 一緒、って……また、からかわれてる? それとも……

「……アレニエさんは、女性が好きなんですか?」

「わたし? わたしはどっちもいけるだけだよ?」

 直接的に訊ねてはみたが、変わらず向けられる笑顔からは、本気とも冗談とも判別できない。というかどっちもって。
 と、判断をつける前にふと脳裏に浮かんだのは、彼女が先刻、眠りながら大男の指をへし折っていた光景だった。

「すみません、遠慮しておきます」

「そっか。残念」

 言葉の割にはそこまで残念でもなさそうに、彼女はあっさり引き下がる。……警戒しすぎだっただろうか。

「……あの、やっぱり代金も払わず泊めていただくのは申し訳ないですし、今からでも部屋を取りに……」

「いいからいいから。なんなら報酬の前金ってことで、今夜一晩付き合ってよ」

「……そういう、ことなら……分かりました。一晩、お世話になります。……ですが、その……」

 依然、私は報酬扱いらしい。
 それも含めて引き受けてくれたのなら、あまり申し出を断るわけにもいかないだろう。
 けれど私が報酬だというなら、個人的に一つだけ、納得できないことがあった。

「……払う側の私が、払わずに泊めてもらうっておかしくないですか?」

「……わたしが言うのもなんだけど、気になるのはそこなの?」


  ***


 聖服を脱ぎ、下着姿になった私は、薦められたベッドで横になっていた。
 隣では、アレニエさんが既にすやすやと穏やかな寝息を立てている。
 鎧や衣服を脱ぎ、私と同じように薄着姿になっている彼女だったが……なぜか、左手の黒い篭手だけは、外す様子がなかった。

「(魔具まぐ……かな)」

 魔具は、条件を満たすことで疑似的に魔術を扱う、あるいはその行使を補佐する道具の総称だ。
 効果や価値は制作者の腕で上下し、質の高い品は他者から狙われる例もあるらしいけれど……
 身につけたまま就寝するという人は、少なくとも私は知らない。いぶかしく思い、訊ねてみたが……

「内緒です」

 と、笑顔で、しかしはっきりと拒絶の意志を示され、それ以上聞くのははばかられた。
 気にはなるが、誰だって人に言えない、言いたくないことぐらいあるだろう。
 そして今はそれ以上に、ベッドに入る前に目にした、彼女の下着姿が脳裏に焼き付いていた。

 細身でありながら程よく出るところは出ている、均整のとれた肢体。
 くびれた腰や、すらりと伸びる手足は、しなやかな肉食獣を想起させた。
 仕事の際に負ったのか、その身にはいくつか目立つ傷跡もあったが、それらを全て含めて綺麗だと思った。押し倒された際の胸の鼓動が、にわかに蘇る。

「(……私のほうが、女の人を好きだったのかな……)」

 神殿では、男女の交際を制限していない。
 私たちが信奉するアスタリアは、この世界の全ての善いものを創造し、またそれらを享受きょうじゅすることを私たちに許している。

 端的に言えば、女神が創り出したこの世界で人々が生を謳歌すること。それ自体が、彼女の目に適う善行になる。苦痛や害意は対立する邪神の産物(だと言われている)なのだから、それを抱きながら生きるのは望ましくない。

 婚姻を結び夫婦生活を営むのも、生を楽しむ方法の一つだ。性交における悦びは、神に与えられた権利とも言える。
 結果、子を授かるなら、それは新たに神を信仰する信徒が、魔物と戦う戦士が増えるのにも繋がる。婚姻は善行と見做みなされ、神殿で推奨されているほどだった。もちろん、節度は保たなければいけないが。

 そして、その本分を忘れない限りにおいて……女性同士での交遊も、ある程度黙認されていた。

 創設者が女性だったこと(〈白き星の乙女〉と呼ばれた神官だった)。
 性差における神との親和性(女神であるからか、アスタリアの法術は女性のほうが適性が高い)。
 過去には、男性神官が不貞を働いた事件等もあったらしい(大きな声では言えないが)。

 様々な要因の結果、現在の総本山は女性の比率が非常に高く、異性と出会う機会には恵まれない場所となっている。

 また、分類としては上層に位置しているが、実際に建てられた場所は〈神眠る〉オーブ山の中腹。俗世とは隔絶された生活に、郷愁きょうしゅうを呼び起こされる者も少なくない。(このあたり、結婚の奨励とは相反しているようにも思うが、そもそもがアスタリアへの祭事を起源とする場所であるため、一般の神殿とは違うのだろう)
 そうした環境から女性同士の関係が深まるのは、ある意味で自然な流れと言える……かもしれない。

 ただ、私はそういったものにあまり興味がなく、縁もなく、余裕もなかった。
 各人に個室が割り当てられているため、他人の素肌を見る機会も少ない。誰かと共に眠るのも幼少の頃以来だ。

 だから……分からなかった。
 この鼓動が、慣れない状況に戸惑っているだけなのか、それとも……今まで、気付かなかっただけ、なのかは。
 とはいえ、そんなことを考えていたのも最初だけで、やがて訪れた睡魔によって、いつの間にか私は眠りについていた――


  ***


 隣を見れば、アレニエさんの姿は既になかった。もう起きて部屋を出たらしい。私も、いい加減きちんと起きなければ。
 着替えを済ませ、ベッドを整えた私は、彼女と合流すべく部屋を後にした。
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