日向御子物語~時を越えた兄妹の絆~

Takachiho

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第一章

1-13.巫女

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「兄さん?」

 気付くと、扉から真菜が顔を出していた。

「兄さん、大丈夫?」

 真菜が心配そうに覗き込む。颯は額にぬめりを感じ、腕で拭った。どれくらい時が流れたか定かではないが、いつの間にか、脂汗が滲んでいた。

「だ、大丈夫……」
「それならいいんだけど……。あ、女の子だけど、全身の切り傷も蚯蚓みみず腫れも、見た目ほど重傷じゃないみたいだよ。伽耶ちゃんが、命に別状はないって」
「そっか……」

 真菜はそれ以上話すことなく、颯の横に座った。僅かに触れた肘から伝わる温もりが心地良かった。

 呼ぶ声がして颯が横を向くと、彦五瀬が駆け寄ってきていた。よほど急いで帰ってきたのか、息を切らしている。

「あの娘は?」
「今、伽耶ちゃんが手当てしています」

 彦五瀬は頷き、回廊の縁に立って外を眺めた。何を思っているのか、遠い目をしていた。しばらくして、ガラガラと戸の開く音がした。

「五瀬様、颯様、真菜様。女の方が目を覚まされました」

 皆を見回して告げられた伽耶の言葉に、颯は安堵の息を吐いた。





「私はヤマトより参りました沙々羅ささらと申す巫女にございます」

 むしろの中で体だけ起こした少女を伽耶が支える。その周囲に颯、真菜、彦五瀬の三人が集まり、腰を下ろしていた。少女の背中の中ほどまで伸びたつやつやした黒髪が、窓からそよぐ風になびく。きれいな人だと、颯は思った。

「ヤマト……。東にあるという楽園……」

 彦五瀬が反芻した。低い声だった。

「その東の巫女が、この地に何をしに参った」
「単刀直入に申し上げます。私はスジン帝のめいにより――」
「スジン帝だと!」

 その瞬間、彦五瀬の目が、かっと見開かれた。どこか、深い因縁を感じさせる声だった。

「それは、我が祖父母に難癖を付けて追放したという、あのスジン帝か!」

 彦五瀬が激昂し、力いっぱい床を殴りつけた。颯は、びくっと身を震わせるが、沙々羅と名乗った少女は身動みじろぎしなかった。

「トヨ様とスクネ様を山門やまとの国から追放なされた饒速日命にぎはやひのみことは既に亡く、今はその御次男、高彦根命たかひこねのみことがスジン帝を継いでおられます」
「何だと! スジン帝と共謀し祖父母を裏切った、あの高彦根か!」
「はい。私はそのスジン帝、高彦根命のめいで参りました」

 彦五瀬は立ち上がり、直刀を鞘から引き抜いて沙々羅の眼前に突きつける。颯はハラハラした思いで見守ることしかできないが、沙々羅は凛とした冷静な態度を崩さない。

「沙々羅と言ったか。その方、なかなか事情に詳しいようだな。その高彦根がこの地に何用だ。事と次第によっては、女と言えど、生きては帰さぬ」

 普段の彦五瀬からは想像もできない冷酷な声だった。

「私はヤマトを救うため、この地におわす日の神の御子をお迎えに上がりました。どうか刀をお納めください」
「……話を聞こう」

 彦五瀬は刀を下ろし、ドカッと腰を下ろす。その様は、行く場のない怒気が目に見えるようだった。

「ありがとうございます」

 沙々羅は頭を下げ、話を続ける。

「今、ヤマトの地は長髄彦ながすねびこの恐怖に晒されています。老齢なスジン帝に代わり、嫡男の可美真手命うましまでのみことが指揮を執って何とか対抗していますが、長髄彦の勢力は止まることを知らず、このままでは、いずれヤマトは彼の者の手中に落ちることとなるでしょう。それを防ぐには、この地におわす日の神の御子の力が必要なのです」
「日の神の御子……」
「はい。日の神の御子を探し出し、ヤマトにお連れするのが私の使命です」

 真っ直ぐな黒い瞳に、沙々羅の意志の強さが滲み出ていた。

「……なるほど。しかし、この世は移ろい行くもの。盛衰もまた定められたものではないのか。ヤマトが滅びに瀕しているというのならば、それもまたことわり
「確かにそうなのかもしれません」

 沙々羅は一旦言葉を切り、彦五瀬命を見据えた。

「長髄彦が、人であるならば……」
「人であるならば……?」

 彦五瀬が俯き、眉をひそめて反芻する。その瞳には僅かに困惑の色が浮かんでいた。

「はい。ヤマトを席巻している長髄彦は……かの者は、人ならざるモノです」
「人ならざるモノ……まさか!」

 ハッと顔を上げた彦五瀬の目が、驚愕で見開かれる。

「鬼か」
「はい。じゃに取り込まれて強大な鬼と化した長髄彦は、同様に邪の影響を受けた人々や鬼共を支配下に置き、ヤマトの地で暴れています」

 暖かい陽気に似つかわしくない冷ややかな風が部屋を通り抜けた。彦五瀬の眼は沙々羅を通り過ぎ、何もない宙に向いていた。

「……なるほど。それで偉大なるトヨとスクネの血を引く我が一族を頼ったということか」
「なにとぞお力添えを」
「……確かに我が一族と鬼には因縁がある。人々が苦しんでいるのならば、我らには救うだけの理由がある。だが、ヤマトは我が一族に何をした。我らが高千穂の地で隠れ住むようになったのは、誰のせいだ。他ならぬスジン帝、高彦根の讒言ざんげんのせいではないか」

 言いたくはない。だが、言わずにはいられない。彦五瀬の表情にはそんな苦悩が浮かんでいた。

「我らが怨み、その方にはわかるまい」

 彦五瀬の真摯な瞳が黒く沈んでいた。言葉に秘められた思いが周囲に伝わり、水を打ったかのように静まり返った。木造の部屋の中に冷気が満たされたように感じられた。

 僅かに顔を伏せた沙々羅が、しばしの逡巡の後、ゆっくりと顔を上げた。

「……確かにヤマトでのうのうと暮らしてきた私は、この地に落ち延びられた方々の苦難は存じ上げません」

 沙々羅の真っ直ぐな視線が、暗く沈んだ彦五瀬の瞳を捉える。

「けれど、私は物心付いた頃から、祖母より毎日のように昔話を聞かされました。祖母が慕い、かつてお仕えした二人の英傑の話を」

 沙々羅が筵の上で居住まいを正す。

「私の祖母、サルメは、トヨ様にお仕えした巫女にございます」

 彦五瀬が息を呑んだ。

 サルメ。それは確かに、かつて彦五瀬の祖母に仕え、一族の祭祀のすべてを司っていた者の名だった。
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