洛楽倶楽部!〜京都のボッチ大学生が学生生活を彩るために京都を堪能するサークルを作ってみます〜

岳南洛

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第2話 龍安寺「石庭」

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 大学を左手に見ながら、トオルは褶曲しゅうきょく地層が剥き出しになった道をゆっくりと歩く。木々が生い茂り、昼間でも仄暗いこの道は、きぬかけのみちと呼ばれ、金閣寺から仁和寺をつなぐ観光道路となっている。

 6、7分歩いたあたりで「龍安寺P」と書かれた看板が見えた。

「ここから入るのかな?」

 辺りを見渡し、それらしい入り口がないことを確認したトオルは、広い駐車場から、木々が綺麗に整備された遊歩道を行く。緑の洞窟をくぐると、土産屋が立ち並んでいる。トオルはいかにも観光地らしいなと思いながら、平日の午前中の下、まばらに散らばっている人の間を通り抜けていった。

 しばらく歩くと、石畳の先に荘厳な山門が現れた。左に目を移すと車道の先にも門があるのが確認できる。正式な入口はこっちであったようだ。トオルは正門らしきところから来た夫婦の後ろに並び、拝観料を払って門をくぐる。

 トオルは時折立ち止まりながら境内を進む。久しぶりに味わう、この森林に抱かれているような感覚は、トオルの気分を高揚させた。敷き詰められた砂利の感触が心地よい。鼻から息を吸ってみると土と木の湿気た香りがした。地元でよく嗅いだ香りだ。

 池の外周に沿って進んでいくと、庫裡へと続く石階段に着く。両脇には苔を携え、鮮やかな新緑の楓が、陽の光を遮るほど存分に植えられている。これまでの参道とは少し雰囲気の違うこの場所を前に、トオルは身を引き締めた。そうして階段を上り、庫裡へ入ると拝観受付と書かれたスペースがある。トオルは先ほど買った拝観券を提示し、靴を脱いで石庭のある方丈へと向かった。

 薄暗い庫裡から向かう方丈の入口は白く光が漏れていた。長いトンネルのゴールがようやく見えた気分になったトオルは少し歩みを速め、鴨居をくぐった。

 瞬間、トオルは息を止めた。いや、止まってしまったという方が正しいかもしれない。白砂と岩で構成された石庭は、まさしく不動の様相を呈し、音を発さず、風が吹けども揺れもしない。白砂で表現された水面の波紋はそれ以上広がらず、ピタッとその場で静止している。縁側や廊下に座っている観光客もただただ静かにじっと庭を鑑賞しているのみであった。この空間は時間が止まっていたのだ。

「うっわぁ」

 呼吸を再開したトオルは、壮観な景色に圧倒され、言葉を紡ぐ暇なく、情けない感嘆のため息を吐き出した。さすがは名の通った石庭、じっくりと眺める価値がありそうだ、そう思ったトオルは手前の縁側に腰を下ろし、庭を鑑賞することにした。

 この石庭には石が15個配置されているらしい。トオルは、座りながら目で石を数えていると、反対側の縁側に見覚えのある顔が見えた。長い髪に眼鏡をかけたその姿は、大学で見たことがある。彼もトオルと同じく、毎日1人で行動しているボッチの大学生であった。変にプライドのあるトオルは、これまで同類の彼に話しかけるようなことはしなかったが、惨めなボッチの生活にそろそろ辟易していたこともあり、思い切って話しかけてみることにした。

「あ、あのー、西園寺の法学部の2回生だよね?」

 相手を驚かせないように、トオルはゆっくりと近づき、優しい口調で話しかける。

「え!?あ、え、あ、あたくしでございますか?まあ、あの、そうですが……」

 案の定驚かせてしまったようだ。まあ、急に知らない人から話しかけられたのだから仕方がない。

「だよね!大学で見たことあるもん!俺も同じでさ、ちょっと話してみたいなって思って」

 少し罪悪感を感じたトオルはさらに優しい声色と表情で話を続ける。

「あ、あたくしと話したいと?そ、そうでございましたか……」

 長髪眼鏡男は照れ臭そうに俯く。しかし、その後に続く言葉はない。会話は終了してしまったようだ。どうやら長髪眼鏡男はコミュ障というやつらしい。ただ、トオルは腐っても小中高それなりに友達がいた男、コミュ障と呼ばれる人と話した経験は何度もある。トオルは聞き役に徹し、相手の会話を引き出すことにした。

「いやー、法学部って思ったより大変だよね。去年単位どうだった?フル?」

「え、ええ、まあ」

「すご!俺1個落としちゃってさ。論述難しすぎるわ。なんか論述のコツとかあったりする?」

「いや、その、そうでございますね……」

 シンとした空間に雀の声が軽快に跳ねる。どうにも会話にならない。苛立ちを覚えたトオルは少し熱くなった頭を鎮めるために、再度石庭に目を移す。

 それにしても素晴らしい庭だとトオルは感心する。枯山水というものを見たのは初めてであったが、水を張った庭よりもずっと神秘的で神々しく見える。澱みのない砂の白が悩みやら苛立ちやらを吸収してくれるようだ。

「ほんと凄いな……俺、寺とか神社とか全然興味なかったんだけどさ、これ見てちょっと京都の寺とかに興味出てきちゃったよ」

 トオルは思わずそう呟いていた。別に反応してほしいわけではない。口に出さざるを得なかった。この庭にはそんな素直な言葉を引き出す力がある。

「……京都に、興味があるですと?」

 長髪眼鏡男がおもむろに質問を返す。

「え?うん、ちょっとだけだけどね。この景色、結構感動してさ」

 先ほど同様、トオルは素直な気持ちを口にした。ようやく会話らしい会話ができたようで、少し嬉しい。

「す……」

「す?」

「す、す、す、素晴らしい!そのよわいで京都に心酔するとは!おお、同志よ!あたくしはあなたのような人を探していた!」

 長髪眼鏡男がトオルの手を力強く握る。

「ちょ、急にどうした!それに心酔はしてないって!ちょっとだよちょっと!」

 長髪眼鏡男の急な豹変ぶりに驚いたトオルは、さっきまでの優しい口調を崩した。

「ふふふ、わかっているのですよ同志。同志の『ちょっと』には照れ隠しの意が存分に含まれていると!否、あたくしはそう解釈しました!かく言うあたくしも京都が大大大好きなのでございます」

「いや君が好きなのは別にどうでもいいんだけど。ていうか勝手に解釈しないでくれよ。ちょっとはちょっとだよ。それ以上の意味はない」

「それ以上の意味はない。まあ、そういう解釈の仕方もあるでしょうな」

 いやそれが正解なんだよ、トオルは口に出そうとしたが、面倒臭そうだからと諦めた。

「同志よ、『ちょっと』という語ひとつには多分に解釈の余地があると思うのですよ。そう、まさに目の前にあるこの石庭のように!」

 長髪眼鏡男が勢いよく石庭を指差す。

「え、石庭?」

「そう!この石庭の意味の解釈については多くの見解があるのです。一般的に『虎の子渡し』や『七五三』という説が有名でありますが、漢字の心を表しているという説もあります。しかし、この説以外でも個人の解釈次第で石庭の意味はいくつも生むことができるのです。さらに自分のその時の状態、状況によっても受け取るメッセージというのは変わってきます。これがこの石庭の面白いところだとあたくしは思うのです」

 目を輝かせ、それでいて大層真剣な長髪眼鏡男の話にトオルは少し聞き入っていた。

「自分なりの解釈か……ちょっと難しいな。その、君なりのこの石庭の解釈とかはあるの?」

「もちろん!この石庭、石が15個配置されているのですが、この石を全て見ることはできないと言われています。奥の石を見に行こうとすれば手前の石は見えなくなり、手前の石を見に行こうとすればまた奥の石は見えなくなる。こういったことって普段生活している中でもありますよね。より高みを、理想を、ひとときの憧れを追い求めた結果、今まで見えていた大事なものが見えなくなっている。この庭はそんな人間の愚かしさを表しているのではないかと」

 気づけば、2人して石庭をじっと眺めていた。トオルは長髪眼鏡男の話すメッセージを咀嚼し、答え合わせするように石を数えた。

「……それは、なんとも重いメッセージだね」

「と、いうのはあたくしが過去に解釈したものでございます。現在は少し違っているのです」

 トオルは長髪眼鏡男に顔を向け、身を近づける。彼の話はかなり興味深い。

「え、なに、聞きたい」

「先ほどこの石庭は15個の石全てを見ることはできないと申しましたが、実は見える場所があるのです。これ、作庭者のミスではないかと言われているのですが、あたくしは意図的にしたものだと思うのです。全ての石は見えないと言われながら、それでも全てを見たいと思った人間が、何度も場所を変えることで、ようやく全てを見渡せる場所にありつける。試行錯誤を重ね、過去も失敗も現実も未来も成功も理想も全てを受け入れた者のみが、真に完成された世界を見ることができる。これがこの庭から受け取った現在のメッセージでございます」

 トオルはもう一度石庭に向き直り、石を数える。どう数えてみてもこの場所からは14個しか見えない。けれど、今はそれでもいいとトオルは思った。これから何度もここに訪れて、15個全てが見える場所を探せばいいのだ。じっくりと時間をかけて。

「君のせいで、さっきまで本当にちょっとだったものが大変なものに変わっちゃったよ。京都、寺、神社、庭、すごく興味が出てきた」

「やはりあたくしの解釈は正解だったようでございますね」

 長髪眼鏡男は石庭を向いたまま軽快に笑う。手球に取られたような気がしたトオルは長髪眼鏡男の肩を肘で突く。

「いやでも、本当に君のおかげで趣味が一つ増えそうだ。俺、甲斐トオル。実は友達いなくてさ、仲良くしてもらえると嬉しい」

「あたくしは山城やましろススムでございます!生まれも育ちもここ、京都!トオル殿と同じく友人と呼べる人は1人もいないのでございます。あたくしこそよろしくお願いいたします」

 トオルたちは縁側を立ち、握手を交わす。庭から見える青もみじが彼らを祝福するチアのボンボンのように揺れた。かなり変なタイプではあるけれど、ようやくトオルに1人、大学で仲良くできそうな人間が生まれたのだった。
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