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兄妹の鎖 二夜
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希帆と恋人としての初夜を過ごしてから、初の朝が来た。
チュンチュンと鳴く小鳥は、俗に言う朝チュンというものなのだろうか。そう自分は思いながらそっと横の希帆を見る。
互いに全裸、生まれたままの姿。寝息は小さくすぅすぅと。自分の腕を掴んで寝ているその光景に微笑みが浮かぶ。
これまで絶対叶わないと思っていた事が叶った。希帆は自分を兄ではなく、一人の人として好きだと言ってくれた。
それがとても嬉しくて、狂うほどに愛おしくて。ついつい寝顔を見てしまう。
しばらくすると、希帆がぴくりと動く。ゆっくりと開いた目は寝ぼけ眼で、普段の彼女を想起させる。
「お兄、ちゃん……」
「おはよう、希帆」
何か弱弱しい呼び方も可愛らしい。まるで、これが現実だとは信じられないように。
「私、お兄ちゃんと……えっちなことして、寝たんだよね?」
「そうだね」
「恋人に、なれたんだよね?」
「なれたよ」
「……夢じゃない、よね?お兄ちゃん……」
そう言ってもう一度目を瞑る希帆が求めるのは証明。禁断の茨道に踏み入れた夢ではなく、現実であるという証。
動くもう片方の腕を使って希帆の顔を抱えると、その唇にキスをする。
「ん……」
しかし、これではまだ夢かと思ってしまうかもしれない。だからこそ、自分は意地悪するのだ。
「ん、んっ……!」
そのまま舌を入れると、彼女の歯を撫でる。舌と舌を絡ませて、朝の美酒を味わう。
そうして数秒すると、息苦しくなったのか苦しそうなうめき声が聞こえてくる。自分はそこで唇を離すと、ぺろりと舌で唾液を拭って言う。
「夢じゃないって分かった?」
その言葉に希帆がにへら、と笑って言う。
「……うん!私はお兄ちゃんに愛されているって、わかって……すごく幸せ。こんな夢みたいな現実、訪れると思ってなかった。えへへ、おはよう。大好きなお兄ちゃん!」
その言葉に笑顔を浮かべた瞬間に、今度は希帆の方から顔が迫ってきた。
「っ!?」
「んむ……」
今度は希帆の舌が入ってくる。けれど自分が入れた時とは違い、舌だけを執拗に攻めてくる。
気持ち良い、けれど心地よい。されるがままにされていると、希帆がぷはっと息を吐いて舌と舌で液体の線を繋ぐ。
「お兄ちゃんだけずるい。いつも先にしちゃうんだから!仕返し!」
「あはは、油断しちゃったな……」
そういって、どちらともなくまた唇を触れ合わせる。何度も何度も、お互いに刻み込むように。
______________________________
私は起きたら夢じゃないかと思って、寝たくなかった。けれど、斗和兄ちゃんの温かい手と身体に包まれて寝てしまった。
朝起きたら斗和兄ちゃんが私の事を見ていた。でも、心配で。
けれど杞憂だった。お兄ちゃんは不安な私の事を想って何回も、何回もキスをしてくれた。それだけで現実だとわかったし、嬉しかった。
大好きな大好きなお兄ちゃん。本当は離れたくなかったけれど、お兄ちゃんの言葉で現実に帰る。
「そろそろご飯を食べてリモート授業の時間じゃないか?自分も希帆も」
「あ……」
時間は無常にも過ぎていく。幸せな時間とは永遠には続かないものだ。
「希帆から着替えていいよ。自分は壁を見ているから……」
「ありがとう、お兄ちゃん」
兄妹、恋人とは言え全裸で着替える姿を見られるのは恥ずかしい。そっとお兄ちゃんの温もりから離れると、ふと気づいた。
「……寝巻しか持ってきてない」
「……ど、どうする?希帆?流石にお兄ちゃんも恋人にその……家の中で全裸で歩いてほしくはないというか……」
それは独占欲による言葉なのか、一般的常識に照らし合わせた言葉なのか。どちらにせよ兄の配慮が嬉しかった。
だから、私は少し意地悪をする。
「お兄ちゃんのシャツ、借りていくね?」
「えっ」
「彼シャツ、ってやつだよ!……それに、お兄ちゃんの香りをずっと嗅いでいたいから」
戸惑うお兄ちゃんだったけれど、私も最後は小声になってしまった。
結局独占欲が強いのはお兄ちゃんよりも、私なのかもしれない。そう思いながら下だけ寝巻のものを着ると、お兄ちゃんのクローゼットから一つのパーカーを見つけて身に着ける。
「お兄ちゃん、着替えたよ」
そういうと兄は振り向いて苦笑する。嬉しいような、戸惑っているような。そんな見たことのない恋人の新しい表情が見られて私は笑顔になる。
「……そのパーカー、そういえば希帆と一緒に選んで買ったやつだっけ。大丈夫か?ぶかぶかすぎて寒くないか?」
「!覚えていてくれたの?嬉しい……!うん、大丈夫だよ!えっ、と……」
一緒に買った事を覚えてくれていたことに嬉しさを感じつつ、これからどうしようかと迷う。
こういう時に頼りになるのは、やっぱりお兄ちゃんだった。
「希帆。昨日買っておいたパンがリビングの棚の上にあるから、お湯を沸かしながら待っていてくれないか?……その、自分も希帆に着替えを見られるのは恥ずかしいと、いうか……」
「そ、そうだよね!わかった!お兄ちゃん、ありがとう!」
ちょっと逃げるようにドアの方に向かって部屋から出る。やっぱり、こういう時に頼りになるのはお兄ちゃんだ。
それが、私の恋人になってくれた。私はその幸福感を噛みしめながらリビングへと向かった。
お兄ちゃんの言う通り、食パンがあったのでそれを二枚に切り、オーブントースターで焼く。
その間にケトルでお湯を沸かしていると、お兄ちゃんが可愛らしい羽織ものを羽織ってやってくる。
「あっ!?お兄ちゃん……それ……」
「……希帆のやつ借りた。ごめん。自分も、その……希帆の香りが嗅ぎたくて」
そういってお兄ちゃんが顔を私の羽織にうずめる。そんな可愛いお兄ちゃんは初めて見た。そっと近づくと、ぎゅっと抱きしめる。
「……希帆?」
「お兄ちゃん、私嬉しいよ。お兄ちゃんもずっとそばにいたいって思ってくれていること。それがとっても嬉しいの!その羽織、一日貸してあげる!」
「あはは……ありがとう、本当に。自分も希帆がそばに居てくれて、本当に……本当に幸せだよ」
その言葉はお兄ちゃんが初めて私に甘えてくれたような気がして。しっかり者で、いつも私のわがままに付き合ってくれる優しい斗和お兄ちゃんが恋人として、決して妹には見せなかった一面を見せてくれている。ただその事実がたまらなく幸せなのだ。
チン、と音が鳴ってパンが焼ける。ケトルも沸いたようだ。だから私は、ちょっとだけ背伸びをするように言った。
「パン焼けたよ!……一緒に、食べよ?」
______________________________
リモート授業と言っても、やることは大して通っていた頃と変わっていない。ただ対面の形式が現実の学校からパソコンの前で座るようになっただけだ。
授業が終わり、雑談タイムに入ると友人から真っ先に突っ込まれる。
「斗和なんか可愛いの着てるじゃん!!それどうしたの?妹さんの?」
友人からの言葉に自分は満面の笑みで答える。
「うん。ほら、ウチ親がいないからさ。貸してって言ったら快く貸してくれたんだ」
「それ理由になってねーよ!まあわかるぞ。俺も女子のいい香り嗅げなくなったからな。うんうん」
それは言ったらダメだろ、と思った瞬間に女子からヤジが飛んでくる。笑いながら自分は羽織をそっと鼻に当てる。
(ああ。希帆の香りだ……)
「お、やっぱり嗅いでる。恋人頑なに作らなかったお前がそんなになるとはなあ……妹さんも美人だし、恋人にでもしたか?」
ビクッとして画面を見ると、二発目のヤジが女子から飛んでくる。
「流石にそれは失礼でしょっ!!家族同士なんだから、単純な貸し借りよ!!ね?斗和君」
恋人にした、という言葉に背徳感を感じながらも、嬉しさがあって微笑みながら言う。
「うん。自分と希帆の単純な貸し借りだよ」
ほらー!というヤジと冗談だって!という声を聞きながら微笑む。
自分と希帆の貸し借り。何も『家族間の貸し借り』とは言っていない。そう、これは隠れた恋人自慢。
そう思いながら微笑みながら「じゃ、また!」と言ってリモートを一旦切る。
すー、はーと香りを嗅ぐ。
男らしい自分とは違い、石鹸の甘い香りがする。
(希帆……)
離したくない。手放したくない。そう思いながらぎゅっと羽織を強くつかんだ。
______________________________
毎日と変わらないリモート授業。だけど、私にはちょっと特別に感じた。
「あれ!希帆~!珍しいパーカー着てるじゃん!そんなの持ってたっけ?」
「これ?これね、お兄ちゃんが貸してくれたの!」
ホームルームが終わり、休憩時間になるとそういうと皆が口々に言う。
優しいお兄ちゃんだね、いいお兄ちゃんじゃん。うちもそんな兄が欲しかった~!
男女問わず、誉め言葉が飛んでくる。その言葉に嬉しさが抑えきれない。
兄が褒められるということは、私の恋人が褒められているという事。大好きな人が、多くの人から褒められている。これほど嬉しいことがあるだろうか。
そんな中、とある男子が言った。
「なんだかあれだよな!彼シャツ?彼パーカー?ってやつ!」
「ああ!恋人が異性の服を着るってあれ?」
その言葉にドキドキする。何故ならそれは的を得ていたからだ。私がやっているのは正真正銘、恋人同士で行う衣装交換なのだ。
「確かに見えなくはないけどさ!ほら、兄妹じゃん?希帆のところ。それだけ仲がいいってことっしょ!」
「な、仲はいいよ!勿論お兄ちゃんが優しいから貸してくれたんだけど……」
「ね?それに希帆だって実の兄を恋人扱いしてほしくはないんじゃない?希帆美人さんだし、いい男見つかるって!」
その言葉にチク、と胸が痛んだ。
世間で見ればやはり兄妹というだけで恋人に結びつかない。決して結実することのない結果の鎖なのだろう。
それでも、私は言いたかった。だからぐっと堪えながら言った。
「え~?ん~……お兄ちゃんぐらい優しくて、私に構ってくれて、頭が良くて……そんな男の人見つかる?」
「あ~……そういや確か希帆のお兄ちゃん、家にお邪魔した時わざわざ私たちのためにホットケーキ焼いてくれたもんね……。しかも滅茶苦茶笑顔で、『いつも希帆と仲良くしてくれてありがとうございます』って言ってくれて……。いや、あのお兄ちゃん超える人はなかなかいないわ……」
「でしょ~?」
どや顔でパーカーの袖に口を付けながら見ると、男子が俺は無理……とうなだれる様子が見えた。
私のお兄ちゃんは、愛しい愛しい恋人は、どんな人にも敵えやしない。同級生だって、お兄ちゃんのお友達だって、誰にだってお兄ちゃんを超えることはできない。
次の授業までの待機の間、私はここぞとばかりにお兄ちゃん自慢をして、男子に悲鳴を上げさせていた。それを聞いて、女子が笑って私もそんな女子力ない~!と叫んでいた。
夕方、全ての授業が終わるとネットゲームでデイリーログインボーナスだけもらう。
つい先日までであればその後は私が買い物に行くか、お兄ちゃんが夜の買い出しに行ってゲームをしているかだった。だけど私は恋人らしいことがしたくて、その日は落ちた。
改めて私服に着替えると、お兄ちゃんの部屋の扉をコンコンコン、とノックする。
「希帆?」
部屋から出てきたお兄ちゃんはまだ私の羽織を羽織っていて、嬉しかった。そんなお兄ちゃんに言う。
「いつもはどっちが買い出しに行くけど、えっと、そのね、あの……二人で……」
途中からしどろもどろになってしまう。そんな私を察してくれたのか、頭が突然優しく撫でられる。
「希帆の言いたい事はわかったよ。二人で買い出しに行きたいんだね。……恋人のデート、でしょ?」
その言葉は私の本心を全て見透かしているようで、私の全てがお兄ちゃんに握られているようで。
ついつい甘えたくなって、抱き着いてしまった。
「そうだね、自分たちがこうやって秘密のデートできるのなんて今は買い物ぐらいかもね」
「今は……?」
その言葉にちょっと引っ掛かりを覚えて問いかけ返すとお兄ちゃんは頭から手を離してぎゅっと私を抱きしめた。
「いつかは、もっと遠くまで行けるように。二人で頑張ろう」
「うん、うんっ……!」
やっぱりお兄ちゃんは私が大好きな、世界で唯一の恋人だ。
______________________________
流石に外にまで妹の羽織を着ていくわけにはいかず、パーカーを返してもらって着ると外に出る。
なんとなくいい匂いがする。これが男女の違いか、と感じつつ商店街に向かう。
「今日は何がいい?」
「ん~、昨日刺身食べたからお肉がいいかなって思うけど、お兄ちゃんは?」
恋人になったからか、手をつなぎながら聞いてくる。いつもなら希帆の希望通りのものを買うだけだが、自分にも聞いてきてくれたのは時間稼ぎをする必要がなくなったからなのか、それとも恋人として対等に扱いたいからなのか。
あるいは両方か。何にしても自分に聞いてきてくれたのは嬉しかった。
「そうだなあ……希帆が食べたい」
小声でそういうと、希帆は顔を真っ赤にして手を握る力が強くなる。
「も、もう!お兄ちゃんったら!」
「あはは、ごめんごめん。そうだね。お肉にしようか」
そう言ってお肉屋さんへと歩いていく。
希帆が食べたい。それは言葉通りの意味だからこそ、冗談とは言わなかった。
それをわかっているからこそ、希帆も顔は真っ赤なままはにかんでくれるのだろう。
今夜はお肉だ。けれど、いつもの買い出し以上に価値があるお肉の買い出しだ。
なぜなら、この買い物が自分と希帆の初めてのデートなのだから。
希帆もそう思ったのだろう。こころなしか、ゆっくりと歩いている。
自分もゆっくり歩きながら今日の授業のこと、クラスメイトの事で笑いあう。
兄妹としても、恋人としても。こんな時間が永く永く続けばいいな、と思いながら談笑しながら夕日に向かって歩んでいく。
今はまだ編んだばかりで緩い紐と、厳しい鎖の中でも幸せを互いに貪りながら。
チュンチュンと鳴く小鳥は、俗に言う朝チュンというものなのだろうか。そう自分は思いながらそっと横の希帆を見る。
互いに全裸、生まれたままの姿。寝息は小さくすぅすぅと。自分の腕を掴んで寝ているその光景に微笑みが浮かぶ。
これまで絶対叶わないと思っていた事が叶った。希帆は自分を兄ではなく、一人の人として好きだと言ってくれた。
それがとても嬉しくて、狂うほどに愛おしくて。ついつい寝顔を見てしまう。
しばらくすると、希帆がぴくりと動く。ゆっくりと開いた目は寝ぼけ眼で、普段の彼女を想起させる。
「お兄、ちゃん……」
「おはよう、希帆」
何か弱弱しい呼び方も可愛らしい。まるで、これが現実だとは信じられないように。
「私、お兄ちゃんと……えっちなことして、寝たんだよね?」
「そうだね」
「恋人に、なれたんだよね?」
「なれたよ」
「……夢じゃない、よね?お兄ちゃん……」
そう言ってもう一度目を瞑る希帆が求めるのは証明。禁断の茨道に踏み入れた夢ではなく、現実であるという証。
動くもう片方の腕を使って希帆の顔を抱えると、その唇にキスをする。
「ん……」
しかし、これではまだ夢かと思ってしまうかもしれない。だからこそ、自分は意地悪するのだ。
「ん、んっ……!」
そのまま舌を入れると、彼女の歯を撫でる。舌と舌を絡ませて、朝の美酒を味わう。
そうして数秒すると、息苦しくなったのか苦しそうなうめき声が聞こえてくる。自分はそこで唇を離すと、ぺろりと舌で唾液を拭って言う。
「夢じゃないって分かった?」
その言葉に希帆がにへら、と笑って言う。
「……うん!私はお兄ちゃんに愛されているって、わかって……すごく幸せ。こんな夢みたいな現実、訪れると思ってなかった。えへへ、おはよう。大好きなお兄ちゃん!」
その言葉に笑顔を浮かべた瞬間に、今度は希帆の方から顔が迫ってきた。
「っ!?」
「んむ……」
今度は希帆の舌が入ってくる。けれど自分が入れた時とは違い、舌だけを執拗に攻めてくる。
気持ち良い、けれど心地よい。されるがままにされていると、希帆がぷはっと息を吐いて舌と舌で液体の線を繋ぐ。
「お兄ちゃんだけずるい。いつも先にしちゃうんだから!仕返し!」
「あはは、油断しちゃったな……」
そういって、どちらともなくまた唇を触れ合わせる。何度も何度も、お互いに刻み込むように。
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私は起きたら夢じゃないかと思って、寝たくなかった。けれど、斗和兄ちゃんの温かい手と身体に包まれて寝てしまった。
朝起きたら斗和兄ちゃんが私の事を見ていた。でも、心配で。
けれど杞憂だった。お兄ちゃんは不安な私の事を想って何回も、何回もキスをしてくれた。それだけで現実だとわかったし、嬉しかった。
大好きな大好きなお兄ちゃん。本当は離れたくなかったけれど、お兄ちゃんの言葉で現実に帰る。
「そろそろご飯を食べてリモート授業の時間じゃないか?自分も希帆も」
「あ……」
時間は無常にも過ぎていく。幸せな時間とは永遠には続かないものだ。
「希帆から着替えていいよ。自分は壁を見ているから……」
「ありがとう、お兄ちゃん」
兄妹、恋人とは言え全裸で着替える姿を見られるのは恥ずかしい。そっとお兄ちゃんの温もりから離れると、ふと気づいた。
「……寝巻しか持ってきてない」
「……ど、どうする?希帆?流石にお兄ちゃんも恋人にその……家の中で全裸で歩いてほしくはないというか……」
それは独占欲による言葉なのか、一般的常識に照らし合わせた言葉なのか。どちらにせよ兄の配慮が嬉しかった。
だから、私は少し意地悪をする。
「お兄ちゃんのシャツ、借りていくね?」
「えっ」
「彼シャツ、ってやつだよ!……それに、お兄ちゃんの香りをずっと嗅いでいたいから」
戸惑うお兄ちゃんだったけれど、私も最後は小声になってしまった。
結局独占欲が強いのはお兄ちゃんよりも、私なのかもしれない。そう思いながら下だけ寝巻のものを着ると、お兄ちゃんのクローゼットから一つのパーカーを見つけて身に着ける。
「お兄ちゃん、着替えたよ」
そういうと兄は振り向いて苦笑する。嬉しいような、戸惑っているような。そんな見たことのない恋人の新しい表情が見られて私は笑顔になる。
「……そのパーカー、そういえば希帆と一緒に選んで買ったやつだっけ。大丈夫か?ぶかぶかすぎて寒くないか?」
「!覚えていてくれたの?嬉しい……!うん、大丈夫だよ!えっ、と……」
一緒に買った事を覚えてくれていたことに嬉しさを感じつつ、これからどうしようかと迷う。
こういう時に頼りになるのは、やっぱりお兄ちゃんだった。
「希帆。昨日買っておいたパンがリビングの棚の上にあるから、お湯を沸かしながら待っていてくれないか?……その、自分も希帆に着替えを見られるのは恥ずかしいと、いうか……」
「そ、そうだよね!わかった!お兄ちゃん、ありがとう!」
ちょっと逃げるようにドアの方に向かって部屋から出る。やっぱり、こういう時に頼りになるのはお兄ちゃんだ。
それが、私の恋人になってくれた。私はその幸福感を噛みしめながらリビングへと向かった。
お兄ちゃんの言う通り、食パンがあったのでそれを二枚に切り、オーブントースターで焼く。
その間にケトルでお湯を沸かしていると、お兄ちゃんが可愛らしい羽織ものを羽織ってやってくる。
「あっ!?お兄ちゃん……それ……」
「……希帆のやつ借りた。ごめん。自分も、その……希帆の香りが嗅ぎたくて」
そういってお兄ちゃんが顔を私の羽織にうずめる。そんな可愛いお兄ちゃんは初めて見た。そっと近づくと、ぎゅっと抱きしめる。
「……希帆?」
「お兄ちゃん、私嬉しいよ。お兄ちゃんもずっとそばにいたいって思ってくれていること。それがとっても嬉しいの!その羽織、一日貸してあげる!」
「あはは……ありがとう、本当に。自分も希帆がそばに居てくれて、本当に……本当に幸せだよ」
その言葉はお兄ちゃんが初めて私に甘えてくれたような気がして。しっかり者で、いつも私のわがままに付き合ってくれる優しい斗和お兄ちゃんが恋人として、決して妹には見せなかった一面を見せてくれている。ただその事実がたまらなく幸せなのだ。
チン、と音が鳴ってパンが焼ける。ケトルも沸いたようだ。だから私は、ちょっとだけ背伸びをするように言った。
「パン焼けたよ!……一緒に、食べよ?」
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リモート授業と言っても、やることは大して通っていた頃と変わっていない。ただ対面の形式が現実の学校からパソコンの前で座るようになっただけだ。
授業が終わり、雑談タイムに入ると友人から真っ先に突っ込まれる。
「斗和なんか可愛いの着てるじゃん!!それどうしたの?妹さんの?」
友人からの言葉に自分は満面の笑みで答える。
「うん。ほら、ウチ親がいないからさ。貸してって言ったら快く貸してくれたんだ」
「それ理由になってねーよ!まあわかるぞ。俺も女子のいい香り嗅げなくなったからな。うんうん」
それは言ったらダメだろ、と思った瞬間に女子からヤジが飛んでくる。笑いながら自分は羽織をそっと鼻に当てる。
(ああ。希帆の香りだ……)
「お、やっぱり嗅いでる。恋人頑なに作らなかったお前がそんなになるとはなあ……妹さんも美人だし、恋人にでもしたか?」
ビクッとして画面を見ると、二発目のヤジが女子から飛んでくる。
「流石にそれは失礼でしょっ!!家族同士なんだから、単純な貸し借りよ!!ね?斗和君」
恋人にした、という言葉に背徳感を感じながらも、嬉しさがあって微笑みながら言う。
「うん。自分と希帆の単純な貸し借りだよ」
ほらー!というヤジと冗談だって!という声を聞きながら微笑む。
自分と希帆の貸し借り。何も『家族間の貸し借り』とは言っていない。そう、これは隠れた恋人自慢。
そう思いながら微笑みながら「じゃ、また!」と言ってリモートを一旦切る。
すー、はーと香りを嗅ぐ。
男らしい自分とは違い、石鹸の甘い香りがする。
(希帆……)
離したくない。手放したくない。そう思いながらぎゅっと羽織を強くつかんだ。
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毎日と変わらないリモート授業。だけど、私にはちょっと特別に感じた。
「あれ!希帆~!珍しいパーカー着てるじゃん!そんなの持ってたっけ?」
「これ?これね、お兄ちゃんが貸してくれたの!」
ホームルームが終わり、休憩時間になるとそういうと皆が口々に言う。
優しいお兄ちゃんだね、いいお兄ちゃんじゃん。うちもそんな兄が欲しかった~!
男女問わず、誉め言葉が飛んでくる。その言葉に嬉しさが抑えきれない。
兄が褒められるということは、私の恋人が褒められているという事。大好きな人が、多くの人から褒められている。これほど嬉しいことがあるだろうか。
そんな中、とある男子が言った。
「なんだかあれだよな!彼シャツ?彼パーカー?ってやつ!」
「ああ!恋人が異性の服を着るってあれ?」
その言葉にドキドキする。何故ならそれは的を得ていたからだ。私がやっているのは正真正銘、恋人同士で行う衣装交換なのだ。
「確かに見えなくはないけどさ!ほら、兄妹じゃん?希帆のところ。それだけ仲がいいってことっしょ!」
「な、仲はいいよ!勿論お兄ちゃんが優しいから貸してくれたんだけど……」
「ね?それに希帆だって実の兄を恋人扱いしてほしくはないんじゃない?希帆美人さんだし、いい男見つかるって!」
その言葉にチク、と胸が痛んだ。
世間で見ればやはり兄妹というだけで恋人に結びつかない。決して結実することのない結果の鎖なのだろう。
それでも、私は言いたかった。だからぐっと堪えながら言った。
「え~?ん~……お兄ちゃんぐらい優しくて、私に構ってくれて、頭が良くて……そんな男の人見つかる?」
「あ~……そういや確か希帆のお兄ちゃん、家にお邪魔した時わざわざ私たちのためにホットケーキ焼いてくれたもんね……。しかも滅茶苦茶笑顔で、『いつも希帆と仲良くしてくれてありがとうございます』って言ってくれて……。いや、あのお兄ちゃん超える人はなかなかいないわ……」
「でしょ~?」
どや顔でパーカーの袖に口を付けながら見ると、男子が俺は無理……とうなだれる様子が見えた。
私のお兄ちゃんは、愛しい愛しい恋人は、どんな人にも敵えやしない。同級生だって、お兄ちゃんのお友達だって、誰にだってお兄ちゃんを超えることはできない。
次の授業までの待機の間、私はここぞとばかりにお兄ちゃん自慢をして、男子に悲鳴を上げさせていた。それを聞いて、女子が笑って私もそんな女子力ない~!と叫んでいた。
夕方、全ての授業が終わるとネットゲームでデイリーログインボーナスだけもらう。
つい先日までであればその後は私が買い物に行くか、お兄ちゃんが夜の買い出しに行ってゲームをしているかだった。だけど私は恋人らしいことがしたくて、その日は落ちた。
改めて私服に着替えると、お兄ちゃんの部屋の扉をコンコンコン、とノックする。
「希帆?」
部屋から出てきたお兄ちゃんはまだ私の羽織を羽織っていて、嬉しかった。そんなお兄ちゃんに言う。
「いつもはどっちが買い出しに行くけど、えっと、そのね、あの……二人で……」
途中からしどろもどろになってしまう。そんな私を察してくれたのか、頭が突然優しく撫でられる。
「希帆の言いたい事はわかったよ。二人で買い出しに行きたいんだね。……恋人のデート、でしょ?」
その言葉は私の本心を全て見透かしているようで、私の全てがお兄ちゃんに握られているようで。
ついつい甘えたくなって、抱き着いてしまった。
「そうだね、自分たちがこうやって秘密のデートできるのなんて今は買い物ぐらいかもね」
「今は……?」
その言葉にちょっと引っ掛かりを覚えて問いかけ返すとお兄ちゃんは頭から手を離してぎゅっと私を抱きしめた。
「いつかは、もっと遠くまで行けるように。二人で頑張ろう」
「うん、うんっ……!」
やっぱりお兄ちゃんは私が大好きな、世界で唯一の恋人だ。
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なんとなくいい匂いがする。これが男女の違いか、と感じつつ商店街に向かう。
「今日は何がいい?」
「ん~、昨日刺身食べたからお肉がいいかなって思うけど、お兄ちゃんは?」
恋人になったからか、手をつなぎながら聞いてくる。いつもなら希帆の希望通りのものを買うだけだが、自分にも聞いてきてくれたのは時間稼ぎをする必要がなくなったからなのか、それとも恋人として対等に扱いたいからなのか。
あるいは両方か。何にしても自分に聞いてきてくれたのは嬉しかった。
「そうだなあ……希帆が食べたい」
小声でそういうと、希帆は顔を真っ赤にして手を握る力が強くなる。
「も、もう!お兄ちゃんったら!」
「あはは、ごめんごめん。そうだね。お肉にしようか」
そう言ってお肉屋さんへと歩いていく。
希帆が食べたい。それは言葉通りの意味だからこそ、冗談とは言わなかった。
それをわかっているからこそ、希帆も顔は真っ赤なままはにかんでくれるのだろう。
今夜はお肉だ。けれど、いつもの買い出し以上に価値があるお肉の買い出しだ。
なぜなら、この買い物が自分と希帆の初めてのデートなのだから。
希帆もそう思ったのだろう。こころなしか、ゆっくりと歩いている。
自分もゆっくり歩きながら今日の授業のこと、クラスメイトの事で笑いあう。
兄妹としても、恋人としても。こんな時間が永く永く続けばいいな、と思いながら談笑しながら夕日に向かって歩んでいく。
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