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其の四 奇術師
五
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グーと、パー。
結果は安藤の負けだった。
じゃんけん小僧はけらけらと笑う。
「残念だったねえ。思いのほか素直だった」
安藤は自分の拳を見つめた。
ほら、やっぱり自分は中途半端で、ヒーローになんかなれやしないのだ。
どうせこうなるのだと、安藤は冷めた視線でいる。
小さな手が、すうと動いた。
すると安藤は、すとんと身体から何かが抜けて行くような、むず痒い感覚を覚えた。言葉では言い難い、異様な感覚だ。今までの人生で感じたことのない奇妙さに、じゃんけん小僧を見つめる。
「名前を失うっていうのが、どういう状況を引き起こすか知ってる?」
じゃんけん小僧は、手の平に見えない何かを乗せながら言った。
「この前の、夏休みの間の話だよ。僕はある高校生とじゃんけん勝負をして、名前を奪った。名前を失った高校生は、言ってしまえば隙だらけなわけだ。名前とはアイデンティティだよ。存在意義。そういうものがあやふやになると、立場が危うくなる。その人がこの世にいたっていう記憶が、しだいに薄れて行く可能性もある。絶対にそうなるわけじゃないけど」
安藤は黙って聞いていた。
これは、例のあの人の話だ。
勝負に勝って名前を奪われた、あの人。
「蒼井さんは妙に彼に執着しているけど、普通は忘れちゃうものなんですよ? ほら、この人の名前、覚えてますか?」
じゃんけん小僧は、安藤の袖を引っ張った。
「もともと大して覚えていない」
衝撃を受け、安藤はぱっと顔を上げる。
勝負に負けて怒っているかと思いきや、蒼井の表情はさほど悪くないように見えた。少なくとも、負けた安藤に対してどうしようという気持ちはなさそうだ。
そりゃそうか、と何となく残念な気分になる。
「そんなん言って、来る時楽しそうに話してたやん。名前なんて、そりゃあ安藤――」
石井は言いかけて、おかしな表情になると押し黙った。
名前。
安藤は、自分の名前について考えてみる。
「俺の、名前……?」
「ほら、もう忘れた」
じゃんけん小僧は笑った。「可哀そうに」と首を振っている。
安藤。
安藤。
安藤。
頭が真っ白になった。苗字は思い出せるのに、下の名前が思い出せない。
何かがあったことは覚えているけれど、空白なのだ。
こんなことって。
唖然とした。
安藤の名前は、奪われてしまったのだ。
さっきのむず痒い感覚は、名前を失った時のものだったのか?
安藤は、白昼夢でも見ている気分だった。
「じゃあ質問です。蒼井さんが探してる人の名は?」
「――――――」
蒼井は、何かを言った。
しかし、すぐに空気に溶けて消えてしまう。声の残りかすすら、消滅してしまっていた。
「何で忘れないんだろ? 蒼井さんって、だから素敵なんだなあ」
「ちょい待ち、その消えた人は、名前を失ったから消えたってことなん? そしたら」
焦ったような石井の目には、安藤が映っている。ぞっとしたのも束の間、じゃんけん小僧は「いやいや」と否定する。
「名前を失っただけで存在が消えるわけじゃない。彼がこんなことになったのは、あのクソ野郎のせいだよ」
「クソ野郎?」
蒼井が問いかけた。じゃんけん小僧は頷く。
「どこで何をしているのかは知らないんですけど、僕の本当の身体と名前を奪った野郎ですよ。僕はそのせいで、仮の身体を強要されてるんです。これじゃ不自由で、生きにくくって。困っちゃってるんですよ」
可愛らしい小学生のように言ったじゃんけん小僧は、「僕って可哀そうなんです」と被害者ぶった。
「え、え。待って、じゃあ、ほんまの身体が戻って来たら、拳ちゃんの身体って」
「返すよ、当然。いらないもん、これ。もう飽きちゃったし」
じゃんけん小僧は、自分の頬を引っ張った。むに、と皮が伸びる。
「飽きたって、人の弟やで! そんな引っ張んな! もっと大切に扱わんかい」
「全く口うるさい奴だね」
じゃんけん小僧は鬱陶しそうに耳を塞ぐと、安藤を見上げた。
「自分の身体さえ戻って来たら、奪った名前は全部返す。もちろん君のもね。本当の身体さえあれば、名前なんていくつもいらない。むしろ邪魔だ」
「そのクソ野郎はどこにいる」
蒼井は、静かに闘志を燃やしていた。低い声色に、安藤は背筋を震わせた。
「僕がわざわざ首を突っ込むまでもなく、すぐに分かりますよ。例の探し人がいなくなった経緯を、よく思い出してみて下さい。僕が言えるのは、これだけです」
じゃんけん小僧は姿勢を正し、ゆっくりと頭を下げた。
石井家の扉は閉められた。
安藤は、石井と目で会話をした。
アホやな。
誰がアホやねん。
安藤は、後悔なんてしていなかった。ただ、自分に嫌気は差したが。
ちらりと蒼井を見れば、空中を睨み付けていた。視線だけで人を殺しそうである。
蒼井という人物は、もっと感情の薄い奴だとばかり思っていたけれど。
じゃんけん小僧の言葉を思い出し、「いなくなった経緯って?」と静かに声をかけてみる。
蒼井はかっと目を開いた。
何事かと思って硬直すれば、石井も動揺しているようで「何?」と小さな声を上げていた。
すると、息継ぎもなしに蒼井はまくし立てた。
「夏休みの少し前僕たちは回文大会に参加した僕が強引に誘ったんだ大会で彼は準優勝していなくなったのはその後のことだった帰ろうと思って振り返ったらいなくなっていたんだ怒って帰ったのかと思って慌てて探したけど見つからなかった、そこから地獄みたいな生活が始まったよ誰もそんな人のことは知らないって言うんだ彼の家が消えていたのを見た時はさすがの僕でも自分の頭がイカレたんだと思ったよ!」
勢いに、思わず後ずさる。
蒼井は自分の頭をがつんと叩くと、また続けた。
「あいつらきっとハメやがったんだ、彼を巻き込めば楽しそうなんて思った僕が馬鹿だった、夏になるとつい愉快な気分になってしまうんだ彼のおかげで! 奴ら、府立大学回文研究会なんて名乗りがって!」
蒼井は怒りを露わにしていた。
風船が一気に割れた後のような、妙な気怠さが辺りを覆う。
つまり、例の消えた人は、怪しげな大会に参加した後行方が知れなくなり、蒼井以外の記憶からも消えてしまったらしい。
回文大会という聞きなれない大会のことはひとまず置いて、安藤は刺激しない声を努めて出した。
「すぐに分かるって言ってたけど、その中に知ってる人はいたん?」
「知ってる人なんて……」
蒼井の表情を見るに、「いるはずがない」と続きそうなところだが、蒼井は口を噤んでしまった。やがて苦々しく言う。
「記憶が混濁している」
つまりは、分からないのだ。
いたかもしれないし、いなかったかもしれない。
苛立ったような蒼井は、続けた。
「犯人が分かったら、とりあえずそいつは殴る。やられたらやり返すんだ、そうでなくちゃ気が済まない」
刺々しい言葉には、大人しさの欠片もない。この短い時間の間に、蒼井倫太郎の印象はずいぶん変わった。
「倍返しどころか、十倍返しくらいの勢いやな」
ははは、と安藤は笑う。
いくら宥めすかそうとしたところで、蒼井の怒りは消えそうにはない。
安藤にちらと目を送った蒼井は、ふいに表情を変えた。
「……彼がいたら、話し合いで解決しろとか生ぬるいことを言いそうだ」
「確かに」
暴力なんて疲れるやろ、とは彼の言いそうなことだ。
そこまで考えて、安藤は表情を消す。
確かにって、何が?
蒼井は目を見開いて安藤を見ていた。
「まさか思い出したのか?」
「いや、そうじゃないけど……何やろ? 急にそんな気がして……」
安藤は動揺した。
分かりそうで分からない。
そんな感情が渦を巻く。
蒼井は視線を下げると、続けた。
「彼は動くのが面倒なだけだ、暑さにめっぽう弱い」
「そ、か」
「あと炭酸にも弱い、そのくせ白米にメロンソーダをぶっかけて食べるんだ」
「白米とメロンソーダ?」
しばらく眉間に皺を寄せて考え込んでいた様子の石井が、突然会話に割って入る。どうやら会話は聞こえていたようだ。
「味覚やばくないか?」
「やばいよ、何が何でも味覚が大雑把すぎる」
「その組み合わせ、試そうとすら思わへんよな」
「だろう」
二人が話す中、安藤はぼそりと「案外いけるかもしれんやん」と擁護するような言葉を吐く。蒼井は安藤へ、珍しいものでも見るような目を向けた。
「そういえば、彼と君は仲が良さそうだったな、というか君が一方的に……もしかして味覚が同士だったとか?」
一方的に、の続きが知りたかったけれど、安藤は口を閉じた。
全ては、思い出せばいいだけの話だ。
断片的に覚えているような、ざわざわした感覚が続くのは、安藤が彼と仲が良かったからなのだろうか、と考える。石井は全く覚えていないし、蒼井ははっきりと覚えているし、そういう距離感によって記憶が変わってきているのかもしれない。
世界から忘れ去られた人なんて、あまりにも悲しい。
自分もそうなる可能性があるのだ。
安藤はぞっとした。
誰だって、自分が一番だ。世のため人の為なんて、偽善だ。少なくとも安藤は、自分はヒーローにはなれないし、自分は自分のために生きるべきだと思っていた。
じゃんけんをしたのは、ただの気まぐれである。
安藤にとってのじゃんけんなど、それ以上でもそれ以下でもなかった。
結果は安藤の負けだった。
じゃんけん小僧はけらけらと笑う。
「残念だったねえ。思いのほか素直だった」
安藤は自分の拳を見つめた。
ほら、やっぱり自分は中途半端で、ヒーローになんかなれやしないのだ。
どうせこうなるのだと、安藤は冷めた視線でいる。
小さな手が、すうと動いた。
すると安藤は、すとんと身体から何かが抜けて行くような、むず痒い感覚を覚えた。言葉では言い難い、異様な感覚だ。今までの人生で感じたことのない奇妙さに、じゃんけん小僧を見つめる。
「名前を失うっていうのが、どういう状況を引き起こすか知ってる?」
じゃんけん小僧は、手の平に見えない何かを乗せながら言った。
「この前の、夏休みの間の話だよ。僕はある高校生とじゃんけん勝負をして、名前を奪った。名前を失った高校生は、言ってしまえば隙だらけなわけだ。名前とはアイデンティティだよ。存在意義。そういうものがあやふやになると、立場が危うくなる。その人がこの世にいたっていう記憶が、しだいに薄れて行く可能性もある。絶対にそうなるわけじゃないけど」
安藤は黙って聞いていた。
これは、例のあの人の話だ。
勝負に勝って名前を奪われた、あの人。
「蒼井さんは妙に彼に執着しているけど、普通は忘れちゃうものなんですよ? ほら、この人の名前、覚えてますか?」
じゃんけん小僧は、安藤の袖を引っ張った。
「もともと大して覚えていない」
衝撃を受け、安藤はぱっと顔を上げる。
勝負に負けて怒っているかと思いきや、蒼井の表情はさほど悪くないように見えた。少なくとも、負けた安藤に対してどうしようという気持ちはなさそうだ。
そりゃそうか、と何となく残念な気分になる。
「そんなん言って、来る時楽しそうに話してたやん。名前なんて、そりゃあ安藤――」
石井は言いかけて、おかしな表情になると押し黙った。
名前。
安藤は、自分の名前について考えてみる。
「俺の、名前……?」
「ほら、もう忘れた」
じゃんけん小僧は笑った。「可哀そうに」と首を振っている。
安藤。
安藤。
安藤。
頭が真っ白になった。苗字は思い出せるのに、下の名前が思い出せない。
何かがあったことは覚えているけれど、空白なのだ。
こんなことって。
唖然とした。
安藤の名前は、奪われてしまったのだ。
さっきのむず痒い感覚は、名前を失った時のものだったのか?
安藤は、白昼夢でも見ている気分だった。
「じゃあ質問です。蒼井さんが探してる人の名は?」
「――――――」
蒼井は、何かを言った。
しかし、すぐに空気に溶けて消えてしまう。声の残りかすすら、消滅してしまっていた。
「何で忘れないんだろ? 蒼井さんって、だから素敵なんだなあ」
「ちょい待ち、その消えた人は、名前を失ったから消えたってことなん? そしたら」
焦ったような石井の目には、安藤が映っている。ぞっとしたのも束の間、じゃんけん小僧は「いやいや」と否定する。
「名前を失っただけで存在が消えるわけじゃない。彼がこんなことになったのは、あのクソ野郎のせいだよ」
「クソ野郎?」
蒼井が問いかけた。じゃんけん小僧は頷く。
「どこで何をしているのかは知らないんですけど、僕の本当の身体と名前を奪った野郎ですよ。僕はそのせいで、仮の身体を強要されてるんです。これじゃ不自由で、生きにくくって。困っちゃってるんですよ」
可愛らしい小学生のように言ったじゃんけん小僧は、「僕って可哀そうなんです」と被害者ぶった。
「え、え。待って、じゃあ、ほんまの身体が戻って来たら、拳ちゃんの身体って」
「返すよ、当然。いらないもん、これ。もう飽きちゃったし」
じゃんけん小僧は、自分の頬を引っ張った。むに、と皮が伸びる。
「飽きたって、人の弟やで! そんな引っ張んな! もっと大切に扱わんかい」
「全く口うるさい奴だね」
じゃんけん小僧は鬱陶しそうに耳を塞ぐと、安藤を見上げた。
「自分の身体さえ戻って来たら、奪った名前は全部返す。もちろん君のもね。本当の身体さえあれば、名前なんていくつもいらない。むしろ邪魔だ」
「そのクソ野郎はどこにいる」
蒼井は、静かに闘志を燃やしていた。低い声色に、安藤は背筋を震わせた。
「僕がわざわざ首を突っ込むまでもなく、すぐに分かりますよ。例の探し人がいなくなった経緯を、よく思い出してみて下さい。僕が言えるのは、これだけです」
じゃんけん小僧は姿勢を正し、ゆっくりと頭を下げた。
石井家の扉は閉められた。
安藤は、石井と目で会話をした。
アホやな。
誰がアホやねん。
安藤は、後悔なんてしていなかった。ただ、自分に嫌気は差したが。
ちらりと蒼井を見れば、空中を睨み付けていた。視線だけで人を殺しそうである。
蒼井という人物は、もっと感情の薄い奴だとばかり思っていたけれど。
じゃんけん小僧の言葉を思い出し、「いなくなった経緯って?」と静かに声をかけてみる。
蒼井はかっと目を開いた。
何事かと思って硬直すれば、石井も動揺しているようで「何?」と小さな声を上げていた。
すると、息継ぎもなしに蒼井はまくし立てた。
「夏休みの少し前僕たちは回文大会に参加した僕が強引に誘ったんだ大会で彼は準優勝していなくなったのはその後のことだった帰ろうと思って振り返ったらいなくなっていたんだ怒って帰ったのかと思って慌てて探したけど見つからなかった、そこから地獄みたいな生活が始まったよ誰もそんな人のことは知らないって言うんだ彼の家が消えていたのを見た時はさすがの僕でも自分の頭がイカレたんだと思ったよ!」
勢いに、思わず後ずさる。
蒼井は自分の頭をがつんと叩くと、また続けた。
「あいつらきっとハメやがったんだ、彼を巻き込めば楽しそうなんて思った僕が馬鹿だった、夏になるとつい愉快な気分になってしまうんだ彼のおかげで! 奴ら、府立大学回文研究会なんて名乗りがって!」
蒼井は怒りを露わにしていた。
風船が一気に割れた後のような、妙な気怠さが辺りを覆う。
つまり、例の消えた人は、怪しげな大会に参加した後行方が知れなくなり、蒼井以外の記憶からも消えてしまったらしい。
回文大会という聞きなれない大会のことはひとまず置いて、安藤は刺激しない声を努めて出した。
「すぐに分かるって言ってたけど、その中に知ってる人はいたん?」
「知ってる人なんて……」
蒼井の表情を見るに、「いるはずがない」と続きそうなところだが、蒼井は口を噤んでしまった。やがて苦々しく言う。
「記憶が混濁している」
つまりは、分からないのだ。
いたかもしれないし、いなかったかもしれない。
苛立ったような蒼井は、続けた。
「犯人が分かったら、とりあえずそいつは殴る。やられたらやり返すんだ、そうでなくちゃ気が済まない」
刺々しい言葉には、大人しさの欠片もない。この短い時間の間に、蒼井倫太郎の印象はずいぶん変わった。
「倍返しどころか、十倍返しくらいの勢いやな」
ははは、と安藤は笑う。
いくら宥めすかそうとしたところで、蒼井の怒りは消えそうにはない。
安藤にちらと目を送った蒼井は、ふいに表情を変えた。
「……彼がいたら、話し合いで解決しろとか生ぬるいことを言いそうだ」
「確かに」
暴力なんて疲れるやろ、とは彼の言いそうなことだ。
そこまで考えて、安藤は表情を消す。
確かにって、何が?
蒼井は目を見開いて安藤を見ていた。
「まさか思い出したのか?」
「いや、そうじゃないけど……何やろ? 急にそんな気がして……」
安藤は動揺した。
分かりそうで分からない。
そんな感情が渦を巻く。
蒼井は視線を下げると、続けた。
「彼は動くのが面倒なだけだ、暑さにめっぽう弱い」
「そ、か」
「あと炭酸にも弱い、そのくせ白米にメロンソーダをぶっかけて食べるんだ」
「白米とメロンソーダ?」
しばらく眉間に皺を寄せて考え込んでいた様子の石井が、突然会話に割って入る。どうやら会話は聞こえていたようだ。
「味覚やばくないか?」
「やばいよ、何が何でも味覚が大雑把すぎる」
「その組み合わせ、試そうとすら思わへんよな」
「だろう」
二人が話す中、安藤はぼそりと「案外いけるかもしれんやん」と擁護するような言葉を吐く。蒼井は安藤へ、珍しいものでも見るような目を向けた。
「そういえば、彼と君は仲が良さそうだったな、というか君が一方的に……もしかして味覚が同士だったとか?」
一方的に、の続きが知りたかったけれど、安藤は口を閉じた。
全ては、思い出せばいいだけの話だ。
断片的に覚えているような、ざわざわした感覚が続くのは、安藤が彼と仲が良かったからなのだろうか、と考える。石井は全く覚えていないし、蒼井ははっきりと覚えているし、そういう距離感によって記憶が変わってきているのかもしれない。
世界から忘れ去られた人なんて、あまりにも悲しい。
自分もそうなる可能性があるのだ。
安藤はぞっとした。
誰だって、自分が一番だ。世のため人の為なんて、偽善だ。少なくとも安藤は、自分はヒーローにはなれないし、自分は自分のために生きるべきだと思っていた。
じゃんけんをしたのは、ただの気まぐれである。
安藤にとってのじゃんけんなど、それ以上でもそれ以下でもなかった。
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