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其の三 回文
六
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府立大学回文研究会主催第二十六回回文大会は、無事に閉会を迎えた。
有村は、優勝トロフィーは逃したものの、研究会のメンバーたちと熱い握手を交わした。
「第二十七回の大会にも、きっと参加してや」
「俺たちももっと強くなるからな」
口々に言われて、有村は会釈を返す。正直なところ、気分は悪くない。でも、次の回文大会に参加することはないだろうと思った。
地面治は真面目そうな眼鏡を光らせて、深々と頭を下げる。
「今日はありがとうございました。これ以上ないくらい盛り上がった大会となりました。次は是非、蒼井さんにも参加していただきたく思います」
「僕は有村君を見ているのが楽しいので」
蒼井の言葉ははっきりとしていた。大会に参加するつもりはないと、はっきり意思を示す。名残惜しそうな視線は蒼井をずっと追いたがっていたが、やがて「それは残念です」と引き下がった。
「では、いつでもここに遊びに来てください。回文研究会は、蒼井さんをいつでも歓迎します」
研究会の面々は、手を振って蒼井を見送った。
蒼井は最近、厄介な奴らに気に入られてばかりだ。名前を覚えてもらえないのも辛いけれど、執着されすぎるのもしんどそうやな、と有村は考えた。
まして蒼井だ。蒼井倫太郎は、一人を好む性質である。
いつだか蒼井は言っていた。大勢に囲まれるといっそう孤独を感じるから、多くても三人くらいで十分だ、それ以上は必要ない、と。
「行こう」
蒼井は後ろを振り返ることなく歩いて行く。颯爽とした迷いのない足取りは、安心感があった。蒼井はこういう奴なのである。
有村も歩き出そうとして、ぴたりと動きが止まる。
「え?」
明かりが消え、星の煌めきすらない夜、音の全ては闇に吸収されてしまったようだった。
上を見ても下を見ても暗闇、蒸し蒸しとした空気は夏の終わりすら見えない、不快感だらけだ。
何だこれは?
有村は、現実とは思えない空間に目を見張る。蒼井の姿は見えない。研究会のメンバーも見えない。車も道も、建物も見えない闇である。感じるのはねっとりとした空気だけだ。有村はじんわりと汗をかく。
前にも後ろにも行けず、立っているのがやっとだ。
これでは、自分の姿さえも見えない。
存在の危うさを感じて、有村は微かに震えた。
「君、本当は名前がなくて、不安で仕方がないんだね」
若い男の声に、背筋が凍る。背後から響いた声には、聞き覚えがあった。
見透かすような声の男を、振り返る勇気はない。
「回文こそが真理だ。宇宙とは、常に巡り巡っているもの――今回の大会は、そういう主旨で開催された。ふふ、そんなことは僕にとってはどうでも良いけど、目的のために、手段なんて選んでいられないんだ。奪うか奪われるか、世の中とはそういうものだよ。強者こそが正義なんだ。負けた者に価値はない」
暗闇の中、文字が回り、視界が回り、宇宙が回る。
宇宙船司令官が笑いながらブラックホールに吸い込まれて行く映像が頭の中に流れ込み、意識がしだいに遠のいて行く。
いったい、何だこれは。
有村は必死に考えた。
訳の分からない回文大会。
準優勝。
蒼井倫太郎。
強く目を閉じ、意識の中で映像を繋ぐ。
強者こそが正義だなんてルールは、横暴過ぎて目も当てられない。負けたら価値がないなんて、あまりにもひどすぎる。真理なんて知ったことではないけれど、もっとこの世は優しくあるべきだ。一人一人が認められ、もっと、みんなが自分らしく――。
「そんな世界は存在しない」
意識が途切れた。
―――――
蒼井の機嫌はずいぶんと良く、笑みを浮かべないまでも鼻歌を歌い出しそうな雰囲気がある。ふふ、と鼻で笑うようにしてから言った。
「今回は残念だったな、でも良かったじゃないか、新たな才能が発見出来たわけだから、今後何かに役に立つこともあるかもしれない、ちなみに、上から読んでも下から読んでも同じ名前なんて僕からすれば奇妙だし、幸せになれるとはとうてい思えないから、回文研究会との縁はこれできっかり断ち切るつもりだよ、ややこしいからね。はは、それにしても、有村君が改名の誘いに乗りそうな素振りを見せた時はちょっと驚いた、言っておくけど僕は、有村君の名前を案外――」
ふいに、言葉が切れる。
蒼井は振り返り、きょろきょろと辺りを見回した。
「あれ?」
目を瞬かせ、首を傾げる。
「どこ行った?」
有村は、優勝トロフィーは逃したものの、研究会のメンバーたちと熱い握手を交わした。
「第二十七回の大会にも、きっと参加してや」
「俺たちももっと強くなるからな」
口々に言われて、有村は会釈を返す。正直なところ、気分は悪くない。でも、次の回文大会に参加することはないだろうと思った。
地面治は真面目そうな眼鏡を光らせて、深々と頭を下げる。
「今日はありがとうございました。これ以上ないくらい盛り上がった大会となりました。次は是非、蒼井さんにも参加していただきたく思います」
「僕は有村君を見ているのが楽しいので」
蒼井の言葉ははっきりとしていた。大会に参加するつもりはないと、はっきり意思を示す。名残惜しそうな視線は蒼井をずっと追いたがっていたが、やがて「それは残念です」と引き下がった。
「では、いつでもここに遊びに来てください。回文研究会は、蒼井さんをいつでも歓迎します」
研究会の面々は、手を振って蒼井を見送った。
蒼井は最近、厄介な奴らに気に入られてばかりだ。名前を覚えてもらえないのも辛いけれど、執着されすぎるのもしんどそうやな、と有村は考えた。
まして蒼井だ。蒼井倫太郎は、一人を好む性質である。
いつだか蒼井は言っていた。大勢に囲まれるといっそう孤独を感じるから、多くても三人くらいで十分だ、それ以上は必要ない、と。
「行こう」
蒼井は後ろを振り返ることなく歩いて行く。颯爽とした迷いのない足取りは、安心感があった。蒼井はこういう奴なのである。
有村も歩き出そうとして、ぴたりと動きが止まる。
「え?」
明かりが消え、星の煌めきすらない夜、音の全ては闇に吸収されてしまったようだった。
上を見ても下を見ても暗闇、蒸し蒸しとした空気は夏の終わりすら見えない、不快感だらけだ。
何だこれは?
有村は、現実とは思えない空間に目を見張る。蒼井の姿は見えない。研究会のメンバーも見えない。車も道も、建物も見えない闇である。感じるのはねっとりとした空気だけだ。有村はじんわりと汗をかく。
前にも後ろにも行けず、立っているのがやっとだ。
これでは、自分の姿さえも見えない。
存在の危うさを感じて、有村は微かに震えた。
「君、本当は名前がなくて、不安で仕方がないんだね」
若い男の声に、背筋が凍る。背後から響いた声には、聞き覚えがあった。
見透かすような声の男を、振り返る勇気はない。
「回文こそが真理だ。宇宙とは、常に巡り巡っているもの――今回の大会は、そういう主旨で開催された。ふふ、そんなことは僕にとってはどうでも良いけど、目的のために、手段なんて選んでいられないんだ。奪うか奪われるか、世の中とはそういうものだよ。強者こそが正義なんだ。負けた者に価値はない」
暗闇の中、文字が回り、視界が回り、宇宙が回る。
宇宙船司令官が笑いながらブラックホールに吸い込まれて行く映像が頭の中に流れ込み、意識がしだいに遠のいて行く。
いったい、何だこれは。
有村は必死に考えた。
訳の分からない回文大会。
準優勝。
蒼井倫太郎。
強く目を閉じ、意識の中で映像を繋ぐ。
強者こそが正義だなんてルールは、横暴過ぎて目も当てられない。負けたら価値がないなんて、あまりにもひどすぎる。真理なんて知ったことではないけれど、もっとこの世は優しくあるべきだ。一人一人が認められ、もっと、みんなが自分らしく――。
「そんな世界は存在しない」
意識が途切れた。
―――――
蒼井の機嫌はずいぶんと良く、笑みを浮かべないまでも鼻歌を歌い出しそうな雰囲気がある。ふふ、と鼻で笑うようにしてから言った。
「今回は残念だったな、でも良かったじゃないか、新たな才能が発見出来たわけだから、今後何かに役に立つこともあるかもしれない、ちなみに、上から読んでも下から読んでも同じ名前なんて僕からすれば奇妙だし、幸せになれるとはとうてい思えないから、回文研究会との縁はこれできっかり断ち切るつもりだよ、ややこしいからね。はは、それにしても、有村君が改名の誘いに乗りそうな素振りを見せた時はちょっと驚いた、言っておくけど僕は、有村君の名前を案外――」
ふいに、言葉が切れる。
蒼井は振り返り、きょろきょろと辺りを見回した。
「あれ?」
目を瞬かせ、首を傾げる。
「どこ行った?」
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