蒼井倫太郎の愉快な夏

糸坂 有

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其の二 大食い

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 長く見える夏休みも、終わってしまえばあっという間に感じるものだ。有村は、今までの夏休みで痛いほどに実感していた。いつだって、体感としては三日くらいで夏休みは終わってしまう。次の夏休みこそ、と意気込むものの、次の夏休みがきたところで何をすれば良いのかは分からない。ただ時間が過ぎるのを名残惜しく見つめることしか出来ない。
 クーラーの中、ごろごろと一日を暮らすのは天国である。出来ることなら一生こうしていたかった。窓の外の太陽なんて、見るだけでうんざりである。いっそのこと爆発しちまえと思ってしまうが、本当に爆発されると人類の危機になってしまうので、太陽様と手を合わせて崇めて機嫌を取るのが関の山だ。
 夏休みの宿題はさっさと終わらせるタイプなので、目下心配事もない。有村は気ままに一日を過ごしていたが、あえて一つ挙げるとすれば、気になるのはやはり曽根あずきである。可愛い彼女と云々という下心ではなく、ただ気になるのだ。この感情に名前を付けるのなら、知的好奇心、とでもいうのだろうか。
 蒼井の顔がちらついて、有村は頭を抱えた。
 実は、有村は曽根あずきにまた会ったのである。
 二度目の曽根との対面は、昨晩のことだ。
 ところで、ガリガリ君という名を聞いたことのある人はいるだろうか。ガリガリ君と聞けば、多くの人はとある人物の顔を思い浮かべることだろう。口のやたらと大きな少年について、有村は大した知識を持っていないが、彼こそが商品名と同じくガリガリ君であることを知っている。
 有村と曽根が出会ったその日、有村はコンビニに彼を求めに行った。迫力のある彼に時々会いたくなるのは、人間の性であろう。以前、蒼井がメロンソーダ味を小さな口でカリカリと齧りながら、歴代ガリガリ君の解説をしていたのを思い出したからかもしれない。
 とにかく有村は、陽が落ちるのを待って近くのコンビニへと向かった。ないのならいいや、面倒くせえ、などという暑さゆえの諦めモード発動中の有村だが、今回ばかりは欲望に忠実に、行動を起こすことに成功した。夏休みで暇を持て余していたことが最大の理由だった。幸い、徒歩三分の労力を惜しむことはなかった。
 ようやく打ち勝ったぞ、と意気揚々コンビニへ入った有村は、ガリガリ君を求めて一直線に店内の冷凍コーナーへ向かう。
 店内には店員が一人と、客が一人見えた。暇そうである。店内の放送を聞きながら、最も奥にある棚を覗いた時、有村はぎょっとした。
 カゴへ一心不乱にアイスを入れ続ける、曽根がいたからだ。
「…………」
 恐怖を感じるほどの真剣さに、有村はそっと棚へ身を隠した。奇行を見ると隠れたくなる癖があるのだ。きっと誰だってそうだろう。
 すらりとした手足。長い黒髪。
 恐怖の女は、どう見ても間違いなく曽根あずきである。
 怖いもの見たさで、もう一度そっと覗き込む。店内の全てのアイスを買い尽くさんと、血走った目で手を動かし続ける美女は、狂気であった。カゴにはすでに、たくさんの氷菓が山のように入っている。それでもまだまだ足りないというのだろうか。距離を取り、適当にやり過ごすべきか考えていると、その手がガリガリ君へ伸ばされようとする瞬間を目撃した。静観しているうちに、全て買いつくされてしまわないだろうか。
 有村の胸の内はざわついた。せっかく出て来たというのに、徒労で終わっては報われない。曽根は、まだまだ手を止める気配はなかった。
 いくか、いかないか――迷っていると、曽根がふいに顔を上げた。
 ばちっと目が合う。
 しまったと思う前に、動いたのは曽根である。
「蒼井さんのクラスメイトの――」
 目をぱちぱちとさせて記憶を探っている様子は、可愛らしい。血走った視線から一転、繕うように表情を和らげた。
 どうにも名前を忘れられているようなので、有村は自ら名乗る。
「有村です」
「そう、ありむらさん!」
 曽根は申し訳なさそうに視線を下げてから、「こんばんは」と挨拶をする。以前の硬い印象とはまるで違い、柔らかく親近感があった。
 違和感を覚えつつも、間近で美人の笑みを受けてしまい、有村はうっかり照れた。いくら奇行の美人と言えども、美人には人間みな絆されるものである。
 曽根はつーとカゴの中へ視線を落とす。山のようになったアイスを前に苦笑しながら、「買い過ぎですよね」と笑う。
 そうですねとは言えないので、「好きなんですね、アイス」と返した。
「暑いから、つい」
 大食いチャレンジをするくらいだから、曽根は生来大食いなのだろう。有村と同類だ。アイスなんて口に入れれば一瞬で消えてしまう、頼りない食べ物であるからして、満足のいくまで食べようとすると、一個や二個ではとうてい足りない。とはいえ有村は冷たいものをたくさん食べられない性質なので、アイスを大量に買い込むことはしない。同類でも分かり合えないことはたくさんある。
「ですよね。僕も同じです」
「あ、すいません、私先に取っちゃってました?」
「いえ、僕が欲しいのはこれだけなので」
 ガリガリ君を手にすると、曽根は目を瞬かせて「それだけですか?」と言った。有村は返答し、そのまま会釈をしてレジへ向かう。
 正直なところ、綺麗なお姉さんと何を話せばいいのやら分からない。何となく曖昧にして別れて、これで終りにしようと思ったのだ。有村は、曽根に言い寄るつもりなどない。向こうだって、有村に用事なんてないはずである。蒼井との様子を見ている限り、フランクな人でもなさそうだ。
 コンビニを出て信号が青になるのを待っていると、「有村さん」と後ろから声をかけられた。曽根である。
 まさかの事態に、有村は「へ?」と素っ頓狂な声が出る。曽根はにこにことして、有村の隣に立った。
「私もこっちなんです」
 フローラルな香りが花を擽った。強烈な違和感に、有村は口を噤む。あの時、大食いチャレンジをしていた曽根とはまるで別人だ。人が変わったようである。
 両肩にアイスという出で立ちの曽根へ、「重くないですか?」と問いかけてみると、「いいえ」と力強い声が返って来た。
「これは幸せの重みなので、重いだなんて思わないんです」
「そうなんですか」
 有村は笑いながら、これは、と思う。
 大人しいだけの人間がいないだけでなく、綺麗なだけの人間もいるわけがない。第一印象とはずいぶん印象が違う人だ。曽根は蒼井の前では緊張するだけで、普段はこんな人なのかもしれない。有村のように何とも思っていない人間の前では、割とフランクなのだろう。
 悲しいやら何やらと思っていると、曽根は急いだように「あの」と有村を見上げる。
「有村さんは蒼井さんのクラスメイトなんですよね。高校からの友達なんですか?」
 ほほう、と名探偵有村はピンとくる。
 信号が青になるまでの僅かな間を利用し、曽根は蒼井の情報を聞き出そうとしているのではないか?
 案外したたかなのだろうかと思いながら、返答をする。
「中学から何となく一緒にいるって感じですね」
「へえ。良いですね、同級生。私も同い年だったら良かったんですけど」
「曽根さんは大学生ですよね」
「そうです。高校はもう卒業しちゃいました」
「曽根さんが同級生やったら、むしろ話す機会なさそうですけどね」
「そうですか? あの、蒼井君って、学校ではどんな感じなんですか?」
 曽根は、ぐいと距離を詰めて来る。近くで見ても綺麗で、アイドルグループのセンターでも十分務まる顔面力だ。美人大食いタレントとしてテレビに出れば、人気が出ることだろう。そんなことを頭の隅で考えながら、何と返したものか、有村は少し悩んだ。
 正直に言ったところで、曽根の好奇心が満たされるとは思えない。多少脚色すべきか、しかしそんなことをしたところで何の意味がある?
 曽根は、有村の心を察したか、女神のように微笑んだ。
「実は蒼井さんのことは、何というか……私は蒼井さんのファンなんです」
「ファン?」
 今まで出た事のない場所から汗が出る。
 蒼井のファン。
 この世で最も不可思議な言葉の羅列である。理解が及ばず、「はあ」と言葉にならない声が出た。
 信号が青になって、曽根のリードで歩き出す。
「他人が何をしようと関係ない、みたいなところあるじゃないですか。日本人なんて集団行動が基本ですし、そこからはみ出るって恐怖ですよね。でも、蒼井さんは軽々と飛び越えちゃうんです。はみ出しても、いじめられるって感じもなさそうじゃないですか。出る杭は打たれるわけでもないし、蒼井さんって独特ですよね」
 半歩先を歩く曽根を見つめ、有村は眉を潜める。
 大人しくてつまらない、空気。
 有村は、当初蒼井のことをそんな風に思っていた。蒼井は教室でもめったに話さないし、人形のように反応も薄かった。いじめの対象になるのは、良くも悪くも目立つ奴である。曽根は蒼井を「はみ出し者」「出る杭」などと言うが、有村から見た蒼井はそれとは異なった。いじめる甲斐すらない、存在感の薄い奴だったのだ。
 蒼井の本性を知ってからは、「空気」など思いもしないが、蒼井はいまだ、クラスメイトたちにとっては空気的でいる。それこそが蒼井にとっての生存戦略なのかもしれないと、考えることもある。
 信号を渡り切った先で、曽根はぴたりと止まった。
「蒼井君のファンなんて、地球上で曽根さんくらいしかおらんと思いますよ」
「あれ。有村さんは同士じゃないんですか?」
「まさか」
 ファンなんて有り得ない。ファンになる理由なんて一つも見つからなかった。
 曽根はきょとんとした顔をしている。
 蒼井は、一部の人間を引き付ける何かを持っているのだろうか。
「はは、蒼井君は案外大人しい奴ですよ。学校では目立たないタイプで」
「へえ、そうなんですね。意外」
「ファンクラブなんてないですしね」
「それは分かんないですよ。私みたいな人、割といるかも」
「えー? それはどうですかねえ?」
 いるわけがないと思いつつ、当たり障りのない返答をする。
 蒼井は、有村が曽根に言い寄ろうが関知しないと言ったけれど、有村にそんなつもりはない。曽根の眼中にないのは明らかだ。有村は、見込みのない戦いは挑まないタイプである。当たり障りなく、つつがなく会話を終えて別れようと、人畜無害な表情を心がける。
 信号を渡れば有村の家はすぐそこで、ここらで解散かなと思っていると、曽根はさらに会話を続けた。
「あの、有村さんは、たくさん食べる女性をどう思いますか?」
 両手にアイスを持った曽根は、伺うように有村を見上げた。丸い目に見つめられてどきりとするが、有村は平静を装う。
「素敵だと思いますよ」
「そういうものですか? でもあんまりたくさん食べちゃうと、引きませんか?」
「僕がよく食べるので、引くことはないですね」
「ああ、有村さんも大食いチャレンジしてましたもんね。蒼井さんは、どうなんですか? 大食いチャレンジするタイプなんですか?」
「いや、しないですね。普通に食べるとは思いますけど、僕から見たら小食で。大食いチャレンジしても十中八九失敗しますね」
「へえ、そうなんですか」
「早食いとかしなさそうですし、ああ、メロンソーダをめっちゃ飲んでるイメージですね」
「それはそうですよね。蒼井さんって私がバイトしているお店によく来るんですけど、いつもメロンソーダを注文してますから。蒼井さんを真似して、私もメロンソーダをよく飲むようになりました」
「へー」
 僕は炭酸系は苦手なんですけどね、なんて話はしないで、相槌だけに留める。曽根は有村の嗜好などには興味がなさそうだった。
「メロンソーダとか、メロンパンとか。蒼井さんにとっては、メロンを使ってないのにメロンって呼ぶ、そういうところがツボみたいですね。実際にメロンを使って作ってるものもあるでしょうけど」
「足裏のツボを押すと胃の不調が治る的な話ですか?」
「それはちょっと分かりませんけど」
 分かり合えなかったところで、曽根はふと顔を上げた。それからアイドル顔負けの綺麗な顔で微笑む。有村がどきりとした隙を狙うように、口を開いた。
「食べるって、不思議ですよね」
「というと?」
 唐突に哲学の話でも始める気だろうか。
 曽根は髪を耳にかけると、横目でいたずらっぽく有村を見た。
 食べるって、不思議。
 有村は、曽根の言葉を反芻した。
 誰しも、食べなければ死んでしまう。食べて、生きて、死ぬ。それの繰り返しだ。不思議だなんて感じたことがなくて、有村はピンと来なかった。食べるのは好きだし、有村は特にたくさん食べがちだけれど、それは生き物が生き物たる所以である。不思議なんて一つもない。
 曽根は続けた。
「例えば……豚肉を食べたら私は豚になって、茄子を食べたら私は茄子になって、鮭を食べたら私は鮭になる。そういうことを考えるんです。食べるたびに、身体がどんどん変化していくことを想像すると、ちょっと楽しくなるんです」
 有村は目を瞬かせた。有村はフードファイターではないし、アスリートでもない。食による身体の変化など、大して気にしていなかった。ましてや、茄子を食べたら茄子になるなんて、考えたこともない。
「面白いこと考えるんですね」
「そうですか? そう考えると、私って何にでもなれちゃうんですよ。なりたいものを食べれば良いんです」
「空飛びたかったら鳩肉食べる、みたいなことですか?」
「鳩、そう、うーん、まあそんな感じですかね?」
 どうにも、有村と曽根はかみ合わないようである。蒼井が卓球だと言っていた「スコンパン」について、有村は何となく理解できたような気がした。今回も、曽根が妥協した形だ。会話は尻すぼみである。曽根の蒼井という目的がなければ、会話はとっくに終了している。
 それはそれとして、有村は腕を組んで考えた。
 食べたものになる。
 なりたいものを食べる。
 曽根の発想は、とてもユニークに思えた。
「曽根さんは、何になりたいんですか?」
「私以外の何モノかになりたいっていう願望が、常にあるんですよね。私って、弱いんですよ。昔から何をやっても負けるし、人の視線が気になってすぐにうつむいちゃうし……声が大きくて我を通せる人が、この世では強いんです。私みたいなのは、悪くなくてもすぐすいませんって言って、周りの顔色を窺うんです。そやから、蒼井さんのことは、すごく……憧れます」
 すいませんと誤る腰の低い蒼井を想像し、有村は噴き出しそうになる。周りの顔色を窺うなんて、蒼井に出来るかどうか分からない。
 人は誰しも、自分に出来ないことが出来る人に憧れるものだ。それがこじれると、嫉妬になる場合もあるかもしれない。
 曽根はたまたま蒼井と出会い、あんな厄介な人物に憧れてしまったのである。
「曽根さんは蒼井君みたいになりたいんですか?」
 面倒な奴ですけど、とは言わない。あんなん憧れるもんちゃいますよ、と言いたくても言わない。
 あんな奴止めておけば、とは思うけれど、やはり言うことは出来ない。曽根の意志を尊重し、曖昧に頷く。
 ファンだとか憧れだとか、曽根の心情は複雑怪奇だ。これを恋と一言で表現してしまうのは違う気がするし、有村に曽根の気持ちなど一ミリも理解出来ない気がした。
 はっきりしているのは、曽根のような美人の隣に辛気臭い顔をした蒼井なんて、絶対に似合わないということだけだ。
「蒼井さんを食べたら、私は蒼井さんになれるんでしょうか」
「え」
 有村は顔を上げた。曽根の表情に笑みはない。空は真っ黒だ。コンビニの明かりや、行き交う車のランプが曽根の顔を照らす。空に星はわずかばかり瞬いているが、気持ちに余裕のない人間が見つけられるものではない。
 冗談を言っている雰囲気ではなく、有村は狼狽えた。
 食べる?
「ええと、食べるって……?」
 なりたいものを食べる、という話の流れからすると、曽根は蒼井に憧れているのだから蒼井を食べたいと思うのは、道理だ。道理、だろうか?
 有村は、厨房で調理され、むしゃむしゃと曽根の口へ運ばれる蒼井の姿を想像した。ホラーである。
 ははは、と有村は笑った。顔は引きつっていたかもしれない。こんなことを真面目に言う人がいるわけがないし、曽根だって冗談のつもりで言っているのだと思って、「いやいや」と軽い調子で首を振る。
「なれへんと思いますけど」
「そうですか?」
「そうですよ!」
 有村は力強く答えた。
「食べてなれるんやったら、綺麗な女優さんとか格好良い俳優さんはみんな食べられてますって」
「実はみんな食べられてて、別人がどんどん入れ替わってるとかはないんですか?」
「それはただのホラーですよ!」
 人食いが日常化している現代社会なんて、考えただけでもぞっとする。逆に食べられない人間は他人から憧れられる点がないことになるので、それもそれで何か嫌である。
「私、食べることだけが唯一の楽しみなんです。他に楽しいことなんて一つもない。嫌なことばっかりやなーって。蒼井さんを見てると、なんか……羨ましくて。欲しいなって、思っちゃう」
「いや、あいつはそんな良いもんちゃいますよ。屈折してる奴です」
「自分の意見をはっきり持ってる人って、素敵です」
「日本では、逆に嫌われることありますけどね。空気を読むのが日本人の得意技なんで」
「つまんない国ですよね」
 曽根は、脱力したように空を見上げる。
 太陽がないとはいえ、熱帯夜である。長時間いれば、当然汗も出て来る。三分のつもりが、いつの間にか十分だ。
 有村の汗が頬を伝った。
「蒼井さんを、私にくれませんか?」
「ええーっと、蒼井君は僕の所有物じゃないんですけど」
「でも、仲良しですよね」
「話の流れからして、欲しいっていうのはあれですよね、食べたいっていうか」
 曽根は頷くことなく、控えめな笑顔を浮かべるだけだ。
 目が怖い。まるで光がなく、焦点が合っていないようにも見える。
 本心が見えない。冗談です、と笑うこともない。
 何だこれは?
「僕じゃなくて、蒼井君の両親に言うべきじゃ?」
「そっか。でも、会ったことないんで」
「紹介しますよ」
「本当ですか? 蒼井さんのご両親だったら、蒼井さんに似てきっと美味しそうなんでしょうね」
「あ、前言撤回、やっぱり仕事忙しそうなんで、ちょっとどうかな」
「それは残念」
 曽根は、アイスが溶けるのを厭わない。有村の前に立ち、「蒼井をあげます」の言葉を待っている。
 やりたいなら勝手にやってくれ――と言いたくても言えない。背中を大量の汗が流れる。
「私、欲しいものもやりたいこともないまま、大学生になっちゃいましたけど、今はっきり分かりました。私が欲しいのは蒼井さん」
「愛、の話なんですよね?」
「愛?」
 曽根はきょとんとする。
「愛は……もちろん、あります。憧れるから、好きだから食べたいんですよ。食べることってすごく、スピリットです」
「すぴりっと……」
「あなただって、食べたいと本能が叫ぶから食べてるんですよね? 食は愛です。むしろ食こそ究極の愛の表現だと思いませんか? 有村さんも、仲間じゃないですか。蒼井さんは、私の欲求を満たしてくれると思います。だってとっても…………美味しそう」
 曽根の瞳はぎらついている。舌なめずりでも始めそうだ。
 普通じゃない、と有村は思った。
 いくら見た目が可愛くても、こいつはやばい、と本能が告げる。
 冗談ではない。
 曽根は、本気で蒼井を食べたがっている。
 今、有村の前に横たわるのは恐怖である。どんなホラーよりもぞっとする、現実だ。
「有村さん的には、こういう愛のカタチってどう思いますか?」
 にっこり。
 蒼井のような人間は狙われやすい――そんな話を、前に聞いた。
 アイスはもう溶けているんじゃないだろうか。暑いはずなのに、汗も流れるのに、そのくせ背筋はぞっとして、有村はうんともすんとも答えられなくなった。
 どうかと訊かれれば、答えは明白だけれど。
 有村は返答を保留にした。
 何も答えられないでいる間に、曽根はスキップしながら帰ってしまった。
 明るい歩調は、可憐だった。蒼井を食べたいなんて言い出す女には見えない。
 有村は大きな息を吐く。久しぶりに息を吸った気がした。
 これ、またやばいやつや。
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