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二十九

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「本当だ。姉と比べる必要なんてないよ。俺にとって、お前は普通に良い奴だし、面白いし、……全部ひっくるめて、好きだって思う」
「う、嘘じゃないんですか?」
「俺、こんな嘘つかない」
「本当ですか」
「疑り深いな」
「でも、泉井さんは姉みたいな、あ、顔がちょっと似てるからですか?」
「違うよ。お前がお前だから好きだって言ってんだ。何回も言わせんな」
 弟は、ゆらりと立ち上がった。それから、じわじわと顔を赤くしていく。手で顔を覆えば、耳まで真っ赤だった。
「夢なら覚めないでほしいです」
「夢じゃないよ。頬抓ってやろうか」
「お願いします」
 俺は、思い切り頬を抓った。「いたい」と弟は唸り、とろけそうな笑顔を浮かべた。うーん。言葉にならない感想を抱いていると、弟は右手を差し出してきた。
「握手してくれませんか」
「相変わらず、握手好きだな」
「泉井さんだからです。他の人とはこんなことしません。自然に、泉井さんに触れる機会が欲しかっただけです」
「そうなの?」
「じゃあ、何だと思ってたんですか?」
「コミュニケーションツール的な」
「そんな偉いものじゃないです。ただの下心です」
 ぎゅう、と手を握られた。
「いつから、僕のことが好きだったんですか」
「分かんねえよ。気付いたら」
「気付いたら、僕のことばかり考えるようになってたってことですか」
 満面の笑みが、俺を真っ直ぐに射抜く。この目だ。懐かしさに、俺は痺れた。
「……否定したいけど、まあ、そうだ」
「嬉しいです」
 至近距離から声が聞こえて、俺はそれを真っ直ぐに受け止めた。
「僕、ずっと前から、泉井さんのことが好きです」
「……うん」
「大好きです」
「うん」
 それから、俺たちは公園を出た。ぽやぽやとした気持ちである。弟はずっとにまにまとしているし、こっちは穴があったら入りたいしで、落ち着かずそわそわとしてしまう。弟は、そんな俺の様子を楽しんでいるようだ。モテる奴は、やはり違う。恋愛初級の俺とは違い、勝手知ったる風である。
「そうだ。今度、カレーとクッキーを作るので、食べに来てください」
「何で急にカレーとクッキーなんだよ」
「前に言ってたじゃないですか。覚えてませんか? いつか作って食べてもらおうと思ってたんですけど、きっと無理だろうって諦めてたんです。やっと夢が叶います」
「あー、確かに言ってたな。夢って言うと大袈裟だけど」
「大袈裟じゃありません! 人生の醍醐味です」
「ちょっとそれは分かんねえや」
 カレーとクッキー。弟が中学生だった当時を思い出して、自然に笑みが浮かんだ。あれから弟は、何度もカレーやクッキーを作っていたんだろうか。
「ていうか、あの店でバイトしてる理由って何? カレーが評判だからか?」
「理由ですか? そうですね、あそこで食べたカレーがすごく美味しくて、僕もこんなカレーが作れたら良いなと思ったのがきっかけです」
「あー、やっぱりそうか」
 カレー好きをも魅了する味というわけである。カレー作りは奥深いと聞くし、マニアたちは日々試行錯誤してカレーを研究しているのかもしれない。
「全部、泉井さんのことがあったからですよ」
「俺?」
「僕の人生に、泉井さんは多大なる影響を与えています」
「大袈裟な」
「大袈裟じゃありません。だから今度、本当に食べに来て下さい。大学生、大変かもしれませんけど、暇な時いつでも良いので。それとも、ご迷惑でなければ鍋を持って泉井さんの家に行きます。どちらでも、泉井さんのお好きなように」
 弟があまりにも真剣なので、俺は頷くことしか出来なかった。弟は、満足した様子で微笑んだ。たまたまそれを見たらしい通行人の女性は、ほうと溜息を吐いていた。聞いて驚け、これは俺の恋人だぞなんて言うわけはないけれど、内心ではそんな気持ちでいた。
「食べることって、すごいですよね。それが自分の身体になって、明日も生きていくわけじゃないですか。僕が作ったものを食べてもらうってことは、僕が泉井さんの身体を変えていくってことになるじゃないですか」
「何を言ってんだ」
「最高ですよね」
「何を言ってんだ」
「好きです」
 不意打ちの言葉に、俺は目を閉じて噛み締めた。なんて素敵な響きだろうか。何度聞いても心地よく、前向きになれる魔法の言葉である。可愛い奴め。恥ずかしいやら照れくさいやら、穴があったら入りたいやら、いろいろと思うことはあるけれど、総合すれば気分が良い。悪くないどころでなく、今日の天気のように晴れやかだ。ポジティブな感情が溢れてきて、俺はそれらを胸に抱きかかえた。
「言わないと、何も伝わらないと思うから。超能力なんて、なくて良いんです」
「超能力か」
 かつて、そんなことを言われた記憶を掘り返す。俺だって思っていたことだった。
「昔、泉井さんの気持ちが知りたくて、ずっとそんなことを考えていたんです。言ったことあったと思いますけど」
「俺も、ずっと思ってたよ。お前の気持ちが知りたくて」
 弟は、歩みを止めた。ぽっと頬を赤くしている。
「好きです」
「……俺も好き」
 弟は、綺麗な顔で嬉しそうに笑っている。やっぱりこいつは、変に気取ったり、悩んだりしている顔より、こういう表情をしているのが一番良い。そして、ずっと俺を見ていたら良いのだ。
 手を握ってみれば、弟は驚き、俺が好きでたまらないなんて顔をしてから、ぎゅっと握り返してくれた。
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