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二十六

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 俺は、紀ノ川さんから弟の情報を入手することに成功した。アルバイトを始めたのは夏頃からで、学校のない休日の二日間、シフトに入っているそうだ。ストーカーはきっぱり止めたはずだったのに、俺はちょくちょく店の近くへ行っては、通行人を装い中を盗み見た。ちょっとした変装までする始末で、手に負えない。向かいのカフェで勉強しながら様子を伺うなんていうのは、すでに犯罪行為だろうか?
 そうした日々を送るうち、弟が、いわゆる出待ちというものをされている現場に遭遇した。仕事終わり、出て来た弟に駆け寄ったのは、可愛らしい女の子三人だった。私服だから分かりづらいが、おそらく高校生くらいの年齢である。話しかけられ、何かを渡されている。相変わらずモテる奴である。
 すると弟は、首を横に振った。こんなものはもらえない、というジェスチャーだろうか。結局、女の子たちは弟へ何かを渡すことが出来ず、少し落ち込んだ様子で帰って行った。弟は、その背中を見送っている。そして、何気なくこちらを見て、瞬時に視線を逸らす。不自然な動作に、しまったと思う。
 これは、バレたのではないか?
 弟は、項垂れるようにその場で立ち尽くしている。何を考えているのか、表情は固まっていた。決してこちらを見ようとはしない。
 俺は帽子を取ると、勇気も正当性もかなぐり捨てて席を立った。
「よ」
 弟の背中に、自然さを装い話しかける。弟は、数秒後にやっと振り返った。その表情には、複雑な心情を抱えている。
「何だよその顔。弟が前にやってたことだろ。すごく他人の振りされるから、一言言ってやろうと思って」
「何でこんなことするんですか? 泉井さん、受験生ですよね」
「そうだけど」
「知ってました。泉井さんが、よく店の近くまで来てること」
 ショックを受けた。変装までしてバレないようにしていたつもりが、とっくにバレバレだったのである。恥ずかしいやら気まずいやらで、「ふうん」と上ずった声が出た。緊張してしまって、この後何を言えば良いのか分からない。
「泉井さんは優しい人だから、僕に同情してくれているんですよね」
「同情って」
「知ってるでしょう。僕の気持ち」
 気持ち。どくんと心臓が跳ねた。真っ直ぐ真摯な目を見つめ返す度胸はない。
「……知らねーよ」
 自信のない、小さな声が出た。
「知っているはずです」
「知らねーって言ってるだろ。言われないと分からない」
「言ってるのと同じですよ。いや、言いました。どうとも取れる文脈でしたけど、言いましたよ、昔」
「伝わってないなら、言ってないのと同じだ」
 俺はむきになって言い返す。心臓がどくどく音を立てていて、ちゃんと日本語が話せているかは定かではない。弟の反応を見る限り、伝わってはいるようだった。
「言ったところで変わらないなら、僕は言いたくありません」
「変わらないかどうかは分からないだろ」
「分かりますよ。泉井さんは、紀ノ川莉子みたいな可愛い女の子が好きなんです」
 その言葉は、俺の心臓に突き刺さるようになってぱっと消えた。
 キノカワリコミタイナカワイイイオンナノコガスキ。
 一秒経つにつれ、じわじわと言葉の意味が身体中に伝わっていく。その時やっと、全ての辻褄が合った気分になった。かつての弟と最近の弟が、線で繋がる。
 頬が火照る感覚。どきどきと、心臓が鳴っている。
 弟は、俺の顔なんて見ないまま苦し気に眉を寄せた。
「僕のこと、気にかけてもらってるんですよね。でももう良いんです。僕のことは気にしないで下さい」
 当然、紀ノ川さんのことは好きだった。みんなが大好きに決まっている。けれど、紀ノ川さんのことを考えたところで、こんなに心が揺れ動くことはない。こんな気持ちにはならない。どうしてあいつは、勝手なことばかり言うんだろう。俺の気持ちを決めつけて、これが正解だと誤解している。不快なはずなのに、俺の心は爽やかだった。大草原に立っているような、とても爽快な気分である。
「あまりにも勝手だ」
「それは自覚しています。でも、仕方がないんです。泉井さんは、僕のことを好きじゃないでしょう?」
「いや! 俺、弟のこと嫌いじゃないし」
「嫌いじゃない、じゃ駄目なんです。分かりますよね?」
「いや――」
 口を噤んだ。弟は、仏のように穏やかな表情をしている。何も言わずとも分かっています、なんて言い出しそうだ。それは大いなる勘違いである。
 言葉は出なかった。気付けば、弟の背中が消えていった。引き留められなかったのは、俺が憶病なせいだった。
 その場で立ち尽くす。感情を言葉で表すのは難しい。俺は何も言えなかった。
 高校を卒業したら、きっと何もかも終わってしまう。少なくとも、弟はそのつもりだ。時間はない。どきどきと鳴る心臓を抱え、俺は意味もなく駆け出した。
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