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十二

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「泉井君、私の作ったカップケーキはどうだった?」
「え?」
 振り返れば、そこには相川さんが立っていた。教室を一番手で出た俺を、走って追いかけてきたようである。ここは自転車置き場で、二人以外には誰もいない。こんなに早くに帰ろうとする奴なんて、俺くらいらしい。
 完全に気を抜いていた俺は、相川さんの言葉の意味が分からなかった。しかしそれも一瞬で、すぐに俺は理解した。
 カップケーキ。相川さんが佐野に渡したそれを食べたのは、もう三日ほど前のことだ。口角を上げるも、きっと俺の表情は引きつっているに違いない。相川さんは、俺が食べたことを知っているのだ。どこかで見ていたのか。どうやって知ったのか。ぐるぐると疑問が湧いてくるが、俺はぐっと腹の底に押し留めた。今大事なのは、そういうことではない。
「えー? えっと、何の話?」
 へらへらと笑っていると、不気味に穏やかなくせして冷ややかな視線が俺の身体を射抜いた途端、俺はそんな表情もしていられなくなった。
 相川さんは、怒っているのだ。
「えーっと、知ってたんだね、相川さん」
 視線は鋭いまま、にこりと微笑まれる。
「うん、もちろん。佐野君ってそういうの食べない人だもん。でも、万が一のことを考えて、ちゃんと美味しく作ったんだよ? 十中八九、泉井君のお腹の中だろうとは思いつつ」
「あ、へへへ、そうなんだ」
 知ってたのならあげるなよ、と思いつつ、俺は穏便に微笑むことに徹した。
「残念ながら、万が一はなかったけど」
 相川絵美について、俺はあまり知らなかった。同じクラスメイトではあるけれど、頻繁に会話をするわけでもない。相川さんは、突拍子のない人というイメージではあるものの、基本的には言葉少なである。そのため、よけいに何を考えているか分からない。どこに逆鱗があるのか、俺は探るようにして相川さんを見た。
「私はね、自分に対して怒ってるの」
 ぎゅうと拳が握り込まれる。これから何が起こるのか、戦々恐々として待つ。
「佐野君の迷惑も顧みず、自分がしたいって思いだけで動いてしまった。泉井君にも迷惑かけちゃったよね」
「……え? や! いや、俺は全然! むしろ、あのカップケーキすげー美味しかったし、ラッキーだったかなってくらいで!」
 意外な展開である。一瞬呆けて、反応が遅れてしまった。何故かフォローするような形になってしまい、俺が一番驚いている。
 相川さんは、眉間に皺を寄せた。
「……大きな声」
「ご、ごめん」
「違うの。責めたわけじゃなくて、ただ事実の確認。私は声が小さいから、だから違うのかもしれない。泉井君っていつも元気だし、私とは真逆」
「いや、そんなことないと思うけどな」
「そんなことあるの。泉井君、佐野君と仲良しだもんね。嫉妬しちゃう」
「仲良しっていうか、腐れ縁だよ。小学生から一緒だから」
「佐野君は、泉井君みたいな人が好きみたいだから、私も泉井君みたいな人間になれば良いのかなって、思ってるんだ。泉井君はどう思う?」
「えー、っと。好きって、別にそういう意味では」
「私はどういう意味であっても好かれたいの。佐野君が、特別に泉井君のことが好きなのは明白じゃない」
「そんなわけないよ!」
「そんなわけあるから困るの」
 相川さんは、俺の腕を取る。
「泉井君のどこが良いのか、泉井君がどういう人なのか、そこをよく観察して真似をすれば、私も佐野君に好かれるのかもしれない。だから、協力してくれない? 私に、泉井君のことを教えて」
「え?」
 突然のことに付いていけない、というのが正直な感想である。
 あなたのことを教えて欲しい。聞こえは良い言葉だった。しかし、その理由が佐野である。それに、教えろだなんて困る。俺だって、俺のことが分からないのに。
 俺が渋っているように見えたのか、相川さんは「もちろん」と続けた。
「ただでとは言わないわ。私の、紀ノ川莉子秘蔵コレクションと引き換え。良い取引でしょ?」
「ひ、秘蔵コレクション、だって?」
 甘美な響きに、つい反応をしてしまう。紀ノ川さんの名前を出されて、絆されない人間なんてそうそういない。相川さんは、胸ポケットからUSBを取り出した。
「本当は手放したくないの! だけど、だけど……背に腹は代えられない! これで私の覚悟は分かってもらえるはず」
 中に何が入っているのか。想像は膨らむばかりだ。未知数のUSBは震えていた。よほど手放したくないのだ。
「良ければ、さっそくこれから」
「本当に申し訳ないんだけど、俺、用事があって」
 動揺していた割に、俺の判断は思ったよりも早かった。こんなものは受け取れないし、俺のことも教えられない。餌でつられる犬とは程遠く、今の俺は冷静で理知的だ。
「それに、そんなに大事なものをもらう事なんて出来ない。俺のことを知ったところで、佐野に好かれるとも思えないよ。だから」
「だから、駄目なの? ……まさか、断られるなんて思わなかった」
 相川さんは、もう絶対に離さないぞとばかりにUSBを握り締めている。万が一受け取っていたら、なんて想像をしかけて、止めた。
「そういうことだから。じゃあ、またね」
 返事はなかった。相川さんは、ほっとしたような困惑したような、不可思議な表情で突っ立っている。俺が自転車を漕ぎ出しても相川さんは動き出さず、ぽつねんと一人立ち尽くしていた。
 その日以降、相川さんは何かと俺に付きまとってくるようになった。
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