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5章 輪ゴムの指輪
5ー2 プロポーズの亜種だと解釈いたしました
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インスタントコーヒーの粉が入った瓶を開けると、深い香りが鼻腔をくすぐった。
そこからティスプーンで1杯すくい、マグカップの中へ入れる。
ハジメが作業をしているその様子を、俺は至近距離から観察する。
「あの、ご主人様」
「ん?」
「先ほどから私の手をご覧になっていますが……その、写真ではいけないのですか?」
「実物を見ろって言ったのはお前だろ」
「それは指輪のお話でして……」
「あ、そのまま動くな」
俺がそう声をかけると、ハジメは金縛りにあったようにピタリと止まる。
カップの中にはすでに半分ほどのお湯が注がれ、天井へ向かって湯気が立ち昇っている。あまり広くないキッチンの中に、コーヒーの豊かな香りがふわりと広がる。
それを肺一杯に吸い込みながら、俺は画用紙に向かってさらさらと鉛筆を走らせる。
「渋くなってしまいますよ」
「もう少し待ってくれ」
「…………」
ハジメはため息をつき、コーヒーに砂糖と牛乳を足してカフェオレにしてくれた。
そのあいだにもデッサンは増えてゆく。
今度はミルクの甘い匂いが漂ってきて、デッサンの線も心なしか優しいものになってゆく。
紙と鉛筆がこすれる音の響く部屋で、俺は思いついたままを口にする。
「結婚指輪って、きっとお前が淹れてくれてるコーヒーみたいなもんでさ。シンプルだからいいんだよな。毎日でも飽きなくて」
「さようでございますか」
「そりゃ、上にクリームを乗っけたりフレバー入れたりするのもうまいけどさ。キャラメル味とかな。……でも、きっと毎日だと飽きちまう。だから、結局はシンプルなものが一番なんだよ」
カタリと鉛筆を置き、画用紙の中に描かれたいくつものデッサンを眺める。
うん、どうにか形になりそうだ。
テーブルの上でほのかに湯気をゆらしているカフェオレを手に取り、一口飲む。いつものコーヒーもうまいが、もちろんこれはこれでうまい。
「これからも毎日、俺にコーヒーを淹れてくれよ。ハジメ」
そう言って俺はハジメに視線を向ける。
てっきり、ハジメはすぐに了承してくれると思っていた。
だが、いつまで待っても答えは返ってこなかった。奴はなにかを考えるようにテーブルの上を見つめている。
また機嫌を損ねるようなことを言ってしまったのだろうか。
なんとなく気まずくなり、間が持てずにカフェオレを飲む。
そのとき、ようやくハジメが口を開いた。
「では、私に指輪をいただけますか」
「ブフッ!?」
思わずむせかえった。
ゴホゴホと咳き込みながらチラリと視線を向けるが、ハジメはただ静かに俺を見ている。
なにを考えているのか、その表情からはいまいち読み取れない。
そうか、俺は勘違いしていたようだ。
結婚指輪の話をしていたから、てっきりハジメもそういう類のものを欲しがったのかと思ったが、よく考えればそんなわけはない。
「ファッションリングが欲しいんだな? そうだよな?」
確認するように尋ねるが、ハジメは首を振った。
「いえ、ご主人様がおっしゃるような『シンプルなもの』をいただきたいのです」
「待て待て待て」
うろたえながら手を前に突き出す。
アンドロイドとはいえ超絶イケメンにそんなことを言われると、男の俺でも心が穏やかではない。
何度か深呼吸を繰り返し、どうにか気持ちを落ち着ける。
「えーっと、そもそも結婚指輪っていうのはだな……」
「存じております」
「あ、そう……」
ハジメの黒い瞳が、じっと俺を見つめる。
「人間のプロポーズには『毎日みそ汁を作ってくれ』という言い回しがあるそうですね。ご主人様は今しがた、毎日コーヒーを淹れてくれと、そうおっしゃったではないですか。これはプロポーズの亜種だと解釈いたしました」
「待てよ、おい、勝手に解釈すんな」
毎日みそ汁をって、なんでそんな変なこと知ってるんだ。
いったいどこから得た知識だ。
ツッコミの追いつかない俺に、ハジメは深々と頭を下げる。
「ご主人様のお望みどおりにいたします。ですから、そのお約束を守る証として――私がこれからもご主人様にお仕えする証として、指輪をいただきたいのです」
頭を抱えずにはいられなかった。
俺のアンドロイドは、いったいなにを考えているんだ。
「お前、識別環あるだろ」
ため息まじりにそう返してやる。
アンドロイドは外出時に『識別環』と呼ばれるものを装着することが義務付けられている。
幅1センチほどの指輪のような形をしており、内蔵されたマイクロチップに所有者の氏名やアンドロイドの機体番号などといった情報が記録されているものだ。
ハジメが俺の所有物であるという証明など、識別環さえあれば充分なはずだ。
だが、奴は納得できないとばかりに首を振った。
「あれでは意味がありません。所有者が変われば情報も更新されますので」
「……んんっ」
思わずうなり声が出る。
やはりハジメがなにを考えているのか、よくわからない。
結婚指輪のくだりから推察すると、どうやら『永遠の約束』のようなものに興味を持ったんじゃないだろうか。
奴が『今のユーザー』にこだわるのは以前のユーザーに手放された過去があるからなのかもしれないが、どうせそのあたりは聞いても答えをはぐらかされるに決まっている。
「よし、指輪だな! ちょっと待ってろ」
俺は勢いよく椅子から立ち上がり、どすどすと歩いてキッチンの引き出しを開ける。
調味料類の小袋、スポンジの予備、キッチンタイマーなどがごちゃごちゃとしまってある中に手を突っ込み、がさがさとあさる。
目的の物はすぐに見つかった。
「ほら、これでもつけてろよ」
ぐいとハジメの手を引き、薬指にぐるぐると巻きつけたのは、だいだい色の輪ゴムだった。
奴はそれをじっと見つめたあと、嫌味なほど綺麗な顔で笑った。
「お給料の三か月分とおっしゃっていましたね。……まあ、ご主人様の収入でしたらこのくらいが妥当でしょうか」
「なにをっ! そ、そんなに安かねぇよ。いらないなら返せ、返せ!」
取り上げようと手を伸ばすが、ハジメはそれをひょいとかわした。
「嫌でございます。いただいたのですから私のものです」
そこからティスプーンで1杯すくい、マグカップの中へ入れる。
ハジメが作業をしているその様子を、俺は至近距離から観察する。
「あの、ご主人様」
「ん?」
「先ほどから私の手をご覧になっていますが……その、写真ではいけないのですか?」
「実物を見ろって言ったのはお前だろ」
「それは指輪のお話でして……」
「あ、そのまま動くな」
俺がそう声をかけると、ハジメは金縛りにあったようにピタリと止まる。
カップの中にはすでに半分ほどのお湯が注がれ、天井へ向かって湯気が立ち昇っている。あまり広くないキッチンの中に、コーヒーの豊かな香りがふわりと広がる。
それを肺一杯に吸い込みながら、俺は画用紙に向かってさらさらと鉛筆を走らせる。
「渋くなってしまいますよ」
「もう少し待ってくれ」
「…………」
ハジメはため息をつき、コーヒーに砂糖と牛乳を足してカフェオレにしてくれた。
そのあいだにもデッサンは増えてゆく。
今度はミルクの甘い匂いが漂ってきて、デッサンの線も心なしか優しいものになってゆく。
紙と鉛筆がこすれる音の響く部屋で、俺は思いついたままを口にする。
「結婚指輪って、きっとお前が淹れてくれてるコーヒーみたいなもんでさ。シンプルだからいいんだよな。毎日でも飽きなくて」
「さようでございますか」
「そりゃ、上にクリームを乗っけたりフレバー入れたりするのもうまいけどさ。キャラメル味とかな。……でも、きっと毎日だと飽きちまう。だから、結局はシンプルなものが一番なんだよ」
カタリと鉛筆を置き、画用紙の中に描かれたいくつものデッサンを眺める。
うん、どうにか形になりそうだ。
テーブルの上でほのかに湯気をゆらしているカフェオレを手に取り、一口飲む。いつものコーヒーもうまいが、もちろんこれはこれでうまい。
「これからも毎日、俺にコーヒーを淹れてくれよ。ハジメ」
そう言って俺はハジメに視線を向ける。
てっきり、ハジメはすぐに了承してくれると思っていた。
だが、いつまで待っても答えは返ってこなかった。奴はなにかを考えるようにテーブルの上を見つめている。
また機嫌を損ねるようなことを言ってしまったのだろうか。
なんとなく気まずくなり、間が持てずにカフェオレを飲む。
そのとき、ようやくハジメが口を開いた。
「では、私に指輪をいただけますか」
「ブフッ!?」
思わずむせかえった。
ゴホゴホと咳き込みながらチラリと視線を向けるが、ハジメはただ静かに俺を見ている。
なにを考えているのか、その表情からはいまいち読み取れない。
そうか、俺は勘違いしていたようだ。
結婚指輪の話をしていたから、てっきりハジメもそういう類のものを欲しがったのかと思ったが、よく考えればそんなわけはない。
「ファッションリングが欲しいんだな? そうだよな?」
確認するように尋ねるが、ハジメは首を振った。
「いえ、ご主人様がおっしゃるような『シンプルなもの』をいただきたいのです」
「待て待て待て」
うろたえながら手を前に突き出す。
アンドロイドとはいえ超絶イケメンにそんなことを言われると、男の俺でも心が穏やかではない。
何度か深呼吸を繰り返し、どうにか気持ちを落ち着ける。
「えーっと、そもそも結婚指輪っていうのはだな……」
「存じております」
「あ、そう……」
ハジメの黒い瞳が、じっと俺を見つめる。
「人間のプロポーズには『毎日みそ汁を作ってくれ』という言い回しがあるそうですね。ご主人様は今しがた、毎日コーヒーを淹れてくれと、そうおっしゃったではないですか。これはプロポーズの亜種だと解釈いたしました」
「待てよ、おい、勝手に解釈すんな」
毎日みそ汁をって、なんでそんな変なこと知ってるんだ。
いったいどこから得た知識だ。
ツッコミの追いつかない俺に、ハジメは深々と頭を下げる。
「ご主人様のお望みどおりにいたします。ですから、そのお約束を守る証として――私がこれからもご主人様にお仕えする証として、指輪をいただきたいのです」
頭を抱えずにはいられなかった。
俺のアンドロイドは、いったいなにを考えているんだ。
「お前、識別環あるだろ」
ため息まじりにそう返してやる。
アンドロイドは外出時に『識別環』と呼ばれるものを装着することが義務付けられている。
幅1センチほどの指輪のような形をしており、内蔵されたマイクロチップに所有者の氏名やアンドロイドの機体番号などといった情報が記録されているものだ。
ハジメが俺の所有物であるという証明など、識別環さえあれば充分なはずだ。
だが、奴は納得できないとばかりに首を振った。
「あれでは意味がありません。所有者が変われば情報も更新されますので」
「……んんっ」
思わずうなり声が出る。
やはりハジメがなにを考えているのか、よくわからない。
結婚指輪のくだりから推察すると、どうやら『永遠の約束』のようなものに興味を持ったんじゃないだろうか。
奴が『今のユーザー』にこだわるのは以前のユーザーに手放された過去があるからなのかもしれないが、どうせそのあたりは聞いても答えをはぐらかされるに決まっている。
「よし、指輪だな! ちょっと待ってろ」
俺は勢いよく椅子から立ち上がり、どすどすと歩いてキッチンの引き出しを開ける。
調味料類の小袋、スポンジの予備、キッチンタイマーなどがごちゃごちゃとしまってある中に手を突っ込み、がさがさとあさる。
目的の物はすぐに見つかった。
「ほら、これでもつけてろよ」
ぐいとハジメの手を引き、薬指にぐるぐると巻きつけたのは、だいだい色の輪ゴムだった。
奴はそれをじっと見つめたあと、嫌味なほど綺麗な顔で笑った。
「お給料の三か月分とおっしゃっていましたね。……まあ、ご主人様の収入でしたらこのくらいが妥当でしょうか」
「なにをっ! そ、そんなに安かねぇよ。いらないなら返せ、返せ!」
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