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勇者と魔王 編

55 素材の味わい【1】

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 そのままソファでしまった。
 ジェードなんて片腕ないのに……。
 痛みはないのかとたずねたら「どうしようもないから我慢している」と言われて怖かった。
 はじめは気が気じゃなくて集中しきれなかったが「痛みが紛れるから」と求められれば、なし崩しだ。
 生死をさまよったせいで何かの本能が刺激されたのか、燃えた。

 身体のあちこちについた歯型がひりひりしてくすぐったい。
 脱ぎ捨てた服を拾い上げつつ、頭の中から追い出してしまった彼らのことを後ろめたく思い出す。

「……リオンはもう大丈夫なんだよな?」

 さすがに疲労を思い出したのか、ジェードは気だるげにソファで横たわったまま答える。

「転生しないよう魂を肉体に閉じ込めていたのも怪我の功名だったな。女神の加護が肉体を復活させ、まさにいた」

「じゃああとは……リオンとベクトルドが仲直りするだけか」

 あれだけ後悔していたリオンだから、何がなんでもベクトルドを説得しそうなものだが不安だ。なにせ殴り合ってたからな……。

「ハヤトキ。おまえはどうしてそうなんだ」

「そう、って?」

「いつも他人のことばかりだ。決闘のときも、自分の命を投げ出してリオンを救おうとしたな」

 リオンを救うためというか、ジェードをというか。

「心配かけるのはわかってたけど、それがみんなにとって一番だったんだ」

 俺が死んでも、リオンは生き返る。そうしたら、リオンがうまくやってくれるからジェードもベクトルドも死なずに済む。
 俺がリオンから聞いた未来をジェードは知らないが、リオンとベクトルドの円満な関係が俺の生死なんかよりも世界にとって重要であることくらい彼もわかっているだろう。

「……それが私の受ける罰なのかと考えたら、耐えられなかった」

 ジェードが身体を起こすと、長い黒髪がさらさらと肩から流れ落ちる。
 彼の前へ歩み、乱れた前髪を指で耳にかけてやった。

「なんで俺が死ぬだけの話なのに、ジェードが罰を受ける話になるんだよ」

 妙に悲しそうな様子に苦笑すると、ムッとした顔をされる。

「逆に聞くが、なぜおまえはそこまで私のことを愛しているのに、私がおまえを愛していることを理解しようとしない?」

「はぁっ!?」

 驚きのあまり抱えていた服をすべて床に落とす。
 顔が熱い、耳まで赤くなっているのが自分でもわかる。わなわなと震えながら「な、な、な、」と鳴いた。

「なん、で。俺、なにも言ってないだろ」

「日ごろの血の味がそう言っている」

 ──どうして気付かなかったのだろう。
 俺は自分の気持ちが本物なのか、吸血鬼の力で刷り込まれたものかどうかばかり考えていて、どちらにせよそれが筒抜けであることをすっかり失念していた。
 ずっとジェードは……俺が悶々とする過程を……血の味で……………。

「俺ってジェードのこと好きなの?」

「私に聞かないでくれ」


   ■


 変なところで話がうやむやになったまま、「着替えてくる」と書斎を出た。

 自分の部屋に入って見慣れた景色に囲まれてやっと「帰ってきた」ように思える。書斎は片付けられすぎていて非日常の延長上にあった。

 立ち止まったまま、長い息をはく。
 生きてるなぁ。


 シャワーを浴びて清潔な服に着替えつつ、脱いだ服を見る。

「服についた血って、洗って落ちるのか?」

 破れているところもあるし、捨てたほうが早い気もする。しかし、買い与えられたものだから気が引けるのだった。
 捨てるのは復元に挑戦してからでもいいか……と、ランドリーバスケットへ放り込む。


 窓の外を見るとすっかり日が暮れていた。
 緊張と疲れの溜まった身体は空腹を忘れているようだったが、何も食べないのもよくないと思ってキッチンへ向かう。


 冷却の魔法石が組み込まれた箱を開け、瓶詰めにしていたパテを取り出した。パンを切って適当に塗った。
 二人分のワインを小鍋に注ぎ、スパイスと混ぜて火にかける。
 この世界に来る前に覚えていたレシピも多く役立ったが、やはりバウや街の人に教えてもらった現地レシピのほうが簡単でおいしい。

「言ってくれれば私がやったのに」

 ジェードがキッチンに現れた。

「俺のことを怪我人扱いしたいみたいだけど、大怪我してるのはそっちなんだからな」

 そう答えながら、グリューワインのマグカップと軽食プレートを持って振り返ると、ジェードが渋い顔をした。
 そんな気はしていたが、俺が内臓喰われてた直後にパテ──動物の肉と内臓と香草のペースト──はダメだったか。でもこれが用意するの楽だったし。

「あれっ」

 軽くなったと思ったら、手の中にあったマグや皿が消えた。

「寝室へ運んだ」

 ジェードが踵を返して歩いていく。
 俺はその背中を追った。

 それぞれの寝室に運んだ、あるいは、どちらかの寝室に運んだ。どちらなのか答え合わせはすぐだった。


 到着した先はジェードの寝室。何度か入ったことはあるが、ひさびさだ。

 テーブル横のソファでちみちみとワインを飲む。
 整えられたベッドを眺め、それから横に座る彼を見やった。
 ジェードも俺と同じように普段着に着替えている。やっぱりフリルが平和で似合うよ。軍服姿も良かったけど……もう見なくて済むことを願う。

「……後悔していないか?」

 唐突に言われてきょとんとする。
 魔王城でのこと、怖い思いをさせたとでも思っているのだろうか。

「してないよ。そもそも俺が悪いんだし」

「おまえとリオンは双子なのか?」

 同じ女神の加護を切り分けたように持っていると、そういう解釈になるのか。
 でも、全く似てないし、生まれが同じ記憶もないから、それはありえない。

「違うよ、まったくの他人。この屋敷の庭で会ったときが本当に初対面だった。──リオンの力が俺の中にあった理由はわからないんだ。転生のときに手違いがあったんだろうってリオンは言っていたけど」

「ふむ」

 そう。手違い、なんだもんなぁ。

「……俺が最初からいなければ、こんなふうにはならなかったかも」

 リオンはベクトルドと普通に仲良くなって、ジェードはロコたちと穏やかに森で過ごして。リオンの手によって人知れず世界はハッピーエンドへ……。

「そうかもしれないな」

 あっさりとそう言われて心臓がどきりと跳ねる。

 マグを握ったままこわばる手に、ジェードの手が添えられた。
 横を見れば目が合い、やさしく微笑まれる。

「おまえがいなければ、こんなふうに私はやすらぎを得られなかった。ベクトルドもリオンもああまで腹を割って話すこともなかったかもしれない」

 彼の左手が俺の手の甲を撫で、それから指先は宙をすべって俺の頬を撫でる。それはそれは愛おしそうに。

「……ジェードって、やっぱり優しいよな」

「それもおまえのおかげだ、ハヤトキ」

 指であごすくわれた。唇と唇が触れるだけのキスを落とされる。

 じっと唇を重ねていると、ほろ酔いの身体がほんのりと熱くなって、照れくさい。

 耳元を撫でられればなんだかいやらしく感じた。
 唇が離れて見つめ合う。お互いに黙ったまま、テーブルにマグを置いて、おとなしくベッドへ手を引かれていく。

 もっと他にやるべきことはあるだろうに、盛ってばっかりだ。二人して歯止めが効かない。
 俺は死にかけて何かの本能が刺激されたからかもしれないし、ジェードも戦い明けでそういう感じなのかもしれない。

 耳が溶けるかと思うくらい、何度も何度も愛の言葉を囁かれながら抱かれた。

 そうしてついに疲れ果て、寝そべる彼に重なってだらける。
 心地良い余韻にぼうっと浸りながら、彼の右肩へおそるおそる触れた。
 こんなにしたら、血の巡りも良くなってもっと痛むんじゃないか。
 断面は黒い霧が止血帯のようにぴったりと張り付いた闇色で、温度もなければ濡れた感じもしない。

 ジェードは苦笑いしながら言った。

「本当に人の心配ばかりだな」

「しょうがないだろ。医者を呼ぶとか──」

 俺は自分の脇腹を撫でる。

「──ベクトルドに治してもらえるかな?」

 ベクトルドの魔王の力なら、俺にしたみたいに……。

「おまえの身に起きたのは、治癒などという生易しいものではない。許可していたからこその肉体の再構築だ。便利だろうが、私はヤツに"許可"せんよ。そんな恐ろしいことはな」

 はははと笑うジェードを見るに、心からイヤというわけではなさそうだった。友達でいるための距離感を大切にしたいのだろう。

「じゃあ……せめて俺の血でちょっとはまぎらわせてよ。庭の薔薇もほとんどダメになっちゃって吸えないだろ」

「さっきまで大出血で死にかけていたような男がバカを言うな」

 その男をその日のうちに二回も抱いたくせに、どういう基準なんだ。

「死なないように吸えるだろ、ジェードなら。……あ、かさぶた」

 自分の首を撫でて気付いた。

「かさぶた?」

「なくなってる。ジェードに噛まれたかさぶた……」

 昨夜の真新しい傷も修復対象になってしまっていたらしい。
 不思議そうにしていたジェードも、俺がさみしげに首を撫でる意味を理解した途端、貪欲な吸血鬼の顔になっていた。
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