【完結】社畜でしたが冷酷で慈悲深い吸血鬼におやつとして愛されます――転移したら唯一無二の高級食材でした

牛丸 ちよ

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勇者と魔王 編

41 あるべき場所

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 屋敷に着いて玄関を通る。
 階段を登りながら悩んでいた。
 自室へ向かうか、ジェードと話すか。

 楽しい会話ができる可能性は低いと思うと、先延ばしにしたくなる。

(でも……話せるときに話さないと)

 勇気を出して、書斎へ向かった。


 扉の前に立ち、ノックをした。が、返事はない。
 けれどジェードは気配で俺が来ていることを察しているだろうし、「入るな」と言われないなら入っても構わないということだと思う。

「……入るよ」

 おそるおそる扉を開く。

 本棚ががらんとしていた。
 部屋の主はそこにいる。膨大な書籍のほか、数少ない私物を箱やトランクケースにまとめていた。
 どこへ持っていくつもりなのか、またまた捨てるつもりなのか、それを聞くことさえ怖い。

 言葉に迷っているうちに、ジェードが口を開いた。

「おまえのことは人間の国テラルに返す」

 息が詰まる。
 話し合うつもりで来たのに、彼はもう結論を出していた。

「……ジェードはどこに行くんだ?」

「荷物をまとめておきなさい。明日の夜、飛竜ワズワースが送る」

 俺の質問に答える気はないらしい。
 どうせ明日までの仲だから、ってこと?
 俺は一言も同意してないのに。

 テラルは魔族ばかりの土地よりも生きやすいかもしれないが、そこに行きたいと言ったことも思ったことも無い。
 だって思い出もないし、ジェードも、バウもロコもいないところだ。

「……なあ、俺の話を聞いてほしい」

 普段の俺なら黙って部屋に戻っていたかもしれないが、今日は違う。
 弱気にならないよう自分をふるい立たせて、前を見据みすえた。
 
 ジェードは手を止めて、こちらを見る。
 少し考えるような間を置いて、いつもの椅子に腰掛けた。
 俺が話し出すのを待ってくれている。


 俺もソファに座り、自分の手元を見た。
 いざそのときになると何から話せばいいかわからない。
 おずおずと言葉を選んでいく。

「俺のこと、何も聞かないよな」

「記憶喪失と言ったのはおまえだろう」

 あまりにしれっと言うものだから、おかしくて小さく笑う。

「信じてないだろ。でも聞かないでいてくれたんだよな。──俺、東京ってところから来たんだ」

 大したことないみたいに、言えた。
 そのまま俺は、自分の真実を話す。

 魔族の国ルナニカでも、人間の国テラルでもない国、日本で生まれ育ち、死んだこと、それから、ヴィニの森で目覚めたこと。

 信じてもらえるようにうまく話さなくちゃと思うのに、言葉が洪水のように口からあふれて止まらない。

 ジェードは最後まで、静かに聞いていてくれた。

「……そうか」

 そうして彼は、ただ短く相槌を打った。
 いつもの雑談の相槌みたいに。

 リオンのときに、変な質問もしたからだろうか。俺の話を怪しむ様子はない。

「信じてくれるのか?」

「このタイミングで嘘を言ってなんになる。少々突飛だが……魔王を造った神がいる世界だ。そういうこともあるだろう」

 ソファの背もたれに体重を預けてホッとする。
 ここで信じてもらえなかったら苦労するところだった。良かった……。
 
「それで、テラルではなく、トウキョウというところに帰りたいのか?」

 首を左右に振る。
 この話をしたのは、故郷が違うとわかって欲しかったからじゃない。

「俺、向こうの世界で死んだとき、自分が何も持ってないことに気付いたんだ。……死ぬのは怖かったけど、死にたくない理由が出てこなくて」

 だから、森で目を覚ましたとき、何かの天罰だと思った。
 でも、ジェードが助けてくれて、俺はどうしてか生き延びている。

「ジェードは俺の血を飲むけど、無理やり吸ったりしないし、自由に生活させてくれるよな。だから……俺、この世界でやり直すチャンスをもらったように感じたんだ」

 日本を懐かしむことはあるけど、東京に帰って人生をやり直したいとか、そういう考えはついに俺の中に生まれてくることはなかった。

 寝室の明かりを消して、ベッドに入って考えることは、「明日はどうしようかな」ということばかりだ。
 未知と冒険にあふれていて、友達がいる生活を享受している。

「どこにも行きたくないよ。ヴィニの森で助けてもらったことも、レプニカの街で買い物したことも、ミュラッカの温泉につれて行ってくれたことも、いろんな思い出の恩も返せてないし──」

 くっ、と喉の奥が詰まるような感覚がして、声が出なくなる。
 自分が言おうとしていることが相手に迷惑をかけるワガママだとわかっているから、理性が「言うべきじゃない」とブレーキをかけている。

 でも、言わなきゃ俺は、死んだときより後悔する。

「──ジェードの近くにいたいよ」

 隣じゃなくていい、居候じゃなくてもいい。せめてそばにいられて、もしもジェードが困ったときに、少しでも力になれたなら。そうだったら、嬉しいから。

 声が震えた。ちゃんと聞き取れるように言えただろうか。

 手元ばかり見てしまっていることに気付いて、顔を上げる。
 見ると、ジェードはひどく悲しそうな顔をしていた。


「ハヤトキ……私はおまえと、一緒にはいられない」


 ずきりと胸が痛む。
 言われた言葉をすぐには受け止められなくて、何度か頭の中で反芻はんすうしてしまう。
 一緒にはいられない。そっか。
 魔族と人間の仲どころか、魔族と食材の仲だもんな。依存してるようなこと言われて、嫌だったかな。

 ジェードが立ち上がり、俺に背中を向けて窓辺へと歩いていった。
 ガラス越しに外の景色を眺めている。

「魔族は実力主義だ。地位は力を証明して奪うものであり、譲るものではない。魔王が地位の受け渡しを命じるということは、決闘に同意し、死ねという意味だ」

「え」

 いま、なんて言った?
 だから、一緒にはいられないってこと?

「──ベクトルドは私に怒っている」

 ジェードがリオンを魔王城に運ばなければ、こうはならなかったかもしれないから?

「今回の件ではない。ずっと前からだ。友であり主従でありながら、彼の人間への憎悪と向き合うのを避けて……孤独にしてしまった」

 魔王の周りには側近や支持者が絶えず居るのだろうが、そのうちのどれだけがベクトルドの真の理解者として寄り添っただろう。
 孤独にしてしまった、というジェードの言葉から想像を巡らせてしまう。

 リオンの胸の内を聞いたベクトルドの、あの喜びようはもしかしたら……長い長い孤独の中で得た、一筋の光だったのだろうか。

「生き残った数少ない旧友だから、親密なようにふるまってきたが……彼は怒り、私はいとい、触れれば傷つけ合うとお互いわかっていた。そして、そうなった」

 暗い雨空を切り抜く窓ガラスに、ジェードの顔が反射している。
 そんな顔して欲しくないのに、俺にはかけてやれる言葉もない。

「リオンには気の毒なことをした。……爵位があれば世間体も立つ。ある意味ではもう人間ではないし、死体といるくらいはヤツも許されたいのだろう」

 彼の自嘲気味な微笑みは、まるでベクトルドの溜飲を下げるために死んで、リオンに席を譲ることに納得しているみたいだった。

「そ……んなの、ダメだ」

「決まったことだ」

「イヤじゃないのか。死んじゃうんだぞ」

 ジェードは歩いていくと、部屋の扉を静かに開けた。

「私は……ベクトルドの苦しみからも、父や同胞の復讐からも、人間の嘆きからも目を背けた臆病者だ。代償を払うときが来た、それだけのこと」

「……俺は……どうなるんだよ」

 困らせたいわけではないのに、引き止めるように言葉を並べてしまう。

「人間のあるべき場所で、幸せになりなさい」

 そう言って出ていく彼の背中を見て、なるほど逃げる男だな──と、俺は少しだけ腹を立てるのだった。
 魔法で移動できるくせに、こんなときだけ歩いて出ていくなんて。

 ……追いかけられない俺も俺だ。
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