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吸血鬼と人間 編

10 異端の勇者と辺境伯【2】

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 食器を洗うくらいの「うろちょろ」は許されると信じたかった。

 キッチンシンクらしき場所で、洗剤っぽいものとスポンジっぽいもので洗い、ふきんっぽいもので拭いてから、水切りかごっぽいところに入れておいた。

 ……やるだけやって、やはり不安になる。勝手に触って大丈夫だっただろうか。いやでもぜんぶ放置して部屋で寝るのもそれはそれで落ち着かないというか。

「それにしても、この屋敷……ジェード以外に誰もいないのかな」

 他人が活動している物音も気配もない。これだけ大きな屋敷なら、使用人とかいるものなんじゃないのか?

 キッチンから食堂に戻り、それから廊下に出る。
 どこを歩いても静かで、天井も壁も遠くて、なんだかさみしい印象だ。

 あてがわれた寝室に向かおうとして、はたと足が止まった。
 ……道、思い出せないかも。

 森でも迷子になって、屋敷でも迷子になるのか。ダメダメだな。
 当てずっぽうに扉を開けても見つからない。部屋の数が多すぎる。
 うろうろするうち、結構な時間が経過してしまっていた。

 からの、尿意だ。
 トイレ探しの緊急ミッションに奮闘し、漏らす前になんとか見つけ出す。

 便器のデザインこそ俺の知るものとは違ったが、この世界が水洗トイレなことが嬉しかった。
 手を洗ってから廊下に戻る。

 そのとき、風を感じた。

「屋内で、風?」

 不思議に思って歩いていくと、中庭に続くガラス扉を見つけた。
 半開きになっている。風はここから吹き込んでいたのだろう。

 ドアノブを握ると簡単に開く。
 月明かりのさす庭へ足を踏み出した。

 やわらかな甘い香りがする。

「……すご」

 そこはどこまでも続く薔薇バラ園だった。
 赤やピンクの花たちが月に照らされ、夜風に揺れている。

 きちんと手入れが行き届いていて、相当な時間と手間のかかった庭だと一目でわかる。
 ジェードが手入れしてるのだろうか。

 白い屋根の東屋ガゼボがあった。床が高くなっていて、こじゃれたテーブルとベンチがある。
 そこから庭を眺めると、さらに壮観だ。

「時期なのかな、満開だ。……薔薇の匂いってこんなかんじなんだな」

 花をのんびり眺めたことなんてない。自分にこういう景色を楽しむ感性があるのだと初めて知った。

 ――ガサッ。
 急に、背後の茂みが揺れた。

「~~~いてててて!」

 人影が飛び出してきて、驚いて飛び退く。
 不審者は薔薇のトゲだらけだった。

「わあっ!?」

「くっそ、犬なんか連れてきやがって。次は臭い消しがいる……あっ」

 不審者は俺に気付いていなかったらしい。
 目が合って、気まずそうな顔をした相手にとりあえず挨拶をする。

「…………こんばんは」

 小さな声で「……ばわ」と返ってきた。人見知りか?

 謎の人物は、薔薇園にいても遜色ない華やかな外見をしていた。
 さらさらとした金髪の髪に、透き通る青空のような青い瞳。俺と同じくらいの身長で、スマートな体格だが鍛えているのが見てわかる。好青年然とした顔つきなのに、態度はなんだかちょっと陰気な印象があるのはギャップだ。
 服装は、ゲームにいそうないかにも勇者な格好。薔薇のトゲのせいなのか、誰かと争ったのか、少しボロボロだ。

「あなたもしかして、勇者?」

 相手はハッとした顔をして、背筋を伸ばして立った。どこからシャッター切っても大丈夫ですよとばかりに表情をキメて名乗りを上げている。

「いかにも。人間の大陸テラルから、この魔族の大陸ルナニカへ人類の命運を背負って来た勇者、リオンだ」

「人間の……大陸から!?」

 外見に魔族っぽさがないと思ったが、やはり勇者は人間なんだ。

「キミも……人間か? ヤツに捕えられているのか?」

「え、あ……いや……」

 ヤツというのはおそらくジェードのことだろう。
 もしかしてリオンがボロボロなのはジェードやバウと戦ったからかもしれない。

「安心したまえ。私が魔王を倒したあかつきには、必ず迎えに来る。キミを助け出し、テラルの家族に合わせると約束しよう。気の毒だがもう少し辛抱してくれ。では、どうかご無事で!」

「え、あ、あの、えっ!? 消えた!?」

 一方的にまくしたてられたかと思うと、彼の姿は風に巻かれて消えた。
 勇者は人間だろうに……いや、人間だか勇者だから、そんな力が使えるのかも。
 ていうか瞬間移動のようなことができるなら、トゲだらけになりながら薔薇を踏み倒してくる必要なかったんじゃ……。

 口調もなんだか芝居がかっていて、変な人だったな。



「うろちょろするなと言ったはずだが」



 ジェードの声がして慌てる。
 見ると、彼が真横のガーデンチェアに座っていた。
 バウは帰ったらしく、姿はない。

「あっ……す、すみません。トイレを探してて」

「私の薔薇に尿をかけたら八つ裂きにするぞ」

「犬じゃあるまいし! これには色々あって……」

「勇者はおまえのことを知らないようだったな」

「うっ」

 出歩いたことも、勇者と話していたことも筒抜けだったようだ。

「勇者の協力者の可能性もあったが、それも違うわけか」

 そういう風にも疑われていたのか。
 彼なりに俺の素性を探ってはいるんだな。そうだよな、怪しいよな、俺って。
 まだ完全には信用してくれてなさそうだけれど、かえってありがたいかもしれない。この世界において、俺自身も俺がなんなのかわからないくらいなのだし。

「……勇者って何者なんですか?」

「人間の大陸から送られてくる侵略者だ」

 勇者という言葉には救世主というイメージがあるが、それはあくまで人間側の価値観なのだろう。魔族側の評価ってそんな感じなんだな。

「ジェードと勇者はさっきまで戦ってたんですよね。怪我とか……」

「それはおまえの気にするところではない」

 見た感じ、ジェードの服は汚れひとつなく、どこかを怪我している様子もない。
 よっぽど勇者のほうがボロボロだった。

「……」

「勇者が心配か?」

「ま、まあ」

 同じ人間だと思うと、リオンのことも気になってしまう。
 挨拶を交わした人物が、まさかこれから殺されたりしないよな……と。ジェードの手にかからなかったとしても、森や町に出れば別の危険がある。

「当代の勇者は、我々の魔法とも違う謎の力を持っている。私が手を焼くほどだ、そのあたりの魔族では歯が立たんだろうよ」

「……次はロコたちが心配になってきた」

 じゃあ魔族からしたら、凶暴な人間が森に解き放たれたことになるんじゃないか。

「あれらは逃げ足が早いし、この森にいる以上は私の庇護下だ」

 黒い霧のそよ風が吹き、テーブルの上に小ぶりなグラスがふたつ現れた。
 チューリップ型で面白い形をしている。

 うちひとつをジェードが手に取り、もう片方がこちらに寄せられる。
 飲めということらしい。

 ガーデンチェアに腰掛け、グラスを手に取る。
 透明な液体だ。香りからなんらかの蒸留酒ということしかわからない。

「私を含め、しかるべき者たちが探す。勇者が見つかるのも時間の問題だ。おまえは余計な心配をしなくて良い。殺しても新しい勇者が送られてくるだけだから、言付けを持たせて生きて帰すさ」

「わりと平和的なんですね」

「こちらに喧嘩する理由がないのでね。……魔族と人間は戦争を繰り返していたが、それも百年前までだ。こちらが勝ってからは、向こうの報復活動が続いているだけ。哀れなものだよ」

「ぷぇッッ!!」

 グラスの中身を口に入れた瞬間、強烈な度数のアルコールが喉を焼いた。
 味わう余裕もなくげほげほと咽せる。

「口に合わなかったか」

「い、いえ……げほっ、少し度数に驚いただけで……。話を続けてください……」

 この話に続きも何もないが、という顔をされたが、俺がいつまでも咽せているのを見て話題を繋げてくれた。
 そう、呼吸が整うまでもう少し待ってほしい。

「我々の大陸は山などの難所に囲まれていてな。空路でも海路でも上陸が難しいのだ。この地ヴィニは、比較的入り込みやすい地形がある。人間にとっては唯一の突破口だ。故に私が空と海の魔障壁を管理し、侵犯者を監視している」

「辺境伯の仕事ってわけですね」

「うむ」

 呼吸が整ってきて、改めてグラスに口をつける。しっかりと冷えた液体を舌の奥にぐいっと流し込んだ。喉がカッと熱くなる。
 ちょっと前まで喉が大根おろしになっていたわけだが薬の効果はすばらしく、酒の美味さを素直に楽しむことができ……でき……で……き……。

「がはっ!! あぁ゛!!」

「おい、もうやめておけ」

 シンプルに、高すぎる度数に勝てなかった。
 サイゼリヤで調子に乗って四十度の食後酒を頼んだときを思い出す。

「すみません、このテの酒をあまり嗜んでなくて……」

 美しい庭園でグラスを傾けるジェードの姿はとても絵になっていた。それに付き合えたらと思ったが、うまくいかないものだな。

「さあ、今日はもう部屋にいなさい」

「げふっ……そうします……」

 俺が自分の部屋を見つけられなくなっていることも、彼はとうにわかっていたらしい。
 黒い霧に自分だけ包まれていく。《どこでもドア》ならぬ《どこでも霧》、便利だな。

「おまえの部屋の扉にネームプレートでもかけるか?」

「ちゃんと覚えるので……お気遣いなく……」

 そのやりとりを最後に、目の前の景色が変わった。

 寝室だ。

「……あれ? 窓から庭園見えるんだな」

 気付いていなかったが、庭園とこの部屋はそう離れていないらしい。二階から見下ろす形でジェードが見える。
 彼は俺の視線に気付いていない。

「まだ薔薇園にいるんだ……。何してるんだろう」

 彼は花壇に向かって屈んだ。
 満開の薔薇を一輪、手ですくい持つと、そっと顔を近づける。

「あっ……!」

 彼が口付けると、途端に薔薇が枯れ、萎れた花びらが地面にはらはらと落ちていく。
 それはまるで食事のようだった。

「固形物を食べるとこ見ないなと思ったら、薔薇の精気みたいなのを食べてるのか……?」

 吸血鬼なのに、生き血を飲んでいる姿も見ない。俺の血を吸ったのを除けばだが。

 森に住むバウは、動物以外――つまり魔族ヒトは食べないと誓いを立てていた。
 彼にもそういう事情があるのだろうか。

 ジェード・ドラキュリア……不思議な人だ。
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