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チャプター【106】
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「翡翠、ちゃん……」
その名を口にすると、眩暈がするほどだった
「おい、ひょう」
ぼーっと翡翠を見つめるひょうに、ソウマが声をかけた。
「これ、おまえがやったのか?」
凍りついた、妖蟲の蜘蛛を見回しながら訊いた。
「――――」
ひょうは答えない。
どうやら、翡翠に見惚れ、ソウマの声が聴こえないようだった。
「おい、ひょう!」
ソウマが声をあげる。
「え、あ、はい。なんでしょうか……」
やっとそこで、ひょうはソウマの声に気づいた。
「だから、これはおまえがやったのかって訊いたんだよ」
ソウマが、凍りついた蜘蛛を指さす。
「あ、はい、そうです……」
「フーン。なかなかやるじゃないか。おまえ、術者だな」
「はい……」
「そうか。おれ様も術者だ。よろしくな」
言うとソウマは手を差し出した。
「あ、どうも……」
ひょうは、それに応えて、遠慮がちに手を差し出す。
ふたりは握手を交わした。
そのとき、パリン、という乾(かわ)いた音がした。
凍りついた蜘蛛が、粉々に砕け散っていた。
砕け散ったそこに太い足がある。
その足が、蜘蛛を踏みつけたのだ。
と、握手を交わしたふたりの手に、大きな手が乗ってきた。
「よろしくなー、ひょう」
力道だった。
他の者もそこに集まり、自然に、つるぎ、凛、翡翠も、力道と同じように手を重ね合せていた。
「継ぐべき者たちが、手を重ね合せる。うむ。実に美しい光景よの。式鬼たちも、こうあってほしいものよ」
仙翁が言う。
すると、継ぐべき者たちの背後に、それぞれの式鬼たちが姿を現した。
「仙翁。そう言うが、おれたちだって、心底、仲が悪いわけではないのだぞ。なあ、みんな」
竜の姿のもろは丸が言うと、
「継ぐべき者が結束を固めているというのに、場を濁すことなんて言えやしないさね」
白夜が言った。
その言葉に、他の式鬼もうなずくしかなかった。
それを見て、
「ホッ、ホッ、ホッ、良きかな、良きかな」
仙翁は顔をほころばせて微笑んだ。
継ぐべき者たちが、重ねた手を放す。
だが、ソウマだけは、握ったひょうの手を放さなかった。
「あ、あの、手を放してくれませんか……」
ひょうがおずおずと言う。
そのひょうを見つめ、
「ところでよ。ひょう――」
ソウマが言った。
「おまえ、翡翠をぼーっと見てただろう。翡翠はな、おれ様の妹なんだよ。ちょっかい出しやがったら、ただじゃおかないぞ」
ソウマは、握手を交わしている手に力をこめた。
「ぼ、僕は、そんなことはしませんよ。だから、手を放してください。痛い、痛いですよ」
「手を出さないと、誓うか」
「手を出すだなんて、そんな大それたこと、ぼ、僕にはできませんよ」
「想いを寄せるのもだめだ。いいか」
「わ、わかりました……」
「ならば、誓え」
ソウマは手に力を加えた。
「は、はい。ちち、誓います。誓います」
「よし。おまえの言葉、信じるぞ」
ソウマは力を弱めて、手を放した。
ひょうは、自由となった手を、もう片方の手で押さえ、何か言いたそうな顔をしたが何も言わなかった。
決して邪(よこしま)な気持ちではないが、翡翠いに想いを寄せたのは事実だったからだった。
ソウマの視線が、今度はつるぎと力道へと流れた。
「つるぎ、そして力道。おまえたちもだぞ」
「えッ!」
つるぎは、ぎくりとしながら、こくこくとうなずいた。
力道は、わかったのかわからないのか、ただ頭を掻いていた。
「ソウマよ、ぬしはよほど翡翠のことが心配のようだの。だが、そう釘をささずとも、男どもはわかっておるよ。暗黙の了解と言うやつだ。おまえの妹想いはよくわかるが、度がすぎればかえって迷惑なもの。翡翠とて、恋愛のひとつも自由にしたかろう」
仙翁が諭すように言った。
その言葉に、
「翡翠。おまえ、おれを迷惑がっているのか」
ソウマが、翡翠に訊いた。
「ううん。そんなこと、ちっとも思ってないよォ」
そう言われた翡翠は、首をふってそう答えた。
「そうか。なら、恋愛はどうだ。したいと思っているのか」
「恋愛って、そんなこと、急に言われても……」
翡翠は、言葉に窮した。
眉根をよせ、助け船を出すような眼で、凛を見た。
「ソウマさん。翡翠ちゃんが困ってるじゃないですか。少しは翡翠ちゃんを、ひとりの女性として考えてあげてもいいんじゃないですか?」
凛がたまらずに言った。
「なんだと! おれ様は兄として、翡翠を護らなきゃならないんだ。他人のおまえに、偉そうなことを言われたくないね」
ソウマはくるりと背を向けると、腕組みをし、くそっ、と舌打ちをした。
と、そのとき、
ク、
ク、
ク、
風に流れてきたかのように、どこからともなく嗤い声が聴こえた。
仙翁は周囲に視線を投げた。
継ぐべき者たちも、周囲に眼をやり、警戒した。
だが、無面の姿はない。
「なにを揉めているのかと思えば、クク、くだらぬ」
声だけが大気の中をこだました。
「無面とやら、どこにおる」
仙翁がそう問えば、
「ここよ」
その声が今度は、ある一定の場所から聴こえてきた。
その方向へ、皆の視線がいく。
茶屋の茅葺き屋根の上。
そこに黒衣を着た、のっぺらぼうの無面の姿があった。
「初めて見る貌だな、妖人よ」
もろは丸が無面を見上げて言った。
他の式鬼たちも、無面を見上げている。
「此度、羅紀様の成されることを悲願成就させるために、俺はあるのでな」
「しょせん、ただの小間使いだろうが」
そう言ったのは、雷皇。
「フン。なんとでも言えばいい。しかし、さすがは継ぐべき者よ。下級妖物相手とはいえ、あれだけの数を、これほど早く片付けるとは、畏れ入った」
「心にもないことを申すな。して、少しは時間稼ぎができたかの」
仙翁が言う。
「時間稼ぎか……、クク。はなから、足止めをする必要などはなかったのだ」
「では何故だ」
「遊び心とでも、言っておこうか」
「ほう。ならば、もう少し遊んでゆかぬか。儂が相手をしようぞ。他の者には手出しをさせぬゆえ、どうだ」
「それは願ってもないこと――だが、やめておこう」
「この儂が恐いか」
口髭の片端を上げて、仙翁は不敵な笑みを浮かべた。
「クク。そんな挑発には乗らぬよ。いま闘わずとも、すぐにそのときが来る。じきに、秋ノ洲の城は陥落(お)ちようからな。ぬしらとの戦いは、目前よ。ならば、その場で心置きなく殺り合おうではないか」
その言葉に、仙翁は黙したまま無面を見つめていたが、
「よかろう」
そう言った。
「差しでの勝負。楽しみだ」
そう言うと、無面の貌が、砂で作った貌であるかのように頭からさらさらと崩れ始めた。
貌がすべて崩れたかと思うと、身に着けていた黒衣が、はらりと屋根に落ちた。
無面の立っていた場所には、光の粒子が漂っていた。
「では、すぐにまた、会いましょうぞ」
声だけが聴こえた。
「待て、無面!」
ソウマが声をあげた。
その名を口にすると、眩暈がするほどだった
「おい、ひょう」
ぼーっと翡翠を見つめるひょうに、ソウマが声をかけた。
「これ、おまえがやったのか?」
凍りついた、妖蟲の蜘蛛を見回しながら訊いた。
「――――」
ひょうは答えない。
どうやら、翡翠に見惚れ、ソウマの声が聴こえないようだった。
「おい、ひょう!」
ソウマが声をあげる。
「え、あ、はい。なんでしょうか……」
やっとそこで、ひょうはソウマの声に気づいた。
「だから、これはおまえがやったのかって訊いたんだよ」
ソウマが、凍りついた蜘蛛を指さす。
「あ、はい、そうです……」
「フーン。なかなかやるじゃないか。おまえ、術者だな」
「はい……」
「そうか。おれ様も術者だ。よろしくな」
言うとソウマは手を差し出した。
「あ、どうも……」
ひょうは、それに応えて、遠慮がちに手を差し出す。
ふたりは握手を交わした。
そのとき、パリン、という乾(かわ)いた音がした。
凍りついた蜘蛛が、粉々に砕け散っていた。
砕け散ったそこに太い足がある。
その足が、蜘蛛を踏みつけたのだ。
と、握手を交わしたふたりの手に、大きな手が乗ってきた。
「よろしくなー、ひょう」
力道だった。
他の者もそこに集まり、自然に、つるぎ、凛、翡翠も、力道と同じように手を重ね合せていた。
「継ぐべき者たちが、手を重ね合せる。うむ。実に美しい光景よの。式鬼たちも、こうあってほしいものよ」
仙翁が言う。
すると、継ぐべき者たちの背後に、それぞれの式鬼たちが姿を現した。
「仙翁。そう言うが、おれたちだって、心底、仲が悪いわけではないのだぞ。なあ、みんな」
竜の姿のもろは丸が言うと、
「継ぐべき者が結束を固めているというのに、場を濁すことなんて言えやしないさね」
白夜が言った。
その言葉に、他の式鬼もうなずくしかなかった。
それを見て、
「ホッ、ホッ、ホッ、良きかな、良きかな」
仙翁は顔をほころばせて微笑んだ。
継ぐべき者たちが、重ねた手を放す。
だが、ソウマだけは、握ったひょうの手を放さなかった。
「あ、あの、手を放してくれませんか……」
ひょうがおずおずと言う。
そのひょうを見つめ、
「ところでよ。ひょう――」
ソウマが言った。
「おまえ、翡翠をぼーっと見てただろう。翡翠はな、おれ様の妹なんだよ。ちょっかい出しやがったら、ただじゃおかないぞ」
ソウマは、握手を交わしている手に力をこめた。
「ぼ、僕は、そんなことはしませんよ。だから、手を放してください。痛い、痛いですよ」
「手を出さないと、誓うか」
「手を出すだなんて、そんな大それたこと、ぼ、僕にはできませんよ」
「想いを寄せるのもだめだ。いいか」
「わ、わかりました……」
「ならば、誓え」
ソウマは手に力を加えた。
「は、はい。ちち、誓います。誓います」
「よし。おまえの言葉、信じるぞ」
ソウマは力を弱めて、手を放した。
ひょうは、自由となった手を、もう片方の手で押さえ、何か言いたそうな顔をしたが何も言わなかった。
決して邪(よこしま)な気持ちではないが、翡翠いに想いを寄せたのは事実だったからだった。
ソウマの視線が、今度はつるぎと力道へと流れた。
「つるぎ、そして力道。おまえたちもだぞ」
「えッ!」
つるぎは、ぎくりとしながら、こくこくとうなずいた。
力道は、わかったのかわからないのか、ただ頭を掻いていた。
「ソウマよ、ぬしはよほど翡翠のことが心配のようだの。だが、そう釘をささずとも、男どもはわかっておるよ。暗黙の了解と言うやつだ。おまえの妹想いはよくわかるが、度がすぎればかえって迷惑なもの。翡翠とて、恋愛のひとつも自由にしたかろう」
仙翁が諭すように言った。
その言葉に、
「翡翠。おまえ、おれを迷惑がっているのか」
ソウマが、翡翠に訊いた。
「ううん。そんなこと、ちっとも思ってないよォ」
そう言われた翡翠は、首をふってそう答えた。
「そうか。なら、恋愛はどうだ。したいと思っているのか」
「恋愛って、そんなこと、急に言われても……」
翡翠は、言葉に窮した。
眉根をよせ、助け船を出すような眼で、凛を見た。
「ソウマさん。翡翠ちゃんが困ってるじゃないですか。少しは翡翠ちゃんを、ひとりの女性として考えてあげてもいいんじゃないですか?」
凛がたまらずに言った。
「なんだと! おれ様は兄として、翡翠を護らなきゃならないんだ。他人のおまえに、偉そうなことを言われたくないね」
ソウマはくるりと背を向けると、腕組みをし、くそっ、と舌打ちをした。
と、そのとき、
ク、
ク、
ク、
風に流れてきたかのように、どこからともなく嗤い声が聴こえた。
仙翁は周囲に視線を投げた。
継ぐべき者たちも、周囲に眼をやり、警戒した。
だが、無面の姿はない。
「なにを揉めているのかと思えば、クク、くだらぬ」
声だけが大気の中をこだました。
「無面とやら、どこにおる」
仙翁がそう問えば、
「ここよ」
その声が今度は、ある一定の場所から聴こえてきた。
その方向へ、皆の視線がいく。
茶屋の茅葺き屋根の上。
そこに黒衣を着た、のっぺらぼうの無面の姿があった。
「初めて見る貌だな、妖人よ」
もろは丸が無面を見上げて言った。
他の式鬼たちも、無面を見上げている。
「此度、羅紀様の成されることを悲願成就させるために、俺はあるのでな」
「しょせん、ただの小間使いだろうが」
そう言ったのは、雷皇。
「フン。なんとでも言えばいい。しかし、さすがは継ぐべき者よ。下級妖物相手とはいえ、あれだけの数を、これほど早く片付けるとは、畏れ入った」
「心にもないことを申すな。して、少しは時間稼ぎができたかの」
仙翁が言う。
「時間稼ぎか……、クク。はなから、足止めをする必要などはなかったのだ」
「では何故だ」
「遊び心とでも、言っておこうか」
「ほう。ならば、もう少し遊んでゆかぬか。儂が相手をしようぞ。他の者には手出しをさせぬゆえ、どうだ」
「それは願ってもないこと――だが、やめておこう」
「この儂が恐いか」
口髭の片端を上げて、仙翁は不敵な笑みを浮かべた。
「クク。そんな挑発には乗らぬよ。いま闘わずとも、すぐにそのときが来る。じきに、秋ノ洲の城は陥落(お)ちようからな。ぬしらとの戦いは、目前よ。ならば、その場で心置きなく殺り合おうではないか」
その言葉に、仙翁は黙したまま無面を見つめていたが、
「よかろう」
そう言った。
「差しでの勝負。楽しみだ」
そう言うと、無面の貌が、砂で作った貌であるかのように頭からさらさらと崩れ始めた。
貌がすべて崩れたかと思うと、身に着けていた黒衣が、はらりと屋根に落ちた。
無面の立っていた場所には、光の粒子が漂っていた。
「では、すぐにまた、会いましょうぞ」
声だけが聴こえた。
「待て、無面!」
ソウマが声をあげた。
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