里子の恋愛

星 陽月

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【第53話】

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 ひとり取り残された形になった里子は、身体から力が抜けたようになって、ため息をついた。
 結局、里子は自分の言いたいことを話すことができず、逆に玲子のほうが言いたいことを話して席を離れていった。
 けれど、これでよかったのかも知れない。
 里子はそう思った。
 何も話さなくてよかったのだ。
 胸の中に生じた遠藤への想いは、これで誰にも知られず、いつかは想い出に変わるだろう。

 これでいいのよ……。

 里子は胸の中で呟くと、席を立った。
 賑わう夜の街を駅へと歩いていく。
 通り過ぎていくカップルたちは、寄り添い、楽しそうに語らいながら幸せな顔を浮かべている。そんな光景に眼を向けている自分にふと気づき、里子は足を早めた。
 寂しさが胸を突く。
 ほとんど衝動的にバッグからスマート・フォンを取り出し、だが、ディスプレイには、着信も留守録もメールも入ってなかった。
 思わずメモリーで倉田の名前を検索した。
 つき合いをつづけていこうという電話があってから一週間が経つ。
 なのに、あれから一度も倉田からの電話はない。

 いったいどういうことなの……。

 これじゃ別れてるのと同じじゃない、そんな腹立たしさを覚えながら、ディスプレイの倉田の名を睨みつけた。
 それでも里子は、きっと仕事が忙しいのだと気持ちを落ち着かせようとした。
 だが、それもいっときのことで、腹立たしさはすぐにまたこみ上げてきた。

 どんなに忙しくたって、電話ぐらいできるはずよ……。

 その思いに倉田に電話を入れた。
 倉田はすぐに出たが、里子の呼びかけに応えず無言だった。

「孝紀?」

 もう一度、そう呼びかけると、倉田はやっと声を返してきた。

「元気?」
「うん。元気よ」

 声を聴いたとたん、里子は不満をぶつけるどころか、腹立たしさまでもどこかへ飛んでいってしまった。
 心が浮き立っていく自分を抑えようとしても、

「仕事、忙しいの?」

 その口調さえ倉田に気を遣っていた。

「あァ……。そうだな……」

 返す言葉も少なく、そしてまた無言になってしまう倉田にも、

「そう、大変だね」

 ぎこちなくそう返すことしかできず、会話がそこで途切れる。
 沈黙だけがふたりをつないでいた。
 その沈黙が苦しくて、

「大変だろうけど、仕事頑張って。また電話するね。じゃ」

 電話を切ろうとすると、

「用があったんじゃないの?」

 倉田がそう言ってきた。
 その声にはどこかよそよそしいものがあった。

「うん……」

 今から逢いたいの――

 だが、その言葉は喉元で止まり、

「別に何でもないの。ただ、声が聴きたかっただけだから」

 こぼれ出たのはそんな言葉だった。
 そんな自分が腹立たしかった。
 どうして自分の想いを口にできないのだろう。

「そうか、ならいいけど……」

 そこで倉田は黙りこむ。
 そして、

「明日、オレから電話するよ」

 沈黙をやっと言葉に変えて、一方的に電話を切ってしまった。
 言いようのない思いに包みこまれながら、里子はスマート・フォンを耳から離した。

 いったい何なのよ……

 その思いは、倉田に対してもそうだが、ほとんどが自分に対してのものだった。
 言いたいことや、伝えたい想いも沢山あったのに、何ひとつ言えなかった。
 倉田の声を聞き、うれしさと、そしてなぜなのか遠慮している自分がいた。
 変に気を遣ってしまい、それがぎこちなさになってしまった。

 どうしてだろう……。

 里子は考えてみる。
 考えられるのは、ほんのわずかであっても、遠藤に心が揺れたことへのうしろめたさがあるからだろう。
 遠藤とのことは、里子が口にしない限り知られることはないだろうが、口にしないからこそ、それは胸の中にしこりとして残りつづけるのだ。
 それだけに、どうしても倉田の声を聴いてしまうと、自分にブレーキがかかってしまう。
 けれど、それだけではない。
 昔のように倉田へとぶつかっていけない要因はもうひとつある。
 それは、倉田には他に好きな人がいるのではないか、という疑念があるからだった。
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