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【第33話】
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「ほんとにいいの? それで」
口にしたクローバー・クラブのカクテルをテーブルに置くと、玲子が訊いた。
「仕方ないわ。結婚を白紙にもどすって言われて、そのままつき合うことなんてできないわよ」
里子は答えると、ドライ・マティーニを半分ほど飲み、カクテル・ピックに刺されたオリーヴを口に入れた。
里子はもう三杯目だ。
「そうよね、女のプライドってものがあるものね。何にしても、結婚の延期をしたいって言ったくらいで、結婚を白紙にもどすような男は、初めから縁がなかったのよ」
「結婚をやめたことには、何か他に理由があるのよ。彼は何も言わなかったけど」
「心あたりはあるの?」
里子は首をふった。
「女かな」
「私もそう思った。けど、彼は答えなかった」
「怪しいわね」
「もう、どうでもいいわ」
里子は残りのドライ・マティーニを呑み干すと、ウエイターを呼んでお代わりを頼んだ。
「ちょっと、呑みすぎじゃない? それ強いのよ」
「わかってるわ。今はとにかく忘れたいのよ」
アルコールの弱いカクテルなど、今は呑みたくなかった。
「気持ちはわかるけど……。そうだ、これからお祝いしようよ」
「何のお祝いよ」
「里子が晴れて、結婚っていう二文字から開放されたお祝いよ。私もこれで、ひとり取り残されずにすんだしさ」
「玲子は、自分が結婚したくないだけでしょ。それに玲子には彼がいるじゃない。私は独りぼっちになったのよ」
そう言いながら、里子の脳裡に遠藤の顔が浮かんだ。
玲子には、遠藤を部屋まで送ったことを話してない。
話せるわけがなかった。
「ま、いいわ。お祝い、大歓迎! 今日は騒ぎたい気分だから」
「そうこなくっちゃ。騒ぐにはちょうどいい店があるの」
「いくら騒げても、若いコたちが行くようなクラブなんてイヤよ」
「大丈夫よ」
里子がお代わりをしたドライ・マティーニを呑みほしてから、ふたりはショット・バーを出た。
タクシーに乗りこむと、六本木に行ってください、と玲子が運転手に言った。
「どこに行くの?」
里子がそう訊いても、玲子は取り合わず、「いいから、いいから」と笑っていた。
車は青山通りから外苑東通りへと曲がり、六本木に向かった。
六本木の交差点の手前でタクシーを降りると、玲子は俳優座のある路地へと入っていく。
里子は従うようにうしろを歩いた。
五階建ての雑居ビルに入り、エレベーターで三階に上がる。
「ここよ」
玲子は「ボニ―タ」と看板の出ている店のドアを指差した。
「いらっしゃァい」
ドアを開けた途端、妙に甲高いだみ声に迎えられた。
その声に玲子が答える。
「ママ、私」
「あら、アンタなのォ。ヤダ、それもオンナふたり?」
カウンターの中から顔を覗かせたのは、四十代後半と思えるマスター、いやママで、
「口開けからオンナなんてやんなっちゃう。今日は、出版社のあの若くていい男はどうしたのよォ」
火の点いた煙草を指に挟み、不満な顔を浮かべた。
「また今度連れてくるわよ。今日はパッと騒ぎたいの」
ふたりはカウンターに坐った。
「騒ぎたいってアンタ、ここは場末のスナックじゃないのよ。ここは一流のクラブなの。騒ぎたいなら他に行ってちょうだい」
口ではそう言いながら、ママはふたりにおしぼりを渡し、ボトル棚から玲子のスコッチを出してきた。
里子は言葉もないまま、店内を見廻した。
カウンターしかないその店は、ママの言うような一流のクラブにはとても見えない。
そしてそのママだが、この手の店に来たことのない里子が想像していたのとは違い、女装どころか化粧さえほとんどしておらず、身体の線は細いが、そっち側の人間にしておくには勿体ないほどのいい男だった。
「モモちゃんは?」
水割りをつくっているママに、玲子が訊いた。
「今日は彼とデートよ。十二時くらいには来るんじゃないかしら、彼と一緒にね。どこで見つけてきたのか、モモコの彼がまたいい男なのよ。もう妬けちゃうわ」
そう言うと作った水割りをふたりの前に置き、「私もいただくわよ」と自分の水割りも作り、三人は乾杯した。
口にしたクローバー・クラブのカクテルをテーブルに置くと、玲子が訊いた。
「仕方ないわ。結婚を白紙にもどすって言われて、そのままつき合うことなんてできないわよ」
里子は答えると、ドライ・マティーニを半分ほど飲み、カクテル・ピックに刺されたオリーヴを口に入れた。
里子はもう三杯目だ。
「そうよね、女のプライドってものがあるものね。何にしても、結婚の延期をしたいって言ったくらいで、結婚を白紙にもどすような男は、初めから縁がなかったのよ」
「結婚をやめたことには、何か他に理由があるのよ。彼は何も言わなかったけど」
「心あたりはあるの?」
里子は首をふった。
「女かな」
「私もそう思った。けど、彼は答えなかった」
「怪しいわね」
「もう、どうでもいいわ」
里子は残りのドライ・マティーニを呑み干すと、ウエイターを呼んでお代わりを頼んだ。
「ちょっと、呑みすぎじゃない? それ強いのよ」
「わかってるわ。今はとにかく忘れたいのよ」
アルコールの弱いカクテルなど、今は呑みたくなかった。
「気持ちはわかるけど……。そうだ、これからお祝いしようよ」
「何のお祝いよ」
「里子が晴れて、結婚っていう二文字から開放されたお祝いよ。私もこれで、ひとり取り残されずにすんだしさ」
「玲子は、自分が結婚したくないだけでしょ。それに玲子には彼がいるじゃない。私は独りぼっちになったのよ」
そう言いながら、里子の脳裡に遠藤の顔が浮かんだ。
玲子には、遠藤を部屋まで送ったことを話してない。
話せるわけがなかった。
「ま、いいわ。お祝い、大歓迎! 今日は騒ぎたい気分だから」
「そうこなくっちゃ。騒ぐにはちょうどいい店があるの」
「いくら騒げても、若いコたちが行くようなクラブなんてイヤよ」
「大丈夫よ」
里子がお代わりをしたドライ・マティーニを呑みほしてから、ふたりはショット・バーを出た。
タクシーに乗りこむと、六本木に行ってください、と玲子が運転手に言った。
「どこに行くの?」
里子がそう訊いても、玲子は取り合わず、「いいから、いいから」と笑っていた。
車は青山通りから外苑東通りへと曲がり、六本木に向かった。
六本木の交差点の手前でタクシーを降りると、玲子は俳優座のある路地へと入っていく。
里子は従うようにうしろを歩いた。
五階建ての雑居ビルに入り、エレベーターで三階に上がる。
「ここよ」
玲子は「ボニ―タ」と看板の出ている店のドアを指差した。
「いらっしゃァい」
ドアを開けた途端、妙に甲高いだみ声に迎えられた。
その声に玲子が答える。
「ママ、私」
「あら、アンタなのォ。ヤダ、それもオンナふたり?」
カウンターの中から顔を覗かせたのは、四十代後半と思えるマスター、いやママで、
「口開けからオンナなんてやんなっちゃう。今日は、出版社のあの若くていい男はどうしたのよォ」
火の点いた煙草を指に挟み、不満な顔を浮かべた。
「また今度連れてくるわよ。今日はパッと騒ぎたいの」
ふたりはカウンターに坐った。
「騒ぎたいってアンタ、ここは場末のスナックじゃないのよ。ここは一流のクラブなの。騒ぎたいなら他に行ってちょうだい」
口ではそう言いながら、ママはふたりにおしぼりを渡し、ボトル棚から玲子のスコッチを出してきた。
里子は言葉もないまま、店内を見廻した。
カウンターしかないその店は、ママの言うような一流のクラブにはとても見えない。
そしてそのママだが、この手の店に来たことのない里子が想像していたのとは違い、女装どころか化粧さえほとんどしておらず、身体の線は細いが、そっち側の人間にしておくには勿体ないほどのいい男だった。
「モモちゃんは?」
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「今日は彼とデートよ。十二時くらいには来るんじゃないかしら、彼と一緒にね。どこで見つけてきたのか、モモコの彼がまたいい男なのよ。もう妬けちゃうわ」
そう言うと作った水割りをふたりの前に置き、「私もいただくわよ」と自分の水割りも作り、三人は乾杯した。
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