里子の恋愛

星 陽月

文字の大きさ
上 下
33 / 69

【第33話】

しおりを挟む
「ほんとにいいの? それで」

 口にしたクローバー・クラブのカクテルをテーブルに置くと、玲子が訊いた。

「仕方ないわ。結婚を白紙にもどすって言われて、そのままつき合うことなんてできないわよ」

 里子は答えると、ドライ・マティーニを半分ほど飲み、カクテル・ピックに刺されたオリーヴを口に入れた。
 里子はもう三杯目だ。

「そうよね、女のプライドってものがあるものね。何にしても、結婚の延期をしたいって言ったくらいで、結婚を白紙にもどすような男は、初めから縁がなかったのよ」
「結婚をやめたことには、何か他に理由があるのよ。彼は何も言わなかったけど」
「心あたりはあるの?」

 里子は首をふった。

「女かな」
「私もそう思った。けど、彼は答えなかった」
「怪しいわね」
「もう、どうでもいいわ」

 里子は残りのドライ・マティーニを呑み干すと、ウエイターを呼んでお代わりを頼んだ。

「ちょっと、呑みすぎじゃない? それ強いのよ」
「わかってるわ。今はとにかく忘れたいのよ」

 アルコールの弱いカクテルなど、今は呑みたくなかった。

「気持ちはわかるけど……。そうだ、これからお祝いしようよ」
「何のお祝いよ」
「里子が晴れて、結婚っていう二文字から開放されたお祝いよ。私もこれで、ひとり取り残されずにすんだしさ」
「玲子は、自分が結婚したくないだけでしょ。それに玲子には彼がいるじゃない。私は独りぼっちになったのよ」

 そう言いながら、里子の脳裡に遠藤の顔が浮かんだ。
 玲子には、遠藤を部屋まで送ったことを話してない。
 話せるわけがなかった。

「ま、いいわ。お祝い、大歓迎! 今日は騒ぎたい気分だから」
「そうこなくっちゃ。騒ぐにはちょうどいい店があるの」
「いくら騒げても、若いコたちが行くようなクラブなんてイヤよ」
「大丈夫よ」

 里子がお代わりをしたドライ・マティーニを呑みほしてから、ふたりはショット・バーを出た。
 タクシーに乗りこむと、六本木に行ってください、と玲子が運転手に言った。

「どこに行くの?」

 里子がそう訊いても、玲子は取り合わず、「いいから、いいから」と笑っていた。
 車は青山通りから外苑東通りへと曲がり、六本木に向かった。
 六本木の交差点の手前でタクシーを降りると、玲子は俳優座のある路地へと入っていく。
 里子は従うようにうしろを歩いた。
 五階建ての雑居ビルに入り、エレベーターで三階に上がる。

「ここよ」

 玲子は「ボニ―タ」と看板の出ている店のドアを指差した。

「いらっしゃァい」

 ドアを開けた途端、妙に甲高いだみ声に迎えられた。
 その声に玲子が答える。

「ママ、私」
「あら、アンタなのォ。ヤダ、それもオンナふたり?」

 カウンターの中から顔を覗かせたのは、四十代後半と思えるマスター、いやママで、

「口開けからオンナなんてやんなっちゃう。今日は、出版社のあの若くていい男はどうしたのよォ」

 火の点いた煙草を指に挟み、不満な顔を浮かべた。

「また今度連れてくるわよ。今日はパッと騒ぎたいの」

 ふたりはカウンターに坐った。

「騒ぎたいってアンタ、ここは場末のスナックじゃないのよ。ここは一流のクラブなの。騒ぎたいなら他に行ってちょうだい」

 口ではそう言いながら、ママはふたりにおしぼりを渡し、ボトル棚から玲子のスコッチを出してきた。
 里子は言葉もないまま、店内を見廻した。
 カウンターしかないその店は、ママの言うような一流のクラブにはとても見えない。
 そしてそのママだが、この手の店に来たことのない里子が想像していたのとは違い、女装どころか化粧さえほとんどしておらず、身体の線は細いが、そっち側の人間にしておくには勿体ないほどのいい男だった。

「モモちゃんは?」

 水割りをつくっているママに、玲子が訊いた。

「今日は彼とデートよ。十二時くらいには来るんじゃないかしら、彼と一緒にね。どこで見つけてきたのか、モモコの彼がまたいい男なのよ。もう妬けちゃうわ」

 そう言うと作った水割りをふたりの前に置き、「私もいただくわよ」と自分の水割りも作り、三人は乾杯した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

じれったい夜の残像

ペコかな
恋愛
キャリアウーマンの美咲は、日々の忙しさに追われながらも、 ふとした瞬間に孤独を感じることが増えていた。 そんな彼女の前に、昔の恋人であり今は経営者として成功している涼介が突然現れる。 再会した涼介は、冷たく離れていったかつての面影とは違い、成熟しながらも情熱的な姿勢で美咲に接する。 再燃する恋心と、互いに抱える過去の傷が交錯する中で、 美咲は「じれったい」感情に翻弄される。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

陰で泣くとか無理なので

中田カナ
恋愛
婚約者である王太子殿下のご学友達に陰口を叩かれていたけれど、泣き寝入りなんて趣味じゃない。 ※ 小説家になろう、カクヨムでも掲載しています

処理中です...