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【第27話】
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寝不足と二日酔いのダブルパンチに悩まされながらも、何とか午前中の仕事が終わり、里子は西条加代子とスパゲティ専門店でランチを摂っていた。
「えッ、その人の部屋まで行ったの?」
里子の言葉に、加代子は思わず箸を止めた。
そう訊かれた里子もやはり、魚介類とトマトのスパゲティに伸ばした箸を止め、
「だって彼ったら、酔っ払っちゃってて、ひとりで帰れる状態じゃなかったのよ」
そう答えた。
その店は、和風ダシをベースにしているだけに、スパゲティを箸で食べる。
「それで、そのあとは?」
加代子は好奇な眼を向ける。
「そんな眼で見ないでよ。加代子が想像してるようなことは何もないんだから」
「何だ、つまんない。結婚前の、密かな甘い夜を堪能したのかと思って、期待したのに」
「勝手な期待しないで。彼は友だちの彼氏なんだから」
「だからいいんじゃないの。一夜の思い出は蜜の味、ってよく言うでしょ」
「言わないわよ、そんなこと。もう、他人事だと思ってェ」
何てこと考えてるんだろ、そう思いながら、里子は加代子を見つめた。
昨夜、酔って陽気になった遠藤と、しばらくあの店で呑んだあと、足元の覚束ない彼を支えてタクシーに乗り、里子は遠藤のマンションまで送った。
タクシーに乗ったとたんに寝てしまった遠藤を揺り起こしながらマンションまでの道順を訊き、マンションに着いた時はとてもひとりでは歩ける状態ではなく、仕方なく里子もそこで降りた。
ほとんど眠っている遠藤を肩に抱え、部屋に入るとリビングで力尽きて、ソファに倒れこむように横たえた。
ひと息つく暇もなく「水をくれ」と言う遠藤に水をグラスに入れて渡し、寝室から毛布を取ってきた。
「じゃあ、私、帰るね」
首元まで毛布をかけてやり、里子がそう声をかけて立ち上がろうとした時、遠藤の手が伸びてきて手首を掴んだ。
そのまま腕を引かれ、里子は遠藤に覆い被さる形になった。
「ちょっと遠藤くん」
身体を離そうとする里子の背に、遠藤は腕を廻した。
「何するの、やめて!」
それでもあらがおうと力を入れると、
「もう少し、このままで……」
囁くような、か細い声がした。
里子は力を抜いていた。
いや、抜いたのではなく、何故か力がふいに抜けたのだった。
耳元に、遠藤のアルコールの匂いが漂う赤い息がかかっている。
どう対処していいのか分からぬまま、鼓動が激しくなっていく。
帰らなきゃ……。
その思いとは裏腹に、身体は動かなかった。
静かに時が刻まれていく。
そんな中で里子は、遠藤の息と自分の鼓動の音だけを聴いていた。
しばらくすると、遠藤の息は寝息に変わり、里子はゆっくりと身体を離した。
そのときなぜか、その場を離れがたい気持ちになって、少年のような遠藤の寝顔を見つめた。
そんな自分が理解できないまま寝顔を見つめつづけ、ふと我に返って腕時計に眼をやると、午前二時を過ぎていた。
里子はそっと立ち上がり、遠藤の部屋をあとにした――
手首を引かれ抱き寄せられたときの、あの胸の高鳴りは何だったんだろう……。
里子はスパゲティを口に運びながら、そのことを考えていた。
あのとき、わずかに抵抗を示しながら、けれど、遠藤の腕をふり解くことができなかった。
それどころか、ほんのつかの間のひと時に、身を任せて眼を閉じていた。
そして、遠藤が寝息を立て始め、部屋を出ようとしたその刹那、薄闇に浮かぶ彼の唇に、口づけをしようとしたあの衝動はなんだったのだろうか。
酔ってただけよ……。
そう思おうとしても、酔っていただけでは片づけられない何かがある。
その何かが、里子にはわからない。
まさか好きになることはあり得ないが、よくよく考えてみると、一度は誘いを断り、なのに今度は自分から誘いかけたのは、遠藤の玲子への気持ちを聞きだそうとしたのは立前で、実際は彼に惹かれたからではないのか。
そう思えてくる。
バカバカしい……。
里子は胸の中で首をふった。
「えッ、その人の部屋まで行ったの?」
里子の言葉に、加代子は思わず箸を止めた。
そう訊かれた里子もやはり、魚介類とトマトのスパゲティに伸ばした箸を止め、
「だって彼ったら、酔っ払っちゃってて、ひとりで帰れる状態じゃなかったのよ」
そう答えた。
その店は、和風ダシをベースにしているだけに、スパゲティを箸で食べる。
「それで、そのあとは?」
加代子は好奇な眼を向ける。
「そんな眼で見ないでよ。加代子が想像してるようなことは何もないんだから」
「何だ、つまんない。結婚前の、密かな甘い夜を堪能したのかと思って、期待したのに」
「勝手な期待しないで。彼は友だちの彼氏なんだから」
「だからいいんじゃないの。一夜の思い出は蜜の味、ってよく言うでしょ」
「言わないわよ、そんなこと。もう、他人事だと思ってェ」
何てこと考えてるんだろ、そう思いながら、里子は加代子を見つめた。
昨夜、酔って陽気になった遠藤と、しばらくあの店で呑んだあと、足元の覚束ない彼を支えてタクシーに乗り、里子は遠藤のマンションまで送った。
タクシーに乗ったとたんに寝てしまった遠藤を揺り起こしながらマンションまでの道順を訊き、マンションに着いた時はとてもひとりでは歩ける状態ではなく、仕方なく里子もそこで降りた。
ほとんど眠っている遠藤を肩に抱え、部屋に入るとリビングで力尽きて、ソファに倒れこむように横たえた。
ひと息つく暇もなく「水をくれ」と言う遠藤に水をグラスに入れて渡し、寝室から毛布を取ってきた。
「じゃあ、私、帰るね」
首元まで毛布をかけてやり、里子がそう声をかけて立ち上がろうとした時、遠藤の手が伸びてきて手首を掴んだ。
そのまま腕を引かれ、里子は遠藤に覆い被さる形になった。
「ちょっと遠藤くん」
身体を離そうとする里子の背に、遠藤は腕を廻した。
「何するの、やめて!」
それでもあらがおうと力を入れると、
「もう少し、このままで……」
囁くような、か細い声がした。
里子は力を抜いていた。
いや、抜いたのではなく、何故か力がふいに抜けたのだった。
耳元に、遠藤のアルコールの匂いが漂う赤い息がかかっている。
どう対処していいのか分からぬまま、鼓動が激しくなっていく。
帰らなきゃ……。
その思いとは裏腹に、身体は動かなかった。
静かに時が刻まれていく。
そんな中で里子は、遠藤の息と自分の鼓動の音だけを聴いていた。
しばらくすると、遠藤の息は寝息に変わり、里子はゆっくりと身体を離した。
そのときなぜか、その場を離れがたい気持ちになって、少年のような遠藤の寝顔を見つめた。
そんな自分が理解できないまま寝顔を見つめつづけ、ふと我に返って腕時計に眼をやると、午前二時を過ぎていた。
里子はそっと立ち上がり、遠藤の部屋をあとにした――
手首を引かれ抱き寄せられたときの、あの胸の高鳴りは何だったんだろう……。
里子はスパゲティを口に運びながら、そのことを考えていた。
あのとき、わずかに抵抗を示しながら、けれど、遠藤の腕をふり解くことができなかった。
それどころか、ほんのつかの間のひと時に、身を任せて眼を閉じていた。
そして、遠藤が寝息を立て始め、部屋を出ようとしたその刹那、薄闇に浮かぶ彼の唇に、口づけをしようとしたあの衝動はなんだったのだろうか。
酔ってただけよ……。
そう思おうとしても、酔っていただけでは片づけられない何かがある。
その何かが、里子にはわからない。
まさか好きになることはあり得ないが、よくよく考えてみると、一度は誘いを断り、なのに今度は自分から誘いかけたのは、遠藤の玲子への気持ちを聞きだそうとしたのは立前で、実際は彼に惹かれたからではないのか。
そう思えてくる。
バカバカしい……。
里子は胸の中で首をふった。
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