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【第21話】
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何事もなく仕事を終えた里子は、オープン・カフェでひとり珈琲を飲んでいた。
暦は十月に入り、街並みや、通りを往来する人の服装も秋色に染まり始めている。
季節の中では一番短く、活気だっていたものを、休息へといざなうこの季節が、里子は好きだった。
それだけに、結婚式を挙げるなら、秋にしたい、というのが念願だった。
だからこそ、
「式を挙げるなら、やっぱり六月だよ」
そう言う倉田にも、無理を言って十月にしてもらったのだ。
その式の日は、二十六日だ。
どうしよう……。
里子はため息を零した。
倉田にはまだ電話を掛けていない。
美都子から母の話を聞き、その翌日には倉田に謝罪をするつもりでいたのに、それができないまま三日が過ぎた。
許してもらえなかったら、という想いがスマート・フォンを持つ手を躊躇(ちゅうちょ)させるのだった。
その間、倉田からの着信もなかった。
だが、このままにしておくわけにはいかない。
倉田の両親には、式の延期だけではすまされないかも知れなし、結婚そのものが白紙になることも考えられる。
いや、すでにその話が出ているのではないか。
倉田から着信がないのは、それが理由だとも考えられる。
そんなことを考えていると、尚更倉田に電話を掛けることが怖くなっていく。
延期するなんて言わなきゃよかった……。
今さらながらにそう思う。
つくづく自分の愚かさに呆れる。
けれど、そんなことを考えていても、時は刻々と過ぎていく。
このままじゃいけない……
なんどとなくそう思い、そして今も、いざ電話を掛けようとすると、指先が動かなくなるのだった。
里子はまたため息を零し、珈琲を口にした。
そのとき、
「やっぱり、ここにいた」
と声がかかり、里子が顔を上げると、そこには佐久間耕二が白い歯を覗かせて立っていた。
「どうしたの? みんなと一緒に行かなかったの?」
仕事が終わったあと、社員たちはカラオケに行こうと誘い合ったが、里子は気分が乗らないからと、辞退したのだ。佐久間もそのメンバーに入ってるはずだった。
「僕も気が乗らなくてやめました」
そう言うと、佐久間は里子の席に坐った。
その佐久間は、今年入社してきた後輩だった。
素直で明るく、その上調子がいいので、女子社員には受けがいい。
そんなお調子者の佐久間を、女子社員たちは、TVドラマに出るなり人気上昇中の植木章吾に似ていると言うが、里子にはそう思えなかった。
というより、思いたくない、と言ったほうが正しい。
なぜなら、今まで誰にも明かしたことはないが、里子は植木章吾のファンだったのだ。
だから里子は、ひとり否定しつづけているのだった。
「それにしても、どうして私がここにいるって分かったの?」
「先輩のことは、何だってわかりますよ」
自身ありげに佐久間は言う。
「君ってもしかして、ストーカー?」
「そんな、違いますよ。西条さんに、先輩の行きそうなとこを訊いたら、ここじゃないかって言われて、それで来てみたんじゃないですか」
自分は潔白だと言わんばかりに、佐久間はそう返した。
「わざわざ私の居場所を訊いたの? そんなことしたら、変に疑われるじゃないのよ」
「いいじゃないですか。僕が先輩を好きだってことは、周知の事実なんですから」
半年ほど前、里子は婚約発表をし、それを祝うパーティを社員たちで開いてくれたのだが、そのときの佐久間は早いピッチでビールや水割りを呑み、酔った勢いに任せて、
「僕は、野嶋里子さんが好きです」
と皆の前で公言したのだった。
里子にとっては迷惑以外の何ものでもなく、佐久間に撤回を求めたが、その張本人は意に介さないといった態度で、
「婚約したからって、結婚するまでは、僕にもまだチャンスがあるわけですから」
そう言い、それ以来、佐久間の里子への想いは、公認されてしまったのだった。
暦は十月に入り、街並みや、通りを往来する人の服装も秋色に染まり始めている。
季節の中では一番短く、活気だっていたものを、休息へといざなうこの季節が、里子は好きだった。
それだけに、結婚式を挙げるなら、秋にしたい、というのが念願だった。
だからこそ、
「式を挙げるなら、やっぱり六月だよ」
そう言う倉田にも、無理を言って十月にしてもらったのだ。
その式の日は、二十六日だ。
どうしよう……。
里子はため息を零した。
倉田にはまだ電話を掛けていない。
美都子から母の話を聞き、その翌日には倉田に謝罪をするつもりでいたのに、それができないまま三日が過ぎた。
許してもらえなかったら、という想いがスマート・フォンを持つ手を躊躇(ちゅうちょ)させるのだった。
その間、倉田からの着信もなかった。
だが、このままにしておくわけにはいかない。
倉田の両親には、式の延期だけではすまされないかも知れなし、結婚そのものが白紙になることも考えられる。
いや、すでにその話が出ているのではないか。
倉田から着信がないのは、それが理由だとも考えられる。
そんなことを考えていると、尚更倉田に電話を掛けることが怖くなっていく。
延期するなんて言わなきゃよかった……。
今さらながらにそう思う。
つくづく自分の愚かさに呆れる。
けれど、そんなことを考えていても、時は刻々と過ぎていく。
このままじゃいけない……
なんどとなくそう思い、そして今も、いざ電話を掛けようとすると、指先が動かなくなるのだった。
里子はまたため息を零し、珈琲を口にした。
そのとき、
「やっぱり、ここにいた」
と声がかかり、里子が顔を上げると、そこには佐久間耕二が白い歯を覗かせて立っていた。
「どうしたの? みんなと一緒に行かなかったの?」
仕事が終わったあと、社員たちはカラオケに行こうと誘い合ったが、里子は気分が乗らないからと、辞退したのだ。佐久間もそのメンバーに入ってるはずだった。
「僕も気が乗らなくてやめました」
そう言うと、佐久間は里子の席に坐った。
その佐久間は、今年入社してきた後輩だった。
素直で明るく、その上調子がいいので、女子社員には受けがいい。
そんなお調子者の佐久間を、女子社員たちは、TVドラマに出るなり人気上昇中の植木章吾に似ていると言うが、里子にはそう思えなかった。
というより、思いたくない、と言ったほうが正しい。
なぜなら、今まで誰にも明かしたことはないが、里子は植木章吾のファンだったのだ。
だから里子は、ひとり否定しつづけているのだった。
「それにしても、どうして私がここにいるって分かったの?」
「先輩のことは、何だってわかりますよ」
自身ありげに佐久間は言う。
「君ってもしかして、ストーカー?」
「そんな、違いますよ。西条さんに、先輩の行きそうなとこを訊いたら、ここじゃないかって言われて、それで来てみたんじゃないですか」
自分は潔白だと言わんばかりに、佐久間はそう返した。
「わざわざ私の居場所を訊いたの? そんなことしたら、変に疑われるじゃないのよ」
「いいじゃないですか。僕が先輩を好きだってことは、周知の事実なんですから」
半年ほど前、里子は婚約発表をし、それを祝うパーティを社員たちで開いてくれたのだが、そのときの佐久間は早いピッチでビールや水割りを呑み、酔った勢いに任せて、
「僕は、野嶋里子さんが好きです」
と皆の前で公言したのだった。
里子にとっては迷惑以外の何ものでもなく、佐久間に撤回を求めたが、その張本人は意に介さないといった態度で、
「婚約したからって、結婚するまでは、僕にもまだチャンスがあるわけですから」
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