里子の恋愛

星 陽月

文字の大きさ
上 下
21 / 69

【第21話】

しおりを挟む
 何事もなく仕事を終えた里子は、オープン・カフェでひとり珈琲を飲んでいた。
 暦は十月に入り、街並みや、通りを往来する人の服装も秋色に染まり始めている。
 季節の中では一番短く、活気だっていたものを、休息へといざなうこの季節が、里子は好きだった。
 それだけに、結婚式を挙げるなら、秋にしたい、というのが念願だった。
 だからこそ、

「式を挙げるなら、やっぱり六月だよ」

 そう言う倉田にも、無理を言って十月にしてもらったのだ。
 その式の日は、二十六日だ。

 どうしよう……。

 里子はため息を零した。
 倉田にはまだ電話を掛けていない。
 美都子から母の話を聞き、その翌日には倉田に謝罪をするつもりでいたのに、それができないまま三日が過ぎた。
 許してもらえなかったら、という想いがスマート・フォンを持つ手を躊躇(ちゅうちょ)させるのだった。
 その間、倉田からの着信もなかった。
 だが、このままにしておくわけにはいかない。
 倉田の両親には、式の延期だけではすまされないかも知れなし、結婚そのものが白紙になることも考えられる。
いや、すでにその話が出ているのではないか。
 倉田から着信がないのは、それが理由だとも考えられる。
 そんなことを考えていると、尚更倉田に電話を掛けることが怖くなっていく。

 延期するなんて言わなきゃよかった……。

 今さらながらにそう思う。
 つくづく自分の愚かさに呆れる。
 けれど、そんなことを考えていても、時は刻々と過ぎていく。

 このままじゃいけない……

 なんどとなくそう思い、そして今も、いざ電話を掛けようとすると、指先が動かなくなるのだった。
 里子はまたため息を零し、珈琲を口にした。
 そのとき、

「やっぱり、ここにいた」

 と声がかかり、里子が顔を上げると、そこには佐久間耕二が白い歯を覗かせて立っていた。

「どうしたの? みんなと一緒に行かなかったの?」

 仕事が終わったあと、社員たちはカラオケに行こうと誘い合ったが、里子は気分が乗らないからと、辞退したのだ。佐久間もそのメンバーに入ってるはずだった。

「僕も気が乗らなくてやめました」

 そう言うと、佐久間は里子の席に坐った。
 その佐久間は、今年入社してきた後輩だった。
 素直で明るく、その上調子がいいので、女子社員には受けがいい。
 そんなお調子者の佐久間を、女子社員たちは、TVドラマに出るなり人気上昇中の植木章吾に似ていると言うが、里子にはそう思えなかった。
 というより、思いたくない、と言ったほうが正しい。
 なぜなら、今まで誰にも明かしたことはないが、里子は植木章吾のファンだったのだ。
 だから里子は、ひとり否定しつづけているのだった。

「それにしても、どうして私がここにいるって分かったの?」
「先輩のことは、何だってわかりますよ」

 自身ありげに佐久間は言う。

「君ってもしかして、ストーカー?」
「そんな、違いますよ。西条さんに、先輩の行きそうなとこを訊いたら、ここじゃないかって言われて、それで来てみたんじゃないですか」

 自分は潔白だと言わんばかりに、佐久間はそう返した。

「わざわざ私の居場所を訊いたの? そんなことしたら、変に疑われるじゃないのよ」
「いいじゃないですか。僕が先輩を好きだってことは、周知の事実なんですから」

 半年ほど前、里子は婚約発表をし、それを祝うパーティを社員たちで開いてくれたのだが、そのときの佐久間は早いピッチでビールや水割りを呑み、酔った勢いに任せて、

「僕は、野嶋里子さんが好きです」

 と皆の前で公言したのだった。
 里子にとっては迷惑以外の何ものでもなく、佐久間に撤回を求めたが、その張本人は意に介さないといった態度で、

「婚約したからって、結婚するまでは、僕にもまだチャンスがあるわけですから」

 そう言い、それ以来、佐久間の里子への想いは、公認されてしまったのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

じれったい夜の残像

ペコかな
恋愛
キャリアウーマンの美咲は、日々の忙しさに追われながらも、 ふとした瞬間に孤独を感じることが増えていた。 そんな彼女の前に、昔の恋人であり今は経営者として成功している涼介が突然現れる。 再会した涼介は、冷たく離れていったかつての面影とは違い、成熟しながらも情熱的な姿勢で美咲に接する。 再燃する恋心と、互いに抱える過去の傷が交錯する中で、 美咲は「じれったい」感情に翻弄される。

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

秘事

詩織
恋愛
妻が何か隠し事をしている感じがし、調べるようになった。 そしてその結果は...

処理中です...