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【第7話】
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「母さんと初めて出逢ったのは、父さんがひとり暮らしをしてたアパートの近くの喫茶店だった」
そう話し始めた宗太郎を、里子は見つめた。
「JAZZをレコードで流してる、洒落た店だったよ。母さん、そのときはまだ学生だったから、平日は夕方から週に3日、日曜日は10時から4時までアルバイトをしてたんだ。その店で、初めて母さんを見たとき、運命のようなものを感じたよ。あァ、この人だって。だから、日曜日は必ず行ったよ。珈琲一杯で何時間も粘ったなァ」
宗太郎は懐かしむように眼を馳せた。
「ひと目惚れしたんだ、お母さんに」
「胸が熱くなって、弾けそうだった」
「すぐに告白したの?」
里子のその問いに、
「そんなこと、できるわけないさ。珈琲を注文するんだってドキドキだったぐらいだからな」
宗太郎はそう返して、
「自分から声をかけるなんて、とても無理だったよ。そんなだったから、ご注文は? って訊く母さんに、ホット、って言うのが精一杯で、ただそっと見つめてるだけだった。それだけでも幸せだったんだ。それが、それから1ヶ月が過ぎたころ、いつものように店に行くと、いつものように母さんが水を運んできて、またいつものように、ご注文は? って訊くと思ったら、母さん、ホットですね、って笑顔を浮かべたんだ。父さん、放心したようにその笑顔を見つめてた」
そこで一息つくようにグラスを口にした。
「なんかワクワクする。きっとお母さんも、お父さんのこと、気になってたのね」
父に合わせて、里子もグラスを口にした。
「どうかな。母さん、なにも言わなかったからな」
「きっとそうよ。お父さんから声をかけてくれるのを待てなかったんだわ。私だってそうすると思う」
「孝紀くんとは、そうだったのか?」
「私の場合は、彼からの熱烈なアプローチだったわ」
「熱烈はオーバーじゃないのか」
「だって、ほんとうだもの。君とつき合えたら、僕は世界一幸せだなんてね。いまどき、そんなことを言う人がいるんだなァ、って感心しながら、でもうれしかった」
「親の前でノロケか?」
「やだ、そんなんじゃないわよ。それより、そのあとはどうだったの?」
里子は、父親と母親のなりそめのつづきが聞きたかった。
「もういいじゃないか」
宗太郎は逃げようとする。
「ダメよ、そこまで話したんだから、最後まで話してくれなきゃ」
「厳しいな」
宗太郎は困惑顔で苦笑し、「おまえには負けた」といった感じでまた話し始めた。
その後、そのときはまだ結婚するなどと思いもしなかった池内早苗と、宗太郎は少しずつ会話を交わすようになった。
そして、その店に行くようになってから5ヶ月が過ぎたある日、宗太郎は2枚の映画チケットを手にして店へと向かった。
まだ一度も早苗をデートに誘っていない宗太郎だっただけに、緊張のためか顔が強張り珈琲カップを持つ手が震えた。
いつもと様子が違う宗太郎に早苗も気づいて、
「野嶋さん、なにかあったの?」
トレーを胸に抱えて、心配そうに見つめた。
「いや、別になにも……」
宗太郎は誘う勇気が持てずに、顔を顰(しか)めた。
映画に行きませんか――
前日から何十回と声にしたその言葉も、そのときは、激しく打つ鼓動と伴って胸の中で暴れるだけだった。
店の中には、宗太郎以外は客の姿はなく、今しか誘うチャンスはないという思いに口を開きかけるのだが、そんなときに限って早苗はカウンターの中に入っていってしまうのだった。
そうしてるうちに客がひとりふたりと入ってきて、せっかくのチャンスを逃してしまい、宗太郎は汗ばむ手のひらを膝で拭って、何杯目かの水を喉に流しこんだ。
刻々と、早苗が帰る時間が近づいていく。
気ばかりが焦り、また水を口にふくんだ。
宗太郎は、早苗が帰る時間までに、他の客が帰ってくれることを願った。
だが、願いがそう簡単に叶うわけもなく、3人いる客は帰る素振りもみせず、それどころか、ふたり連れの新しい客が入ってくるという始末だった。
それでも諦めずに、宗太郎は待った。
最後のチャンスを。
そんなとき、ひとりの客が席を立ち、会計をすませて店を出ていった。
よしッ、今しかない!
宗太郎は胸の中で叫んだ。
そう話し始めた宗太郎を、里子は見つめた。
「JAZZをレコードで流してる、洒落た店だったよ。母さん、そのときはまだ学生だったから、平日は夕方から週に3日、日曜日は10時から4時までアルバイトをしてたんだ。その店で、初めて母さんを見たとき、運命のようなものを感じたよ。あァ、この人だって。だから、日曜日は必ず行ったよ。珈琲一杯で何時間も粘ったなァ」
宗太郎は懐かしむように眼を馳せた。
「ひと目惚れしたんだ、お母さんに」
「胸が熱くなって、弾けそうだった」
「すぐに告白したの?」
里子のその問いに、
「そんなこと、できるわけないさ。珈琲を注文するんだってドキドキだったぐらいだからな」
宗太郎はそう返して、
「自分から声をかけるなんて、とても無理だったよ。そんなだったから、ご注文は? って訊く母さんに、ホット、って言うのが精一杯で、ただそっと見つめてるだけだった。それだけでも幸せだったんだ。それが、それから1ヶ月が過ぎたころ、いつものように店に行くと、いつものように母さんが水を運んできて、またいつものように、ご注文は? って訊くと思ったら、母さん、ホットですね、って笑顔を浮かべたんだ。父さん、放心したようにその笑顔を見つめてた」
そこで一息つくようにグラスを口にした。
「なんかワクワクする。きっとお母さんも、お父さんのこと、気になってたのね」
父に合わせて、里子もグラスを口にした。
「どうかな。母さん、なにも言わなかったからな」
「きっとそうよ。お父さんから声をかけてくれるのを待てなかったんだわ。私だってそうすると思う」
「孝紀くんとは、そうだったのか?」
「私の場合は、彼からの熱烈なアプローチだったわ」
「熱烈はオーバーじゃないのか」
「だって、ほんとうだもの。君とつき合えたら、僕は世界一幸せだなんてね。いまどき、そんなことを言う人がいるんだなァ、って感心しながら、でもうれしかった」
「親の前でノロケか?」
「やだ、そんなんじゃないわよ。それより、そのあとはどうだったの?」
里子は、父親と母親のなりそめのつづきが聞きたかった。
「もういいじゃないか」
宗太郎は逃げようとする。
「ダメよ、そこまで話したんだから、最後まで話してくれなきゃ」
「厳しいな」
宗太郎は困惑顔で苦笑し、「おまえには負けた」といった感じでまた話し始めた。
その後、そのときはまだ結婚するなどと思いもしなかった池内早苗と、宗太郎は少しずつ会話を交わすようになった。
そして、その店に行くようになってから5ヶ月が過ぎたある日、宗太郎は2枚の映画チケットを手にして店へと向かった。
まだ一度も早苗をデートに誘っていない宗太郎だっただけに、緊張のためか顔が強張り珈琲カップを持つ手が震えた。
いつもと様子が違う宗太郎に早苗も気づいて、
「野嶋さん、なにかあったの?」
トレーを胸に抱えて、心配そうに見つめた。
「いや、別になにも……」
宗太郎は誘う勇気が持てずに、顔を顰(しか)めた。
映画に行きませんか――
前日から何十回と声にしたその言葉も、そのときは、激しく打つ鼓動と伴って胸の中で暴れるだけだった。
店の中には、宗太郎以外は客の姿はなく、今しか誘うチャンスはないという思いに口を開きかけるのだが、そんなときに限って早苗はカウンターの中に入っていってしまうのだった。
そうしてるうちに客がひとりふたりと入ってきて、せっかくのチャンスを逃してしまい、宗太郎は汗ばむ手のひらを膝で拭って、何杯目かの水を喉に流しこんだ。
刻々と、早苗が帰る時間が近づいていく。
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宗太郎は、早苗が帰る時間までに、他の客が帰ってくれることを願った。
だが、願いがそう簡単に叶うわけもなく、3人いる客は帰る素振りもみせず、それどころか、ふたり連れの新しい客が入ってくるという始末だった。
それでも諦めずに、宗太郎は待った。
最後のチャンスを。
そんなとき、ひとりの客が席を立ち、会計をすませて店を出ていった。
よしッ、今しかない!
宗太郎は胸の中で叫んだ。
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