上弦の月 ~他界した母へ贈る手紙~

星 陽月

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【第10話】

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 幼いときから、絵を描くことが好きだった僕は、コンクールで入選することも少なくなく、

「画家になりたい」

 というのが、僕の唯一の夢でした。
 その想いを何度も打ち明けようとしましたが、僕が働きに出ることが当然のように話すあなたに、僕は自分の想いを、胸の中に仕舞いこむ以外になかったのです。
 そして僕は、自転車で家から20分ほどで通勤のできる木工所に働くことになりました。
 働くことを苦に思ったことはありません。
 手にした給料のすべてをあなたに渡していたことや、友達や木工所の同僚たちとの交友も自由にできない不満をもちながらも、仕方のないこと、と自分に言い聞かせていました。
 だから僕は、2年間のあいだ、何ひとつ不満を洩らすことなく働いたのです。
 そう、僕が、自分を圧し殺し、あなたが望むままに働いたのは、2年間だけでした。
 正確に言うなら、2年と4ヵ月。
 あの日のことを、僕はいまでも忘れません。
 あれは、家の前から望む山々の樹木が枝を広げて鬱蒼とし、その前方に広がる田園の稲の葉が、風に波打つ夏の日でした。
 瞼を閉じれば、そのときの鮮やかな碧が蘇ります。
 その日の朝、僕はいつもと何も変わらず、家から木工所へと向かいました。
 そのときはまだ、自分がまさか、そのまま家を出てしまうなどと、想像もしていませんでした。
 だからこそ、いつものように仕事に就き、休憩時間や昼食のときも、同僚や先輩たちと会話を楽しんでいたのです。
 ほんとうにいつもと変わらない1日でした。
 けれど、同僚や先輩たちは、仕事が終わるころになると、どこかそわそわとし始めました。
 なぜなら、その日は木工所から夏の賞与が支給される日だったのです。
 賞与を受け取った社員たちは皆、その顔から歓びを隠せずにいるのに対し、僕だけはその歓びとは無縁でした。
 いえ、さすがに賞与を手渡されたときは、その重さに微かな歓びを感じはしましたが、それもつかの間、その賞与のすべてをあなたに渡すのだという思いに、歓びは落胆に変わったのです。
 そんな僕の思いも知らず、同僚のひとりが、これから遊びに行こうと声をかけてきました。

「たまにはつき合えよ」

 そう言う同僚に、返す言葉が見つからず、

「ごめん………」

 そう答えて苦笑し、自転車置き場へと向かいました。

「まったく、つき合いの悪い奴だな。もう、誘わねェからな」

 吐き棄てるように言った同様の言葉は、背中から僕の胸を突き刺しました。

 僕だって行きたいさ………。

 胸の中でそう呟きながら、僕は自転車に跨り、木工所を後にしたのです。
 木工所から2つ目の交差点に差し掛かったところで信号が赤になり、僕は自転車を停めました。
 陽はまだ落ちておらず、僕は眼を細めて、真っ直ぐに伸びる路上の先を見つめていました。
 そのときです。
 胸の中で何かが弾けるような感覚を覚え、そして、

『このままでいいのか――』

 そんな声が、聴こえてきたのです。
 思わず僕は周りを見渡しました。
 でも、僕に話しかけてくるような人影もなく、信号待ちしている車の運転手も、僕がそこにいることさえ気づいていない様子で、信号に眼を向けていました。

 幻聴か……。

 そう思い、気を取り直すと、

『このままでいいのか――』

 また、その声が聴こえてきたのです。

『お前はこのまま、こんな田舎で終わっていいのか――このままお前は、自由もなく一生を過ごしていくのか――自由になれ――自由を手にいれるんだ――』

 その声は、囁くように脳裡に直接響いてきました。
 その声に同調するように、僕の中で色んな想いが駆け巡ったのです。

 どうして僕には自由がないんだ……。
 僕だって遊びに行きたいんだ……。
 自分で働いたお金をどうして自分の好きに使うことができないんだ……。
 自由になりたい……。
 僕はロボットじゃない……。

 駆け巡る想いは、それまで吐き出すことができずに抑えつづけていた不満だったのでした。
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