哀しみは、もういらない

星 陽月

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【第48話】

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「来週の木曜日は、妙子の誕生日だな」

 銀座からの帰りがけに妙子は実家により、久しぶりに家族で夕食を摂っていると、健作がとつぜんそんなことを言った。

「今年は、家で誕生パーティでもやるか」

 思ってもみないその言葉に、妙子は不思議なものを見るように父親の顔を見つめた。
 すると静江が透かさず、

「いいわねえ。妙子、そうしましょうよ」

 そう言ってきた。

「そんなのいいわよ」

 妙子が辞退しようとすると、

「姉さん、いいじゃないか。祝ってくれるって言ってるんだから」

 今度は隆弘が言った。

「だって、誕生日を家族でなんて歳じゃないわよ」
「どうせ、祝ってくれる人なんていないだろ?」

 その言葉に、妙子の顔が一瞬強張った。
 隆弘は冗談のつもりで口をついたのだが、すぐにまずいことを言ったことに気づき、

「ごめん」

 と顔をしかめた。

「いいのよ、気にしないで」

 妙子はすぐに笑顔をつくったが、家族は一様に口を閉ざしてしまった。

「やだ、ちょっとなによ、みんなで黙りこんじゃって。私はもう平気よ。いつまでも、過去に縛られてたって仕方ないんだから。ほんとよ。だから気を使ったりしないでよ」

 妙子は明るく言った。
 それに呼応するように、

「そうよ、妙子の言うとおり。過去は過去なんだから、前向きに生きなきゃね」

 静江が言い、それで隆弘や健作の表情も和んだ。
 食事を終え、洗い物をすませると、妙子は玄関に立った。

「誕生パーティのこと、考えといてね」

 見送りにきた静江の言葉に、妙子は、うん、とうなずいた。
 するとそこに健作がやってきた。

「あら、お父さん、見送りなんてめずらしいわね」

 静江にそう言われて、健作は少し戸惑った顔をしたが、一度咳払いをすると、

「まァ、あれだ。いろいろあったが、がんばれよ。父さん、おまえのためだったらなんだって力になる」

 照れ臭そうに言った。

「うん、ありがと」

 父親の言葉は胸に沁みた。

「それと、どうなってるんだ」
「どうなってるって、なにが?」
「なにがって、ほら、あの、おまえがつき合ってた彼は、なんていったか……」
「広瀬くんのこと?」
「そう、その彼だ」
「彼と別れたことは話したじゃない」

 晃一のことは、すでに話していた。
 自らの命を絶った夫に刺されたのだから、隠しておくわけにはいかなかった。
 妙子のつき合っていた男が、妙子の元教え子だと知った健作は狼狽の色を隠せずにいたが、それでも、もう別れたと聞いたときには、その顔に安堵の表情を浮かべたのだった。
 その父親がいまになってなぜ晃一とのことを訊いてきたのか、妙子にはわからなかった。

「あれから、一度も会ってないわ。だから、どうなってるもなにもないわよ。どうして?」
「いや、父さんが訊いてるのは、おまえの気持ちはどうなんだってことだ」

 妙子は一瞬言葉を詰まらせ、視線を泳がせたが、

「彼とは……、もう終わったことよ」

 父親を見ずに言った。

「ほんとうに、それでいいのか」

 妙子は答えられない。

「彼のことが、まだ好きなんじゃないのか。好きなんだったら、諦めるな」

 その言葉には静江が驚いて、夫の横顔を見た。
 夫がそんなことを言うとは思いもしなかった。

「彼の両親のこともあって大変だろうが、負けるな。父さんは反対しない。おまえの好きになった男だ。嫌いになって別れたわけじゃないだろう」

 妙子は父親の顔を見つめた。
 父親の口からこぼれ出た言葉が信じられなかった。
 自分の耳を疑ったほどだ。
 だが、真剣な父親の眼差しが、それが真実であることを何より語っていた。
 そのとき、妙子の中で何かが弾けた。
 それは、胸の淵に追いやっていた晃一へのほんとうの想いだった。
 いままでずっと、自分を誤魔化していた。
 彼のことも過去のひとつなのだと。
 これからは、ひとりの人間として彼を応援していこうと。
 けれど、彼への想いは、胸の淵に追いやりながらもずっとくすぶりつづけていたのだ。
 それがいま、父親の言葉で爆ぜ返った。
 もう、自分の気持ちを誤魔化したくない。

 私は彼を愛してる……。

 妙子はそう思った。
 けれど、ひとつの現実が残されている。

「でも、彼はいま、建築の勉強のために、ヨーロッパにいるのよ。どこにいるのかわからないわ」
「それがどうした。世界のどこへでも追いかけて行けばいいじゃないか。愛し合ってるふたりなら、どこにいても必ず逢えるさ。それが縁てもんだ」
「お父さん……」

 勇気を与えてくれるその言葉に、気づくと妙子の頬を涙が濡らしていた。

「父さんはおまえの味方だ」
「うん……」

 妙子はこくりとうなずき、唇を震わせた。
 父親と母親の微笑みに見送られて、妙子は実家をあとにした。
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