哀しみは、もういらない

星 陽月

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【第46話】

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「なにもかも自分の思うようになるって思ってた。現実にもそうだった。思ったことは、ほとんどが実現してた……。いま思えば、ただの自惚(うぬぼ)れだったんだけど、そのころはなにも考えなかったわ。私の周りにはいつもだれかいて、女の中でも男の中でも、私は中心的存在だった。だけど、私の心はなぜか満たされなかったの。いつも虚しさがつきまとってた。どんなに楽しくても、虚しさが消えることはなかったわ。そして独りになると、その虚しさはどんどん大きくなって、とても独りではいられなくなるの。もう狂いそうになるくらいに……。私はこのまま死んでしまうんじゃないかって。だから、独りになるのが恐かった。それなのに、人の前ではそんなとこ見せられなくて、心は満たされないまま荒れていくだかりだったわ」

 そこで美奈は眼を伏せ、カップの縁を指先でなぞり、

「妙子といるときだけ、ホッとできたの。虚しさも感じなくて、すごく安心できた。そして憧れてた。おおらかで、自然で、人の眼を気にすることなんてなくて」

 そうつづけた。

「そんなこと、ないわよ。私だって、人の眼はすごく気にしてたもの。それに臆病だったし」

 妙子は、カップをなぞる美奈の指先を見ていた。

「私からは、そうは見えなかったのよ。きれいなのに、全然飾るところがなくて」
「それは違うわ。私は――」
「聞いて、妙子」

 妙子が言うのを、美奈が制した。

「私はなにもわかってなかったのよ。自分のことしか考えてなかった。だから、妙子に憧れをいだいていたぶん、妬む思いも強かったの。それであんなこと……。ごめんね、妙子。いまごろになって謝ったって仕方ないことだけど、でも私、ずっと謝りたかった」
「もういいわよ。美奈も苦しんでたんだってわかったんだから、それだけでじゅうぶん」
「私、嫉妬してたのよ。私にはないものを持ってる妙子に」
「美奈」

 妙子は見つめる。

「美奈がいまでも後悔してるっていうのは、私に対してだけじゃないでしょ?」
「え?」

 美奈は、どういうこと? という顔をした。

「あなたが後悔しつづけてるのは、藤井くんを私のもとに行かせたから。違う?」

 美奈は怯むように眉根をよせた。

「藤井くんのこと、愛してたんでしょ?」

 その言葉に、美奈は一瞬表情を固め、だがすぐにその表情を緩めて、

「そう、私は彼を愛してた……」

 視線を斜めに伏せた。
 その答えで、先刻、友也の横顔に見た、ひとりの男の面影が藤井であることを妙子は確信した。

 やっぱりこの子は、藤井くんとの子供なんだ……。

 妙子は友也に眼を向ける。
 友也はふたりの会話など一向に気にせず、ソーダ水を飲んでいる。
 妙子はティカップを手に取り、

「彼、元気?」

 唐突にそう訊いた。
 美奈は妙子の顔を瞠った。

「どうして、それを……」

 その眼は驚きに揺れている。

「わかるわよ。だって友也くん、藤井くんに似てるもの」

 そう言われ、美奈は友也に顔を向けた。

「そんなに似てる?」
「うん。眼がそっくり」
「そう。初めてだわ、彼に似てるって言われたの」
「これからもっと似てくるわよ」
「そうかな」

 美奈は、友也の髪をなでながら微笑みを浮かべた。
 その表情は慈愛に満ちた母親のものだった。

「おめでとう」
「え?」

 不思議そうに美奈は妙子を見る。

「結婚したふたりへの、お祝いの言葉」
「妙子……」

 美奈の眼に涙が滲んだ。

「駄目よ、美奈。友也くんに笑われるわよ」
「だって、妙子に祝福してもらえるなんて思わなかったから」

 美奈は鼻を啜り、指先で目尻を拭った。

「でも、スピーチはなし」

 その冗談に美奈は笑い、妙子も笑った。

「それと」

 妙子は真顔になった。

「もう、過去を引きずったりしないで。過去は過去でしかありえないんだから。もっともっと幸せになることだけを考えて。友也くんのためにも」

 妙子の言葉に、奈美はわずかに間を空けてから、

「そうね……。ありがとう」
 言うと妙子を真っ直ぐに見つめ、

「妙子、強くなったわね」

 さらにそう言った。
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