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【第83話】

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「あ、川村先生。また気を失われては困ります」

 困り果てたような顔で玲子が言った。

「――は、はい、大丈夫です」

 秀夫は椅子から崩れ落ちそうになる身体を、テーブルに手をついて支えた。

「なんだ、そうだったんですか。まいったな。ハハハ」

 自分のマヌケさを笑うしかなかった。
 玲子が「結婚を」と言ったところで気を失い、実はそれが結婚の報告だとも知らずにプロポーズをされたのだと勘違いしてしまったのだ。
 まったくもって前代未聞の大マヌケである。
 穴があったら入りたいとはまさにこのことだった。
 というか、どこをどうしたらそんな勘違いができるのであろうか。
 秀夫は額にどっと汗をかき、ポケットから取り出したハンカチでしきりに拭った。

「いや、その、勘違いとはいえ、ほんとにすみません。僕が言ったことは、バカな男のたわごとだと思って忘れてください」
「そうします。この先、学校で気まずい思いをしたくはありませんから」

 フォローもなく率直にそう言われ、秀夫は苦笑いをうかべながらヘビーに打ち沈んだ。

「結婚されるんですか……」

 肩を落とし、ため息とともにこぼれ出た言葉に、

「はい」

 明るく答えられ、秀夫はさらに闇の中へと沈んだ。

「それで、結婚式はいつなんですか?」

 日程を訊くなど辛いことだが、なぜか訊かずにはいられない。

「8月の予定です」

 玲子の声は心なしか弾んでいる。

「そうですか。それはおめでとうございます」

 秀夫は胸に針を落としたような痛みを覚えた。
 やはり訊くべきではなかった。

「それで、僕に話しがあるというのは、結婚の報告のためだったんですか」
「いえ、それもありましたけど、折り入って川村先生におねがいしたいことがあったんです」
「おねがい、ですか」
「ええ。実は、披露宴でスピーチをしていただこうかと」
「僕にスピーチを?」
「はい。弘行さん――あ、結婚相手のことですけど、彼がどうしても、川村先生におねがいしたいと言うものですから」
「それはまた、どういうことでしょうか」

 玲子の結婚相手とは面識などないはずである。
 それなのに、スピーチをしてくれとはどういうことなのだろうか。

「実はその……、私の結婚相手というのは、先生のクラスの、田島弘樹君のおとうさんなんです」
「―――――」

 驚きのあまり、秀夫は玲子を瞠目したまま、またしても固まってしまった。
 面識がないはずもなかった。
 自分の生徒の父親なのだからそれも当然のことである。
 だがまさか、その父親が玲子の結婚相手だとは思いもよらない。

「あの、先生。大丈夫ですか?」
「あ、はい。なんとか」
「驚きますよね。先生の生徒の父親が、私の結婚相手だなんて」
「いや、そんなことはありません」

 田島弘樹の父親とは父兄参観のときに対面している。
 家電メーカーに勤めている父親は、人柄のいい男だった。

「中西先生が結婚をしようと決めた人なんですから、まちがいはありませんよ」
「そう思っていただけます」
「もちろんです」
「よかった」

 玲子はホッとしたようにひと息つくと、

「彼、弘樹君のことで、川村先生に感謝しているんです」

 そう言葉をつづけた。
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