61 / 84
【第61話】
しおりを挟む
ゆかりは浅い眠りから目覚めて、瞼を開いた。
そのまま放心したように動かない。
夢を観ていた。
それは、何もない暗い闇にひとりとり残された夢だ。
その闇を、ゆかりは彷徨い歩いていた。
右を見ても左を見ても、ただ闇ばかりがそこにある。
物音ひとつ聴こえない。
ゆかりは立ち止まり、不安と心細さの中で声を出そうとする。
だが、声が出ない。どんなにがんばってみても、唇だけが「パクパク」と動くだけだった。
ゆかりは恐くて恐くてしかたがなくて、父を呼んだ。
なんどもなんども、声にならない声で。
パパ、どこにいるの。パパ、恐いよ……。
何かとても恐ろしいものが、ひたひたとうしろからやってくるような気がした。
いまにも泣き出しそうになる。
ゆかりはもう一度、全身の力をふり絞って父を呼んだ。
『パパーッ!』
それはやっと声になった。
すると、闇の奥から光が射してきた。
その光の中にシルエットがうかんでいた。逆光を浴びたその影は、人のようだった。
『パパ……』
その影はパパにちがいない。
そう思ったゆかりは、人影に向かって走った。
走りゆくほどに、人影の輪郭がはっきりとしてくる。
満面の笑みをうかべた顔が見えてくる。
それはまぎれもなく父だった。
『パパッ』
『そうだよ。パパだ、パパだよ』
走りくるゆかりを、父はその胸に抱きとめた。
ゆかりは父の胸に顔をうずめる。
その温もりに包まれて、父の匂いを大きく吸いこんだ。
『パパ、いままでどこにいたの?』
『うん、ちょっとね』
『ゆかり、とっても寂しかったんだよ』
『ごめんな。ひとりぼっちにさせちゃって』
『もう、どこにも行かない?』
『うん。もうどこにも行かないさ。これからは、ずっとゆかりのそばにいるよ』
『ほんと?』
『あァ、ほんとさ』
父はゆかりの髪をやさしくすくい上げた。
ゆかりは、もう何も言わなかった。
父に抱きしめられているだけで充分だった。
と、そのとき、父の温もりがすっと消えた。
父の姿はもうそこになかった。
『パパ、どこ?』
ゆかりは辺りを見渡す。
そこには、闇だけが広がっていた。
そこでふっと夢から目覚めた。
ゆかりは放心したまま、いま観た夢のことを考えた。
父の笑顔は、ゆかりが幼かったあのころのままだった。
その温もりも、匂いも、やさしい声も、記憶の奥にしまいこんでいた、あのころの父だった。
「パパ……」
ゆかりはまた哀しくなって、枕に顔をうずめた。
いくら夢の中で会えたって、だめだよパパ……。
眼が醒めたらもっと悲しくなるだけだもん……。
ねえ、どうして?
どうしてなのパパ……。
死んじゃう前に、どうして会いにきてくれなかったの?
涙が溢れてくる。
ゆかりは眉根を寄せ、その涙を我慢した。
もうぜったいに泣かない。
パパに流す涙はもうおしまいなんだから……。
唇をきつく結び、ゆかりは乱暴に涙を拭った。
そのときだった。
ふと、父の匂いがした。
そんなはずない。
そう思いながらも、ゆかりは半身を起こし、瞼を閉じてゆっくりと息を吸いこんでみた。
すると確かに、夢の中で嗅いだ父の匂いがかすかに漂っていた。
それだけではない。
父の温もりまでが感じる。
やさしく包みこむように抱きしめてくれた、その温もりが身体に残っているのだ。
そして声までも。
『そうだよ。パパだ、パパだよ』
夢の中で聴いたその声だけは、現実に聴いた声のように耳に残っている。
耳もとで囁かれた声のように。
どういうことだろう。
あれは夢に違いないのに。
ゆかりはハッと部屋の中に眼を配った。
パパが会いにきてくれたんだ……。
きっとそうだ……。
夢を観ているあいだに、パパがほんとうに会いにきて、抱きしめてくれたんだ……。
だがゆかりはすぐに、その思いを否定した。
「そんなこと、あるわけないよね」
声に出し、それでも否定したくないもうひとりの自分がいた。もうひとりの自分は、そうであってほしいと願っている。
ゆかりは否定するほうの自分を抑えて、部屋の中をもう一度窺うように見回した。
「パパ、いるの?」
自分ひとりしかいないその部屋でそう訊いてみる。
だがやはり、それに答えるものはなかった。
そのまま放心したように動かない。
夢を観ていた。
それは、何もない暗い闇にひとりとり残された夢だ。
その闇を、ゆかりは彷徨い歩いていた。
右を見ても左を見ても、ただ闇ばかりがそこにある。
物音ひとつ聴こえない。
ゆかりは立ち止まり、不安と心細さの中で声を出そうとする。
だが、声が出ない。どんなにがんばってみても、唇だけが「パクパク」と動くだけだった。
ゆかりは恐くて恐くてしかたがなくて、父を呼んだ。
なんどもなんども、声にならない声で。
パパ、どこにいるの。パパ、恐いよ……。
何かとても恐ろしいものが、ひたひたとうしろからやってくるような気がした。
いまにも泣き出しそうになる。
ゆかりはもう一度、全身の力をふり絞って父を呼んだ。
『パパーッ!』
それはやっと声になった。
すると、闇の奥から光が射してきた。
その光の中にシルエットがうかんでいた。逆光を浴びたその影は、人のようだった。
『パパ……』
その影はパパにちがいない。
そう思ったゆかりは、人影に向かって走った。
走りゆくほどに、人影の輪郭がはっきりとしてくる。
満面の笑みをうかべた顔が見えてくる。
それはまぎれもなく父だった。
『パパッ』
『そうだよ。パパだ、パパだよ』
走りくるゆかりを、父はその胸に抱きとめた。
ゆかりは父の胸に顔をうずめる。
その温もりに包まれて、父の匂いを大きく吸いこんだ。
『パパ、いままでどこにいたの?』
『うん、ちょっとね』
『ゆかり、とっても寂しかったんだよ』
『ごめんな。ひとりぼっちにさせちゃって』
『もう、どこにも行かない?』
『うん。もうどこにも行かないさ。これからは、ずっとゆかりのそばにいるよ』
『ほんと?』
『あァ、ほんとさ』
父はゆかりの髪をやさしくすくい上げた。
ゆかりは、もう何も言わなかった。
父に抱きしめられているだけで充分だった。
と、そのとき、父の温もりがすっと消えた。
父の姿はもうそこになかった。
『パパ、どこ?』
ゆかりは辺りを見渡す。
そこには、闇だけが広がっていた。
そこでふっと夢から目覚めた。
ゆかりは放心したまま、いま観た夢のことを考えた。
父の笑顔は、ゆかりが幼かったあのころのままだった。
その温もりも、匂いも、やさしい声も、記憶の奥にしまいこんでいた、あのころの父だった。
「パパ……」
ゆかりはまた哀しくなって、枕に顔をうずめた。
いくら夢の中で会えたって、だめだよパパ……。
眼が醒めたらもっと悲しくなるだけだもん……。
ねえ、どうして?
どうしてなのパパ……。
死んじゃう前に、どうして会いにきてくれなかったの?
涙が溢れてくる。
ゆかりは眉根を寄せ、その涙を我慢した。
もうぜったいに泣かない。
パパに流す涙はもうおしまいなんだから……。
唇をきつく結び、ゆかりは乱暴に涙を拭った。
そのときだった。
ふと、父の匂いがした。
そんなはずない。
そう思いながらも、ゆかりは半身を起こし、瞼を閉じてゆっくりと息を吸いこんでみた。
すると確かに、夢の中で嗅いだ父の匂いがかすかに漂っていた。
それだけではない。
父の温もりまでが感じる。
やさしく包みこむように抱きしめてくれた、その温もりが身体に残っているのだ。
そして声までも。
『そうだよ。パパだ、パパだよ』
夢の中で聴いたその声だけは、現実に聴いた声のように耳に残っている。
耳もとで囁かれた声のように。
どういうことだろう。
あれは夢に違いないのに。
ゆかりはハッと部屋の中に眼を配った。
パパが会いにきてくれたんだ……。
きっとそうだ……。
夢を観ているあいだに、パパがほんとうに会いにきて、抱きしめてくれたんだ……。
だがゆかりはすぐに、その思いを否定した。
「そんなこと、あるわけないよね」
声に出し、それでも否定したくないもうひとりの自分がいた。もうひとりの自分は、そうであってほしいと願っている。
ゆかりは否定するほうの自分を抑えて、部屋の中をもう一度窺うように見回した。
「パパ、いるの?」
自分ひとりしかいないその部屋でそう訊いてみる。
だがやはり、それに答えるものはなかった。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
視える宮廷女官 ―霊能力で後宮の事件を解決します!―
島崎 紗都子
キャラ文芸
父の手伝いで薬を売るかたわら 生まれ持った霊能力で占いをしながら日々の生活費を稼ぐ蓮花。ある日 突然襲ってきた賊に両親を殺され 自分も命を狙われそうになったところを 景安国の将軍 一颯に助けられ成り行きで後宮の女官に! 持ち前の明るさと霊能力で 後宮の事件を解決していくうちに 蓮花は母の秘密を知ることに――。
転生貴族のハーレムチート生活 【400万ポイント突破】
ゼクト
ファンタジー
ファンタジー大賞に応募中です。 ぜひ投票お願いします
ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった
【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。
累計400万ポイント突破しました。
応援ありがとうございます。】
ツイッター始めました→ゼクト @VEUu26CiB0OpjtL
平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです
おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの)
BDSM要素はほぼ無し。
甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。
順次スケベパートも追加していきます
〈第一部完・第二部開始〉目覚めたら、源氏物語(の中の人)。
詩海猫
キャラ文芸
ある朝突然目覚めたら源氏物語の登場人物 薫大将の君の正室・女二の宮の体に憑依していた29歳のOL・葉宮織羽は決心する。
この世界に来た理由も、元の体に戻る方法もわからないのなら____この世界の理(ことわり)や思惑など、知ったことか。
この男(薫)がこれ以上女性を不幸にしないよう矯正してやろう、と。
美少女な外見に中身はアラサー現代女性の主人公、誠実じゃない美形の夫貴公子、織羽の正体に勘付く夫の同僚に、彼に付き従う影のある青年、白い頭巾で顔を覆った金の髪に青い瞳の青年__謎だらけの物語の中で、織羽は生き抜き、やがて新たな物語が動き出す。
*16部分「だって私は知っている」一部追加・改稿いたしました。
*本作は源氏物語ではありません。タイトル通りの内容ではありますが古典の源氏物語とはまるで別物です。詳しい時代考証などは行っておりません。
重ねて言いますが、歴史小説でも、時代小説でも、ヒューマンドラマでもありません、何でもありのエンタメ小説です。
*平安時代の美人の定義や生活の不便さ等は忘れてお読みください。
*作者は源氏物語を読破しておりません。
*第一部完結、2023/1/1 第二部開始
!ウイルスにやられてダウンしていた為予定通りのストックが出来ませんでした。できる範囲で更新していきます。
霊魂検視官・法眼冴慧子(またはチョコレート女とメロンパン男のケーススタディ)
梶研吾
キャラ文芸
警視庁の捜査一課内に設けられた"特務班"……というと響きはカッコいいが、裏で"寝台班"あるいは"死んだ班"と陰口を叩かれている部署のメンバー、月河鏡次郎(つきかわ きょうじろう)。
仕事はテキトーにこなして、毎日大好きなメロンパンさえ心おきなく食べられればハッピーという、そんな男の相棒として、一人の異風異形の女が送り込まれて来る。
女の名は、法眼冴慧子(ほうがん さえこ)。
彼女の特技は、事件現場に残された"残留霊魂"を霊視し、光と闇のボーダーに隠された真実を見抜く"霊魂検視"だった!
が、同時に、チョコレート狂いの女でもあった!
チョコレート狂いの女"霊魂検視官"法眼冴慧子とメロンパン大好き男の特務捜査官月河鏡次郎の、警視庁始まって以来の似合わないコンビが、暗黒事件の真相に挑む!
(こいつらで果たして大丈夫か?!)
BGMは、マイク・オールドフィールドの名曲中の名曲「チューブラーベルズ」だ!
公爵夫人(55歳)はタダでは死なない
あかいかかぽ
キャラ文芸
55歳の公爵夫人、サラ・ポータリーは唐突に離婚を申し渡される。
今から人生やり直しできるかしら。
ダチョウと中年婦人のドタバタコメディです。
モブなのに、転生した乙女ゲームの攻略対象に追いかけられてしまったので全力で拒否します
みゅー
恋愛
乙女ゲームに、転生してしまった瑛子は自分の前世を思い出し、前世で培った処世術をフル活用しながら過ごしているうちに何故か、全く興味のない攻略対象に好かれてしまい、全力で逃げようとするが……
余談ですが、小説家になろうの方で題名が既に国語力無さすぎて読むきにもなれない、教師相手だと淫行と言う意見あり。
皆さんも、作者の国語力のなさや教師と生徒カップル無理な人はプラウザバック宜しくです。
作者に国語力ないのは周知の事実ですので、指摘なくても大丈夫です✨
あと『追われてしまった』と言う言葉がおかしいとの指摘も既にいただいております。
やらかしちゃったと言うニュアンスで使用していますので、ご了承下さいませ。
この説明書いていて、海外の商品は訴えられるから、説明書が長くなるって話を思いだしました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる