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【第50話】
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「あァ、花やしきのことですね。それだったら、浅草寺を左手に抜けたらすぐですよ」
よく陽に灼けた精悍な顔つきの車夫の青年は、気持ちよくそう教えてくれた。
もう一度浅草寺へと向かわなければならないことに、祖母は一瞬顔色を曇らせたが、ゆかりに顔を向けるとすぐに微笑みで消した。
車夫の青年が言うとおり、浅草寺を左手に抜けてからしばらく行くと、花やしきが見えてきた。
ゆかりは胸がわくわくしてくるのがわかった。
自然に足早になって、祖母の手をまた引く形となった。
「ゆかり、そんなに早く歩かないで。息が切れるわ」
祖母が言うのも耳に入らず、ゆかりは歩みを緩めることなく進んだ。
入場券売り場で券を買うそのわずかなあいだも心は急いて、鼓動が激しく胸を打つのを感じていた。
入場していくとすぐに、メリーゴーランドがあった。
眼の前にある光景と記憶の中の光景を重ね合わせて、ゆかりは現実の光景よりも、脳裡に浮かぶ光景の中を歩いた。
『ゆかり、メリーゴーランドに乗る?』
ママの声が聴こえる。
『パパと一緒に乗ろう』
パパの声もだ。記憶の中のパパの顔が鮮明にうかぶ。
パパはゆかりを抱き上げると、メリーゴーランドに向かっていく。
ゆかりは祖母の手から離れて、記憶に合わせるように現実のメリー・ゴーランドに向かっていった。
ゆかりはパパと一緒にポニーに乗っている。メリーゴーランドが回る中で、ふたりの乗るポニーが上下に動く。
『ママー!』
一周するごとにゆかりが手をふると、ママも手をふり返した。
背中にパパの温もりを感じながら、ゆかりはぐるぐる回るメリーゴーランドに夢中だった。
時折、パパの胸に背をあずけて見上げると、パパはやさしい笑顔を向けてきた。
ゆかりはとっても楽しくて、幸せいっぱいだった。
その光景が現実の光景の中に甦る。涙があふれてくる。
「ママ、パパ……」
涙が止まらない。
楽しくて幸せだったあのときの記憶が、いまは悲しみとなってゆかりの小さな胸を締めつけた。
ずっとずっと、泣かずに我慢してきた。泣けば天国のママに笑われる、そう思って我慢してきたのだ。
ママは見守ってくれているんだから、泣いちゃいけない。
泣いたらもっともっと悲しくなって、毎日が哀しいばかりだから泣いちゃいけない。
メソメソしていたら、おばあちゃんやおじいちゃんだって、きっと哀しくなる。
だから泣いちゃいけない。
どんなに哀しくてもがんばって、笑顔でいなくちゃいけない。
そう思いつづけて耐えてきた。
父の存在を忘れようと心の奥底にしまいこんだのも、哀しみから自分を守るためであって、完全に忘れ去ることなどできるわけがなかった。
それだけに、父が迎えに来てくれることを待ち望んでいたことも事実だった。
笑っていい子にしていれば、きっと迎えにきてくれると、そう信じて。
だからそのためにも、泣いてはいけなかった。
それなのに――
涙が止まらない。
パパ、パパ……、どうして死んじゃったの?
ゆかりはずっと待ってたんだよ。
パパが迎えに来てくれることをずっと……
だけど、パパはいつになっても迎えに来てくれなかった。
どうしてなの? パパ……
だからゆかりは、パパのこと忘れようとしたの。
パパはゆかりのことを嫌いになったって、そう思ったから。
悲しくて、寂しくてしかたがなかったんだよ。
だからそうするしかなかったの……。
でも、忘れることなんてできなかった……。
大好きなパパを忘れることなんて、できっこないもん……。
だからゆかりは、忘れたふりをしていたの……。
そうすれば、少しは元気になれたから……。
だって、ゆかりが哀しんでばかりいたら、おばあちゃんもおじいちゃんも悲しくなっちゃうでしょ?
だから……。
ごめんなさい、パパ……。
パパが死んじゃったのは、ゆかりが悪い子だったからだよね。ゆかりがパパのことを忘れたふりなんてしたから……。
それで神様が、ママのいる天国に、パパを連れていっちゃったんだよね……。
でもやだよ。もうパパに会えないなんて、やだ……。
パパ、パパ……。
会いたいよ……。
幽霊でもいいから、パパに会いたいよ……。
涙が止まらない。
ゆかりはうなだれ、顔をくしゃくしゃにして泣いた。
いくつもの大粒の涙がアスファルトへと落ちていく。
孫のただならぬ様子に気づいた祖母が、あわててゆかりのもとへと近寄っていった。
よく陽に灼けた精悍な顔つきの車夫の青年は、気持ちよくそう教えてくれた。
もう一度浅草寺へと向かわなければならないことに、祖母は一瞬顔色を曇らせたが、ゆかりに顔を向けるとすぐに微笑みで消した。
車夫の青年が言うとおり、浅草寺を左手に抜けてからしばらく行くと、花やしきが見えてきた。
ゆかりは胸がわくわくしてくるのがわかった。
自然に足早になって、祖母の手をまた引く形となった。
「ゆかり、そんなに早く歩かないで。息が切れるわ」
祖母が言うのも耳に入らず、ゆかりは歩みを緩めることなく進んだ。
入場券売り場で券を買うそのわずかなあいだも心は急いて、鼓動が激しく胸を打つのを感じていた。
入場していくとすぐに、メリーゴーランドがあった。
眼の前にある光景と記憶の中の光景を重ね合わせて、ゆかりは現実の光景よりも、脳裡に浮かぶ光景の中を歩いた。
『ゆかり、メリーゴーランドに乗る?』
ママの声が聴こえる。
『パパと一緒に乗ろう』
パパの声もだ。記憶の中のパパの顔が鮮明にうかぶ。
パパはゆかりを抱き上げると、メリーゴーランドに向かっていく。
ゆかりは祖母の手から離れて、記憶に合わせるように現実のメリー・ゴーランドに向かっていった。
ゆかりはパパと一緒にポニーに乗っている。メリーゴーランドが回る中で、ふたりの乗るポニーが上下に動く。
『ママー!』
一周するごとにゆかりが手をふると、ママも手をふり返した。
背中にパパの温もりを感じながら、ゆかりはぐるぐる回るメリーゴーランドに夢中だった。
時折、パパの胸に背をあずけて見上げると、パパはやさしい笑顔を向けてきた。
ゆかりはとっても楽しくて、幸せいっぱいだった。
その光景が現実の光景の中に甦る。涙があふれてくる。
「ママ、パパ……」
涙が止まらない。
楽しくて幸せだったあのときの記憶が、いまは悲しみとなってゆかりの小さな胸を締めつけた。
ずっとずっと、泣かずに我慢してきた。泣けば天国のママに笑われる、そう思って我慢してきたのだ。
ママは見守ってくれているんだから、泣いちゃいけない。
泣いたらもっともっと悲しくなって、毎日が哀しいばかりだから泣いちゃいけない。
メソメソしていたら、おばあちゃんやおじいちゃんだって、きっと哀しくなる。
だから泣いちゃいけない。
どんなに哀しくてもがんばって、笑顔でいなくちゃいけない。
そう思いつづけて耐えてきた。
父の存在を忘れようと心の奥底にしまいこんだのも、哀しみから自分を守るためであって、完全に忘れ去ることなどできるわけがなかった。
それだけに、父が迎えに来てくれることを待ち望んでいたことも事実だった。
笑っていい子にしていれば、きっと迎えにきてくれると、そう信じて。
だからそのためにも、泣いてはいけなかった。
それなのに――
涙が止まらない。
パパ、パパ……、どうして死んじゃったの?
ゆかりはずっと待ってたんだよ。
パパが迎えに来てくれることをずっと……
だけど、パパはいつになっても迎えに来てくれなかった。
どうしてなの? パパ……
だからゆかりは、パパのこと忘れようとしたの。
パパはゆかりのことを嫌いになったって、そう思ったから。
悲しくて、寂しくてしかたがなかったんだよ。
だからそうするしかなかったの……。
でも、忘れることなんてできなかった……。
大好きなパパを忘れることなんて、できっこないもん……。
だからゆかりは、忘れたふりをしていたの……。
そうすれば、少しは元気になれたから……。
だって、ゆかりが哀しんでばかりいたら、おばあちゃんもおじいちゃんも悲しくなっちゃうでしょ?
だから……。
ごめんなさい、パパ……。
パパが死んじゃったのは、ゆかりが悪い子だったからだよね。ゆかりがパパのことを忘れたふりなんてしたから……。
それで神様が、ママのいる天国に、パパを連れていっちゃったんだよね……。
でもやだよ。もうパパに会えないなんて、やだ……。
パパ、パパ……。
会いたいよ……。
幽霊でもいいから、パパに会いたいよ……。
涙が止まらない。
ゆかりはうなだれ、顔をくしゃくしゃにして泣いた。
いくつもの大粒の涙がアスファルトへと落ちていく。
孫のただならぬ様子に気づいた祖母が、あわててゆかりのもとへと近寄っていった。
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