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【第9話】
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いままで高木は、娘に会いたいと想うばかりでなく、会いに行こうとしたことだってなんどもあった。
だがどうしても、不甲斐ない自分を思うと二の足を踏んでしまい、店主の言う「まずは一歩」を踏み出すことができなかった。
そして何より、4年前からは電話も掛けなくなり、娘からも掛かってこないことを考えると、父親としての自分の存在が、娘の中から消し去られてしまったのではないかという気がして、それがとても恐いのだった。
「言わせてもらえば、マサさん。あんたは逃げてるだけだよ。娘さんから、そして自分自身からもね」
その言葉はぐさりときた。
「なんだよそれ。俺が逃げてるだって? どこがだよ。人の気も知らねえで、勝手なことを言わないでほしいな」
高木は憤慨した。
「確かにね。人の気持ちなんてわかるもんじゃない。だがね、マサさん。自分のことを最低だって思うこと自体が、逃げてるって証拠なんだよ。あんただって、そのことをほんとうはわかってるのさ。わかっていながら認めようとしない。いや、それからもあんたは逃げてるんだ。違うかい?」
違うよ……。
否定しようとし、だが、高木は押し黙るしかなかった。
否定などできるわけがない。
店主の言ったことはまさにそのとおりで、何を言ってもいい訳になるだけだった。
それは逃げているのと同じことだ。
「マサさん、私ァなにも、説教するつもりなんてないよ。あんたの人生あんたの好きに生きればいい。だけどさ、娘さんにだけは、哀しい想いをさせちゃならないよ。母親を喪ったうえに、父親まで喪ったなんて思わせちゃいけない。それじゃ、あまりにも不憫てもんだ」
胸が痛む。
いたたまらなさに肩が萎えしぼむ。
「そう言うけどさ、死んだ女房は、家族のために自分を犠牲にしたんだよ。それなのに、この俺ときたら……、俺みたいなろくでなしには、父親の資格なんかないよ」
高木は力なくこぼした。
「なに言ってんだよ、マサさん。父親の資格なんざ、娘さんは求めちゃいないよ。そんなのは、どうだっていいことさ。娘さんが必要としてるのは、いい父親なんかじゃない。あるがままのあんたなんだよ。それが血を分けた子供ってもんさ。そうだろ? ろくでなしだっていいじゃないか。娘さんを想う心があるうちはまだ救われるよ。けどね、いまのままじゃいけない。このまま放っておくようなことをしたら、ろくでなしどころか、人でなしになっちまう。人間、人でなしになったらお終いだ。それは娘さんにとっても、哀しいことだよ」
店主の言葉は、心の奥にずんと響いた。
胸がつまる。
思わず目頭が熱くなる。
「こんな俺でも、会ってくれるかな」
高木は切ない眼を店主に向けた。
「決まってるじゃないか。訊くまでもないよ」
「そうかな」
「そうさ」
眼を伏せ、しばらく一点を見つめつづけていた高木は、ふいに顔を上げると、
「おやじさん。俺、会いに行ってみるよ」
決意を胸にそう言った。
「ああ、それがいいよ」
店主は自分のことのように歓び、うんうん、とうなずきながら煙草に火を点け、うまそうに喫った。
高木はジョッキを飲み干し、おかわりを頼むと懐に手をやった。
きっとこの300万は、娘との未来のために使えと、神様が与えてくれたんだ。
そう思いながら、娘のことを想った。
ゆかり、パパ、会いに行くからな……。
胸の中でそう呟くと、なにやら暖かいものが広がった。
とたんに気持ちまでが昂ぶりはじめた。
成長した娘を想像してみると、それはそれはかわいらしい娘の姿が浮かんだ。
会いにいくと決めたとたんに、いますぐにでも会いたいという想いが募って、そんな自分に高木は苦笑した。
会いに行くと決めたからには早いほうがいいだろう。
日を置いてしまえば、決心が揺らいでしまうのは目に見えている。
そうなるときっと、これまでと同じように「近いうちに」となり、ずるずると日が過ぎて、「いつかきっと」と なってしまうのだ。
そうして気づいてみれば、5年の月日が流れてしまったのである。
だが、今度は違う。
高木は強くそう思った。
同じ過ちを、もう犯したくはない、と。
その思いに高木は、娘に会いに行こうと決めたのだった。
だがどうしても、不甲斐ない自分を思うと二の足を踏んでしまい、店主の言う「まずは一歩」を踏み出すことができなかった。
そして何より、4年前からは電話も掛けなくなり、娘からも掛かってこないことを考えると、父親としての自分の存在が、娘の中から消し去られてしまったのではないかという気がして、それがとても恐いのだった。
「言わせてもらえば、マサさん。あんたは逃げてるだけだよ。娘さんから、そして自分自身からもね」
その言葉はぐさりときた。
「なんだよそれ。俺が逃げてるだって? どこがだよ。人の気も知らねえで、勝手なことを言わないでほしいな」
高木は憤慨した。
「確かにね。人の気持ちなんてわかるもんじゃない。だがね、マサさん。自分のことを最低だって思うこと自体が、逃げてるって証拠なんだよ。あんただって、そのことをほんとうはわかってるのさ。わかっていながら認めようとしない。いや、それからもあんたは逃げてるんだ。違うかい?」
違うよ……。
否定しようとし、だが、高木は押し黙るしかなかった。
否定などできるわけがない。
店主の言ったことはまさにそのとおりで、何を言ってもいい訳になるだけだった。
それは逃げているのと同じことだ。
「マサさん、私ァなにも、説教するつもりなんてないよ。あんたの人生あんたの好きに生きればいい。だけどさ、娘さんにだけは、哀しい想いをさせちゃならないよ。母親を喪ったうえに、父親まで喪ったなんて思わせちゃいけない。それじゃ、あまりにも不憫てもんだ」
胸が痛む。
いたたまらなさに肩が萎えしぼむ。
「そう言うけどさ、死んだ女房は、家族のために自分を犠牲にしたんだよ。それなのに、この俺ときたら……、俺みたいなろくでなしには、父親の資格なんかないよ」
高木は力なくこぼした。
「なに言ってんだよ、マサさん。父親の資格なんざ、娘さんは求めちゃいないよ。そんなのは、どうだっていいことさ。娘さんが必要としてるのは、いい父親なんかじゃない。あるがままのあんたなんだよ。それが血を分けた子供ってもんさ。そうだろ? ろくでなしだっていいじゃないか。娘さんを想う心があるうちはまだ救われるよ。けどね、いまのままじゃいけない。このまま放っておくようなことをしたら、ろくでなしどころか、人でなしになっちまう。人間、人でなしになったらお終いだ。それは娘さんにとっても、哀しいことだよ」
店主の言葉は、心の奥にずんと響いた。
胸がつまる。
思わず目頭が熱くなる。
「こんな俺でも、会ってくれるかな」
高木は切ない眼を店主に向けた。
「決まってるじゃないか。訊くまでもないよ」
「そうかな」
「そうさ」
眼を伏せ、しばらく一点を見つめつづけていた高木は、ふいに顔を上げると、
「おやじさん。俺、会いに行ってみるよ」
決意を胸にそう言った。
「ああ、それがいいよ」
店主は自分のことのように歓び、うんうん、とうなずきながら煙草に火を点け、うまそうに喫った。
高木はジョッキを飲み干し、おかわりを頼むと懐に手をやった。
きっとこの300万は、娘との未来のために使えと、神様が与えてくれたんだ。
そう思いながら、娘のことを想った。
ゆかり、パパ、会いに行くからな……。
胸の中でそう呟くと、なにやら暖かいものが広がった。
とたんに気持ちまでが昂ぶりはじめた。
成長した娘を想像してみると、それはそれはかわいらしい娘の姿が浮かんだ。
会いにいくと決めたとたんに、いますぐにでも会いたいという想いが募って、そんな自分に高木は苦笑した。
会いに行くと決めたからには早いほうがいいだろう。
日を置いてしまえば、決心が揺らいでしまうのは目に見えている。
そうなるときっと、これまでと同じように「近いうちに」となり、ずるずると日が過ぎて、「いつかきっと」と なってしまうのだ。
そうして気づいてみれば、5年の月日が流れてしまったのである。
だが、今度は違う。
高木は強くそう思った。
同じ過ちを、もう犯したくはない、と。
その思いに高木は、娘に会いに行こうと決めたのだった。
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