バタフライ~復讐する者~

星 陽月

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チャプター【046】

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 犬の少年の、傷を負っている左側に屈みこむと、蝶子はコートの内側から小さなカプセル剤を取り出した。

「さあ、これを飲め。痛みがなくなる」

 犬の少年の背を抱えて、口の中に入れてやる。

「呑みこむんだ」

 言われるままに、犬の少年はカプセル剤を呑みこんだ。
 その薬は、アルファ・ノアが製造した、即効性のある痛み止めだった。

「じきに利いてくるはずだ」

 蝶子は、犬少年の傷を負った肩口に眼をやった。
 傷口を押さえている指と指のあいだから、血が止まることなく流れ出している。

「止血剤があればよかったんだが……、これぐらいのことしかしてやることができなくて、すまない」
「いいんだよ、おねえちゃん……。おねえちゃんも、執行人て言う人なんでしょ? さっきの男の人みたいに、ぼくのように化け物になっちゃったやつを……、退治する人なんだよね。それなのに……、どうして、ぼくに、やさしくしてくれるの?」
「やさしくしたわけじゃない。おまえは子供で、傷を負っている。それだけのことだ。それより、いま、さっきの男の人と言っていたな」
「うん……。すごい、人だったよ。みんな、その執行人の人にやられちゃったんだ……。眼が碧色に光ったと思ったら、あっという間だった……。その人、なにも持っていないのに、手品師みたいに碧色に耀く剣を出したんだ。ぼくなんて、まったく歯が立たなくて、腕を切られちゃった……。みんな、死んじゃったのかな……」
「ああ……」
「そう……。でも、だったら、どうして……、ぼくはまだ子供だから、殺さなかったのかな……」
「その男は、どこへ行った」
「ぼくは、腕を切られてから、ずっとここにいたから、わからないけど、たぶん、上の展望台だと思うよ。上には、ぼくとおなじ、犬の化け物になった、あいつがいるからね」
「あいつ? そいつは、腹に傷のあるやつか」
「うん。おねえちゃん、あいつのこと知ってるの?」
「忘れることのできないやつさ」
「そうなんだ……。ぼく、あいつのこと嫌いだよ。この世界の王になるとか言って、威張ってるから」
「異形人は――いや、みんなは、どうしてここに集まっていたんだ」
「言い直さなくてもいいよ。ぼくたちは、そう呼ばれてもしかたない化け物なんだから……。みんながここに集まったのは……、あいつにそそのかされたからだよ。これからは進化人も、団結を組まなけりゃならないって。団結すれば、執行人も倒せるとか言ってね」
「おまえは、なぜここへ来た」
「ぼくは、独りが寂しかっただけさ。でも、みんな殺されちゃったから、また独りになっちゃった。だけど、どうせ……、ぼくも死ぬんだから、関係ないけどね……」

 犬の少年は悲しい眼をした。

「おねえちゃん、教えてよ。ぼくは、どうしてこんな身体になってしまったの?」
「――――」

 蝶子は何も答えることができず、思わず犬の少年を、そっと抱き寄せていた。

「やっぱり……。死ぬのはいやだな……」

 蝶子の肩に顎をあずけて、犬の少年はそう言った。
 そのとき、犬の少年が舌なめずりをした。
 眼がぎょろりと動く。

「だから、おねえちゃんを食べさせてよ。クリーナーの肉を食べたら、こんな傷はすぐに治っちゃう気がするだ」

 横目で蝶子を見た。

「!――」
「それに、あの男の人みたいに強くなれるんじゃないかな」

 そう言ったとたん、犬の少年の口が大きく開いた。鋭い牙が覗く。
 その牙を、蝶子の首に突き立てる。

「おまえ……」

 蝶子は顔をしかめた。

「うぐッ……」

 牙が肉に喰いこみ、そこから血があふれ出して、肩から胸へと流れていった。

 と――

  ダン!

 1発の銃声があがった。
 犬の少年の貌が、一瞬、硬直した。
 すると、咬みついた牙が緩み、蝶子の首から力なく外れた。

「ごふッ……」

 血を吐き、そのまま蝶子にしなだれかかる。
 蝶子は、犬の少年をゆっくりと腕に抱えなおした。
 犬の少年の左胸に、赤黒い傷口がある。銃弾の痕だった。

「これでよかったんだ……」

 蝶子に撃たれたことを、犬の少年は言っているようだった。
 蝶子は、手にしていた銃を、ホルスターに収めた。

「おまえ、名前は」

 犬の少年の名を訊いた。

「名前なんて、どうして……、ぼくはもう、死ぬのに」

 掠れた声で、犬の少年が訊き返す。

「だからだ。だから訊いておきたい」

 蝶子の言葉に、犬の少年は弱々しい視線を向けると、

「ぼくの……、名前は、真一……」

 ようやく聞き取れる声で答えた。
 息が細くなっている。

「わかった――真一、おまえの名前、この胸に刻んでおく」

 自分の胸に手をやり、蝶子は言った。

「……うん。ありがとう、おねえちゃん……。咬みついたりして、ごめんね……。ぼくはやっと、この身体から解放されるんだね……」

 犬の少年の身体から、ふいに力が抜けた。
 犬の少年は、蝶子を見つめたまま死んでいた。
 蝶子は、犬の少年の眼に手をやり、瞼を閉ざしてやった。
 やるせない想いが、蝶子の胸を絞めつける。
 その場に犬の少年の身体をそっと横たえ、瞼を閉じて黙祷(もくとう)した。
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