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チャプター【023】

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「だれかお願い、ここから出して! お願い!」

 蝶子のその声を聴き止める者はいない。
 それでも蝶子は諦めずに、円筒を叩きつづけた。
 そのとき、不思議なことが起きた。
 円筒を叩く手が、とつぜん蒼白い光を帯びたのだ。
 蝶子は叩く手を止めなかった。
 すると、どうだろう。
 それまでビクともしなかった円筒に、罅(ひび)が入った。
 なおも円筒を叩きつづけた。
 罅(ひび)はさらに大きくなっていく。

(もう少し……)

 そう思ったときだった。
 酸素マスクの中に、酸素とはべつのガスが入りこんできた。
 蝶子はそれに気づかず、無臭のそのガスを吸いこんでいた。
 数秒も経たぬうちに、蝶子の腕がだらりと下がった。
 頭が朦朧(もうろう)としてくるのがわかった。
 とたんに蝶子は、またも闇の中へと落ちていった。

 深い闇の底から浮上するかのように、蝶子は目醒めた。
 そっと瞼を開くと、視界に入りこんできたのは白い天井だった。
 蝶子は数度瞬きをし、視線を左右へとめぐらした。
 そこは、すべてが白で統一された部屋だった。
 蝶子はベッドの上に寝ていた。
 ベッドの横には、心音や脳波を測定する機械が置かれ、蝶子の額と胸につけられたコードにつながっている。
 左腕には、点滴が打たれていた。
 その部屋は、20平米ほどの広さがあった。
 窓はひとつもない。
 あるのは、小さな小窓のあるドアだけだ。
 ドアのある壁の隅の上部には監視カメラが取り付けられていて、赤いランプが点灯していた。その監視カメラは、蝶子の寝ているベッドへと向けられている。
 蝶子は半身を起こした。
 白いパジャマを着ていた。
 そのときになってようやく、意識がはっきりとしてきた。
 それによって、妹とともに、人間ではなくなった犬の化け物に喰われた、あの記憶が甦ってきた。

(私、生きてる……)

 蝶子は、点滴の打たれている左腕のパジャマの袖をめくった。
 あの円筒の中で見たときとおなじように、左腕には傷ひとつ負っていなかった。
 右腕の袖もめくってみたが、やはり傷はない。
 胸や腹部、そして太腿も同様に確認してみた。
 身体のどこにも、傷どころか傷痕も見当たらなかった。
 手術を受けたのだろうか。
 だが、それならば、大掛かりな手術だったはずである。
 身体の至るところを、あの犬の化け物に喰い破られたのだ。
 それなのに、手術の痕跡さえもなかった。

(私は、いったい……)

 朧(おぼろ)ながらに憶えているのは、防護マスクの奥の女性の顔と声。

『このままだと、あなたは死ぬわ。でも、私ならあなたを助けられる。だから、あなたに助かりたい意思があるのなら、瞬きを2回してちょうだい』

 その女性はそう言った。
 私はそれに応えたのだろうか。
 そこで蝶子は意識を失った。
 それから私はどうなったのか。
 蝶子は、額と胸についているコードを外し、左腕の手首に射された点滴の針を抜くとベッドを降りた。
 ドアへ向かおうとして、身体がよろめいた。
 壁に身体をあずけるようにして、ドアまで歩く。
 ドアの小窓から外を見た。
 廊下を挟んだ正面にはやはり小窓のあるドアがあった。
 その左右にも、おなじようにドアがある。
 それ以上は、小窓が小さいために確認はできなかった。
 ドアはリモート・コントロールされた自動開閉らしく、把手がなかった。
 蝶子は人を呼ぼうとし、だが、とつぜん眩暈(めまい)を覚えてベッドへともどった。
 そのままベッドに横たわった。
 頭が割れるように痛む。
 蝶子は頭を抱え、ベッドの中でうずくまった。
 それからしばらくの時間が流れて、ふいにドアが開いた。
 姿を現したのは、白衣を着たひとりの女性だった。
 蝶子はその女性へと眼を向けた。
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