上 下
21 / 70

チャプター【020】

しおりを挟む
「いやあああああッ!」

 犬男の裂けた口が迫ってきたとき、蝶子は叫けび声を上げた。
 絶叫したのは、そのたった一度だけだった。
 首を咬まれ、血を啜られたとたんに死を悟った。
 恐くはなかった。
 むしろ、その死を望んだ。
 だから蝶子は、抗おうとも逃れようともしなかった。
 犬男のなすがままに、瞼を閉じて静かにそのときを待った。
 身体を喰いちぎられても痛みは感じず、感じていたのは、妹を救うことができなかった心の痛みだけだった。
 胸を、腹部を、はらわたを、腕を、太腿を、犬男は肉体のやわらかい部分だけを喰らうと、満足したように去っていった。
 蝶子は、それでもまだ生きていた。
 しかし、その命はかすかな燈火でしかなかった。
 消えゆこうとする意識の中で、これで妹にすぐ会える、そう思った。
 そして父や母にも会えるのだ、と。
 
 ごめんね、梨花……。
 おねえちゃん、梨花を守ってやれなかったね……。
 でも、これでまた一緒にいれるよ……。
 だから、許してね……。
 
 血の気の失せた蒼白な顔に、微笑が浮かんだ。

 ――そのときだった。

 何ものかが近づいてくる足音が聴こえてきた。
 犬男がもどってきたのか。
 そう思った。
 だが、違った。
 足音は複数あった。
 ならば、べつの何かが、大気に漂う血の匂いを嗅ぎつけ、やってきたのか。
 しかし、それもまた違った。
 蝶子のもとにやってきたのは、人間だった。
 白い防護服に身を包んでいる。
 その人間たちは3人いた。

「これはひどい……」

 蝶子の無残な姿に、その中のひとりが言った。
 男のようだった。
 防護マスクを被っているため、声がくぐもっている。

「変異した人間か動物にやられたようだな」

 そう言ったべつの声も、男の声だった。

「まだ息があります」

 最初の男が言った。

「ラボまで持ちそう?」

 そう言ったのは最後のひとり。
 その声は、女性のものだった。
 
「それはどうでしょうか。いまこうして息があるのも、奇跡としか言いようがありません」
「そう、わかった。じゃあ、その奇跡に賭けてみましょう」

 女性はそう言うと屈みこみ、蝶子に防護マスクの顔を近づけた。

「あなた、助かりたい?」

 耳元でそう言った。
 蝶子は薄く眼を開き、防護マスクの奥の女性の顔を見た。

「このままだと、あなたは死ぬわ。でも、私ならあなたを助けられる。だから、あなたに助かりたい意思があるのなら、瞬きを2回してちょうだい」

 その言葉に、蝶子は反応を示した。
 死を望んでいたはずなのに、ほとんど無意識のうちに瞼を弱々しく2回閉じていた。

「意思の確認は取れたわ。さあ、ラボに搬送するわよ」

 女性のその声を最後に、蝶子は意識を失った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

そんなに妹が好きなら死んであげます。

克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。 『思い詰めて毒を飲んだら周りが動き出しました』 フィアル公爵家の長女オードリーは、父や母、弟や妹に苛め抜かれていた。 それどころか婚約者であるはずのジェイムズ第一王子や国王王妃にも邪魔者扱いにされていた。 そもそもオードリーはフィアル公爵家の娘ではない。 イルフランド王国を救った大恩人、大賢者ルーパスの娘だ。 異世界に逃げた大魔王を追って勇者と共にこの世界を去った大賢者ルーパス。 何の音沙汰もない勇者達が死んだと思った王達は……

[恥辱]りみの強制おむつ生活

rei
大衆娯楽
中学三年生になる主人公倉持りみが集会中にお漏らしをしてしまい、おむつを当てられる。 保健室の先生におむつを当ててもらうようにお願い、クラスメイトの前でおむつ着用宣言、お漏らしで小学一年生へ落第など恥辱にあふれた作品です。

忘却の艦隊

KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。 大型輸送艦は工作艦を兼ねた。 総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。 残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。 輸送任務の最先任士官は大佐。 新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。 本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。    他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。 公安に近い監査だった。 しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。 そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。 機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。 完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。 意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。 恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。 なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。 しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。 艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。 そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。 果たして彼らは帰還できるのか? 帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?

性転換マッサージ2

廣瀬純一
ファンタジー
性転換マッサージに通う夫婦の話

ステージの裏側

二合 富由美
SF
環境破壊と異常気象により、人類は自らの遺伝子に手を加える決断を下す。  国の存亡に関わる事態に、ヒーローとして持て囃される者が居るのと同時に、遺伝子組み替えを軍事利用するらしき動きが日本国内にも見られた。  国に認められた試験的な新人類/ニューフェイスは、自らが先頭に立って、犯罪行為に立ち向かう事を表明する。  この小説はフィクションであり、登場する団体や個人名は現実のものと一切関係はありません。  不定期連載となります。御了承ください。

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

処理中です...