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チャプター【012】

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 男が、この吸血蟲を捕えることができているのは、まずは森林に入って吸血蟲が現れるのを待ち構え、数匹がやってきたところを布袋のようなもので捕獲し、あとはたちどころに森林を抜け出ているからだろう。
 しかし、いくら小動物の捕獲がままならなくなったとはいえ、吸血蟲を食料にするなど、蝶子にはとても考えられなかった。

「食べれそうにないですか」

 口にすることができずにいる蝶子を見て、男が訊いた。
 蝶子は眼に笑みを湛えて、

「はい……」

 うなずいた。

「確かに、こんなものは人の食べるものじゃないですよ。けれど、こんなものでも口にしなければ生きていけない」
「…………」

 蝶子は申し訳なさそうにうつむいてしまった。

「まあ、食べたくないものを無理強いはしません。でも、あなたは丸1日も眠っていたんです。少しでも食べておかないと身体に毒ですよ――あ、これじゃ、無理強いしているのとおなじですね」

 そう言うと男は、口許に歯を覗かせて笑った。
 笑うと目尻が垂れる男の顔は、どこか愛嬌があった。

「それはそうと、自己紹介がまだでしたね。わたしは二橋勝といいます。そして、この子は娘の美鈴です」

 男――二橋は言うと、娘の頭をなでた。
 娘の美鈴は、吸血蟲を頬張りながら蝶子の顔を見つめている。

「私は、桜木、蝶子です」
「蝶子さん、ですか。いい名前だ。それにしても、すごい回復力ですね。顔色もずいぶんよくなった」

 蝶子の顔を見ながら二橋は言った。

「助けてもらったお陰です。ありがとう」
「礼ならこの美鈴に言ってください。あなたが倒れているのを見つけたのはこの子ですから。耳は聴こえませんが、ジェスチャーや唇の動きでなんとか理解するんです」

 そう聞いて蝶子は、美鈴に顔を向けた。
 そして唇をゆっくりと動かし、「ありがとう」と礼を言った。
 美鈴は吸血蟲を咀嚼(そしゃく)しながら、こくりとうなずいた。

「それと、裸で寝ていたのは驚かれたと思いますが、あなたが身に着けていたものを脱がせたのもこの子です。だから安心してください。わたしは誓って、なにも見ていません」

 二橋は最後に、身の潔白を訴えるように言ったが、蝶子には、そのことを気に留めている様子はなかった。

「けれど、あんな場所にお嬢さんを連れていくなんて、あまりにも危険ですよ」

 蝶子のその言葉に、二橋はわずかに黙り、

「――危険じゃない場所なんて、どこにもありませんよ」

 そう言った。

「それならば、ふたりで一緒にいたほうがいい。それにこの子は、耳が聴こえない代わりに視力と嗅覚がずば抜けているんです。だから、あなたが倒れているのもすぐに発見した。残骸となった異形人(いぎょうびと)は血の匂いでね。むしろ、この子といれば、わたしのほうが危険を回避できるんですよ」

 その話を聞き、蝶子はすぐに得心(とくしん)した。
 いまのこの世界に、安全の保障がある場所などどこにもない。
 どんなに隠れ住もうとも、異形人は執拗にやってくる。
 見つかれば、あとは喰われるのを待つしかない。
 この世界で、もっとも忌むべき存在だった。

 異形人――

 それは5年前のあの大震災後、とつぜん起きた遺伝子の暴走によって、身体が変異した者たちのことだ。
 その異形人となった者たちのほとんどは、身体の変異を「進化」と捉え、自分たちを進化人(しんかびと)と呼んでいた。
 遺伝子の暴走は、なにも人間だけに及んだわけではない。
 すべての生物にも、おなじように起こった。
 ある生物は古代生物にその姿を変え、また別の生物は、巨大化した。
 人間もふくめ、その変異した者たちは、皆、一様に奇形な姿に変貌した。
 それも、磁極の移動ポールシフトによって引き起こされたものだった。
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