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チャプター【006】

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「最後に、ひとつ訊く。おまえたちの仲間に、臍(へそ)の上から脇腹にかけて、肉を抉られたような傷のある犬の男を知らないか」

 蝶子は訊いた。

「知るものか……。俺に仲間などいない……。進化人のほとんどは、群れで行動はしないからな」 

 熊男が言った。息絶え絶えの声だ。

「そうか、なら、もう用はない」
「ま、待て!」
「なんだ。いまさら命乞いか」
「いや、そうじゃない。これが最後なら……、教えてくれ……。キサマは、いったい何者なんだ……」
「私の名を知っていながら、おかしなことを訊くじゃないか」
「いや、そうじゃない。キサマ、どうして生きている……。あれだけ殴れば、頭蓋もろともキサマの顔の骨は粉々になっているはずだ……。なのに、キサマは……、人間ならばありえない……。それに、その眼と手。なぜ蒼く光っている……。そうか、それが、執行人が持つという特質能力――」

 ――なのか。そう言おうとし、だが、熊男はその言葉を、またも言い切ることができなかった。
 言い切るその直前、熊男の首のあたりを、蝶子が蒼白く光る右手で横へと払ったのだ。
 すると熊男の首は、項垂れるように前へ傾いたかと思うと、ごとりと地に落ちたのだった。
 首を失ったその切断面からは血飛沫が上がり、生暖かい血が蝶子の顔を叩いた。
 胴体はなお、膝をついたまま倒れない。
 それはまるで、胴体がまだ、首を失ったことを認識できず、いまにも立ち上がるのではないかとさえ思えた。
 地に落ちた熊男の首が、倒れぬ胴体を呼ぶかのように見つめていた。

「駆除、完了」

 蝶子は、ふう、と肩で息をついた。
 瞳と手に宿った、蒼白い燐光はもう消えている。
 仕事をやり終えたことで力が抜けたのか、身体がぐらりと揺れた。
 歩く力も残されていないように見える。
 すでにもう、限界にきていた。
 それでも蝶子は、薄闇の中を見渡し、歩き出そうとした。
 と、そのとき、

  キエェェェェッ!

 その啼き声が上空に響いた。
 蝶子は空をふり仰いだ。
 上空を、翼を持った恐竜が飛んでいた。
 熊男を背に乗せていた、あの翼竜だった。
 翼竜は、様子を窺うかのように旋回している。

  キエェッ!

 もう一度啼くと、突如、翼竜が滑空してきた。
 主人の死を知り、仇を討とうとでもいうのか。

「先祖返りめ……」

 蝶子は銃を構えた。
 身体や頭部を狙っても、翼竜の皮膚は弾丸を通さない。
 十分に引きつけて、眼を狙う。

「おまえを駆除するだけの体力は、もう残ってないっていうのに。チッ、向かってくるならしかたがない」

 1発で仕留めなければならない。
 外せば確実にやられる。
 対抗する力は、もう残されていない。
 翼竜が、撃つポイントに近づいてくる。
 蝶子は翼竜の眼に照準を合わせた。
 と、トリガーを絞ろうとしたその刹那、翼竜は滑空するのをやめ、翼を大きく羽ばたかせた。巻き起こる突風に、 蝶子は踏みこたえることができずによろめいた。

(クソ……)

 眼を閉じ、覚悟した。

「キエェッ!」

 翼竜が啼き声をあげる。
 だが、蝶子の身には何も起こらない。
 どうしたのか。
 翼竜へと眼を向ける。
 すると翼竜は、くちばしに似た長い口の先端に、何か丸みを帯びたものを咥えこんでいた。
 それは、地に転がっていた熊男の首だった。
 その首を、翼竜は長いくちばしを上下にふって呑みこんだ。
 脚の下を見ると、そこには熊男の胴体があった。
 太い鉤爪で、胴体の下半身をしっかりと捉えている。

「キエェッ!」

 翼竜はまたも啼き声を上げると、のこぎりの刃のようにびっしりと生えた歯で腹部を抉った。
 はらわたをずるずると引きずり出す。
 ずちゅり、ずちゅり、と喰らいはじめた。
 腹の中に長い口を突っこむたびに、先端が血で赤く染まっていく。
 翼竜は蝶子を狙っていたのではなかった。
 大気に漂う血の匂いに誘われ、初めから熊男の死体めがけて滑空してきたのだった。
 蝶子は、はらわたを喰われている熊男の死体に眼をやる。

「この私をはらわたから喰うつもりが、自分のはらわたを喰われているようじゃ、ザマないね」

 背を向けると、ふらりと歩き出した。
 揺らぐ足取りで薄闇の中を見渡す。
 左前方に眼をやると、瞬く閃光に鈍く煌めく金属光が眼に入った。
 その金属光へと足を向ける。
 ゆらりゆらりと歩いていくと、抜き身の太刀が転がっていた。
 それは、蝶子が背に負っていた太刀だった。
 手を伸ばしてその太刀を拾い上げようとし、だが、蝶子はそのまま前のめりに倒れてしまった。
 意識では立ち上がろうとするが、身体が動かない。
 それどころか、その意識さえ遠のいていこうとしている。
 蝶子には、それを止めることができない。
 それでも、遠のいていく意識の中で、蝶子は太刀へと手を伸ばした。
 なんとか太刀の柄を掴む。
 そのとたん、蝶子の意識は、深い闇へと落ちていった。
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