もう一度、君に逢いたい

星 陽月

文字の大きさ
上 下
36 / 53

【第35話】

しおりを挟む
「なによ、どうするつもり?」

 怪訝な表情で朝子が言った。
 その朝子に、

「朝子ねえちゃん――」

 そう呼んではいけないのだと言うようにトオルは首をふり、衣服を身に着けてシューズを履いた。
 そしてスッと朝子の前に立ち、彼女を見つめた。

「だましていてごめんなさい。もう、あなたの前に姿を現すことはありません。どうもありがとう。楽しかった」

 哀しみの翳った笑みを浮かべる。

「あなたに逢えてよかった」

 最後にそう言うと、トオルは病室を飛び出した。

「ちょっと待って。どこへ行くの!」

 呼び止めるのもかまわず、トオルは駆け出した。
 病院の門の外まで走り抜けると、一度呼吸を整え、そして歩き始めた。
 そこでふと、行くあてなどないことに気づく。
 それどころか、どこにいるのかもわからない。
 ザイールはどこにいるのだろう。
 呼べば姿を現すだろうか。
 だが、いまはそんな気にはなれない。
 朝子にすべてを話してしまった。
 話してはならないと、ザイールに言われていたのに。
 だけれど、あの状況で話さないわけにはいかなかった。
 嘘でやり過ごせる状態でさえなかった。
 いや、それ以前に、もう嘘をつきたくはなかった。
 それでよかったのかと考えれば、決してよくはなかっただろう。
 あの、驚愕に揺れた朝子の眼を見れば、彼女がどれほど動揺していたかは、火を見るよりも明らかだった。
 それまでの朝子は、いい友人に囲まれ、ごくふつうの生活を送っていたのだ。
 トオルが現れたりしなければ、何事もなく、その生活を送っていっただろう。
 それをトオルは壊してしまった。
 律子に逢いたいと願ったがために。
 逢いになど来るべきではなかった。
 朝子が律子の生まれ変わりだとしても、彼女は律子ではない。
 そう、朝子は朝子以外の何ものでもないのだから。
 朝子の人生にかかわってはならなかった。
 ただそっと、見守っているだけでよかった。

(僕はなんてバカなんだ……)

 後悔ばかりが胸の中に去来した。
 空はよく晴れていて、歩道の端には、イヴの夜に降った雪のなごりがわずかながらに残り、陽の光をきらきらと反射していた。

(どうして僕は……)

 天に手のひらを向け、夜空の闇から舞い落ちる雪に魅了されながら、ふらふらと歩く朝子を見たとき、トオルの眼に、忘れることのできない光景が甦った。
 それはまさに、あのときと同じ光景だった。
 そこには律子がいた。
 そして律子は、あのときと同じように、身体のバランスを崩して車道へと傾いだのだ。
 トオルの身体は動いていた。
 あのとき律子のことを救うことができなかった想いが、一歩も動けずにいた自分への怒りが、トオルの中で爆発したのだった。
 もう、喪うわけにはいかないのだと。
 そして無意識のうちに、律子の名を呼んでいた。
 それはしかたのないことだった。
 トオルが身を挺して救おうとしたのは、律子に他ならなかったのだから。
 しばらく歩くと、小さな公園があった。
 トオルは園内に入り、ベンチに坐った。
 ふとため息をつくと、とたんに途方に暮れた。
 自分の本来の姿にもどりたかった。
 未来にいることにもう意味はなかった。
 残された1日はもとの世界の病院のベッドで過ごせばいい。
 そして最期のときを迎え、ザイールにいざなわれて地獄への旅路に向かえばいい。
 いや、いますぐにでもかまわない。
 そうすれば、律子への想いも断ち切ることができるだろう。

「ザイール!」

 トオルは彼を呼んだ。

「どこにいるの、ザイール。もう僕は、君と地獄へ行くよ」

 だが、それに答えるものはなかった。
 ザイール、どうして来てくれないんだ。
 あと1日、僕をほうっておくの? 
 僕はどうすればいいのさ。

「ザイール、お願いだから、姿を現してよ」

 懇願するようにそう言ったとき、

「トオルくん」

 トオルを呼ぶ声がした。
 その声に顔を向けると、公園の入口に朝子が立っていた。 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

初恋の兄嫁を優先する私の旦那様へ。惨めな思いをあとどのくらい我慢したらいいですか。

梅雨の人
恋愛
ハーゲンシュタイン公爵の娘ローズは王命で第二王子サミュエルの婚約者となった。 王命でなければ誰もサミュエルの婚約者になろうとする高位貴族の令嬢が現れなかったからだ。 第一王子ウィリアムの婚約者となったブリアナに一目ぼれしてしまったサミュエルは、駄目だと分かっていても次第に互いの距離を近くしていったためだった。 常識のある周囲の冷ややかな視線にも気が付かない愚鈍なサミュエルと義姉ブリアナ。 ローズへの必要最低限の役目はかろうじて行っていたサミュエルだったが、常にその視線の先にはブリアナがいた。 みじめな婚約者時代を経てサミュエルと結婚し、さらに思いがけず王妃になってしまったローズはただひたすらその不遇の境遇を耐えた。 そんな中でもサミュエルが時折見せる優しさに、ローズは胸を高鳴らせてしまうのだった。 しかし、サミュエルとブリアナの愚かな言動がローズを深く傷つけ続け、遂にサミュエルは己の行動を深く後悔することになる―――。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

不貞の末路《完結》

アーエル
恋愛
不思議です 公爵家で婚約者がいる男に侍る女たち 公爵家だったら不貞にならないとお思いですか?

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

処理中です...