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【第34話】
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そのとき病室の戸が開いて、朝子が入ってきた。
「トオルくん、よかった、眼を醒ましたのね。どう? 頭とか痛くない?」
「うん。どこも痛くないよ」
「そう。ほんとによかった。このまま眼を醒まさなかったらどうしようって思っていたんだからね」
朝子はホッとした顔で、ベッドの横の椅子に坐った。
「ごめんね、心配かけて」
「ほんとよ。トオルくん、アスファルトに頭を強く打ちつけて、救急でこの病院に運ばれたのよ。担当の先生は、脳に異常はないし、脳波も正常だからじきに眼を醒ますでしょうって言ったけど、昏睡したまま丸1日も意識を失ったままだったんだから、気か気じゃなかったわ」
「ごめんなさい……」
トオルは言葉もない。
「そんなに謝られても、私も困っちゃうわよ。トオルくんは、私を助けようとしたわけなんだし……」
「でも、朝子ねえちゃんに怪我がなくてよかった」
「だけど、どうしてあんな無茶なことをしたの?」
「朝子ねえちゃんが、車に撥ねられるって思ったから」
「どうして、そんなこと思ったの」
「だって、朝子ねえちゃんが車道に倒れていって、そこに車が走ってきて……」
「だからって……、車が人を撥ねることなんてないのに」
「どういうこと?」
「どういうことって、車は自動事故防御システムというのが働いて、前方に飛び出してくるものがあったら、瞬時に急停止するようになっているんだから」
そんなことをトオルが知るはずもない。
「でも、故障するってこともあるじゃない。それに、ほら、朝子ねえちゃんが乗るはずだったリトレが暴走して、すごい脱線事故があったって言ってたじゃないか」
「それは確かにそうだけど、でもあの事故は、ここ20年で一度だけなのよ。車に限っては、一度も起きてないわ。だから、あんな無茶をしなくてもよかったのよ」
「だけど、僕はただ夢中で……。もう君を喪いたくなかったから」
言ってしまったあとで、トオルはハッとした。
だが、もう遅かった。
「それ、どういうこと?」
朝子の表情が固くなる。
「もう君を喪いたくなかったって、どういうことよ」
表情はさらに険しくなる。
「それだけじゃないわ。これは、トオルくんが退院してから訊こうと思っていたことだけど、君が私を助けようとしたとき、私のことを律子って呼んだわよね。それって、どういうことなの?」
トオルは朝子から逃げるように顔を斜に伏せた。
答えられるわけがなかった。
「ね、答えて、トオルくん。ううん、違うわね。君は私のいとこのトオルくんでもない」
(えッ!)
トオルは胸を鷲づかみにされたように、息がつまった。
鼓動がドクンと音を立てた。
「小樽の裕三おじさんに電話を掛けたの。君が事故に遭ったことを伝えようと思って。そうしたら、『久しぶりに電話を掛けてきたと思ったら、なにをそんな冗談言ってるんだ』って言われたわ。いとこのトオルくんとも話しをした。ね、君はいったいだれなの? 私をだましていたってことよね。いったい、どうするつもりだったの?」
(そう。確かに僕は君をだました。だけどそれは……)
トオルは唇を噛んだ。
「そうやって、なにも言わないつもりなの? それだと、警察に連絡してここへ来てもらうしかないわよ。それでもいいの?」
それでもトオルは顔を上げなかった。
「そう。どうしても話せないんだったら、いいわ、わかった」
朝子は立ち上がり、病室を出ようとした。
「待って」
ようやくトオルは声を出した。
「話す気になった?」
朝子がふり返る。
トオルはこくりとうなずいた。
もう話すしかない。
信じてもらえなくてもいいから、真実を。
トオルは心に決めた。
そして、椅子に坐り直した朝子にすべてを打ち明けた。
話し終えたトオルの顔を、信じられないものを見るように朝子は見つめた。
「そんなこと……」
その眼が揺れている。
「信じられないのはわかるよ。でも、これはほんとうのことなんだ」
「ウソよ。いくらなんでも、そんなことが現実に起きるわけがないわ」
トオルを見つめる朝子の眼が、驚愕の色に変わる。
いまにも逃げ出さんばかりの恐怖の表情だ。
トオルは哀しくなって、ベッドから下りると、自分の衣服へと着替え始めた。
「トオルくん、よかった、眼を醒ましたのね。どう? 頭とか痛くない?」
「うん。どこも痛くないよ」
「そう。ほんとによかった。このまま眼を醒まさなかったらどうしようって思っていたんだからね」
朝子はホッとした顔で、ベッドの横の椅子に坐った。
「ごめんね、心配かけて」
「ほんとよ。トオルくん、アスファルトに頭を強く打ちつけて、救急でこの病院に運ばれたのよ。担当の先生は、脳に異常はないし、脳波も正常だからじきに眼を醒ますでしょうって言ったけど、昏睡したまま丸1日も意識を失ったままだったんだから、気か気じゃなかったわ」
「ごめんなさい……」
トオルは言葉もない。
「そんなに謝られても、私も困っちゃうわよ。トオルくんは、私を助けようとしたわけなんだし……」
「でも、朝子ねえちゃんに怪我がなくてよかった」
「だけど、どうしてあんな無茶なことをしたの?」
「朝子ねえちゃんが、車に撥ねられるって思ったから」
「どうして、そんなこと思ったの」
「だって、朝子ねえちゃんが車道に倒れていって、そこに車が走ってきて……」
「だからって……、車が人を撥ねることなんてないのに」
「どういうこと?」
「どういうことって、車は自動事故防御システムというのが働いて、前方に飛び出してくるものがあったら、瞬時に急停止するようになっているんだから」
そんなことをトオルが知るはずもない。
「でも、故障するってこともあるじゃない。それに、ほら、朝子ねえちゃんが乗るはずだったリトレが暴走して、すごい脱線事故があったって言ってたじゃないか」
「それは確かにそうだけど、でもあの事故は、ここ20年で一度だけなのよ。車に限っては、一度も起きてないわ。だから、あんな無茶をしなくてもよかったのよ」
「だけど、僕はただ夢中で……。もう君を喪いたくなかったから」
言ってしまったあとで、トオルはハッとした。
だが、もう遅かった。
「それ、どういうこと?」
朝子の表情が固くなる。
「もう君を喪いたくなかったって、どういうことよ」
表情はさらに険しくなる。
「それだけじゃないわ。これは、トオルくんが退院してから訊こうと思っていたことだけど、君が私を助けようとしたとき、私のことを律子って呼んだわよね。それって、どういうことなの?」
トオルは朝子から逃げるように顔を斜に伏せた。
答えられるわけがなかった。
「ね、答えて、トオルくん。ううん、違うわね。君は私のいとこのトオルくんでもない」
(えッ!)
トオルは胸を鷲づかみにされたように、息がつまった。
鼓動がドクンと音を立てた。
「小樽の裕三おじさんに電話を掛けたの。君が事故に遭ったことを伝えようと思って。そうしたら、『久しぶりに電話を掛けてきたと思ったら、なにをそんな冗談言ってるんだ』って言われたわ。いとこのトオルくんとも話しをした。ね、君はいったいだれなの? 私をだましていたってことよね。いったい、どうするつもりだったの?」
(そう。確かに僕は君をだました。だけどそれは……)
トオルは唇を噛んだ。
「そうやって、なにも言わないつもりなの? それだと、警察に連絡してここへ来てもらうしかないわよ。それでもいいの?」
それでもトオルは顔を上げなかった。
「そう。どうしても話せないんだったら、いいわ、わかった」
朝子は立ち上がり、病室を出ようとした。
「待って」
ようやくトオルは声を出した。
「話す気になった?」
朝子がふり返る。
トオルはこくりとうなずいた。
もう話すしかない。
信じてもらえなくてもいいから、真実を。
トオルは心に決めた。
そして、椅子に坐り直した朝子にすべてを打ち明けた。
話し終えたトオルの顔を、信じられないものを見るように朝子は見つめた。
「そんなこと……」
その眼が揺れている。
「信じられないのはわかるよ。でも、これはほんとうのことなんだ」
「ウソよ。いくらなんでも、そんなことが現実に起きるわけがないわ」
トオルを見つめる朝子の眼が、驚愕の色に変わる。
いまにも逃げ出さんばかりの恐怖の表情だ。
トオルは哀しくなって、ベッドから下りると、自分の衣服へと着替え始めた。
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