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【第33話】
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「ってオイ、ちょっと待て。なにを根拠に、オレがウソを言っているって言うんだよ」
心外だとばかりに、ザイールは言った。
「サラから聞いた」
トオルは、すかさず返した。
「サラ? だれだそいつは」
ザイールは眉根を寄せ、小首を傾げた。
「朝子ねえちゃんが飼っている猫のことだよ。ほんとの名前はディエル」
「デュエル?……」
ザイールは、顎(あご)に手をやって眼を瞑り、ほんの数瞬考えこんだかと思うと、
「な、なにィ!?」
張り上げた声が裏返った。
「そういつの名を、もう一度言ってくれ」
「ディエル」
「オレの記憶が確かならば、いま、ディエルって言ったか」
「そうそう。君の記憶はすごいよ。確かに僕はそう言いました」
トオルは嘲るように言った。
「まさか、そいつは黒猫じゃないよな」
「ううん。そのまさかさ」
「もしかするとそいつは、左右対称の青と緑の気味の悪い色をした眼を耀かせて、そんでもって鼻ぺちゃのくせに威張りくさって、するどい鉤爪ですぐに引っ掻こうとする陰険極まりない、あの黒猫のディエルじゃないよな」
「君がどう思っているかは知らないけど、彼女はディエルだよ」
「どうあってもか」
「うん、どうあっても」
「天と地がひっくり返り、朝に夜がきて、冬に夏が来てもか」
「だから、そうだって」
トオルはいいかげん辟易とした。
「世も末だ。おお、神よ。オー、マイ、ガアッ!」
ザイールは両手を掲げて天を仰いだ。
「あの野郎、オレを邪魔しに来やがったのか」
眉根にしわを寄せ、ザイールはひとりごちるように言った。
「ディエルは野郎じゃないよ。それに邪魔しに来たわけでもない」
「オレのこと、なにか言っていたかアイツ」
「落ちこぼれだって」
「な、なにィ。オレを落ちこぼれだとォ!」
すごい形相になって、ザイールは立ち上がった。
勢いあまって椅子が倒れた。
「ちょ、ちょっと、落ち着いてよ。言ったのは僕じゃなくてディエルなんだから」
トオルは、いまにも向かってきそうになるザイールを両手を開いて制した。
「そうか、そうだな。言ったのはアンタじゃない、ディエルだ。わかった」
ザイールは大きく息を吐くと、倒れた椅子を直して坐った。
いまの形相にはトオルも驚いた。
よほど落ちこぼれと言われることが嫌いらしい。
「で? 要するに、ディエルがオレはウソをついていると言ったわけか」
「はっきり言ったわけじゃないよ。ディエルは、自分で問いつめろって」
「なるほど、自分でね。ま、どっちにしろ、ウソがばれたってことだな」
そう言うと、なにやらザイールは思案顔になった。
素直に嘘を認めたが、ザイールはどんな言い訳をするのだろうとトオルは思った。
すると突然、ザイールはテーブルに両手をつき、
「すまん、オレが悪かった」
と頭を下げた。
そのとき、したたかに額をテーブルに打ちつけて、ザイールは「ウオッ」と声を張り上げ仰け反ると、椅子ごとうしろへ倒れこんだ。
「ウガッ!」
「ザイール、大丈夫かい!」
トオルはザイールを抱き起こした。
「トオル、オレも天使の端くれだ。ウソをつき、それがバレたとあっては、逃げも隠れもしねえよ。さ、煮るなり焼くなり好きなようにしてくれ」
ザイールは胡坐をかき、背筋を凛と伸ばした。
「もういいよ、ザイール。君もいろいろと事情があってのことなんだろ。それに君は、ウソをちゃんと認めて、謝ったじゃないか。それでじゅうぶんだよ」
「じゃあ、アンタ、ウソだってわかっても、地獄へ行くっていうのかい」
「だって、約束だろ? 律子に逢わせてくれたら、地獄でもどこへでも行くって。君は約束どおり、律子の生まれ変わった朝子ねえちゃんに逢わせてくれた。だから僕も約束は守るよ」
「アンタはなんていいヤツなんだ」
ザイールは眼に涙を滲ませていた。
「さァ、いいから立って」
トオルはザイールの腕を取り、椅子に坐らせた。
「額、大丈夫?」
ザイールの額は、赤くなっていた。
「こんなもの、なんでもない」
ザイールは赤くなった額をさすった。
「でも君って、ほんとに天使らしくないね」
「実はいうとオレは……」
「待った。言わなくていいよ。ザイールがなんであっても、僕には関係ないさ。僕にとって君は、大天使ザイールなんだから」
「トオル、アンタって人は……」
ザイールは顔をくしゃくしゃにして、眼に涙を溢れさせた。
それなのに、涙はこぼれ落ちなかった。
「それはそうと、ここはどこなの、ザイール」
「ここか? あァ、ここはどこでもない」
ザイールの涙は一瞬に引いていた。
「どこでもないのに、どうして僕はここにいるのさ」
「正確に言えば、ここはアンタの頭の中だ」
「なに、それ」
「だからアンタは、意識を失って病院に運ばれ、ベッドでいま眠っているんだよ」
「ってことは、これは僕が観ている夢ってこと?」
「そうさ」
「じゃあ、ザイールも夢なの?」
「オレは、アンタの夢の中に入りこんだのさ。眼を醒ませばわかるさ。いいか、ほら、眼を醒ませ。ワン、ツー、スリー」
ザイールは、「パンッ!」と手を叩いた。
と、トオルは眼を醒ました。
半身を起こして周りを見回すと確かにそこは病室で、トオルはベッドの上にいた。
「な、言っただろ?」
ベッドの横にはザイールが立っている。
どうやらそこは、集中治療室らしかった。
「じゃあ、眼を醒ましたってことで、オレは行くぜ」
「え? また契約を取りにいくの?」
「ん? あ、まあな」
「そう。でも、ウソはダメだよ、ザイール」
「ああ、わかってるよ」
その言葉を残し、ザイールの姿がそこから消えた。
心外だとばかりに、ザイールは言った。
「サラから聞いた」
トオルは、すかさず返した。
「サラ? だれだそいつは」
ザイールは眉根を寄せ、小首を傾げた。
「朝子ねえちゃんが飼っている猫のことだよ。ほんとの名前はディエル」
「デュエル?……」
ザイールは、顎(あご)に手をやって眼を瞑り、ほんの数瞬考えこんだかと思うと、
「な、なにィ!?」
張り上げた声が裏返った。
「そういつの名を、もう一度言ってくれ」
「ディエル」
「オレの記憶が確かならば、いま、ディエルって言ったか」
「そうそう。君の記憶はすごいよ。確かに僕はそう言いました」
トオルは嘲るように言った。
「まさか、そいつは黒猫じゃないよな」
「ううん。そのまさかさ」
「もしかするとそいつは、左右対称の青と緑の気味の悪い色をした眼を耀かせて、そんでもって鼻ぺちゃのくせに威張りくさって、するどい鉤爪ですぐに引っ掻こうとする陰険極まりない、あの黒猫のディエルじゃないよな」
「君がどう思っているかは知らないけど、彼女はディエルだよ」
「どうあってもか」
「うん、どうあっても」
「天と地がひっくり返り、朝に夜がきて、冬に夏が来てもか」
「だから、そうだって」
トオルはいいかげん辟易とした。
「世も末だ。おお、神よ。オー、マイ、ガアッ!」
ザイールは両手を掲げて天を仰いだ。
「あの野郎、オレを邪魔しに来やがったのか」
眉根にしわを寄せ、ザイールはひとりごちるように言った。
「ディエルは野郎じゃないよ。それに邪魔しに来たわけでもない」
「オレのこと、なにか言っていたかアイツ」
「落ちこぼれだって」
「な、なにィ。オレを落ちこぼれだとォ!」
すごい形相になって、ザイールは立ち上がった。
勢いあまって椅子が倒れた。
「ちょ、ちょっと、落ち着いてよ。言ったのは僕じゃなくてディエルなんだから」
トオルは、いまにも向かってきそうになるザイールを両手を開いて制した。
「そうか、そうだな。言ったのはアンタじゃない、ディエルだ。わかった」
ザイールは大きく息を吐くと、倒れた椅子を直して坐った。
いまの形相にはトオルも驚いた。
よほど落ちこぼれと言われることが嫌いらしい。
「で? 要するに、ディエルがオレはウソをついていると言ったわけか」
「はっきり言ったわけじゃないよ。ディエルは、自分で問いつめろって」
「なるほど、自分でね。ま、どっちにしろ、ウソがばれたってことだな」
そう言うと、なにやらザイールは思案顔になった。
素直に嘘を認めたが、ザイールはどんな言い訳をするのだろうとトオルは思った。
すると突然、ザイールはテーブルに両手をつき、
「すまん、オレが悪かった」
と頭を下げた。
そのとき、したたかに額をテーブルに打ちつけて、ザイールは「ウオッ」と声を張り上げ仰け反ると、椅子ごとうしろへ倒れこんだ。
「ウガッ!」
「ザイール、大丈夫かい!」
トオルはザイールを抱き起こした。
「トオル、オレも天使の端くれだ。ウソをつき、それがバレたとあっては、逃げも隠れもしねえよ。さ、煮るなり焼くなり好きなようにしてくれ」
ザイールは胡坐をかき、背筋を凛と伸ばした。
「もういいよ、ザイール。君もいろいろと事情があってのことなんだろ。それに君は、ウソをちゃんと認めて、謝ったじゃないか。それでじゅうぶんだよ」
「じゃあ、アンタ、ウソだってわかっても、地獄へ行くっていうのかい」
「だって、約束だろ? 律子に逢わせてくれたら、地獄でもどこへでも行くって。君は約束どおり、律子の生まれ変わった朝子ねえちゃんに逢わせてくれた。だから僕も約束は守るよ」
「アンタはなんていいヤツなんだ」
ザイールは眼に涙を滲ませていた。
「さァ、いいから立って」
トオルはザイールの腕を取り、椅子に坐らせた。
「額、大丈夫?」
ザイールの額は、赤くなっていた。
「こんなもの、なんでもない」
ザイールは赤くなった額をさすった。
「でも君って、ほんとに天使らしくないね」
「実はいうとオレは……」
「待った。言わなくていいよ。ザイールがなんであっても、僕には関係ないさ。僕にとって君は、大天使ザイールなんだから」
「トオル、アンタって人は……」
ザイールは顔をくしゃくしゃにして、眼に涙を溢れさせた。
それなのに、涙はこぼれ落ちなかった。
「それはそうと、ここはどこなの、ザイール」
「ここか? あァ、ここはどこでもない」
ザイールの涙は一瞬に引いていた。
「どこでもないのに、どうして僕はここにいるのさ」
「正確に言えば、ここはアンタの頭の中だ」
「なに、それ」
「だからアンタは、意識を失って病院に運ばれ、ベッドでいま眠っているんだよ」
「ってことは、これは僕が観ている夢ってこと?」
「そうさ」
「じゃあ、ザイールも夢なの?」
「オレは、アンタの夢の中に入りこんだのさ。眼を醒ませばわかるさ。いいか、ほら、眼を醒ませ。ワン、ツー、スリー」
ザイールは、「パンッ!」と手を叩いた。
と、トオルは眼を醒ました。
半身を起こして周りを見回すと確かにそこは病室で、トオルはベッドの上にいた。
「な、言っただろ?」
ベッドの横にはザイールが立っている。
どうやらそこは、集中治療室らしかった。
「じゃあ、眼を醒ましたってことで、オレは行くぜ」
「え? また契約を取りにいくの?」
「ん? あ、まあな」
「そう。でも、ウソはダメだよ、ザイール」
「ああ、わかってるよ」
その言葉を残し、ザイールの姿がそこから消えた。
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