もう一度、君に逢いたい

星 陽月

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【第20話】

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「気持ちいいでしょう」

 朝子が、トオルい顔を向けて訊いた。

「うん、とっても」

 トオルは、大空を眺めながら答えた。
 大空はどこまでも広く青かった。
 陽光がやさしく降りそそいでいる。
 そして、とても静かだった。

「こんな体験ができるなんて、すごいゲームだね」
「でしょう。でも、これで初体験版チップなのよ。チップにはいろいろあって、世界一周旅行のできるチップや、冒険をしたりお金持ちになったり、ミュージシャンや俳優になれるチップだってあるんだから」
「だったら、このゲームがあれば、なんにだってなれるってわけだね」
「そうよ。それに、動物や昆虫になれるチップもあるのよ」
「だけど、そんなにいろんな経験ができると、ずっとこのゲームをやっていたくなるんじゃない?」
「その心配はないわ。このゲームは時間をプログラムするようになっているから、その時間がくると自然にシャット・ダウンするようになっているの。ゲーム・タイムは最高でも6時間。そして一度終了すると、それから12時間はゲームにログインできないのよ。だからゲームにハマっちゃうってこともないの」
「ふーん。でも、こんなすごいゲームって、すごく高かったでしょ」
「そうねえ、高級車が1台は買えちゃうかな」

 こともなげに朝子は言った。

「うわ、ほんとに!」

 トオルは驚いて、半身を起こした。
 未来の高級車がいったいどれほどの金額がするのかはわからないが、それにしても、ゲーム機と高級車が同額とは恐れいる。
 とはいえ、こんな仮想世界を疑似体験できるゲームが開発されているのだから、未来の進歩はものすごい。
 そしてまた、その高級車1台分もするゲーム・マシンを買ってしまう朝子もまたすごい。
 未来と過去とでは、貨幣の違いもあるだろうが、朝子の住んでいるマンションも分譲であるなら相当の金額であろうし、賃貸であってもやはり相当なものだろう。
 朝子はいったいどれほどの収入を得ているのだろうか。
 それとも財閥の令嬢なのか。
 とはいっても、彼女にはセレブレティな雰囲気はない。

「朝子ねえちゃんて、お金持ちなんだ。住んでるところもすごいし」

 深く追求するわけにもいかないので、トオルはさりげなくそう訊いた。

「そんなことないわよ。このゲーム・マシンはね、冬のボーナスを頭金に入れて、思い切ってローンで買ったの。こんなに高い買い物は初めてだったけど、今年1年がんばった自分へのご褒美のつもりでね。それと、このマンションは都営なのよ。だから家賃は格安なの。マンションが完成する3ヶ月前に入居者の応募があって、それに出してみたら当たったのよ。独身者はなかなか当たらないのに、それが当たったんだからラッキーだと思わない?」

 謎はすぐに解けてしまった。
 朝子は財閥の令嬢などではなくごくふつうの女性だった。
 トオルは朝子がふつうの女性であったことにほっとした。
 朝子がふいに立ち上がり、散歩でもするように雲の上を歩き始めた。
 両手を広げ、ときおり足を止めて身体をくるりと回すその姿は、まるで踊っているようだった。
 そんな朝子にトオルは、眩さに眼を細めながら見入った。
 限りがないと思えるほど、雲はどこまでも広がっている。
 陽光に包み込まれた朝子の姿を眺めながら、トオルは天国にいるのだと思った。
 そう、ここは天国に違いない。
 すぐ眼の前には、律子がいるのだから。
 願いが、いまやっと叶ったのだ。
 ずっとこの光景を夢見てきた。
 このときが来ることを、ずっとずっと待ち望んでいた。
 天国へ行けば、きっと律子が待っているとそう信じて。
 逢いたくて、逢いたくて、逢いたくてしかたがなかった。
 そこへ行けば、もう一度、律子の笑顔を見ることができるのだと、それだけを胸にいだきながら生きてきた。
 だからこそ、どんなに哀しくとも、切なくとも、辛くとも、生きてこられたのだ。
 このときのためだけに。
 そしていま、夢にまで見たふたりだけの世界にいる。
 きらきらと輝く朝子が踊っている。
 彼女の周りを、真白な雲のかけらが粉雪のように舞い上がる。
 朝子は、雪原に踊る女神だった。
 そしてここは、純白に煌くホワイト・ヘヴン。
 彼女を強く抱きしめて、この歓びを、この想いを伝えたかった。
 すべてを打ち明けてしまいたかった。
 けれど、そうすることはできない。
 いまのトオルの姿は、彼女を包み込めるだけの肉体を有してはおらず、抱きしめるにはあまりにも身体は小さく幼すぎた。
 そして真実は、決して口にしてはならなかった。
 それが悔しくて、トオルは立ち上がると足を蹴って上空へと飛んだ。

「どこへ行くのトオルくん! そんなに高く飛んでも、その先にはなにもないわよ!」

 そう言う朝子にかまわず、トオルは加速をつけてさらなる高みへと上昇していった。
 なにもなくたっていい。
 いまはなにもないところで、独りになりたかった。

「トオルくーん。もどっておいでよー!」

 その声は、トオルにはもう届いていなかった。
 どれほど高く飛んだのか、青い空はふいに闇へと変わった。
 そこには、圧倒的な漆黒の闇が広がっていた。
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