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【第11話】
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トオルがソファに坐ると、サラが隣にやってきた。
「ねえ、サラ。ひとつ訊いてもいいかな?」
トオルがサラに訊いた。
〈いいわよ、なんなりと。ただその前に、音楽くらいかけたほうがいいんじゃない。ぶつぶつ独りごとを言っているように思われるわよ〉
サラはトオルの脳裡に言葉を贈った。
「それもそうだね。だけど、音楽をかけるのは、どうしたらいいのかな」
〈B・G・Mって声を出せばいいのよ〉
「あ、そうなんだ。わかった――B・G・M!」
するとリビングには、快いクラシックが静かに流れ出した。
〈これでいいわ。それで、なにを訊きたいの?〉
「うん、実はね。いまは西暦何年なのかなと思って」
〈なんだ、そんなこと。いまは、2121年よ〉
「え? 2121年? すると僕は、100年前から来たことになるんだ……」
となると、律子は『来世の殻』というの中に、いったいどのくらいのあいだ入っていたのだろうか。
ザイールは、生まれ変わりの準備だと言っていたが、殻の中ではどんな状態にあったのだろう。
ただ眠っているだけだったのだろうか。
だが、たとえどれだけ長い年月だったとはいえ、時の流れのない世界にいた彼女にすれば、瞬く間のことだったのかもしれない。
そしてトオルもまた、100年後の未来へ瞬く間にやってきた。
新しい生を受けた彼女のもとへ。
(だけど……)
ふと、トオルの中にこみ上げてくるものがある。
それは、後悔の念だった。
僕はどうしてここにいるんだろう。
時を越えてまで、どうして彼女に逢いに来たりしたんだろう。
その理由は決まっている。
彼女に、律子に逢いたかったからだ。
ずっとずっとそれだけを願い、それがトオルの人生だった。
そしてやっと彼女に逢えた。
だけれど、彼女はもう律子ではない。
たとえ魂が同じであるとしても、彼女はいま、沢尻朝子としての人生を送っているのだ。
その彼女に、いったい何をしようというのか。
前世を思い出すことなどありえない。
ましてや、真実を語ったところで、信じてもらえるわけもない。
彼女にとって、いまのトオルの存在は親戚の子でしかないのだから。
それを思うと、圧倒的な切なさが押し寄せてくる。
(僕は、ここにいてはいけない存在なんだ……)
それが現実だった。
とたんに、トオルの小さな胸はひしゃげてしまった。
〈どうしたのよ、トオル。突然落ちこんじゃって〉
サラがトオルを見上げる。
「うん。どうして僕はここにいるんだろって、そう思ったらとてもやりきれなくて……」
〈なによ、そんなことでヘコんでるの?〉
「そんなことじゃないよ。ほんとなら、僕はここに存在していないんだから」
〈だったら、過去へお帰りなさい〉
「そんなに簡単に言わないでよ」
〈だってトオルはいま、ここへ来たことを後悔しているんでしょ? それなら、もとの世界へもどればいいだけのことじゃない〉
確かにそうだ……。
トオルは眼を伏せた。
自分はこの世界にいてはならない不要の存在。
いまこうしているだけで、未来を変えてしまいかねないのだ。
いや、もうすでに変えてしまっているのかもしれない。
朝子との出逢いは、あってはならないことだったのだから。
自分の願いを叶えるために未来に訪れ、その未来を変えてしまうことなど許されることではない。
生涯、律子に逢いたいがために、過ちを犯したことなどなかったトオルだった。
それなのに、律子の生まれ変わった彼女に逢いたいがために、過ちを犯してしまったのだ。
そのうえ彼女に嘘をつき、欺(あざむ)いている。
トオルはさらに深く落ち込んだ。
〈トオル、君は気が小さすぎるわよ〉
サラは瞳の虹彩を細めて言った。
「どうして?」
〈キミがここへ来たのはなんのため?〉
「彼女に逢うためさ。決まってるじゃないか」
〈なら、どうしてそんな弱気になってるのよ〉
「別に弱気になっているわけじゃないよ。僕は、こうしてることが間違いだってことに気づいたんだ。ここにいてはいけないんだよ、僕は」
〈確かにね。未来に来るなんて間違いに決まってる。けれどトオルは、地獄へ行くこともいとわずに、生まれ変わった彼女に逢うことを決めた。それは、ザイールにうまく乗せられたってこともあるだろうけど、決断したのはキミよ。それはなんのため? 彼女に逢いたい以上に、彼女へのゆるぎない愛があったからじゃないの。そうでしょ? だったら、その愛を貫いてみなさいよ。キミには4日間しかないんじゃないの。『ここにいてはいけないんだよ、僕は』なんてヘコんでるヒマなんてないのよ。どんな形にせよ、キミは朝子と出逢った。それは事実なんだし、間違いだってなんだって、かまうことはないじゃない〉
「……うん」
トオルはサラの言葉を心に刻む。
〈いい? 起きたことにはすべて理由があるの。トオルがこの未来へ来たことにも、キミが前世の彼女のことを想いつづけて、生涯を独り身でとおしたことにもね。キミのその想いは、ある意味では呪縛のようなもの。キミは、前世の彼女にできなかったことがあるんじゃないの? それを叶えるために、キミがこの未来へ来たのかどうかはわからないけど、でもそれをすべきよ。いまのこのタイミングを逃しちゃダメ。そして、朝子といられる時間を存分に楽しみなさい。それで地獄へ行くなら本望じゃないの〉
サラの言葉は、トオルの胸にずしりときた。
「そうだね、サラ。君の言うとおりだよ。僕にはあと4日しかない。その4日間でなにができるかはわからないけど、彼女との時間を大切にするよ。ありがとう。君ってやっぱり、女神なんだね」
〈おだてたって、なにもでないわよ〉
そう言いながらも、サラは満更でもなさそうだった。
そこへリックが、仲間にいれてくれとでもいうように、顔を出してきた。
「ねえ、サラ。ひとつ訊いてもいいかな?」
トオルがサラに訊いた。
〈いいわよ、なんなりと。ただその前に、音楽くらいかけたほうがいいんじゃない。ぶつぶつ独りごとを言っているように思われるわよ〉
サラはトオルの脳裡に言葉を贈った。
「それもそうだね。だけど、音楽をかけるのは、どうしたらいいのかな」
〈B・G・Mって声を出せばいいのよ〉
「あ、そうなんだ。わかった――B・G・M!」
するとリビングには、快いクラシックが静かに流れ出した。
〈これでいいわ。それで、なにを訊きたいの?〉
「うん、実はね。いまは西暦何年なのかなと思って」
〈なんだ、そんなこと。いまは、2121年よ〉
「え? 2121年? すると僕は、100年前から来たことになるんだ……」
となると、律子は『来世の殻』というの中に、いったいどのくらいのあいだ入っていたのだろうか。
ザイールは、生まれ変わりの準備だと言っていたが、殻の中ではどんな状態にあったのだろう。
ただ眠っているだけだったのだろうか。
だが、たとえどれだけ長い年月だったとはいえ、時の流れのない世界にいた彼女にすれば、瞬く間のことだったのかもしれない。
そしてトオルもまた、100年後の未来へ瞬く間にやってきた。
新しい生を受けた彼女のもとへ。
(だけど……)
ふと、トオルの中にこみ上げてくるものがある。
それは、後悔の念だった。
僕はどうしてここにいるんだろう。
時を越えてまで、どうして彼女に逢いに来たりしたんだろう。
その理由は決まっている。
彼女に、律子に逢いたかったからだ。
ずっとずっとそれだけを願い、それがトオルの人生だった。
そしてやっと彼女に逢えた。
だけれど、彼女はもう律子ではない。
たとえ魂が同じであるとしても、彼女はいま、沢尻朝子としての人生を送っているのだ。
その彼女に、いったい何をしようというのか。
前世を思い出すことなどありえない。
ましてや、真実を語ったところで、信じてもらえるわけもない。
彼女にとって、いまのトオルの存在は親戚の子でしかないのだから。
それを思うと、圧倒的な切なさが押し寄せてくる。
(僕は、ここにいてはいけない存在なんだ……)
それが現実だった。
とたんに、トオルの小さな胸はひしゃげてしまった。
〈どうしたのよ、トオル。突然落ちこんじゃって〉
サラがトオルを見上げる。
「うん。どうして僕はここにいるんだろって、そう思ったらとてもやりきれなくて……」
〈なによ、そんなことでヘコんでるの?〉
「そんなことじゃないよ。ほんとなら、僕はここに存在していないんだから」
〈だったら、過去へお帰りなさい〉
「そんなに簡単に言わないでよ」
〈だってトオルはいま、ここへ来たことを後悔しているんでしょ? それなら、もとの世界へもどればいいだけのことじゃない〉
確かにそうだ……。
トオルは眼を伏せた。
自分はこの世界にいてはならない不要の存在。
いまこうしているだけで、未来を変えてしまいかねないのだ。
いや、もうすでに変えてしまっているのかもしれない。
朝子との出逢いは、あってはならないことだったのだから。
自分の願いを叶えるために未来に訪れ、その未来を変えてしまうことなど許されることではない。
生涯、律子に逢いたいがために、過ちを犯したことなどなかったトオルだった。
それなのに、律子の生まれ変わった彼女に逢いたいがために、過ちを犯してしまったのだ。
そのうえ彼女に嘘をつき、欺(あざむ)いている。
トオルはさらに深く落ち込んだ。
〈トオル、君は気が小さすぎるわよ〉
サラは瞳の虹彩を細めて言った。
「どうして?」
〈キミがここへ来たのはなんのため?〉
「彼女に逢うためさ。決まってるじゃないか」
〈なら、どうしてそんな弱気になってるのよ〉
「別に弱気になっているわけじゃないよ。僕は、こうしてることが間違いだってことに気づいたんだ。ここにいてはいけないんだよ、僕は」
〈確かにね。未来に来るなんて間違いに決まってる。けれどトオルは、地獄へ行くこともいとわずに、生まれ変わった彼女に逢うことを決めた。それは、ザイールにうまく乗せられたってこともあるだろうけど、決断したのはキミよ。それはなんのため? 彼女に逢いたい以上に、彼女へのゆるぎない愛があったからじゃないの。そうでしょ? だったら、その愛を貫いてみなさいよ。キミには4日間しかないんじゃないの。『ここにいてはいけないんだよ、僕は』なんてヘコんでるヒマなんてないのよ。どんな形にせよ、キミは朝子と出逢った。それは事実なんだし、間違いだってなんだって、かまうことはないじゃない〉
「……うん」
トオルはサラの言葉を心に刻む。
〈いい? 起きたことにはすべて理由があるの。トオルがこの未来へ来たことにも、キミが前世の彼女のことを想いつづけて、生涯を独り身でとおしたことにもね。キミのその想いは、ある意味では呪縛のようなもの。キミは、前世の彼女にできなかったことがあるんじゃないの? それを叶えるために、キミがこの未来へ来たのかどうかはわからないけど、でもそれをすべきよ。いまのこのタイミングを逃しちゃダメ。そして、朝子といられる時間を存分に楽しみなさい。それで地獄へ行くなら本望じゃないの〉
サラの言葉は、トオルの胸にずしりときた。
「そうだね、サラ。君の言うとおりだよ。僕にはあと4日しかない。その4日間でなにができるかはわからないけど、彼女との時間を大切にするよ。ありがとう。君ってやっぱり、女神なんだね」
〈おだてたって、なにもでないわよ〉
そう言いながらも、サラは満更でもなさそうだった。
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