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【第5話】
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「だからさあ、前世っていうのは、ほんとにあるのよ」
ランチを食べながら言う同僚の話に、沢尻朝子は、「うーん」と唸った。
「生まれ変わりながら、人は魂を磨いていくんだって。そうすることで、ほんとうの幸せを掴むことができるのよ」
同僚のさゆりは、さらに言う。
「さゆり。アンタ、命のせせらぎってTV観てるでしょ」
「毎週かかさずね」
「やっぱり」
「江口さんの出した、『死んだら来世』って本も買ったわよ」
「あらま、そこまで」
「今度、貸してあげる」
「いいわよ。私はそういうの興味ないから」
「どうしてよ。前世や来世があるって、いいと思わない? だってさ、来世があるって思ったら、死ぬのも怖くないじゃない。それによ、死ぬ前に今度はこうなりたいって望めば、そうなれるらしいのよ。でもそれには、努力が必須アイテムには違いないけど。でもね、人間て――」
永遠と話しつづけるのではないだろうかと思えるさゆりの話を、朝子は右から左に聞き流した。
さゆりが、自分の興味を持った話をするときは、決まってそうなのだ。
いまに始まったことではない。
そして、その興味も次から次へと変わっていく。
以前は確か、催眠術に興味を持ち、その前は気功やヨガだったはずだ。
そしていまは、前世や来世といった魂の生まれ変わりにハマっているのだ。
だが、どれもこれも長つづきはしない。
興味を持つのも早いが冷めるはもっと早い。
それだけに、通信販売にはとりわけ弱く、部屋の中には通信商品がうずたかく積みあがっているのだった。
さゆりの話に聞く耳を持たずに、ウインドウを流れる車や人々を眺めていると、対面の歩道にひとりの少年が立っているのが朝子の眼に止まった。
小学2、3年生と思えるその少年は、ぽつんと所在なく立っている。
その眼は、朝子を見つめていた。
(なんだろ。あの男の子、私を見てるけど、親戚にあのくらいの男の子はいたかな……)
そんなことを思っていると、
「ね、人の話、聴いてる?」
さゆりが言ってきた。
朝子は慌ててさゆりに顔をもどした。
「あ、うん。聴いてる聴いてる」
と返して、もう一度少年へと眼を向けると、彼の姿はもうどこにもなかった。
ふつうなら、ひとりの少年のことなど気にも留めることはないのだが、平日の昼時に、それもオフィス街の中に立っていたことが、なんとなく朝子は気になった。
それに、どこかで会ったような、ずっと以前から知っているような気がしないでもない。
それも、あの愛しい人を見つめるような、あの視線はなんだったのか。
そしてさらに、少年は何かを叫んでいたようだった。
そんなことが頭を離れずにいたのだが、ランチから職場にもどり、その日の仕事が終わる頃には脳裡の片隅に追いやられていた。
「イタタタタッ、どうしてちゃんと着地しないのさ」
透とザイールは、歩道に尻餅をついた。
「仕方がないだろ! 着地だけは、何回やってもうまくいかないんだからよ」
ふたりは尻をさすりながら立ち上がる。
「でもよ。アンタのお望みどおり、若返らせてやったぜ」
「ほんと!」
そう言いながら、透にも、自分の声が若返っているのがわかる。
だが、なにやら、その声が若すぎる気がしてならない。
そのうえ、喋り口調までがどこか変だ。
考えてみれば、ザイールの背丈が自分とさほど変わらないと思っていたが、いまはその彼を、見上げなければならないのはどういうことなのか。
「若々しくて、ずいぶん色男になったじゃないか」
「あの、ちょっと訊いてもいいかな」
透は自分の顔を、確認するように指先でなぞった。
「訊きたいことがあるなら、なんなりと聞いてやるぜ」
ザイールは居丈高に胸を張った。
「生まれ変わった律子って、いま幾つなの?」
「そうだな、確か23歳だよ」
「そう。あのさ、こんなことを言うのも失礼だと思うし、若返らせてくれたことも感謝してるけど、いまの僕って少し若くない?」
「ん? そうかあ。でもよ、それ以上若くしたら、ちんちくりんだぜ」
「だから、僕は若返りすぎじゃないのかって、言ってるの。僕はいま、いったい幾つなの」
「いまのアンタは、8歳だよ」
「8歳ッ! どういうことさ、それ」
「あ、なんだ? こっちは善意で若返らせてやったっていうのに、不服でもあるっていうのかよ」
「ああ、不服だね。律子が23歳だっていうのに、どうして僕は8歳なのさ。どう考えてもつり合いが取れないじゃないか」
透はここは退けないとばかり、腰に手をやり、ずいっと前に出た。
「つり合いが取れないって、そんなこと、いまさら言われてもだな……」
ザイールはたじろいで、うしろへ一歩下がる。
「とにかく、僕を25歳にしてくれないかな。律子が生きているとき、僕はふたつ年上だったから」
「それが無理なんだ。一度若返らせたら、それっきり変更はできないんだよ。あとは、もとのアンタにもどるだけさ」
「えー、なにそれー」
「悪い。その歳で我慢してくれ」
「だけど、どうやって律子に逢えばいいのさ、これで」
「まァ、女と逢う段取りは、オレがきっちりやるから。とりあえずは、その女の今世の姿を見てもらおうと、ここに来たんだが――さて、女はどこかな」
ザイールは辺りを見渡しながら、生まれ変わった律子を探す。
彼が彼女を探しあてる前に、
「律子……」
透が先に、彼女を見つけた。
「そうそう。あれが、アンタが探してた女、だな」
透が視線を向ける先に、彼女の姿はあった。
ウインドウ越しに見える彼女の横顔は、あの頃の律子と何ひとつ変わったところがなかった。
ただ、律子はショート・ヘアだったが、眼の前の彼女は背にかかる長い黒髪だ。
透の足が、ふらりと前へ進む。
「おい、アンタ。あぶないぞ。オレは実体がないからいいが、アンタは生身の身体なんだ。ここで車にでも撥ねられでもしたら、大変なことになるんだからよ。気をつけてくれよ。出世がパアになるのはごめんだぜ」
ザイールの言葉など耳に入らず、だが、透は自然に足を止め、彼女を見つめた。
それに気づいたかのように、彼女がすうっと透へと視線を向けてきた。その顔は、まぎれもない律子だった。
「律子! 僕だ! 透だよ」
透は思わず叫んでいた。だが、その叫びは届かず、彼女はすぐに視線をもとにもどしてしまった。
「さ、ここは、そこまでだ。次の場所へ行くぞ」
そう言うと、ザイールは透の肩に手を置き、その瞬間にふたりの姿がそこから消えた。
ランチを食べながら言う同僚の話に、沢尻朝子は、「うーん」と唸った。
「生まれ変わりながら、人は魂を磨いていくんだって。そうすることで、ほんとうの幸せを掴むことができるのよ」
同僚のさゆりは、さらに言う。
「さゆり。アンタ、命のせせらぎってTV観てるでしょ」
「毎週かかさずね」
「やっぱり」
「江口さんの出した、『死んだら来世』って本も買ったわよ」
「あらま、そこまで」
「今度、貸してあげる」
「いいわよ。私はそういうの興味ないから」
「どうしてよ。前世や来世があるって、いいと思わない? だってさ、来世があるって思ったら、死ぬのも怖くないじゃない。それによ、死ぬ前に今度はこうなりたいって望めば、そうなれるらしいのよ。でもそれには、努力が必須アイテムには違いないけど。でもね、人間て――」
永遠と話しつづけるのではないだろうかと思えるさゆりの話を、朝子は右から左に聞き流した。
さゆりが、自分の興味を持った話をするときは、決まってそうなのだ。
いまに始まったことではない。
そして、その興味も次から次へと変わっていく。
以前は確か、催眠術に興味を持ち、その前は気功やヨガだったはずだ。
そしていまは、前世や来世といった魂の生まれ変わりにハマっているのだ。
だが、どれもこれも長つづきはしない。
興味を持つのも早いが冷めるはもっと早い。
それだけに、通信販売にはとりわけ弱く、部屋の中には通信商品がうずたかく積みあがっているのだった。
さゆりの話に聞く耳を持たずに、ウインドウを流れる車や人々を眺めていると、対面の歩道にひとりの少年が立っているのが朝子の眼に止まった。
小学2、3年生と思えるその少年は、ぽつんと所在なく立っている。
その眼は、朝子を見つめていた。
(なんだろ。あの男の子、私を見てるけど、親戚にあのくらいの男の子はいたかな……)
そんなことを思っていると、
「ね、人の話、聴いてる?」
さゆりが言ってきた。
朝子は慌ててさゆりに顔をもどした。
「あ、うん。聴いてる聴いてる」
と返して、もう一度少年へと眼を向けると、彼の姿はもうどこにもなかった。
ふつうなら、ひとりの少年のことなど気にも留めることはないのだが、平日の昼時に、それもオフィス街の中に立っていたことが、なんとなく朝子は気になった。
それに、どこかで会ったような、ずっと以前から知っているような気がしないでもない。
それも、あの愛しい人を見つめるような、あの視線はなんだったのか。
そしてさらに、少年は何かを叫んでいたようだった。
そんなことが頭を離れずにいたのだが、ランチから職場にもどり、その日の仕事が終わる頃には脳裡の片隅に追いやられていた。
「イタタタタッ、どうしてちゃんと着地しないのさ」
透とザイールは、歩道に尻餅をついた。
「仕方がないだろ! 着地だけは、何回やってもうまくいかないんだからよ」
ふたりは尻をさすりながら立ち上がる。
「でもよ。アンタのお望みどおり、若返らせてやったぜ」
「ほんと!」
そう言いながら、透にも、自分の声が若返っているのがわかる。
だが、なにやら、その声が若すぎる気がしてならない。
そのうえ、喋り口調までがどこか変だ。
考えてみれば、ザイールの背丈が自分とさほど変わらないと思っていたが、いまはその彼を、見上げなければならないのはどういうことなのか。
「若々しくて、ずいぶん色男になったじゃないか」
「あの、ちょっと訊いてもいいかな」
透は自分の顔を、確認するように指先でなぞった。
「訊きたいことがあるなら、なんなりと聞いてやるぜ」
ザイールは居丈高に胸を張った。
「生まれ変わった律子って、いま幾つなの?」
「そうだな、確か23歳だよ」
「そう。あのさ、こんなことを言うのも失礼だと思うし、若返らせてくれたことも感謝してるけど、いまの僕って少し若くない?」
「ん? そうかあ。でもよ、それ以上若くしたら、ちんちくりんだぜ」
「だから、僕は若返りすぎじゃないのかって、言ってるの。僕はいま、いったい幾つなの」
「いまのアンタは、8歳だよ」
「8歳ッ! どういうことさ、それ」
「あ、なんだ? こっちは善意で若返らせてやったっていうのに、不服でもあるっていうのかよ」
「ああ、不服だね。律子が23歳だっていうのに、どうして僕は8歳なのさ。どう考えてもつり合いが取れないじゃないか」
透はここは退けないとばかり、腰に手をやり、ずいっと前に出た。
「つり合いが取れないって、そんなこと、いまさら言われてもだな……」
ザイールはたじろいで、うしろへ一歩下がる。
「とにかく、僕を25歳にしてくれないかな。律子が生きているとき、僕はふたつ年上だったから」
「それが無理なんだ。一度若返らせたら、それっきり変更はできないんだよ。あとは、もとのアンタにもどるだけさ」
「えー、なにそれー」
「悪い。その歳で我慢してくれ」
「だけど、どうやって律子に逢えばいいのさ、これで」
「まァ、女と逢う段取りは、オレがきっちりやるから。とりあえずは、その女の今世の姿を見てもらおうと、ここに来たんだが――さて、女はどこかな」
ザイールは辺りを見渡しながら、生まれ変わった律子を探す。
彼が彼女を探しあてる前に、
「律子……」
透が先に、彼女を見つけた。
「そうそう。あれが、アンタが探してた女、だな」
透が視線を向ける先に、彼女の姿はあった。
ウインドウ越しに見える彼女の横顔は、あの頃の律子と何ひとつ変わったところがなかった。
ただ、律子はショート・ヘアだったが、眼の前の彼女は背にかかる長い黒髪だ。
透の足が、ふらりと前へ進む。
「おい、アンタ。あぶないぞ。オレは実体がないからいいが、アンタは生身の身体なんだ。ここで車にでも撥ねられでもしたら、大変なことになるんだからよ。気をつけてくれよ。出世がパアになるのはごめんだぜ」
ザイールの言葉など耳に入らず、だが、透は自然に足を止め、彼女を見つめた。
それに気づいたかのように、彼女がすうっと透へと視線を向けてきた。その顔は、まぎれもない律子だった。
「律子! 僕だ! 透だよ」
透は思わず叫んでいた。だが、その叫びは届かず、彼女はすぐに視線をもとにもどしてしまった。
「さ、ここは、そこまでだ。次の場所へ行くぞ」
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