もう一度、君に逢いたい

星 陽月

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【第3話】

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「そんなに落ちこむなって。アンタが思ってるより、地獄もそれほど住みづらいところでもないぜ。業火で焼かれるだの、舌を抜かれるだのっていうのは人間が勝手に作り出した妄想よ。この世界とたいして変わりはしないさ。オレに言わせりゃ、天国のほうがよっぽど嫌なところだ。あそこは、確かになにもかもが光り耀いているかもしれないが、ただそれだけよ。他にはなにもありゃしない。ただただ退屈なだけ。オレは3日といられないね、あんなところにはよ。ところでアンタ。煙草、持ってないか」

 男は言うと、人差し指と中指の2本を立て、唇にあてて煙草を喫うしぐさをした。

「煙草など、持っているわけがないでしょう。ここは病院ですよ」

 透は顔をしかめ、考えられないとばかりに首をふった。

「なんだ、持ってないのか。しけたヤツだな。こっちへ来たら、煙草だけが楽しみなのによ」

 男は不満げに口を尖らせた。

「そんなことより、あなたの言うことがほんとうなら私は律子に逢えない。律子に逢えないのなら、死んだほうがましだ」
「面白いヤツだな。アンタは死ぬから、地獄へ行くんだぞ」
「だったら、私はなんのために、いままで生きてきたんだ……。いやだ、律子に逢えないなんていやだ!」

 透は頭を抱えた。

「いやだって言ってもよ、決まりだから仕方がない。きれいさっぱり諦めるんだな」
「いやだいやだ。絶対に、いーやーだーッ!」

 透は両方の拳を子供のようにふった。

「あーあ、駄々こねちゃったよ。そんなに、その律子って女に逢いたいのか」
「逢いたい。なにがなんでも逢いたい。もし、律子に逢わせてくれるなら、地獄へでもどこへでも行く」
「その言葉に二言はないな」
「ない。絶対にない」
「そうか」

 男は口端でにやりと笑う。

「アンタがそこまで言うんだったら、逢わせてやれないわけでもない」
「ほんとうですか」
「あァ。だがな、オレも無理なものを曲げて、その女に逢わせてやるんだ。だから、その女に逢ったあとは、駄々をこねずに地獄へ行くんだぜ。じゃないと、オレの出世にも響くからな。いいな」
「はい。ありがとうございます。あなたはなんて心のやさしい方なんだ。きっと、名のある天使なのではないですか? よければ、名を教えて戴(いただ)けますか」
「オレの名か? 言って減るもんでもないから教えてやるが、いいか、よく聴けよ。オレの名は、ザイールだ」

 男は偉そうに名乗った。

「ザイール? 聞いたことのない名ですね」
「そりゃあ、まァ、ほら、天使もさ、色々といるかわけ。だから聞いたことがないのも当然さ」
「はあ、そうですか。そうですよね。きっと、天国は広いですものね」
「そ、広い。こりゃ広いなー、と思うくらいに広い」
「それにしても、天使が黒いコートを着ているとは愕きです。私はてっきり、真っ白な天衣を着ているものと思っていました」
「あァ、あれは大昔のことさ。時代が変われば、天国も変わる」
「それに、翼もない」
「翼? 翼ならあるぜ。見たいか?」
「はい。是非とも」
「なら見せてやる」

 そう言うとザイールは、身体に力を入れ始めた。

「むむッ、むむむむむッ」

 顔がみるみる真っ赤になっていく。
 拳を胸の前で握り締め、中腰で力むその姿は、大便を気張っているかのようだ。
 すると出た。
「ブリブリ」とはいわずに「ポン」と出た。
 それはまさしく立派な――いや、立派ではあるが、すごく薄汚れた(すごく薄汚れたという表現は変だが、確かにすごーく薄汚れているのだ)大きな翼が想像をはるかに裏切って拡がった。

「どうだ、すごいだろ。感動したか」

 ザイールはこれ見よがしに、翼をばさりばさりとやった。

「あ、はあ、とりあえず……」

 透はまたも苦笑いを浮かべた。

「ところで、ザイールさん。律子には、天国へ逢いに行くのですか? それとも、ここへ連れてきてくれるのですか?」
「いや、そのどっちでもない」

 ザイールはすぐに翼を引っこめた。

「というと……」
「実はな。その女はいま、転生の準備に入っているところなのさ」
「転生の準備と言いますと、この世に、ということですか」
「そうだ」
「それで、準備は、なにか特別なことでもするのですか?」
「いや、別になにをするってことはないんだ。まずはだな、『転生の森』というところに行き、そこで『来世の殻』というものに入るんだ。あとはただ、待つだけさ」
「はあ……」

 透は要領を得ない。

「わかり易く言うなら、毛虫がさなぎになって、蝶になるのをジッと待ってるだろ? あれと同じさ」
「律子がさなぎに……。というと、律子はもう天国にはいない」
「そういうことだ」
「では、天国へ行っても、律子にはどのみち逢えないのじゃないですか」
「ご名答」
「ああ……」

 透はがっくりと肩を落とす。

「神様は、なんて意地悪な方なんだ。律子を私から奪い、それだけでは足りずに、天国でも逢わせてくれないとは……」
「そんなもんさ。アイツには、そういう意地悪なところがあるんだよな」

 その言葉に、透はザイールをキッと見た。

「あなた。神様をいま、アイツ呼ばわりしませんでしたか?」
 
 そう訊かれ、ザイールはまたもどきりとした。

「ん? そうか? そりゃアンタの聴き違いだ。オレがあの方をアイツなんて、呼ぶわけがないだろう」
「そうですか? でも、確かにそう聴こえましたが」
「アンタはもうジジイだから、そう聴こえただけさ」
「なるほど。では、そういうことにしておきましょう。ですがひとつ言わせてください。あなたの、その口の利き方はどうなのでしょうか」
「どうもこうもないさ。これがオレなんだからな」
「しかしザイールさん。天使ならば、天使としてのふるまいというものがあるはずです。あなたはあまりにも、天使としての品性に欠ける」
「天使としての品性だと? ケッ、ふざけるな。アンタが考えている天使像ってのは、人間がつくり上げた虚像だろうが。それなのに、なにが天使としての品性に欠けるだよ。天使のことをなにも知らないくせに、知ったように言うもんじゃないぜ。だから人間は、いつまでも劣った生き物なんだよ」

 ザイールは憤慨して言った。
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