4 / 53
【第3話】
しおりを挟む
「そんなに落ちこむなって。アンタが思ってるより、地獄もそれほど住みづらいところでもないぜ。業火で焼かれるだの、舌を抜かれるだのっていうのは人間が勝手に作り出した妄想よ。この世界とたいして変わりはしないさ。オレに言わせりゃ、天国のほうがよっぽど嫌なところだ。あそこは、確かになにもかもが光り耀いているかもしれないが、ただそれだけよ。他にはなにもありゃしない。ただただ退屈なだけ。オレは3日といられないね、あんなところにはよ。ところでアンタ。煙草、持ってないか」
男は言うと、人差し指と中指の2本を立て、唇にあてて煙草を喫うしぐさをした。
「煙草など、持っているわけがないでしょう。ここは病院ですよ」
透は顔をしかめ、考えられないとばかりに首をふった。
「なんだ、持ってないのか。しけたヤツだな。こっちへ来たら、煙草だけが楽しみなのによ」
男は不満げに口を尖らせた。
「そんなことより、あなたの言うことがほんとうなら私は律子に逢えない。律子に逢えないのなら、死んだほうがましだ」
「面白いヤツだな。アンタは死ぬから、地獄へ行くんだぞ」
「だったら、私はなんのために、いままで生きてきたんだ……。いやだ、律子に逢えないなんていやだ!」
透は頭を抱えた。
「いやだって言ってもよ、決まりだから仕方がない。きれいさっぱり諦めるんだな」
「いやだいやだ。絶対に、いーやーだーッ!」
透は両方の拳を子供のようにふった。
「あーあ、駄々こねちゃったよ。そんなに、その律子って女に逢いたいのか」
「逢いたい。なにがなんでも逢いたい。もし、律子に逢わせてくれるなら、地獄へでもどこへでも行く」
「その言葉に二言はないな」
「ない。絶対にない」
「そうか」
男は口端でにやりと笑う。
「アンタがそこまで言うんだったら、逢わせてやれないわけでもない」
「ほんとうですか」
「あァ。だがな、オレも無理なものを曲げて、その女に逢わせてやるんだ。だから、その女に逢ったあとは、駄々をこねずに地獄へ行くんだぜ。じゃないと、オレの出世にも響くからな。いいな」
「はい。ありがとうございます。あなたはなんて心のやさしい方なんだ。きっと、名のある天使なのではないですか? よければ、名を教えて戴(いただ)けますか」
「オレの名か? 言って減るもんでもないから教えてやるが、いいか、よく聴けよ。オレの名は、ザイールだ」
男は偉そうに名乗った。
「ザイール? 聞いたことのない名ですね」
「そりゃあ、まァ、ほら、天使もさ、色々といるかわけ。だから聞いたことがないのも当然さ」
「はあ、そうですか。そうですよね。きっと、天国は広いですものね」
「そ、広い。こりゃ広いなー、と思うくらいに広い」
「それにしても、天使が黒いコートを着ているとは愕きです。私はてっきり、真っ白な天衣を着ているものと思っていました」
「あァ、あれは大昔のことさ。時代が変われば、天国も変わる」
「それに、翼もない」
「翼? 翼ならあるぜ。見たいか?」
「はい。是非とも」
「なら見せてやる」
そう言うとザイールは、身体に力を入れ始めた。
「むむッ、むむむむむッ」
顔がみるみる真っ赤になっていく。
拳を胸の前で握り締め、中腰で力むその姿は、大便を気張っているかのようだ。
すると出た。
「ブリブリ」とはいわずに「ポン」と出た。
それはまさしく立派な――いや、立派ではあるが、すごく薄汚れた(すごく薄汚れたという表現は変だが、確かにすごーく薄汚れているのだ)大きな翼が想像をはるかに裏切って拡がった。
「どうだ、すごいだろ。感動したか」
ザイールはこれ見よがしに、翼をばさりばさりとやった。
「あ、はあ、とりあえず……」
透はまたも苦笑いを浮かべた。
「ところで、ザイールさん。律子には、天国へ逢いに行くのですか? それとも、ここへ連れてきてくれるのですか?」
「いや、そのどっちでもない」
ザイールはすぐに翼を引っこめた。
「というと……」
「実はな。その女はいま、転生の準備に入っているところなのさ」
「転生の準備と言いますと、この世に、ということですか」
「そうだ」
「それで、準備は、なにか特別なことでもするのですか?」
「いや、別になにをするってことはないんだ。まずはだな、『転生の森』というところに行き、そこで『来世の殻』というものに入るんだ。あとはただ、待つだけさ」
「はあ……」
透は要領を得ない。
「わかり易く言うなら、毛虫がさなぎになって、蝶になるのをジッと待ってるだろ? あれと同じさ」
「律子がさなぎに……。というと、律子はもう天国にはいない」
「そういうことだ」
「では、天国へ行っても、律子にはどのみち逢えないのじゃないですか」
「ご名答」
「ああ……」
透はがっくりと肩を落とす。
「神様は、なんて意地悪な方なんだ。律子を私から奪い、それだけでは足りずに、天国でも逢わせてくれないとは……」
「そんなもんさ。アイツには、そういう意地悪なところがあるんだよな」
その言葉に、透はザイールをキッと見た。
「あなた。神様をいま、アイツ呼ばわりしませんでしたか?」
そう訊かれ、ザイールはまたもどきりとした。
「ん? そうか? そりゃアンタの聴き違いだ。オレがあの方をアイツなんて、呼ぶわけがないだろう」
「そうですか? でも、確かにそう聴こえましたが」
「アンタはもうジジイだから、そう聴こえただけさ」
「なるほど。では、そういうことにしておきましょう。ですがひとつ言わせてください。あなたの、その口の利き方はどうなのでしょうか」
「どうもこうもないさ。これがオレなんだからな」
「しかしザイールさん。天使ならば、天使としてのふるまいというものがあるはずです。あなたはあまりにも、天使としての品性に欠ける」
「天使としての品性だと? ケッ、ふざけるな。アンタが考えている天使像ってのは、人間がつくり上げた虚像だろうが。それなのに、なにが天使としての品性に欠けるだよ。天使のことをなにも知らないくせに、知ったように言うもんじゃないぜ。だから人間は、いつまでも劣った生き物なんだよ」
ザイールは憤慨して言った。
男は言うと、人差し指と中指の2本を立て、唇にあてて煙草を喫うしぐさをした。
「煙草など、持っているわけがないでしょう。ここは病院ですよ」
透は顔をしかめ、考えられないとばかりに首をふった。
「なんだ、持ってないのか。しけたヤツだな。こっちへ来たら、煙草だけが楽しみなのによ」
男は不満げに口を尖らせた。
「そんなことより、あなたの言うことがほんとうなら私は律子に逢えない。律子に逢えないのなら、死んだほうがましだ」
「面白いヤツだな。アンタは死ぬから、地獄へ行くんだぞ」
「だったら、私はなんのために、いままで生きてきたんだ……。いやだ、律子に逢えないなんていやだ!」
透は頭を抱えた。
「いやだって言ってもよ、決まりだから仕方がない。きれいさっぱり諦めるんだな」
「いやだいやだ。絶対に、いーやーだーッ!」
透は両方の拳を子供のようにふった。
「あーあ、駄々こねちゃったよ。そんなに、その律子って女に逢いたいのか」
「逢いたい。なにがなんでも逢いたい。もし、律子に逢わせてくれるなら、地獄へでもどこへでも行く」
「その言葉に二言はないな」
「ない。絶対にない」
「そうか」
男は口端でにやりと笑う。
「アンタがそこまで言うんだったら、逢わせてやれないわけでもない」
「ほんとうですか」
「あァ。だがな、オレも無理なものを曲げて、その女に逢わせてやるんだ。だから、その女に逢ったあとは、駄々をこねずに地獄へ行くんだぜ。じゃないと、オレの出世にも響くからな。いいな」
「はい。ありがとうございます。あなたはなんて心のやさしい方なんだ。きっと、名のある天使なのではないですか? よければ、名を教えて戴(いただ)けますか」
「オレの名か? 言って減るもんでもないから教えてやるが、いいか、よく聴けよ。オレの名は、ザイールだ」
男は偉そうに名乗った。
「ザイール? 聞いたことのない名ですね」
「そりゃあ、まァ、ほら、天使もさ、色々といるかわけ。だから聞いたことがないのも当然さ」
「はあ、そうですか。そうですよね。きっと、天国は広いですものね」
「そ、広い。こりゃ広いなー、と思うくらいに広い」
「それにしても、天使が黒いコートを着ているとは愕きです。私はてっきり、真っ白な天衣を着ているものと思っていました」
「あァ、あれは大昔のことさ。時代が変われば、天国も変わる」
「それに、翼もない」
「翼? 翼ならあるぜ。見たいか?」
「はい。是非とも」
「なら見せてやる」
そう言うとザイールは、身体に力を入れ始めた。
「むむッ、むむむむむッ」
顔がみるみる真っ赤になっていく。
拳を胸の前で握り締め、中腰で力むその姿は、大便を気張っているかのようだ。
すると出た。
「ブリブリ」とはいわずに「ポン」と出た。
それはまさしく立派な――いや、立派ではあるが、すごく薄汚れた(すごく薄汚れたという表現は変だが、確かにすごーく薄汚れているのだ)大きな翼が想像をはるかに裏切って拡がった。
「どうだ、すごいだろ。感動したか」
ザイールはこれ見よがしに、翼をばさりばさりとやった。
「あ、はあ、とりあえず……」
透はまたも苦笑いを浮かべた。
「ところで、ザイールさん。律子には、天国へ逢いに行くのですか? それとも、ここへ連れてきてくれるのですか?」
「いや、そのどっちでもない」
ザイールはすぐに翼を引っこめた。
「というと……」
「実はな。その女はいま、転生の準備に入っているところなのさ」
「転生の準備と言いますと、この世に、ということですか」
「そうだ」
「それで、準備は、なにか特別なことでもするのですか?」
「いや、別になにをするってことはないんだ。まずはだな、『転生の森』というところに行き、そこで『来世の殻』というものに入るんだ。あとはただ、待つだけさ」
「はあ……」
透は要領を得ない。
「わかり易く言うなら、毛虫がさなぎになって、蝶になるのをジッと待ってるだろ? あれと同じさ」
「律子がさなぎに……。というと、律子はもう天国にはいない」
「そういうことだ」
「では、天国へ行っても、律子にはどのみち逢えないのじゃないですか」
「ご名答」
「ああ……」
透はがっくりと肩を落とす。
「神様は、なんて意地悪な方なんだ。律子を私から奪い、それだけでは足りずに、天国でも逢わせてくれないとは……」
「そんなもんさ。アイツには、そういう意地悪なところがあるんだよな」
その言葉に、透はザイールをキッと見た。
「あなた。神様をいま、アイツ呼ばわりしませんでしたか?」
そう訊かれ、ザイールはまたもどきりとした。
「ん? そうか? そりゃアンタの聴き違いだ。オレがあの方をアイツなんて、呼ぶわけがないだろう」
「そうですか? でも、確かにそう聴こえましたが」
「アンタはもうジジイだから、そう聴こえただけさ」
「なるほど。では、そういうことにしておきましょう。ですがひとつ言わせてください。あなたの、その口の利き方はどうなのでしょうか」
「どうもこうもないさ。これがオレなんだからな」
「しかしザイールさん。天使ならば、天使としてのふるまいというものがあるはずです。あなたはあまりにも、天使としての品性に欠ける」
「天使としての品性だと? ケッ、ふざけるな。アンタが考えている天使像ってのは、人間がつくり上げた虚像だろうが。それなのに、なにが天使としての品性に欠けるだよ。天使のことをなにも知らないくせに、知ったように言うもんじゃないぜ。だから人間は、いつまでも劣った生き物なんだよ」
ザイールは憤慨して言った。
0
お気に入りに追加
41
あなたにおすすめの小説

もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

【コミカライズ&書籍化・取り下げ予定】お幸せに、婚約者様。私も私で、幸せになりますので。
ごろごろみかん。
恋愛
仕事と私、どっちが大切なの?
……なんて、本気で思う日が来るとは思わなかった。
彼は、王族に仕える近衛騎士だ。そして、婚約者の私より護衛対象である王女を優先する。彼は、「王女殿下とは何も無い」と言うけれど、彼女の方はそうでもないみたいですよ?
婚約を解消しろ、と王女殿下にあまりに迫られるので──全て、手放すことにしました。
お幸せに、婚約者様。
私も私で、幸せになりますので。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

蔑ろにされた王妃と見限られた国王
奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています
国王陛下には愛する女性がいた。
彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。
私は、そんな陛下と結婚した。
国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。
でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。
そしてもう一つ。
私も陛下も知らないことがあった。
彼女のことを。彼女の正体を。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜
月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。
だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。
「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。
私は心を捨てたのに。
あなたはいきなり許しを乞うてきた。
そして優しくしてくるようになった。
ーー私が想いを捨てた後で。
どうして今更なのですかーー。
*この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる