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【第1話】
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クリスマス・イヴ。
街は若者たちや、恋人たちで賑わっている。
通りに並ぶ樹々には電飾が施され、行き交う人々をやさしく照らしている。
皆、幸せに包まれて、どの顔も幸福そうだ。
そこは、若者たちに人気のイタリアン・レストラン。
ここにも幸せは溢れていて、恋人たちが愛する人とのひとときを楽しんでいた。
その中の1組のカップル。
新しい年を迎え、木立ちに緑が芽吹くころ、ふたりは教会で結婚式を挙げることになっている。
神様に祝福を受けながら。
だから今日は、独身としては最後となる、イヴの夜。
「早いものね。透と出逢って、もう5年が過ぎたなんて」
ワインを口にすると、律子がそう言った。
「だよなあ。僕には、律子と出逢ったのが、ほんの1週間ほど前にしか思えないよ」
「それって、私とつき合ってきた5年間には、想い出がないみたいじゃない」
「違うよ、そうじゃない。僕の心は、律子と出逢ったあの頃と少しも変わらないってことさ」
「それ、ほんと?」
「なんだよ、疑うのか?」
「そうじゃないけど。だったら、どう変わらないのか、教えて」
「そんなの、照れるよ」
「いいじゃない、今日はイヴなんだから。ね、聞かせて。おねがい」
「わかったよ」
甘え口調の律子に苦笑しながらも、透はそこでワインを口にふくんで気持ちを高めた。
そして、律子の眼を見つめる。
「僕はあの頃と少しも変わらず、君のことを愛してる。これからもずっと」
「うれしい。もう、最高。透と出逢えてよかった。男の人って、そういう言葉はおねがいしても言ってくれないものね」
「なんだよ、過去の男たちの愚痴か?」
「そうじゃないけど、でも女って、どんなプレゼントよりも、そういう愛の言葉がいちばんうれしいのよ」
「じゃあ、今日のプレゼントはいらないわけか」
「ダメよ。それはそれ。これはこれ、だもの」
「ずいぶんと欲張りなんだな」
「そうよ。女は欲が深くて、貪欲なの」
「そして僕は、そんな欲が深くて貪欲な、未来の花嫁を愛してる」
「うッ、やられた。私もあとで、たっぷりと愛してあげる」
なんとも明るく、ハッピーな会話である。
ふたりは、この幸せが永遠につづくと信じている。
疑う気持ちなどかけらもない。
だが、そんなふたりに、神様はいままさに試練の矢を射ようとしていた。
「律子はまだ、納得していないんじゃないか? 式を6月に挙げられないこと」
「納得するもしないも、私たちが式を挙げる教会が、6月は予約でいっぱいなんだから仕方ないわよ。それに、2ヶ月も早く透と式を挙げられるんだから、文句なんてありません」
「それならいいんだけど。僕がもう少し早く予約を入れておけば、4月にならなくてよかったんだよな」
透のほうが納得いかない様子だ。
「私はほんとにそれでいいんだから、無理なものはもう考えないの」
「だけどさ、4月1日だぜ? よりによってエイプリル・フールだなんて、縁起が悪いだろ?」
「縁起は悪くないわよ。その日は大安吉日なんだから。それにね、たとえ仏滅に式を挙げたって、ふたりが固く誓いを結べば、神様は祝福してくれるの」
「それもそうだな。ふたりの愛は永遠だ。神様だって僕たちを引き離すことはできない」
そうとは限らない。
弓を引く神様の腕はプルプルと震え、試練の矢はいまにも放たれようとしている。
「そう、ふたりの愛は永遠――透、私もう我慢できない」
律子の眼が、艶かしく潤む。
「あ、ああ、僕も。君というメイン・ディッシュは、今日のために半年もまえから予約した、ヒルトンで戴くとしよう」
ふたりは席を立ち、会計を済ませて店を出た。
「あー、いい気持ち。でもちょっと飲みすぎたかな」
律子の足取りはおぼつかない。
「あ、雪よ。透、雪ッ!」
律子は透から離れ、手のひらを天に向けて、ふらふらと歩く。
透は笑みを浮かべて、その姿を見つめた。
夜空を見上げる律子は、闇の中から舞い落ちてくる雪に心を奪われている。
「律子、あぶないぞ」
透がそう声をかけた刹那だった。
足を踏み外した律子の身体が、車道へと傾ぎ出た。
そこへスピードを上げて走ってきた車が、鈍い音を立てて、律子の身体を宙へと弾き飛ばした。
信じられない光景が、透の眼を襲った。
それは、予期するいとまもないほどの出来事だった。
「律子ッ!」
叫ぶのと同時に透は駆け出した。
ぐったりと動かない律子を抱きかかえる。
頭部からは血が流れ、額から顔へと伝っている。
「なんだよ、律子。どうしたんだよ。なあ、眼を開けてくれよ」
車を運転していた男は、驚愕の顔で立ち竦み、ふたりを見つめていた。
人だかりが周辺をかこんでいく。
だれかがスマートフォンで救急車を呼んでいる。
「頼むからなんとか言ってくれよ。律子、律子ォ!」
律子の身体は、ぴくりとも動かなかった。
雪は静かに舞い落ちて、世界を白く染めていく。
試練の矢は、ついに神様の手から放たれたのだった。
街は若者たちや、恋人たちで賑わっている。
通りに並ぶ樹々には電飾が施され、行き交う人々をやさしく照らしている。
皆、幸せに包まれて、どの顔も幸福そうだ。
そこは、若者たちに人気のイタリアン・レストラン。
ここにも幸せは溢れていて、恋人たちが愛する人とのひとときを楽しんでいた。
その中の1組のカップル。
新しい年を迎え、木立ちに緑が芽吹くころ、ふたりは教会で結婚式を挙げることになっている。
神様に祝福を受けながら。
だから今日は、独身としては最後となる、イヴの夜。
「早いものね。透と出逢って、もう5年が過ぎたなんて」
ワインを口にすると、律子がそう言った。
「だよなあ。僕には、律子と出逢ったのが、ほんの1週間ほど前にしか思えないよ」
「それって、私とつき合ってきた5年間には、想い出がないみたいじゃない」
「違うよ、そうじゃない。僕の心は、律子と出逢ったあの頃と少しも変わらないってことさ」
「それ、ほんと?」
「なんだよ、疑うのか?」
「そうじゃないけど。だったら、どう変わらないのか、教えて」
「そんなの、照れるよ」
「いいじゃない、今日はイヴなんだから。ね、聞かせて。おねがい」
「わかったよ」
甘え口調の律子に苦笑しながらも、透はそこでワインを口にふくんで気持ちを高めた。
そして、律子の眼を見つめる。
「僕はあの頃と少しも変わらず、君のことを愛してる。これからもずっと」
「うれしい。もう、最高。透と出逢えてよかった。男の人って、そういう言葉はおねがいしても言ってくれないものね」
「なんだよ、過去の男たちの愚痴か?」
「そうじゃないけど、でも女って、どんなプレゼントよりも、そういう愛の言葉がいちばんうれしいのよ」
「じゃあ、今日のプレゼントはいらないわけか」
「ダメよ。それはそれ。これはこれ、だもの」
「ずいぶんと欲張りなんだな」
「そうよ。女は欲が深くて、貪欲なの」
「そして僕は、そんな欲が深くて貪欲な、未来の花嫁を愛してる」
「うッ、やられた。私もあとで、たっぷりと愛してあげる」
なんとも明るく、ハッピーな会話である。
ふたりは、この幸せが永遠につづくと信じている。
疑う気持ちなどかけらもない。
だが、そんなふたりに、神様はいままさに試練の矢を射ようとしていた。
「律子はまだ、納得していないんじゃないか? 式を6月に挙げられないこと」
「納得するもしないも、私たちが式を挙げる教会が、6月は予約でいっぱいなんだから仕方ないわよ。それに、2ヶ月も早く透と式を挙げられるんだから、文句なんてありません」
「それならいいんだけど。僕がもう少し早く予約を入れておけば、4月にならなくてよかったんだよな」
透のほうが納得いかない様子だ。
「私はほんとにそれでいいんだから、無理なものはもう考えないの」
「だけどさ、4月1日だぜ? よりによってエイプリル・フールだなんて、縁起が悪いだろ?」
「縁起は悪くないわよ。その日は大安吉日なんだから。それにね、たとえ仏滅に式を挙げたって、ふたりが固く誓いを結べば、神様は祝福してくれるの」
「それもそうだな。ふたりの愛は永遠だ。神様だって僕たちを引き離すことはできない」
そうとは限らない。
弓を引く神様の腕はプルプルと震え、試練の矢はいまにも放たれようとしている。
「そう、ふたりの愛は永遠――透、私もう我慢できない」
律子の眼が、艶かしく潤む。
「あ、ああ、僕も。君というメイン・ディッシュは、今日のために半年もまえから予約した、ヒルトンで戴くとしよう」
ふたりは席を立ち、会計を済ませて店を出た。
「あー、いい気持ち。でもちょっと飲みすぎたかな」
律子の足取りはおぼつかない。
「あ、雪よ。透、雪ッ!」
律子は透から離れ、手のひらを天に向けて、ふらふらと歩く。
透は笑みを浮かべて、その姿を見つめた。
夜空を見上げる律子は、闇の中から舞い落ちてくる雪に心を奪われている。
「律子、あぶないぞ」
透がそう声をかけた刹那だった。
足を踏み外した律子の身体が、車道へと傾ぎ出た。
そこへスピードを上げて走ってきた車が、鈍い音を立てて、律子の身体を宙へと弾き飛ばした。
信じられない光景が、透の眼を襲った。
それは、予期するいとまもないほどの出来事だった。
「律子ッ!」
叫ぶのと同時に透は駆け出した。
ぐったりと動かない律子を抱きかかえる。
頭部からは血が流れ、額から顔へと伝っている。
「なんだよ、律子。どうしたんだよ。なあ、眼を開けてくれよ」
車を運転していた男は、驚愕の顔で立ち竦み、ふたりを見つめていた。
人だかりが周辺をかこんでいく。
だれかがスマートフォンで救急車を呼んでいる。
「頼むからなんとか言ってくれよ。律子、律子ォ!」
律子の身体は、ぴくりとも動かなかった。
雪は静かに舞い落ちて、世界を白く染めていく。
試練の矢は、ついに神様の手から放たれたのだった。
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